赤い糸と勘違い 前編
「も~~、最高! やっぱ伊勢神宮のパワー、ハンパないって!」
星野きらり(大学2年生)は、内宮の宇治橋を渡り終えたところで、両手を空に突き上げんばかりに叫んだ。
春の柔らかな陽射しが、彼女の満面の笑顔をキラキラと照らしている。
一緒に旅行に来た友人二人は、そんなきらりのテンションに若干引きつつも、「まあ、きらりだしね」と苦笑いを浮かべていた。
今回の伊勢旅行のテーマは、きらりの発案で「最強縁結び祈願!運命の人ゲットツアー!」。
もちろん、友人たちは普通に伊勢神宮参拝とグルメを楽しみに来たのだが、きらりの頭の中は9割方「運命の人とのドラマティックな出会い」で占められていた。
「いい? 二人とも! ここからがおはらい町&おかげ横丁攻略よ! きっとこのどこかにいるはずなの、私の王子様が!」
きらりは、まるで戦に向かう武将のように拳を握りしめ、意気込んだ。
「いや、王子様って……」
「ていうか、普通に赤福食べたいんだけど」
友人たちの冷静なツッコミも、今のきらりの耳には届かない。
彼女の瞳はすでに、おはらい町の賑わいの中に「運命の兆候」を探し始めていた。
石畳の通りは、春休み最後の週末を楽しむ観光客でごった返していた。
伊勢うどんの甘い香り、焼きたての団子の香ばしさ、ひもの屋から漂う魚の匂い。
色とりどりの土産物が並び、どこもかしこも活気に満ちている。
「見て見て! あの組紐のお店、可愛くない? ああいうのを一緒に選んでくれる彼氏とか、最高じゃない!?」
「あっちのカフェ、雰囲気良くない? 運命の出会いは、ああいうお洒落な場所で起こるものなのよ!」
「わ、今のイケメン見た!? ちょっと、今の人のオーラ、運命っぽくなかった!?」
きらりは、次から次へと視線を動かし、そのたびに大きな声を上げる。
友人たちは「はいはい」「そうだねー」と適当に相槌を打ちながら、赤福氷の看板や、可愛い猫の置物の方に興味を惹かれているようだった。
きらりだって、伊勢の街並みや食べ物が魅力的でないわけではない。
けれど、今の彼女にとって最も重要なミッションは「運命の人探し」なのだ。
大学に入って一年が過ぎ、周りの友人たちにもちらほら彼氏ができ始めた。
このままでは乗り遅れてしまう! ドラマや漫画で見るような、ときめく出会いをして、素敵な恋をするんだ! その思い込みにも似た強い願望が、彼女を突き動かしていた。
「……でもさ、きらり。そんな劇的な出会いじゃなくても、いいんじゃない?」
友人の一人が、呆れ顔ながらも心配そうに言った。
「えー、何言ってるの! 出会いはインパクトが大事なんだって! 例えば、曲がり角でバーンとぶつかって、『あっ、ごめんなさ……え?』みたいな!」
きらりは、身振り手振りを交えて力説する。
「いや、それ昭和の少女漫画……」
「それに、ぶつかられた方は迷惑だよ……」
友人たちの言葉も、きらりのポジティブフィルターの前では無力だった。
「大丈夫だって! 私の運命センサーが、ビビッと反応するはずだから!」
根拠のない自信と共に、きらりは再びキョロキョロと周りを見渡し始めた。
(どこかにいるはず……私の心を射抜く、白馬の王子様……!)
その、能天気なまでの思い込みが、まさか本当に不思議な存在を引き寄せることになるとは、この時のきらりは知る由もなかった。
*****
「だからね、運命の出会いっていうのは、こう、ビビビッ!と来るわけよ!」
きらりこと星野きらりは、熱く語りながら、伊勢名物らしい「ぱんじゅう」を大きな口で頬張っていた。
友人たちは「はいはい、ビビビね」と相槌を打ちながらも、内心(また始まった……)と思っていたが、口には出さない。
それが彼女たちときらりとの、長年の付き合いで培われた暗黙のルールだった。
おはらい町の通りは、昼時を迎え、さらに多くの人で賑わっていた。
食べ歩きを楽しむ人々、土産物屋を覗き込む家族連れ、外国語で談笑するグループ。
その活気ある喧騒の中で、きらりは目を皿のようにして「運命の兆候」を探し続けていた。
「ん? んんんっ!?」
突然、きらりが手にしたぱんじゅうを危うく落としそうになりながら、通りの向こうの一点を凝視した。
「ど、どうしたのきらり?」
「今の……ビビビッ!と来た! 絶対来た!」
「え、何が? イケメンでもいた?」
友人たちがきょろきょろと周りを見渡すが、それらしき人物は見当たらない。
「違う! あそこ!」
きらりが指さす先、人々の足元近くに、信じられないほど美しい鳥が、一羽、悠然と歩いていた。
純白の羽毛は陽光を浴びて輝き、頭にはまるで王冠のように金色の立派な冠羽。
長く豊かな尾羽が優雅に揺れている。
「え、鶏? なんでこんなところに……ていうか、めっちゃ綺麗じゃない?」
友人たちも、その異様な美しさには気づいたようだ。
「でしょ!? ただの鶏じゃないよ、あれは絶対! 神様のお使い! 私の運命を導きに来てくれたんだわ!」
きらりは、完全にそう思い込んでいた。
根拠はない。
しかし、彼女の「運命センサー(自称)」が、そう告げているのだ。
きらりが見つめているのに気づいたのか、尾長鶏はふと足を止め、くるりとこちらを振り返った。
そして、きらりの目をじっと見つめると、まるで合図のように「コ……」と一声鳴き、ひらりと身を翻して、人混みの先にある細い路地の中へと入っていった。
「待ってー!」
きらりは叫ぶと同時に駆け出していた。
「え、ちょ、きらり! どこ行くの!?」
友人たちの制止の声も、今のきらりには届かない。
「運命」を追いかけるのに躊躇している暇はないのだ。
人混みを強引にかき分け、息を切らせて路地の入り口にたどり着く。
そこは、表通りの賑わいが嘘のように静まり返っていた。
ひんやりとした空気が漂い、古い家屋の影が長く伸びている。
(こっちで合ってるのかな……?)
一瞬だけ不安がよぎったが、路地の少し奥で、あの白い尾羽が角を曲がるのが見えた。
「やっぱり! 私の運命はこの先にあるんだわ!」
再びポジティブ思考を取り戻したきらりは、何の迷いもなく、その薄暗い路地の奥へと、期待に胸を膨らませながら駆け込んでいった。
友人たちが呆然と見送っていることにも気づかずに。
*****
息せき切って路地の角を曲がると、きらりは思わず「わぁ!」と歓声を上げた。
薄暗い路地の突き当たりは、まるで隠し部屋のようにぽっかりと開けた空間になっており、そこに、午後の柔らかな光を受けて、小さな神社が静かに佇んでいたのだ。
「あった……!」
古びた木製の鳥居。
その脇には、これも年季の入った石柱が立ち、「縁結神社」と刻まれているのが、西日に照らされてはっきりと読めた。
「縁結び! やっぱり! 私の勘、冴えてるー!」
きらりは一人でガッツポーズを決めた。
神様のお使い(と彼女が信じる尾長鶏)に導かれてたどり着いた、縁結びの神社。
こんなにも完璧なシチュエーションがあるだろうか。
ここは間違いなく、私のためのパワースポット!
神社の建物自体は、こぢんまりとしていて、屋根には苔が生え、柱も黒ずんでいる。
けれど、きらりの目には、そんな古めかしさも「歴史と由緒の証!」「隠れ家的で逆にイイ!」とポジティブに映った。
境内は狭いが、不思議と清らかな空気が流れているような気もする。
……気がするだけかもしれないが、今のきらりにはそうとしか思えなかった。
追いかけてきた尾長鶏の姿は、すでにない。
きっと、社殿の中にいる神様にご報告に行ったのだろう、ときらりは勝手に解釈した。
「よし! 突撃ー!」
普通なら少し躊躇してしまいそうな、静かで厳かな雰囲気の場所だったが、きらりは持ち前の行動力で、鳥居の前で形ばかりぺこりとお辞儀をすると、意気揚々と境内へと足を踏み入れた。
右手にあった小さな手水舎も、「あ、清めなきゃね!」と思い出したように駆け寄り、柄杓でパシャパシャと水をかけ、とりあえず手を濡らす。
作法はほとんど覚えていない。
「さて! 神様、お願いしまーす! 私に最高の出会いをくださーい!」
社殿に向かって、パンパン!と元気に柏手を打とうとした、その時だった。
境内には自分以外誰もいないと思っていたのに、不意に、すぐ横から静かな声がかかった。
「――お静かに」
え? と思って声のした方を見ると、社殿の脇にある、社務所らしき建物の引き戸が、いつの間にか少しだけ開いており、その隙間から、こちらをじっと見つめる涼やかな目が覗いていた。
凛とした、けれど静かな声に、柏手を打とうとしていたきらりの動きが、ぴたりと止まった。
え? 今の声……。
きらりは恐る恐る声のした方、社務所らしき建物の開いた引き戸に視線を向けた。
そして、息をのんだ。
戸の隙間から覗いていた涼やかな目の持ち主が、するりと音もなく、午後の光の中に姿を現したのだ。
(うわ……!)
きらりは、思わず心の中で叫んだ。
なんだこの美しさ! 透き通るような白い肌、切れ長の目、長い黒髪は金の髪飾りで緩く束ねられている。
白い狩衣風の装束が、陽光を受けて淡く輝いて見えた。
まるで、時が止まったかのような、浮世離れした美貌。
(こ、この人が、私の運命の人!? 神社で出会うなんて、超ドラマチック!)
一瞬、きらりの脳内はお花畑状態になった。
しかし、すぐにその考えは打ち消される。
目の前の人物が放つ空気は、あまりにも人間離れしていたからだ。
静かで、穏やかで、けれど底知れない深さを感じさせる、凪いだ湖面のような瞳。
その瞳に見つめられると、自分の心の奥底まで全て見透かされているような気がして、背筋がぞくりとした。
そして、きらりは気づいた。
その人物の肩には、先ほど自分をここまで導いてきた、あの金色の冠羽を持つ尾長鶏が、ちょこんと大人しく止まっているではないか。
「やっぱり! あの時の鶏さん! あなたがご主人様だったんですね!」
畏敬の念よりも好奇心が勝り、きらりはつい大きな声で話しかけてしまった。
尾長鶏は、きらりの方を見て、「コケッ……」と呆れたように短く鳴いた気がした。
肩に尾長鶏を乗せた人物――常世は、そんなきらりの様子にも特に驚いた風はなく、ただ静かに歩み寄り、彼女の数歩手前で足を止めた。
「私は常世。この縁結神社の宮司のようなものです」
声は、やはり穏やかで、心地よい響きを持っている。
「あなたが、何か良からぬものではないかと、この子が心配しておりましたので」
常世は、肩の尾長鶏をちらりと見て言った。
尾長鶏は、ぷいとそっぽを向いた。
「えっ、心配? 私、全然怪しくないですよ! 私は星野きらり! 運命の出会いを求めて伊勢に来た、しがない女子大生です!」
きらりは、胸を張って少しズレた自己紹介をした。
常世は、そんなきらりの言葉にも表情を変えず、ただ静かに彼女を見つめていた。
そして、ふっと息をつくように言った。
「……なるほど。随分と、賑やかな願いをお持ちのようだ」
その声には、わずかに面白がるような響きが含まれていたかもしれない。
「あなたの望みは、『運命の赤い糸』で結ばれた相手との、劇的な出会い、といったところでしょうか」
「そ、そうです! なんでわかったんですか!?」
きらりは目を丸くした。
この人はやっぱり、ただ者じゃない!
常世は答えず、肩の尾長鶏と、また何か目で合図を交わしたように見えた。
尾長鶏が小さく頷く(ように見えた)。
「よろしいでしょう」
常世は、再びきらりに向き直った。
「あなたにも、良き縁を結びましょうか?」
「はい! ぜひお願いします! 最高の縁を!」
きらりは、今度こそ疑いもなく、満面の笑みで即答した。
常世の瞳の奥に、一瞬、面白そうな光が宿ったのを、きらりは見逃した。
きらりの元気いっぱいの返事に、常世はわずかに目元を和らげたように見えたが、その表情はすぐにいつもの静かなものに戻った。
「承知いたしました。では、こちらへ」
常世は、きらりを社務所の縁側へと促した。
尾長鶏は、常世の肩からひらりと飛び降り、縁側の隅で大人しく羽繕いを始めた。
常世は社務所の中に入ると、奥の棚から一つの小さな、黒漆の箱を取り出してきた。
古びてはいるが、丁寧に扱われてきたことがわかる、美しい箱だった。
「あなたに結ぶのは、こちらの『縁』です」
常世は、厳かな手つきで箱を開けた。
中に敷かれた深紅の布の上に、一組の眼鏡が静かに置かれていた。
それは、少しレトロな雰囲気の、細い金縁の丸眼鏡だった。
デザイン自体はシンプルだが、どこか繊細で、知的な印象も受ける。
「わ、可愛い!」
思わずきらりが声を上げる。
もっと古めかしいものを想像していたので、意外だった。
これなら普段使いもできそう、と早速考える。
「これには、縁を見極め、結ぶ力を持つ、菊理媛神様の御力が、僅かながら宿っております」
常世の声が、先ほどよりも少しだけ低く、重みを帯びた。
「これをかければ、あなたにも見えるでしょう。人と人とを結ぶ、運命の赤い糸が」
「赤い糸!? 本当に!? すごーい!」
きらりは目を輝かせた。
漫画やドラマだけの話だと思っていた赤い糸が、本当に見えるなんて! これさえあれば、運命の王子様を見つけるなんて簡単だ!
「ただし」
きらりの興奮を制するように、常世は静かに続けた。
その瞳には、先ほどの穏やかさはなく、厳粛な光が宿っていた。
「神様の御力を借りるには、守っていただかねばならぬ約束事がございます。三つ。心して、お聞きなさい」
きらりは、ゴクリと喉を鳴らし、居住まいを正した。
「一。この眼鏡をかけていられるのは、一日に合計十分まで。それ以上は、決して覗き込んではなりませぬ」
(十分! 短い! でも、まあ集中すればなんとかなるか!)
「二。糸が見えても、それだけで相手を判断してはなりませぬ。必ず、あなた自身の目で相手の言動をよく見ること。糸は縁の始まりを示すのみ、それをどう育むかは、あなた次第です」
(えー、糸が運命じゃないの? まあ、でも、とりあえず見えればアタックできるし!)
「三。赤い糸を切ろうとしたり、無理に別の糸と繋ぎ変えようとしたり……運命に抗うような真似は、決してしてはなりませぬ。それは神様への裏切りとなります」
(切ったり繋いだりは、さすがにしない……と思うけど?)
きらりは、それぞれの約束事の意味を深く考えることなく、「はいはーい! 了解でーす!」と、軽い調子で返事をした。
早く眼鏡をかけてみたくて、心が逸っていたのだ。
常世は、そんなきらりの様子をじっと見つめていたが、小さく息をつくと、「……では、対価を」と賽銭箱を示した。
「はい!」
きらりは、今度こそ運命を掴むのだという勢いで、財布からお札を取り出した。
いくら入れるべきか一瞬迷ったが、「ええい、運命への投資だ!」と、自分としてはかなり奮発して、千円札を三枚、勢いよく賽銭箱に投入した。
思ったより大きな音がして、少しだけ我に返る。
(やば、今月ピンチかも……)
「確かに、お預かりいたしました」
常世は言うと、黒漆の箱から眼鏡を取り、そっときらりに手渡した。
金縁の眼鏡は、見た目よりも少しひんやりとしていて、不思議なほど手にしっくりと馴染んだ。
午後の光を受けて、レンズが淡く虹色に輝いた気がした。
「これで運命の人、見つけます! 絶対!」
きらりは、眼鏡を胸に抱きしめ、満面の笑みで常世に宣言した。
「……良き縁となりますように」
常世は、ただ静かにそう言うだけだった。
隅で羽繕いをしていた尾長鶏が、「コケッ……(やれやれ)」とでも言いたげに、小さなため息をついた(ように、きらりには見えた)。
きらりは、早く試したくてうずうずしながら、常世に元気よくお礼を言うと、スキップでもしそうな軽い足取りで、縁結神社の境内を後にした。
彼女の頭の中は、これから始まるであろう、ドラマティックな恋のことでいっぱいだった。
約束事の本当の意味も、その先に待ち受けるかもしれない混乱も、まだ知る由もなく。
後編は10分後。
面白い。
続きが気になる。
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