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道化のサングラス 後編

 翌朝。

 アレックスは興奮でろくに眠れなかったにも関わらず、妙にすっきりとした気分でホテルのベッドから飛び起きた。

 窓の外は快晴。

 絶好の「撮影日和」だ。


「さあ、ショータイムだぜ!」


 彼は、昨日手に入れたあの奇抜なデザインのサングラスを、意気揚々と顔にかけた。

 レンズ越しに見る世界が、ほんの少しだけ歪んで、色彩が強調されているように見えるのは気のせいだろうか。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 大事なのは、これがもたらす「効果」だ。


 アレックスは、昨日とは打って変わって、伊勢神宮の内宮へと続く、多くの観光客で賑わうおはらい町へと繰り出した。

 そして、自撮り棒を伸ばし、わざと人通りの多い道の真ん中に立つと、大音量で自作のラップ、お世辞にも上手いとは言えないそれを歌い始めたのだ。


「Yo! Yo! Check it out! 俺様アレックスが伊勢神宮に降臨だぜ! パワー全開! いいね! ちょうだい!」


 案の定、周囲の人々の視線が一斉に彼に集まった。

 驚いた顔、呆れた顔、眉をひそめる顔、そして、物珍しそうにスマホのカメラを向ける顔……。

 様々な種類の「注目」が、まるで物理的な力のようにアレックスに降り注ぐ。


「キタキタキターーッ!」


 アレックスは内心で叫んだ。

 これだ。

 この感覚だ。

 批判的な視線?

 それすらも快感だ。

 注目されていることには変わりない。

 彼はさらに調子に乗り、奇妙なダンスを踊り始めたり、土産物屋の店先でふざけてポーズを取ったりした。

 もちろん、その一部始終をスマホで撮影しながら。


 その日の午後は、場所を移して鳥羽の水族館へ。

 ここでもサングラスの効果は絶大だった。

 巨大な水槽の前で、魚のモノマネをしながら叫べば、子供たちは泣き出し、大人たちは遠巻きにひそひそと噂する。

 警備員に注意されても、「オー、ソーリー! ジャパニーズ・ジョーク!」とヘラヘラ笑ってごまかし、その様子さえも「日本の警備員、マジ堅物すぎw」と実況する始末だ。


 夜、ホテルに戻って早速動画を編集し、アップロードすると、再生数はこれまでにない勢いで伸びていった。

 コメント欄は賛否両論、というよりは批判的な意見が多かったが、アレックスは全く気にしなかった。


「ははっ! 見ろよ、この再生数! アンチも注目してるってことだろ? つまり俺の勝ちだ!」


 賞賛も、非難も、彼にとっては同じ「注目」であり、再生数を稼ぐための燃料でしかなかった。

 常世に言われた約束事――「注目を真実の賞賛と履き違えるな」「他人を嘲笑するな」――など、もはや彼の記憶の彼方に消え去っていた。


「このサングラスさえあれば、俺は無敵だ! 世界一のYouTuberになるのも時間の問題だぜ!」


 彼は、ベッドの上でスマホを握りしめ、次々と寄せられる、多くは批判的なコメントを眺めながら、歪んだ万能感に酔いしれていた。

 サングラスのレンズの奥で、道化の付喪神が、静かに、そして満足げに微笑んでいることにも気づかずに。


*****


「注目」という名の麻薬は、アレックスの感覚を完全に麻痺させていた。

 彼のYouTubeチャンネルの再生数とコメント数は、依然として高い水準を維持していたが、その内容は日に日に過激さを増し、批判的な声も確実に大きくなっていた。

 しかし、アレックスはそれを「ノイズ」としか捉えていなかった。


「アンチが騒げば騒ぐほど、俺は有名になる。プロレスと同じさ!」


 彼は、約束事の二つ目「他人を嘲笑するためではなく、真に人を楽しませるために使うこと」など、鼻で笑うようになっていた。

 むしろ、日本人や日本の文化をステレオタイプに揶揄(やゆ)したり、他の観光客のちょっとした失敗を盗撮して笑いものにしたりする動画の方が、再生数が稼げることに気づいてしまったのだ。

「面白い」と「嘲笑」の境界線は、彼の中ではとうの昔に消え失せていた。

 コメント欄で批判的な意見を見つければ、「ヘイターは黙ってろ!」「日本のユーモア、理解できない?」などと煽り返し、さらに燃料を投下することも(いと)わなかった。


 約束事の三つ目「日没後は、決してこの眼鏡をかけてはなりませぬ」も、すぐに破られた。

 夜の伊勢志摩は、昼間とは違う顔を見せる。

 静まり返った神社、暗い海、人気の無い漁港……。

 それらは、アレックスにとって格好の「ヤバい」動画の舞台だった。


「夜の方がスリルがあって、視聴者も食いつくだろ?」


 彼は、常世の「闇は道化の力を歪める」という警告を、「迷信だ」と一蹴(いっしゅう)し、深夜、こっそりホテルを抜け出しては、サングラスをかけて撮影に出かけた。


 しかし、夜にサングラスをかけると、昼間とは明らかに違う奇妙な現象が起こり始めた。

 視界がぐにゃりと歪んだり、存在しないはずの人影が見えたり、そして何より、耳元で絶えず、(かん)高い、(あざけ)るような笑い声が聞こえるようになったのだ。

 ケタケタケタ、と。

 まるで、サングラスに宿る「何か」が、彼の愚かな行動を(わら)っているかのように。


 最初は気味が悪いと感じたアレックスだったが、再生数への渇望(かつぼう)は、その恐怖心さえも麻痺させていった。


「これも演出だと思えばいい。ホラー系ドッキリってことにすれば、もっとバズるかもな」


 彼は、もはや現実と虚構(きょこう)の区別も、善悪の判断もつかなくなっていた。

 ただ、より多くの注目を、より強い刺激を求めて、破滅への道をひた走るだけだった。


 あのサングラス、アレックスが「幸運の鏡」と呼んでいたそれは、今や常に薄黒く曇っており、時折、それをかけているアレックス自身の顔が、まるで歪んだ道化師のように映り込むこともあったが、彼はそれに気づくことはなかった。

 あるいは、気づいていても、認めたくなかったのかもしれない。


*****


「これがバズらなかったら、もうYouTube辞めてやるぜ……」


 深夜のビジネスホテルの安っぽいベッドの上で、アレックスは悪魔的な笑みを浮かべながら、編集を終えたばかりの動画ファイルをアップロードしていた。

 それは、彼がこれまでに投稿した中でも、群を抜いて過激で、そして不謹慎な内容だった。


 伊勢神宮。

 日本で最も神聖な場所の一つとされる、その内宮に通じる宇治橋。

 本来ならば、厳粛(げんしゅく)な気持ちで渡るべきその橋の上で、アレックスは例の「道化のサングラス」をかけ、ふざけた音楽に合わせて奇妙なダンスを踊り、大声で不敬な歌を歌ったのだ。

 しかも、それを早朝の、まだ人影もまばらで、神聖な空気が満ちている時間帯に実行し、一部始終を高性能カメラとドローンで撮影した。

 途中、警備員に厳しく注意されたが、それすらも動画の「スパイス」として利用していた。


「タイトルは、『【神への挑戦】日本のNo.1聖地で踊ってみた!→警備員ガチギレw』これで完璧だろ!」


 投稿ボタンを押した瞬間、アレックスは、アドレナリンが全身を駆け巡るような、危険な興奮を覚えていた。

 再生数が爆発する自分のチャンネル、世界中から集まる賞賛と注目、そして大金……。

 約束事?

 常世の警告?

 そんなものは、彼の頭の中から完全に消え去っていた。


 しかし、彼が期待した反応は、想像とは全く異なる形で、そして想像を絶する速さで訪れた。


 動画が公開されて数時間後。

 アレックスのスマートフォンは、かつてないほどの通知で鳴りやまなくなった。

 だが、それは賞賛ではなかった。


『不謹慎すぎる』

『文化への冒涜(ぼうとく)だ』

『日本人として絶対に許せない』

『即刻動画を削除しろ!』

『こんな奴は日本から追い出せ!』


 日本語、英語、そして他の多くの言語で、非難と怒りのコメントが殺到した。

 動画は瞬く間に「大炎上」し、SNSのトレンドワードはアレックスの名前と彼への罵詈雑言(ばりぞうごん)で埋め尽くされた。

 日本の主要メディアだけでなく、海外のニュースサイトまでもが、この「外国人YouTuberによる日本の聖地での迷惑行為」を大きく報じ始めたのだ。


「な……なんだよこれ……?」


 最初は「アンチが騒いでるだけだ」と強がっていたアレックスも、事態の深刻さを理解するにつれて、顔面が蒼白(そうはく)になっていった。

 彼のチャンネルのコメント欄は閉鎖され、他のSNSアカウントにも非難が殺到。

 チャンネル登録者数はみるみる減少し、過去の動画にも低評価が大量につけられていく。


 まずい。

 これは、本当にまずい。


 震える手で、アレックスはベッドサイドに置いてあった「道化のサングラス」を掴んだ。


「そうだ、これがあれば……! この力を、もっと……!」


 状況を打開するどころか、さらに注目を集めて逆転してやろうと、彼はサングラスをかけようとした。


 その瞬間。


 バキィッ!


 ガラスが砕けるような、甲高い音が部屋に響いた。

 見ると、サングラスのレンズが、まるで内側からの力で(はじ)け飛ぶかのように、粉々に砕け散っていたのだ。

 フレームだけが、歪んだ道化師の仮面のように、彼の手に残された。


「Noooooo!!!」


 アレックスは絶叫した。

 最後の頼みの綱が、目の前で消え去ったのだ。

 さらに、追い打ちをかけるように、彼のスマートフォンが、突然ブブブッと激しく振動し始めたかと思うと、画面が真っ暗になり、完全に沈黙した。

 充電ケーブルを繋いでも、電源ボタンを何度押しても、何の反応もない。


 力を失ったサングラスのフレーム。

 沈黙したスマートフォン。

 そして、今この瞬間も、ネット上で世界中から降り注いでいるであろう、自分への憎悪と非難の声。


「……Help me……」


 アレックスは、力なく床にへたり込んだ。

 全てが終わったのだ。

 いや、始まったのかもしれない。

 本当の悪夢が。

 ホテルの部屋のドアを、誰かが強くノックする音が聞こえた。

 警察だろうか?

 それとも……?

 彼は、ただ、頭を抱えて震えることしかできなかった。


*****


 数日後。

 アレックスは、中部国際空港の出発ロビーの硬いベンチに、一人、力なく座っていた。

 日本からの強制送還。

 それが、彼が伊勢志摩で引き起こした騒動の、最終的な結末だった。


 警察での取り調べ、大使館からの厳しい叱責、そして、ネット上で今も止むことのない、世界中からの非難と嘲笑。

 彼のYouTubeチャンネルはもちろん、他のSNSアカウントも全て凍結され、彼がこれまで築き上げてきたと思い込んでいたものは、文字通り、一夜にして崩れ去った。


 顔には、数日間の憔悴(しょうすい)がありありと浮かんでいた。

 目は()(くぼ)み、焦点が合わず、虚ろに空間をさまよっている。

 かつての自信過剰で陽気な態度は見る影もない。

 まるで、魂が抜け落ちてしまったかのようだ。


 周りの人々が、自分を見てひそひそと話しているような気がする。

 くすくすと笑っているような気もする。

 実際にそうなのか、それとも、あのサングラスが壊れてからずっと続く、悪意の幻聴なのか、もはや彼には区別がつかなかった。

 ただ、耐え難い屈辱感と恐怖心だけが、彼の心を支配していた。


「……ピエロだ……俺は、世界中の笑いものになったんだ……」


 道化の付喪神が宿るという、あのサングラス。

 それは、注目を集める力を与える代わりに、彼自身を、最も滑稽(こっけい)で惨めな道化へと変えてしまったのかもしれない。

 ポケットの中には、レンズの砕けた、歪んだサングラスのフレームが入っていた。

 それは、もはや何の力も持たないガラクタだったが、彼が犯した愚かな過ちの、消えない証として、重くのしかかっている気がした。


 伊勢の、あの路地裏の神社。

 神秘的な神職、常世。

 そして、彼が告げた警告。

 今さら後悔しても、もう遅い。

 彼は、自らの手で、破滅への扉を開けてしまったのだ。


 やがて、搭乗案内のアナウンスが響く。

 アレックスは、重い身体を無理やり引きずるように立ち上がった。

 故郷に帰っても、彼を待っているのは、厳しい現実と、ネット上に永遠に残り続けるであろう「デジタルタトゥー」だけだろう。

 未来への希望など、どこにも見えなかった。


 俯き、周りの視線から逃れるように、彼は出国ゲートへと歩き始めた。

 その背中は、若さゆえの傲慢(ごうまん)さの代償を背負い、深い絶望の闇の中へと、静かに消えていった。


*****


 季節が移ろい、伊勢の夜空に冷たい星が瞬くようになった頃。

 縁結神社の境内は、変わらぬ静寂(せいじゃく)に包まれていた。


 社務所の縁側で、常世は、月明かりを頼りに、古い書物のようなものに静かに目を通していた。

 肩の上では、尾長鶏が満足そうに羽繕いをしている。


 ふと、常世は懐から、レンズの砕けたサングラスのフレームを取り出した。

 あの異国の若者が残していった、虚ろな欲望の残滓(ざんし)

 それを無言で見つめる常世の横顔に、月光が淡い影を落とす。


「コケーッ……」


 尾長鶏が、何かを思い出したかのように、低く鳴いた。

 あの騒々しい若者はどうなったのか、とでも言っているかのようだ。


「さあな」


 常世は、視線をフレームに戻したまま、静かに答えた。


「道化の付喪神は、自らと同じ『笑いもの』を求める。敬意を忘れ、他者を嘲笑する者は、いずれ自身が最大の笑いものとなる……。彼は、ただその(ことわり)に従ったまでのこと」


 その声には、何の感情も含まれていないように聞こえた。

 まるで、遠い出来事を語るかのように。


「愚かなことよ。結ばれた縁を、自ら断ち切るとは」


 常世はそう呟くと、砕けたフレームを、音もなく懐にしまい込んだ。

 そして、再び静かに書物に目を落とす。


 次にこの神社の鳥居をくぐるのは、どのような悩みや願いを抱えた者か。

 そして、どのような(えん)が結ばれ、どのような結末を迎えるのか。


 常世と尾長鶏は、ただ静かに、伊勢の深い夜の中で、次なる訪問者を待っている。




※今後もアイデアが浮び次第、更新していくと思いますので、是非ブックマークをお願いします。

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