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最終話:実はそんなにハンサムじゃなかった

 昼休みのチャイムが鳴ってから、しばらく時間が経っていた。

 無人の屋上には穏やかな風が吹き抜け、制服姿の少年の髪をふわりと揺らす。

 その少年とは、もちろん俺。半寒池麺。

 今は覆面を脱ぎ、素顔をさらしている。人のいないこの空間で、顔を隠す意味もないからだ。


 ――あの戦いから、どれくらい経っただろうか。


 眩しげに空を見上げながら、俺は過ぎ去った日々を追想していた。

 かつて世界の脅威とされ、組織がその名を恐れた存在、サキュバスクイーンとの決戦。

 その結末は、意外なほど静かで、優しさに満ちていた。

 クイーンは敗北を認めたあと、俺にこう問いかけてきた。


「お前は勝者だ。ならば褒美として、望みを一つ与えよう。地球を去るのもその一つだが……他に妾にしてほしいことはあるか?」


 そのとき俺の脳裏に浮かんだのは、エリリカのことだった。

 敵でありながら自分の命を顧みずに俺に協力してくれ、アレッサ救出の手助けをしてくれた盲目の少女の姿。


「……彼女の視力を、返してやってくれ。方法は今は分からなくてもいい。……だけど、約束してくれ」


 クイーンは驚いたような目で俺を見つめたあと、静かに微笑んだ。

 それは女王としてではなく、一人の姉としての笑みだった。


「分かった。妾にできる最善を尽くそう。……礼を言う、半寒」


 そう言い残し、彼女はサキュバスの故郷へと帰っていった。

 地位も野望も、美への執着すら手放し、ただ静かな日常を生きることを選んで。


 人質だった黒田は無事に解放された。

 仁科やサクライは、アレッサの回復魔法によって命を取り留めた。

 戦いが終わったあとの彼らの笑顔は、どこか救われたような、安堵に満ちていた。

 あれだけ命を懸けてきた戦争が、ようやく終わったのだと実感させられた。


 みどりちゃんは戦争終結後は所属を「制圧班」に移して別の任務に奔走している。

 会得したサキュバスの魔法を駆使して任務を解決しまくる彼女は隊員全員に羨望の眼差しを向けられているらしい。

 きっとまたどこかで会えるだろう。なにせ、彼女は俺のファンなのだから。


 一方の俺は、組織を去った。


「お前のおかげで世界は救われた。礼を言う」


 そう言って黒田に肩をポンと叩かれただけで、あっさりと任を解かれた。

 まあ、元より俺は組織の人間ではない。サキュバスとの抗争がなくなれば、そこにいる意味も消える。


 そのとき、報酬として手渡されたのは、見たこともない桁の大金だった。

 それを手にしても、なぜか胸には虚しさが残った。けれど、それでいいとも思った。


 ――目的は果たしたのだ。


 しおりを……アレッサ・サーキュベーターを、救うことができた。

 あの封印の中から、再び、あの強くて優しい瞳で笑う彼女を取り戻せた。

 それだけで、もう十分だった。


 あれ以来、彼女には会っていない。

 弱々しくなってしまったクイーンを、しばらくは支えたい。

 その間に、エリリカの視力を取り戻す手段も探りたい


 そう言って、彼女は一時地球を離れていった。

 家族想いの、いい子じゃないか。

 そんなアレッサが、俺は好きだ。

 ……なのに、どうしてだろうな。

 胸の奥が、少しだけ空っぽなんだ。


「……やっぱ、この青空は俺並みにハンサムだ」


 ぽつりと呟いた言葉は、誰にも届くことなく風に流れていった。

 そういえば、ソイッターで青空の写真を投稿したらアンチに叩かれたっけ。もはやその記憶すら懐かしく感じる。

 空はやけに澄んでいて、地上に続く街の輪郭は、どこまでも柔らかかった。

 けれど、どこか、物足りない。

 そんな思いを胸に、俺が背を向けて屋上の扉へ向かおうとした、そのとき。


「半寒先輩!」


 振り返るよりも早く、懐かしい声が耳を打つ。

 そして視界に飛び込んできたのは、風を切って駆けてくる少女の姿だった。

 銀髪のツインテールが陽の光を反射しながら舞い、淡く紅潮した頬がこちらへ向かって輝いていた。


 ――アレッサ・サーキュベーター。


 あの戦いのあと、一時的に地球を去っていたはずの彼女が、今この屋上に、笑顔で立っていた。


「よう、元気そうでなによりだな」


「はい。先輩が助けてくれたおかげです」


 にこっと笑ったその表情は、もうサキュバスの脅威でも人類の天敵でもない。

 一人の少女のものだった。

 俺は少し照れくさそうに鼻をかきながら言った。


「……こんなとこに来て、どうした? 学校なんて関係ねぇだろ」


「ええ。でも……先輩が、ここにいる気がして」


 今のアレッサは、制服も着ていなければ、転入生というわけでもない。

 元々、俺に接近するためだけに学生を演じていただけだ。

 それでも迷いなく階段を上り、真っ直ぐここへ来たという。


 そして、俺たちは久しぶりに穏やかな会話を楽しんだ。


 エリリカは視力を取り戻し、「いつかこの目で、ハンサムフェイスを見てみたい」と笑っていたこと。


 それを聞いたアレッサが、「惚れてしまうからダメ!」と頬を膨らませて怒ったこと。


 そのやり取りを、クイーンが幸せそうな微笑で見守っていたこと。


 あの戦いの後、クイーンはすっかり丸くなり、優しい姉として妹たちを大切にしているようだった。

 とくに俺のことは気に入ったらしく、花婿として迎え入れたいと堂々と言ってくるほどだ。

 なんでも、今度は自分たちの住む星に遊びに来てほしいと懇願しているらしい。


「アレッサの故郷か……そのうち行ってみたいな。そしたら、今度は俺の家族も紹介したい。……ん? どうした?」


 ふと見ると、アレッサが真剣な眼差しでこちらを見つめていた。

 その熱のこもった視線に、思わず胸が高鳴る。


「まだ……先輩の顔を見ると、ちょっとドキドキしますけど……でも、深層世界で言ってくれた言葉の返事をちゃんと伝えたいです……」


 アレッサは一歩、俺の方へ踏み出した。

 真っ直ぐに俺の瞳を見上げ、揺るぎない声で叫んだ


「私もあなたのことが好きです!」


 風がそっと吹いた。

 頬を撫でたその風は、妙に柔らかく、照れ隠しのように、優しい。

 彼女は、言葉でしっかりと想いを届けてくれた。

 ならば今度は俺が、行動で応える番だ。

 現実世界でもう一度、誓いの口づけを――


「…………」


「……先輩?」


「…………」


「???」


 ……おかしい。

 いざキス、となると、妙に緊張してくる。

 あの時は確かに、ハンサム的粘膜摂取もこなせたはずなんだが。

 まあ、あれはあれで緊急時だったし、自分に酔ってた部分もある。

 アレッサに必要なのは支配クイーンじゃなくて恋心ハンサムなんてキザなセリフをドヤ顔でいうくらいには高揚していたからね。

 いくらハンサムの俺でも、あの台詞は恥ずかしかったな。

 こうして平和な時間の中でキスするのは……正直、照れる。


「……先輩、どうしました?」


 アレッサは、近づいたり遠ざかったりする俺の顔を不思議そうに眺めながら、首をかしげていた。


 いや、待て……俺はハンサムだぞ?

 こんなことでビビってどうする。

 キスなんて今まで何度もしてきた。

 キングゴブリンにも、キングオークにも、あまつさえ神にも唇を奪われたこの俺が――


 なぜ本命相手に尻込みしてる?


 落ち着け、俺。

 こんなことで動揺するな。

 ハンサムの名が廃る――


「……っ!」


 ……と思っていた矢先、唇に柔らかな感触が走った。


 アレッサの方から、キスしてきたのだ。


 ……何とも情けない話だった。


「普通は、男の方からするものじゃないんですか? 先輩、ヘタレすぎます」


「め、面目ない……」


 アレッサは小悪魔のように微笑み、耳元に囁いてくる。


「もしかして……先輩って、あんまりハンサムじゃなかったりして?」


 な、なんだと!?

 この俺がハンサムじゃない――だと!?

 いやいや、いくら冗談でも、その線は越えてはいけないぞ……!


「まあ、それでもいいんですけどね。先輩がハンサムであろうと、なかろうと。もう、とっくに惚れてますから」


 その一言を口にした瞬間、彼女の顔が見る見るうちに赤くなっていった。


 目を逸らすこともできず、かといって真っ直ぐ見つめ返すこともできず、視線は俺の胸元をふわふわとさまよっている。


 耳まで染まったその紅潮は、銀髪さえもほのかに色づかせたように見えた。


「……そ、そんなに見つめないでください……!」


 彼女は慌てて両手を振った。ぎこちないその仕草が、かえって真剣さを物語っていた。


 潤んだ瞳。

 困ったように結ばれた唇。

 でも、どこか微笑みを含んだその表情が、あまりにも愛おしかった。

 気がつけば、今度は俺の方から、そっと唇を重ねていた。


「改めて現実世界でも言うぞ。好きだ、アレッサ。俺も、お前に惚れてる」


「そんな事言われても、もう遅いですよ……ちゃんと知っちゃってますから」


 こうして、サキュバスと人間の戦いは幕を閉じた。

 そして、ひとつの恋が――ようやく始まった。

4年かかりましたが、無事に完結できて良かったと思います

ここまで読んでくれてありがとうございました

またお会いしましょう

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