プロローグ:婚約破棄、そして推しとの出会い
「君とはもう終わりだ、ほのか」
――その一言が、私の人生を終わらせた。
ちょっと待って、それ、今ここで言うの? お城みたいなパーティー会場のど真ん中で、みんな注目してるのに? 私の婚約者、蒼月レオン様は、周りに聞こえよがしに、冷たい言葉を投げつけてきた。
「え、ちょ、待って……なんで?」
私の声は震えていた。レオン様はつまらなそうに私を見下ろし、口角を上げて嗤った。
「君みたいな地味で冴えない子が、俺の隣に立てるとでも思っていたのかい?
まったく、家の都合とはいえ、君と婚約した俺の身にもなってほしいものだ」
「婚約破棄だ、ほのか」
その瞬間、周囲からクスクスと笑い声がいっせいに上がった。上流階級の子息たち、見知った顔ぶれもいたけれど、その目は皆、冷え切っていた。シャンデリアの光が、私の頬を伝う涙のしずくをきらめかせる。
だめだ。ここにいたら、私は本当に壊れてしまう。もう、一秒たりとも、ここにいたくなかった。
私はドレスの裾を気にすることもなく、靴を鳴らして走り出した。まるでガラスの靴を落としそうなシンデレラみたいに、ただひたすら逃げた。けれど、私の場合は王子様なんて現れなくて、ただ惨めなだけ。
家になんて帰る気力もなかった。だって、帰ったらきっと、両親に「どうして失敗したの」って責められるだけだから。
私はあてどなくさまよい、気づけば真夜中の公園にひとり、ベンチに座り込んでいた。
雨はどんどん強くなる。どしゃぶりの雨が、私の体も心も冷やしていく。でも、もう、どうでもよかった。
私はポケットからスマホを取り出し、いつものように「推し」の動画を再生する。こんな時でも、彼だけが、私の心を救ってくれる気がした。
アイドルグループ《†Neon Grave†》。
そのセンター、天ヶ瀬ルキ。
銀髪に赤い瞳。儚げな微笑みと、でも歌い出すと一変する突き刺すような歌声――。彼だけが、私の世界の唯一の光だった。彼に会うために、毎週ライブ配信を追いかけ、グッズを買い漁り、隠れて推し活に励んできた。
『いつか、君を見つけ出すよ。たとえこの命をかけても』
ルキの、少しハスキーで甘い歌声が流れてきた。それは、いつも私を励まし、包み込んでくれる、たった一つの希望の歌。
「……見つけてよ、今、私ここにいるのに」
涙がぽたぽたとスマホの画面に落ちる。ルキの麗しい顔が、私の涙で歪んで見えた。
その瞬間――画面が激しく光った。
「え――?」
スマホが熱を帯び、画面から光の粒がまるで星屑のように溢れ出す。目を見開いた瞬間、まばゆい閃光が夜の闇を切り裂き、公園全体を包み込んだ。
次に目を開けたとき、目の前にいたのは、濡れたアスファルトの上にひざまずく、紛れもない天ヶ瀬ルキ本人だった。
「……やっと会えた」
そう言った彼は、画面の中よりもずっと綺麗で、現実離れしていた。整った顔立ちはそのままに、髪の銀色が雨に濡れて一層輝き、赤い瞳が私をまっすぐに見つめている。まるで、物語の世界から飛び出してきた王子様みたいに。
「君が、泣いてたのが見えた。僕の契約者……夢咲ほのか」
「え、え? ええっ!?」
私は混乱して、何度も瞬きをした。まさか、幻覚? それとも、ついに心が壊れてしまったのだろうか?
「君を、俺の世界に連れていく。もう誰にも泣かせない。――だから」
彼はゆっくりと立ち上がり、すっと私の手をとった。冷え切った私の手に、彼の温もりがじんわりと伝わってくる。そして、静かに、だがはっきりと告げた。
「俺と、結婚してくれ」
……は?
それが、婚約破棄されたばかりの夜に起きた、まさかの“プロポーズ”だった。