第6章:傷を癒すその手の中で(後編)
「セレス王子……なんで、そんなに優しくできるの?私なんかに、そこまでしてくれる理由が、わからない……」
私の問いかけに、セレスは静かに微笑んだ。その水色の瞳の奥に、深い悲しみが揺らめいているように見えた。
「僕も昔、そうしてもらいたかったから。誰にも、僕の傷に手を差し伸べてくれる人はいなかった」
——その瞬間、瞳に走った一筋の陰が、何より深くて、悲しかった。
彼もまた、私と同じように、いや、それ以上に、孤独な傷を抱えて生きてきたのだろうか。
「優しくされることを“奪われた”子供だった。だから、誰かに優しくすることで、ようやく自分が人間になれる気がしてる。誰かを癒すことで、僕自身が救われているんだ」
「それって……」
私は言葉を失った。
彼の優しさは、私のためだけではない。彼自身の渇きを満たすためのものだというのか。
それは、一見すると利己的にも聞こえるけれど、その裏にある彼の切実な“愛への飢え”に、私の心は深く揺さぶられた。
「恋も、たぶん似てるよね。誰かを思うことで、自分が“存在していい”と感じられる。僕は、君といるとき、それを感じられる。君の魂は、僕の心を温めてくれるんだ」
そう言って、彼は私の頬に、指先をそっと重ねてきた。温室の柔らかな光が、彼の横顔を照らす。
その瞳は、私を見つめながらも、遠い昔の痛みを宿しているかのようだった。
「……このまま、僕を選んでくれたら——君を泣かせたりしない。壊れるほど、優しくする自信があるよ。君の全ての痛みを、僕が受け止める。僕に、君の全てを預けてほしい」
胸が、高鳴った。
それは恋ではないかもしれない。でも、そこに確かにあった“誰かを救いたい”という切実な思いと、彼の孤独な魂に触れたことで、私の心は動いたのは本当だった。
彼の優しさは、私の心の最も脆い部分に、そっと寄り添ってくれた。
セレスは最後に、私の手に白い花をひとつ結んだ。それは、このノアリウム界で最も古くから癒しの力を持つとされる、“星の露草”だった。
「君が迷ったとき、この香りを思い出して。そして、僕の想いが届くことを、願ってる。君の心が、本当に安らげる場所を、見つけられるように」
試練は、そうして静かに終わった。でも——それは、確かに“恋の火種”だった。私の心の中に、ルキとは違う、静かで深い感情が芽生え始めたのを感じた。
その夜。ルキは何も言わず、星の庭園で私を待っていた。彼の背中からは、どこか張り詰めたような空気が感じられる。
「……セレス兄さんと、何話したの?どんな試練だったの?」
彼の声は、昨日の甘えたような響きではなく、少しだけ問い詰めるような調子だった。
「普通に、試練として……その、心の傷について、話したんだよ」
「手、握られた?……触れられたのかい?」
ルキの声のトーンが、さらに低くなる。彼の視線は、私の顔から、セレスが花を結んだ私の手へと移った。
「えっ……そ、それはちょっと……っ。でも、癒しの試練だから、その、必要なことだったんだよ」
私がしどろもどろに答えると、ルキはぎゅっと拳を握りしめた。
「……ずるいな、兄さん。理屈をこねて、心を弄ぶなんて」
ルキはそう呟くと、ぐっと私を抱きしめた。その抱擁は、昨日よりもずっと強く、まるで私を誰にも渡さないと主張するかのようだった。
「僕も……もっと、触れたい。君の全てを独り占めしたい。君が誰に傾いても、受け止めるつもりだった。だって、君は僕の“鍵”だから。でも、やっぱり——僕は君が欲しい。誰にも触れてほしくないんだ、ほのか」
彼の胸に顔を埋め、私はルキの激しい鼓動を感じた。それは、私への純粋な愛だけでなく、他の王子たちへの、隠しきれない焦燥と独占欲が入り混じったものだった。
「ルキ……」
私の心は、ルキの情熱と、セレスの優しさの間で激しく揺れ動いていた。どちらの感情も、私にとってかけがえのないものになりつつある。
この異世界での試練は、私に新しい感情を与え、そして、私自身の選択を迫っている。
恋と、そしてこの世界の運命を背負う“星の鍵”としての使命。その狭間で、私は何を、誰を選ぶのだろうか。