現と幻(2)
朝日が昇って大分経つ。俺はあんたと何度も歩いた家までの道中を、ただ歩く。森の中の一本の道を歩き続けた。
浮かび上がるのはあんたの幻。白いマントを纏って、俺の前を歩くあんたの姿。今にも軽くふり返って、笑いかけてくれそうなのに。それすらも、叶いはしない。
一本道に生える大きな木の根っこを跨いで、先に進む。樹木がなくなって広場になった場所。そこに、俺と香花さんの家は在った。日差しが暖かく広場に降り注ぐ。
大きめの家。想い出の詰まったその場所。
俺は鍵を魔法で取り出した。鍵を開けて中に入る。
魔法で宙に光を灯せば、室内が明るくなる。
料理をする竈、薪オーブンに流し台。ダイニングテーブルにダイニングチェア。木製の収納棚に食器棚。
何一つ変わってない様子に、想い出が浮かび上がる。
『ん〜! うっま! 美味いよ聖! やっぱり才能あるって!』
『香花さんだって上手いじゃん』
『あたしはべつにいーの! あたしは誰かに作ってもらったモノを食べる方が好きなんだしね!』
その言葉に、俺以外が作った物なんて食べないで。そんな独占欲が出たのも、俺は覚えてる。
2人だけでする食事に、心が落ち着いたんだ。
あんたの光を宿した大きな瞳が好きだった。
陽の光のように明るくて、暖かい笑顔が好きだった。
嗚呼、愛しいな。愛しくて堪らない。
あんたが、俺に大切な存在とはどんなものなのかを教えてくれた。
護るべきものなんて、悩むまでもなかった。
あんたがいれば、それでいい。
そう思っていた。
それほど、あんたは俺の光だったから。
背負ってた荷物をダイニングテーブルの上に下ろす。
流し台で手を洗った。
めんどくさいから魔法で手を乾かす。そのまま魔法で衣服の汚れを綺麗にすると、俺は玄関側のダイニングチェアを引いて座った。
目の前に薪オーブン。そして右側の壁に沿って、縦に長い流し台が見える。
浮かび上がってくるのは、いつしかの記憶。一緒に料理をする、その瞬間。
俺が水の入った鍋を温めてる間に、香花さんは具材を手際よく準備する。そして鍋の中身が沸騰した後、俺はその具材を茹でたんだ。
嗚呼、どうすれば良かったんだよ。
ようやく眠りに就こうっていう香花さんに、まだ一緒にいて。そんな言葉、言えるわけないのに。
見送る選択をした俺の選択は正しかったんだろう。それは解ってる。でも、俺の中で一等星はあんただけだった。それが消えてしまった今、俺はどうやって生きて行けばいいっていうんだ。
あんたのお陰で色んな星の輝きを持った人に出会えた。俺の人生も捨てたもんじゃないなって思えたよ。
でも、それも全部、全部あんたがいる前提だったんだ。
(ああ、苦しいな)
そしてなんて罪深い。ようやく眠りに就いた香花さんの眠りを、一時的なものにするなんて。
(それでも、またあんたに逢いたいんだ)
それこそ、俺の隠せない本心。
「休暇はどうだったの」
静かな声が俺に問う。現団長の紫桔舞の元に帰還した事を伝えに行けば、そう言われた。
その間も高級なハイバックチェアに座って書類に目を通す紫桔舞のその様子に、前団長の香花さんとは全く似ていないと思う。
(まあ、当然ではあるけど)
香花さんは団長の補佐である紫桔舞に書類関係は殆ど任せてたしね。
作業机の横に椅子を置いて山積みの書類に黙々と目を通していた紫桔舞が浮かんだ。それを余所に、今紫桔舞が座っている団長用のハイバックチェアで寛ぐ香花さんも、自然と頭の中に浮かび上がった。
そうやって香花さんが浮かび上がる度に、俺の胸は締め付けられる。喪失感に襲われるというのが正しいんだろうか。
紫桔舞の問いに反応せずに喪失感にかられていると、紫桔舞が書類から目を離し俺を見上げる。
「その様子だと、まだ気持ちの整理が出来ていないみたいね」
「……逆になんで出来ると思うの」
そう俺が零せば、紫桔舞は再び書類に視線を戻す。そして書類を捲りながら静かに話すんだ。
「気持ちの整理を強要する気はないわ」
女らしい語尾をしてそう口にした紫桔舞。紫桔舞は俺に視線を戻すと続ける。
「たとえそれが香花の願いだとしても、そう簡単に受け入れて前を向くことが出来るとは思わない。――聖。あなたと私は違うから」
「…………紫桔舞は。なんで平気そうなの。気持ちの整理が終わったってこと?」
そう俺が言えば、紫桔舞は少し間を置いてから答える。
「私も寂しい気持ちに辛さはあるわ。けど、あなたも知ってるようにそれ以上に香花には感謝してる。だから私は、香花の望みを尊重しているだけ」
紫桔舞は続ける。
「あなたが尊重してないとは思ってない。けど、いつまでも辛いままじゃ香花が喜ぶはずもないわ。だから私は、前を向くの」
それだけよ。と、紫桔舞は言ったんだ。