虚(うつろ)な『いいね』 前編
前後編まちがって投稿してしまったので両方公開します。
こっちが前編です。
「ねぇ、莉奈、こっち向いてー! この角度、めっちゃ良くない?」
「えー、ちょっと待って、今ストーリー上げてるから!」
相川 莉奈(大学1年生)は、スマートフォンの画面に神経を集中させながら、友人たちの呼びかけにも上の空で答えた。
場所は、伊勢志摩の絶景スポットとして最近SNSで話題のカフェテラス。
眼下には穏やかな英虞湾が広がり、夕陽を受けて海面がきらきらと輝いている。
最高のロケーションのはずなのに、莉奈の心は全く別の場所にあった。
(くっそー、なんでこの写真、『いいね』100もいかないの……!?)
さっき投稿したばかりの、完璧なアングルで撮ったはずのクリームソーダの写真。
フィルターも加工も時間をかけたのに、反応はいまいちだ。
それに比べて、隣で同じものを投稿した友人、ミキのアカウントには、すでに倍以上の「いいね」と、「可愛い!」「どこそこ?」というコメントが殺到している。
「ミキ、またフォロワー増えたんじゃない? すごいねー」
莉奈は、努めて明るい声で言ったが、内心は黒い嫉妬の渦が巻いていた。
ミキは、もともと垢抜けていて、写真の撮り方も上手い。
それに比べて自分は……。
地方から都会の大学に出てきてまだ半年。
周りのキラキラした子たちに気後れしてばかりで、SNSだけが、唯一「リア充な私」を演じられる場所だった。
フォロワー数や「いいね」の数が、自分の価値そのものであるかのように感じていた。
「莉奈もこのアングルで撮ってあげるよ! ほら、こっち来て!」
ミキが悪気なく手招きする。
「う、うん、ありがとう……」
莉奈は、作り笑顔を貼り付けてカメラの前に立った。
伊勢の美しい夕景をバックに、精一杯「楽しそうな私」を演じる。
本当は、景色なんてどうでもよかった。
それよりも、この写真がどれだけ「いいね」を稼げるか、そればかりが気になっていた。
(あーあ、もっと簡単に、何も考えなくてもバズるような写真が撮れたらいいのに……)
(ていうか、私が何もしなくても、勝手にフォロワーが増えて、みんなに『すごい』って言われたい……)
そんな都合の良い願望が、胸の中でむくむくと膨らんでいく。
旅行自体を楽しむよりも、SNS上の虚像を作り上げることに疲れ果てていた。
美しいはずの伊勢の景色も、莉奈の目には、どこか色褪せて映っていた。
友人たちが次の「映え」スポットの話で盛り上がる中、莉奈はこっそりスマホを取り出し、SNSアプリを開いた。
何か面白い情報はないか、あるいは、自分の投稿への反応が増えていないか、確かめずにはいられないのだ。
タイムラインをスクロールしていく指が、ふと、あるハッシュタグの上で止まった。
「#伊勢 #隠れパワースポット #縁結神社 #ご利益報告多数 #場所は秘密」
(縁結神社……? なにこれ、聞いたことない……)
そのハッシュタグに、莉奈の目は釘付けになった。
コメント欄には、「ここ行ってから彼氏できた!」「フォロワーめっちゃ増えたんだけどw」「場所はマジで教えられないけど、探す価値アリ」といった、真偽不明だが魅力的な言葉が並んでいる。
(縁結びだけじゃなくて、フォロワーも増える……? しかも場所は秘密って、レア感ヤバい!)
莉奈の頭の中で、計算高いスイッチが入った。
もし自分がこの「縁結神社」を見つけ出して、その体験を「#誰も知らないパワースポット #見つけた人だけラッキー」みたいな感じで投稿したら? きっとバズるに違いない! うまくいけば、フォロワーが一気に増えて、憧れのインフルエンサーへの道が開けるかもしれない! ご利益で本当に人気者になれる可能性だってある!
「ねえ、二人とも、ごめん! 私、急に行きたいお土産屋さん思い出しちゃった!」
莉奈は、さっきまでの不機嫌さを隠し、満面の作り笑顔で友人たちに向き直った。
「悪いんだけど、先にお宿に戻っててくれる?」
「えー? 何か買うの?」
「うん、まあ、ちょっとね! すぐ追いかけるからさ!」
友人たちは少し怪訝そうな顔をしたが、「わかったー。迷子にならないでよー」と、結局は許してくれた。
(よしっ!)
友人たちの背中が見えなくなると、莉奈はすぐにスマホの検索画面を開いた。
「伊勢 縁結神社 場所」。
しかし、ヒットするのは有名な夫婦岩のある二見興玉神社などの情報ばかりで、例の神社の具体的な場所を示すものは、やはり見つからない。
手がかりは、「おはらい町の路地裏らしい」という曖昧な情報だけだ。
「こうなったら、自力で探すしかない!」
莉奈は、伊勢神宮(内宮)へ続くメインストリートから一本、また一本と、脇道へ入っていった。
時刻はもう夕暮れ時、多くの店が店じまいの準備を始めており、昼間の賑わいは急速に失われつつあった。
観光客の姿もまばらになり、代わりに長く伸びた影と、ひっそりとした静けさが路地を支配し始めていた。
(どこなのよ、縁結神社って……!)
スマホのライトを頼りに、薄暗い路地をキョロキョロと見回す。
古びた民家、シャッターの閉まった商店、小さな祠。
それらしいものは、なかなか見つからない。
焦りだけが募っていく。
(本当に存在するのかな……ただのガセネタだったりして……)
弱気になりかけた時、ふと、ある路地の奥から、微かに白檀のような、清らかな香りが漂ってくるのに気づいた。
そして、その路地の入り口には、他とは少し違う、古いけれどどこか凛とした空気が流れているような気がした。
(……ここかも!)
莉奈は、ごくりと唾を飲み込んだ。
神聖な場所への敬意よりも、「バズるネタを見つけたかもしれない」という高揚感が勝っていた。
彼女は、スマホを握りしめ、期待と打算に満ちた足取りで、その静かな路地の奥へと進んでいった。
*****
白檀のような清らかな香りに導かれるように、薄暗い路地をさらに奥へと進むと、不意に視界が開けた。
そこは、周囲の家々に囲まれた、小さな広場のようになっていた。
そして、その突き当たりに、莉奈が探し求めていたものが、静かに存在していた。
(あった……! ここだ!)
古びた木製の鳥居。
その脇には、「縁結神社」と刻まれた石柱。
SNSで見た情報と一致する。
夕暮れの残光が、かろうじて鳥居とその奥の小さな社殿を照らし出しているが、周囲はすでに深い影に包まれ始めていた。
「うわ、マジで隠れ家じゃん……雰囲気ヤバ……」
莉奈は、興奮を隠しきれない様子で呟きながら、素早くスマホを取り出した。
神社の名前が刻まれた石柱、古びた鳥居、そして神秘的な佇まいの社殿を、様々な角度から写真に収めていく。
(『ついに発見!伊勢の秘境パワースポット』ってキャプションつけよっと。これ絶対バズる!)
「縁結び」という名前には、正直あまり興味はなかった。
今の莉奈に必要なのは、素敵な彼氏よりも、SNSでの圧倒的な「いいね」とフォロワー数なのだ。
でも、「縁結び」というキーワードは、一般的にウケがいい。
投稿の際には、そこも上手く利用しよう、と莉奈は抜け目なく考えていた。
神社の持つ静かで厳かな空気や、清浄な気配などには、莉奈の意識は向いていない。
彼女にとって重要なのは、ここが「秘密の場所」であり、「ご利益報告多数」であり、そして何より「SNS映えする」ということだけだった。
鳥居の前で一応立ち止まったものの、会釈もそこそこに、莉奈はスマホを構えたまま境内へと足を踏み入れた。
右手奥に見える手水舎も、「暗いし、まあいっか」と素通りする。
「うわー、思ったより狭いけど、なんか『知る人ぞ知る』って感じでいいじゃん!」
境内をキョロキョロと見回し、さらに写真を撮り続ける。
古びた灯籠、苔むした狛犬、手入れされた小さな木々。
それら全てが、莉奈にとっては格好の「映え」素材だった。
(早く投稿したいなー。なんて書こうかな。『特別な人だけが辿り着ける場所』とか? それとも『ここの神様、マジで願い叶えてくれるらしい』とか?)
完全に自分の世界に入り込み、SNSでの反響を妄想してニヤニヤしていた莉奈は、背後から静かにかけられた声に、全く気づいていなかった。
「――そのように、神域で気を散らしていては、良き縁も結べませぬよ」
突然かけられた、凛として、けれどどこか冷たさを帯びた声に、莉奈は「ひゃっ!?」と小さな悲鳴を上げて飛び上がった。
慌てて声のした方を振り返ると、いつの間にか、社殿の脇の暗がりに、すらりとした人影が立っていた。
(だ、誰!? いつの間に……!?)
驚きと警戒心で一瞬固まる莉奈。
しかし、相手の姿が夕闇に慣れた目に映ると、その感情は別のものへと変わった。
(……っ、超絶イケメン……!)
そこに立っていたのは、あの神秘的な美しさを持つ神職、常世だった。
白い狩衣風の装束は、境内にいくつか灯された古風な灯籠の淡い光を受けて、夜の闇に白く浮かび上がっている。
その人間離れした美貌は、灯籠の淡い光の中で、さらに妖艶さを増しているように見えた。
そして、その肩には、やはりあの金色の冠羽を持つ尾長鶏が、静かに止まっていた。
(ヤバい、この人、暗い方がもっと映えるかも……! っていうか、あの鶏もセットで神秘的すぎ!)
莉奈の頭の中は、恐怖や警戒心よりも先に、SNSの「いいね」数を稼ぐための計算が高速で回転し始めていた。
「驚かせてしまったかな。申し訳ない」
常世は、表情一つ変えずに静かに歩み寄ってきた。
その凪いだ瞳は、莉奈の内心の浅ましさなど、全てお見通しであるかのように澄んでいる。
「しかし、ここは祈りの場。スマホの画面ばかり見ていては、神様もお困りになる」
「あ、す、すみません!」
莉奈は慌ててスマホをポケットにしまった。
見抜かれている。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
「あの、私、ここの噂を聞いて……。すごいご利益があるって……!」
「噂、ですか」
常世は小さく繰り返した。
「どのような噂を?」
「えっと、その……フォロワーが増えるとか、有名になれるとか……そういう系の……」
莉奈は、少し言い淀みながらも、正直にというか、露骨に自分の目的を告げた。
常世は、莉奈の言葉を聞いても、特に驚いた様子は見せなかった。
ただ、その瞳の奥に、ほんの一瞬、冷ややかな光が宿ったように見えたのは、気のせいだろうか。
肩の上の尾長鶏が、「ケッ」と短く、まるで嘲るかのような鳴き声を発した。
「なるほど。あなたがお求めなのは、『縁』そのものではなく、縁によってもたらされる『衆目』……人々の注目、ということですか」
常世は、莉奈の欲望の本質を、静かに言い当てた。
「浅ましい願いだと、お思いになりますか?」
莉奈は、少しだけ反抗的な気持ちで問い返した。
「思いませんよ」
常世は、さらりと答えた。
「人の欲に貴賤はありません。ただ、その欲が、どのような『縁』を引き寄せ、どのような『実』を結ぶかは、あなた次第……ということ」
そして、常世は、静かに問いかけた。
「良き縁を、結びましょうか?」
その言葉は、やはり抗いがたい響きを持っていた。
たとえその目に冷たさを感じても、この目の前の存在が持つ計り知れない力にすがりたい、という気持ちが勝ってしまう。
「……はい。お願いします」
莉奈がこくりと頷くと、常世は「では、こちらへ」と再び社務所の中へと促した。
夜の帳が下り始めた境内は、灯籠の淡い光がなければ足元もおぼつかないほど暗く、静まり返っている。
その静寂が、莉奈の心臓の鼓動を妙に大きく響かせた。
社務所の中も、ランプの頼りない灯りが一つ灯るだけで、薄暗い。
常世は、奥の棚から、今度は手のひらに収まるほどの小さな、しかし精緻な細工が施された木箱を持ってきた。
「あなたに結ぶのは、こちらの『縁』です」
常世が静かに蓋を開けると、中には小さな絹の布に包まれたものが入っていた。
常世がそれを取り出すと、ランプの光を受けて鈍く輝いた。
それは、スマートフォンのイヤホンジャックや充電口に挿すタイプの、小さなチャームだった。
デザインは、古びた小さな手鏡を模しており、枠には繊細な唐草模様のようなものが彫られている。
レトロで可愛らしいと言えなくもないが、同時にどこか、覗き込んではいけないような、不思議な雰囲気を纏っていた。
「これには、古より人の心の『虚』と『実』を映し出す力が宿っております」
常世は、そのチャームを莉奈の目の前に差し出しながら言った。
「これをあなたのスマホにつけていれば、あなたの望む『衆目』――人々の注目は、自ずと集まるでしょう。あなたの発信する言葉や姿は、多くの人の心を捉え、羨望を集めるに違いありません」
「本当ですか!?」
莉奈の目が輝いた。
まさに求めていた力だ! これさえあれば、もうフォロワー数や「いいね」の数に悩むこともない。
憧れのインフルエンサーにだってなれるかもしれない!
「ただし」
常世の声が、莉奈の浮かれた気分を一瞬で現実に引き戻した。
その瞳は、夜の闇よりも深く、冷たく光っているように見えた。
「この力を借りるには、二つの約束事を必ず守っていただかねばなりませぬ」
常世は、今度は二本の指を立てて、厳かに告げた。
「一。これを用いて世に発する内容は、真実に基づいたものでなければなりませぬ。偽りは、いずれその鏡に映り込み、あなた自身を苛むことになりましょう」
「二。その力で、他人を傷つけたり、貶めたりしてはなりませぬ。悪意は、巡り巡って己を射る鏡となりますぞ」
その言葉には、さらに強い警告の響きが込められていた。
莉奈は一瞬、その迫力に気圧されたが、頭の中はすでに「人気者になれる!」という期待でいっぱいで、「はいはい、わかりましたー。嘘とか悪口とか、そういうのダメってことですよね? 大丈夫でーす!」と、やはり軽く返事をしてしまった。
常世は、その返事を聞いても表情を変えず、ただ静かに続けた。
「……虚偽と悪意は、いずれ己を映す鏡となりましょう。ゆめゆめ、お忘れなきよう」
「はーい」
(大丈夫だって、バレなきゃいいんでしょ)莉奈は内心で舌を出した。
「では、対価を」
常世が賽銭箱を指す。
莉奈は、今度こそ人気者になれるのだという確信と、「これだけのご利益なら!」という思いで、財布から五千円札を取り出し、少し見せびらかすように、しかし音は立てずにそっと賽銭箱に入れた。
「確かに、お預かりいたしました」
常世は言うと、手鏡のチャームを莉奈に手渡した。
受け取った瞬間、チャームがひんやりとしていて、鏡の部分がほんの一瞬、黒く淀んだように見えた気がしたが、すぐに気のせいだと思い直した。
「これで私もインフルエンサー! 見てろよ、ミキ!」
莉奈は、心の中でガッツポーズを決めると、常世に形だけ丁寧なお礼を言って、足早に神社を後にした。
早くスマホにつけて、何か投稿したくてたまらなかったのだ。
常世は、莉奈の軽薄な背中を静かに見送っていた。
その隣で、尾長鶏が、まるで何かを嘆くかのように、「クックック……」と低い声で鳴いていた。
夜の闇が、縁結神社の境内を、より深く包み込んでいく。