表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

きょうの憧れ(第四回利き文大会より)

作者: 夜桜 椋

「あー、だから、君は恋に落ちたわけだ」

バイト先の先輩は私の持参したポテチを遠慮なく貪りながらそう結論付けた。休憩中とはいえ、店長に怒られないかと不安になる。今にもドアを開けて来そうで私は部屋中に感覚を広げた。

「そうなん、ですかね」

開けられたポテトチップスに手を伸ばしながら私は曖昧に答えた。然し、途中でその袋がどうしてか、切開手術をしている人のように思えて、私は伸ばした手を戻した。行き場を失った右手は近くのペットボトルを掴んで落ち着いた。

「そうに違いないよ」

「けれど、だって、まだ彼のこと何も知らないんですよ」

「要するに一目惚れってことさ」

油でベタベタの指が滑ってパチンと音がした。ぐいと引き伸ばされた意識が一点に集中する。男性の割に、この人は少しロマンチストのきらいがあるのだと思う。もう少し清潔感があったらその分だけ、今よりモテたかもしれないな。と過った。

私はどうしようもなく「ははは……」と苦笑した。

先輩は満足そうにまたポテチに手を伸ばす。

一目惚れは純粋で、だからこそ不安で危険だ。私は彼のことを何も知らないでいる。氷山の一角のように、その大きい身体の中は勿論、教養や話し方の癖もほとんど知らない。

えいっと飛び込んでしまって、見えない部分が尖っていたら怪我をするのは私だ。

昨日金曜ロードショーで見たタイタニックの二人、レオナルドディカプリオとケイトウィンスレットを私と彼に重ねて、そう思った。

先輩がポテチで口を切ったらしく痛がっている。この人はこうやって怪我をした。こうならないようにしようと心に刻んで休憩室を出た。


帰りのホームはいつもより少しだけ混雑していた。隣の市で開催された季節外れな花火大会の影響がここ迄波及しているようだった。浴衣に雪駄を履いた女性が苦しそうにあざとさを孕んで男性に凭れている。私は二人の後ろに並んだ。

ホームに電車が滑りこむ。滑らかなブレーキ音を轟かせて先頭のクモ車が目の前を横切った。窓越しに、立っている人がちらほらと見えた。当然座席は既に埋まっている。

ザワザワとした喧騒に紛れて私も電車に入る。乗車率125パーセントくらいの四両車は少しだけ抵抗してから、私を静かに取り込んだ。社会に溶け込むような気がして安心と安らぎを得る。

人の発する生温い空気は停車駅ごとにドアが開いて、外気と交換された。涼しくなった空気は少しずつ私を冷静にさせる。

並行して思考が恋愛の方に沈む。

前の椅子が空いた。私は座る。


冷めた心が冷静さを欠いた私を窘めて、作業を終えたとばかりに眠りに就く。後に残された私は融解した何かを抱いて電車に揺られる。ゆりかごの様に。眠りに就いた。

ベッドで目を覚ました。昨日の夜は異常に寒くて、震えながら帰ったのを覚えている。逆にいえばそれ以外は殆どを覚えていない。すれ違った人のことも、途中で見た景色のことも。何を考えて歩いていたかも。

私の通う専門学校は自宅の最寄り駅から電車で1時間程のところにある。途中で一度乗換を挟んで、大学最寄りの駅で降りる。その後山道をちょっと歩いて漸くたどり着くような辺境の学校だ。

バイト先は学校を中心に駅の反対側にあるからその近さの割に人は来ない。帰りはバイト先から近い駅から乗ると来た時に通った路線に戻れる。簡単にいえば、ぐいっと途中で線路が曲がっているのだ。

件の彼を最初に見たのは乗換駅だった。詳しくは聞いてないけれど、路線図の見方が分からないと券売機で困っていたところを助けたのだ。

成り行きで電話番号を入手したから、その日の内に登録したけれど、未だにかけられないでいる。その日に確認も兼ねてかければ良かったのに勇気が出ないで、私の手元にある11桁の数字の持ち主が誰か分からないまま。もしかしたら知らないおじさんかもしれないと思うと、嫌だけれどほんの少しだけ楽しい。

かけてみて、天文学的な確率でロマンチストなバイト先の先輩だったら、その時は匿名で相談してみよう。彼ならきっと相談に乗ってくれる。同じ悩みを持つ人として、私を紹介するかもしれない。

私に、私は、どのようなアドバイスをすればいいのだろう。




やってしまったと思った。六畳半のワンルームに手足を縛られたパーカーの女の子。大学生くらいか。タオルを挟まれた口からはしゅーしゅーと息が洩れている。その目は何かを訴えるような目をしていた。

衝動的かつ計画的な犯行。マスコミならそう報道するだろう。

『手元のロープはずっと前から準備してたにも拘わらず、その割にあまりにおざなりな犯行。もしかすると容疑者は別な目的でロープを持っていたのかもしれない』

コメンテーターのそういった指摘が想像できた。

そうじゃないんだよな、と、イマジナリニュースに訂正する。突然の声に女子大学生は身を震わせる。気にせず続ける。もうどうにもならないのだ。僕がロープを持っていたのは最初からこうしようと思っていたから、けれど今やるつもりじゃなかった。

我慢できたならもっと上手くやったさ。そうだろ?誰が誘拐しといて指名手配になんてなりたいんだ。そんなやついる筈がない。

この部屋にはテレビがないからその実際どれくらいニュースになっているかは分からないし、スマホはあの子の分も一緒にさっき川に捨てたからネットニュースすら見れない。もしかしたら指名手配どころかまだ発覚すらしてないかもしれない。だが、間違いなく犯行の瞬間は見られた。それだけは間違いないのだ。

二十年と少しの経験的にはまぁテレビに数分流れるくらいか。放送プログラムを変える程ではないだろう。

取り敢えず、金目の物でもないかと押入れを開くと布団が見つかった。逡巡して床に敷く。

やおら歩いて、大学生の近くにしゃがむ。上目遣いに胸が締め付けられるような気がした。知らない間に身を捩ったのか、パーカーの裾がめくれていた。ぐいっと細い腕を掴んで起こしてやる。念のため裾を下げてから、背中に手を当てる。それで察したのか彼女は身体を後ろに倒した。体重がかかった。

膝の後ろにも手をやって立ち上がると横抱きの形になる。俗にいうお姫様だっこの姿勢だ。そのまま少し歩いてもう一度しゃがむ。そうして布団に寝かすと、彼女の目が少しだけ安心したように見えた。恥ずかしくて目を逸らす。

が、その様子で、僕が落ち着いたのもまた事実だった。


「元気か?」

他意はなかった。数日前からタオル製の猿轡は外していたし、手足の拘束も解いていた。それでも逃げようとしないのだから、何処か身体が悪いのだろうと思ったのだ。

目の前の縛られた女が好きな人であることには変わらず、多少、いや過分に心配していた。無理やり拉致っておいて優しさのように心配することの愚かさには、彼女が意図して逃げていないのだ、と、整合性をどうにか与えて見えないようにしていた。

昼夜の区別はつくのに、何日経ったかは分からない。日付の間隔が欠如している。けれど、間違いなく一週間以上が経過していただろう。驚いたことに未だに僕は捕まっていなかった。食材が底をついて向かったスーパーですら問題なく利用できた。

いつの間にか彼女も僕も自由に買い物に行くようになった。事実婚のような状況に陥っていたことに僕は満足していた。或いは甘んじていた。

下手に何か策を講じて逃げれないようにするとか、あわよくば好きになってもらおうなんて考えれば、土台が大きくぐらついて倒れてしまうような気がした。そうして、何も出来なかった。ただ、逃げないだけで、僕のことが好きなんだと一人結論付けて、勝手に安心感のようなものを得ていた。


ある日、彼女がいなくなった。次の日、警察が来た。僕は捕まった。逮捕状が出されたのは昨日のことだった。

抵抗する気も起きず、僕は黙って両手を差し出した。


『大阪で起きた女子専門学生監禁事件。彼女が連れ去られる瞬間を目撃した友人はこう語った。

「捕まっていたなんて知りませんでした。犯人、容疑者の方は以前から彼女が好きだと言っていた人でしたから、漸く結ばれたのだと思っていて、今思えば学校に来ないのも変でしたが、仲良く旅行でも行ったのだろうと思っていて、まさか誘拐されたなんて思いもせず。申し訳ない気持ちと驚きでいっぱいです。」』


事件後 女子専門学生のツイート(鍵アカウントより)

好きな人に連れ去られた時は奇跡だと思ったけど、そうじゃなかった。彼は何をすべきか決めあぐねているようだった。だから逃げてきた。一目惚れって危ないと気付いた。次は気を付けようと思う。沈んでゆくのはもう嫌だから。

想いの丈をつらつらと

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ