第7章:この想いに、名をつけるなら(後編)
一瞬だけのキス。
でも、そのあとに、ルキが私を強く引き寄せてきた。
「……ダメだ。これだけじゃ、足りない。我慢できなくなってきた。もっと君を感じたい……」
「えっ?」
ルキの唇が、私の唇を深く塞いだ。さっきの優しいキスとは違う、情熱的で、少しだけ荒っぽいキス。彼の腕が、私の腰を抱き寄せ、体が密着する。
「もっと……ずっと、君に触れていたい。指も、唇も、全部。——君が僕を選ぶって、約束してくれるまで。君の全てを、僕が独り占めしたいんだ」
「る、ルキ……っ!息が……」
もう、胸が、甘さでいっぱいになって、息が苦しい。
でも——逃げたくない。
彼の情熱的な愛の表現が、私の心を激しく揺さぶる。
私は、彼の首にそっと腕をまわし、もう一度、唇を近づけた。
深くて、温かくて、でもどこか焦ったようなキス。彼の唇が、私の唇を愛おしむように吸い上げる。私の中から、彼の存在がどんどん深く入り込んでくるようだった。
「君の全部を、他の誰にも渡したくない。兄さんたちなんかに、“ほのかの笑顔”を取られたくないよ……。君の涙も、笑顔も、全ては僕だけのものだ」
その声は、まるで独占欲でできた祈りのようだった。彼の感情が、私の中に直接流れ込んでくる。
私への深い愛と、他の王子たちへの嫉妬。その全てが、私を彼の虜にしていく。
私はそっと頷いた。この感情に、まだ確かな“恋”という名前をつけるのは怖いけれど、この温かさだけは本物だと信じたかった。
「じゃあ……私も、ルキだけを見てるから。でも……“好き”って、まだ言うのはこわいから、今は、“好きになりかけてる”って言わせて」
私がそう言うと、ルキの顔が、パッと輝いた。彼の瞳が、まるで星のようにきらめいている。
「……それ、充分に嬉しいよ、ほのか。その気持ちを、もっともっと大きくしてほしい。いつか君が僕に『好き』だと言ってくれる日が、僕の待ち望む未来だ」
ルキは微笑んで、私の髪をそっと撫でた。彼の指先が、私の頭を優しく撫でる。その仕草に、私は心から安堵した。
しかし——
「ほのか。今、時間あるかい?随分と親密そうだったが、試練の件で、少し話したいことがある」
突然、背後から静かな声がした。振り返ると、そこにはセレス王子が、悲しそうな顔で立っていた。
彼の水色の瞳は、ルキと私を交互に見て、その奥に、抑えきれない苦しみが宿っているようだった。
「セレス兄さん……いつからそこに?」
ルキの声に、明らかな警戒の色が滲む。彼は私を背中に隠すように、一歩前に出た。
「さっきの言葉、全部聞こえたよ。君たちが交わした、甘い誓いの言葉もね。……でも、諦めない。君が“まだ言ってない”ってことは、まだ、チャンスがあるってことだろう?君の心は、まだ誰のものにもなっていないと、僕は信じているから」
「セレス王子……どうして、そんなこと……」
私の心臓が、再び激しく高鳴る。セレス王子は、私とルキの親密な会話を全て聞いていたのだ。その上で、彼はまだ私を諦めないと言っている。
「ごめんね、ルキ。弟でも、譲れないよ。——この恋は、本気だから。君の愛が本物であるように、僕の愛もまた、真実だ」
その一言が、夜の庭園に落ちた瞬間。三人の間に、張り詰めた空気が生まれた。ルキの表情は、怒りと焦りで見開かれ、セレス王子の顔は、苦悩と決意に満ちていた。
そして私は、その二人の間で、自分の心が激しく揺れているのを感じていた。
甘さと、痛みと、恋の始まりの予感。選ばれるのは、誰なのか。選ぶのは、誰なのか。その答えは、もうすぐ、迫ってくる。
その夜。
遠く離れた星の国の外れ——。
黒く染まった空の下、影の使者たちが、密やかに動き出していた。彼らの顔はフードで覆われ、その姿は闇に溶け込んでいる。
だが、その瞳だけが、獲物を狙う獣のように、不気味に光っていた。
「“星の鍵の少女”。その者の力は、我が国のものだ。我らの王が、その力を欲している。すぐに連れてこい。いかなる犠牲を払ってでも、このノアリウム界から奪い去るのだ」
彼らのリーダーと思しき人物が、冷たく、低い声で命じる。その声には、底知れない悪意と、絶対的な支配欲が込められていた。
「はい、閣下。すでに王城へ潜入の手はずは整っております。“鍵”の光が強まる今こそ、奪取の好機」
「愚かな星の王どもは、未だ己らの運命に気づかぬ。かの者がいれば、我らの悲願は達成される。その血と力、すべて、我らのものとするのだ——この世界を、我らの色に染め上げてやる」
影の使者たちは、不気味な笑みを浮かべ、闇の中へと消えていった。
ノアリウム界の静かな夜に、新たな嵐が迫っていることを、誰も知る由もなかった。