現と幻(4)
「香花さん、待って」
「?」
俺が呼び止めれば、香花さんはふり返る。どした? と言い、不思議そうな顔をする香花さん。その姿がとてつもなく愛おしかった。だから俺は気づく。これは、幻だろうって。
虚しくなる。幻相手に愛おしくなることに。
「……言っても理解出来ないと思うけど、これって夢でしょ?」
そう口にすれば香花さんの顔から表情は消える。少しの間。すると、香花さんが口を開いて――
「ねえ、聖」
と呼びかけた。
(――!)
直後、周りの景色が変わる。砂漠から、色とりどりの花園へと変化して。目の前の香花さんを見れば、香花さんは口を開くんだ。
「あたしは幻? 夢? それとも――」
そう言ってから、香花さんは表情を咲かせる。軽く微笑んで、そして。
「さて、どれだろ?」
と俺に訊ねる。
俺はそんな香花さんを見て、夢なのにリアルだと思った。香花さんが花咲かせる明るい表情も、放たれる言葉も、朧気じゃなくて。幻だと思えないほど、ちゃんとあんただった。
「聖はどれだと思う?」
そう変わらない表情で俺に問いかける香花さん。
「……――、……妙に、リアルだよね」
零れた俺の言葉に、香花さんは反応する。
「リアル?」
「……だって、夢のはずなのに、ちゃんと香花さんに思える」
そう俺が口にすれば、笑顔が咲いた。香花さんの顔に。
「正解っ……! よく判ったね聖」
「……」
沈黙して、香花さんを見つめる俺に、香花さんはいつも通りの明るい声で続ける。
「あたしの予想通りだったってことだよ! 聖はやっぱり元気になれなかったね!」
「…………つまり?」
「やっぱり、死んでもみんなのことは心配でしょ? だから、それぞれ魔法残しといたのっ」
だから、これは夢は夢なんだけど、あたしも聖もホンモノ。精神の中ってわけ! そうやって話す香花さんに、俺は構わず抱きついた。ぎゅっ、と抱き締める。
「……聖は、ホントにあたしが好きだね」
「当たり前」
そう答えれば、香花さんからふふふっと笑う音が聞こえる。
「聖は――あたしにはやっぱり優しいね」
俺は何も言わずに続きを聞く。
「……知ってた。聖はあたしと一緒にいたかったんだもんね」
――でも、あたしを想ってくれた。……みんな、あたしを想ってくれた。そう、香花さんは口にする。
「聖は、そろそろ親離れしてもいいんだよ……?」
そんな馬鹿げたことを言う香花さん。無意識に俺を試してるなら、意地が悪い。
(あんたは――親であって親じゃない。親だけど、愛しくて大切な人だから)
その気持ちを、今も言わずに、心に留めて俺は答える。
「……有り得ないから」
「……うん、だろうなって思った」
そう言う香花さんの言葉を聞いて、俺は香花さんが死ぬ前と同じ事を思う。――きっと、香花さんは俺の気持ちを知ってるって。俺の事を見透かした上で、そういう事を香花さんは言ってるんだろう。
「……なら、そんなこと言わないでよ」
俺の気持ちを知ってるなら、せめて、親離れを促さないで。
(……俺はあんたの答えが怖くて、聞きたくなくて、ずっと、何も言えなかったんだから)
振られたくなかった。恋愛対象として見れない、そんな言葉はずっと聞きたくなかった。――だから、香花さんは何も言わないのかもしれない。俺の気持ちを知ってるから、ずっと何も言わずに傍にいてくれたのかもしれない。
嗚呼、あんたの優しさに、俺は甘えてばかり。
「……うん、ごめん」
香花さんが俺の言葉に対してそう口にする。そして、香花さんは自己犠牲の塊のセリフを言うんだ。
「ねえ? 聖。――罪深いなんて責めないでよ、自分のこと」
俺は驚愕して、抱き締めていた香花さんの顔を見る。
香花さんは、いつもと変わらず笑って話す。
「どっちにしろ、あたしの宿命は変わらない。――だから、聖が眠りを一時的なモノにするわけじゃない」
俺はその言葉に驚いて目を見開く。
「わからないと思った? それが聖の異能だとしても、わかるよ」
香花さんは笑顔を咲かせたまま、俺の腕から離れると言うんだ。ありがとうって。
「……何が?」
俺が問えば、香花さんは自分が亡くなる前にも言ってた事を、もう一度繰り返す。
「色々! あたしと一緒にいてくれたことも、あたしと旅をしてくれたことも、あたしを親として想ってくれたことも、全部!」
そう言う香花さんに、何言ってるの。と言って、俺は泣きそうになる。
「感謝してるのは俺の方。俺は――っ、あんたに救われたんだから。ありがとうなんて言葉じゃ足りないくらい、感謝しかないのに」
そう零して俯く俺の頭を、香花さんは撫でてくれる。
(いつまで経っても、あんたには適わない)
どれだけ俺自身が歳を重ねても、結局香花さんには追いつけなかったと、俺は思った。
香花さんが、撫でていた手を俺の頬へと移動する。そして、ありがとね、聖。と目尻を下げながら、どこか寂しそうな眼差しで香花さんは俺に言った。
「前を向いてね、聖」
そう言うと、香花さんは触れていた手を離す。
「……行くの」
「……うん」
香花さんの静かな肯定。そして、香花さんは手を広げる。――俺を、抱き締める。
「大好きだよ、聖。ずっと一緒にいてくれて、ありがとう」
――ねえ、聖。最後に、ワガママ言ってもいい?
抱き締めるのを止めて俺から離れた香花さんは、少し困ったように笑って。
「どこにいても、あたしのこと、見つけてくれる?」
そんなの。
「当たり前じゃん」