青山みどりちゃん視点のハンサム
なぜ、こんなことになってしまったのか。
青山みどりは現実を受け入れきれず、半ば放心状態に陥っていた。
「私たちは順調に結界を破壊していたはずだ」と、数分前の記憶を無意識に辿りながら、現実逃避せずにはいられなかった。精神的に、もう限界に近い。
氷を砕き、護衛として現れた下級魔物を倒し、キングゴブリンも難なくいなした。
そして最後に出現したクイーンの幻影も、仁科とサクライの協力を得て撃破した。
すべては順調だった。
残る封印の氷はあとわずか。順当に進めば、アレッサの封印もすぐに解けるはずだった。
しかし、土壇場で、本物のクイーンに気づかれてしまった。
それでも、まだその時は三人とも心に余裕があった。
「幻影にも勝ったし、3人で戦えば勝てるんじゃね?」
そんな楽観が、チーム全体に蔓延していた。
だが、幻影と決定的に違っていたのは、強さだけではない。
――その、美しさだった。
視線が交わった瞬間、仁科とサクライの動きが止まった。
その美貌に心を奪われ、肉体は硬直。わずか一撃で、二人は致命傷を負わされた。
色香への耐性を持つみどりでさえ、クイーンの放つ妖艶な気配には耐えるのがやっとだった。
同じ空間にいるだけで、心を鷲掴みにされる。あの瞳に吸い込まれそうになる。
これはもはや色気などではない。
人を屈服させる、殺意を帯びた“覇気”そのものだ。
優勢だった三対一の戦況は、あっという間に覆された。
そしてクイーンは、みどりを一瞥しただけで興味を失い、視線を外すと、アレッサの封印を強引に解いた。
眠っていたエリリカに一撃を浴びせ、半寒には魔法で生成された覆面のようなものを装着させる。
その覆面は彼の呼吸を奪っていた。どうやら酸素を遮断する魔法具のようだった。
数分前までの順調が、たった数秒で破壊される。
これが絶望でなくて、何だというのだろうか。
※※※
現実逃避の回想を断ち切り、みどりは眼前の敵を見据えた。
アレッサは身体が動かず、エリリカと仁科・サクライは昏睡状態。
酸素を奪われた半寒の呼吸も、どんどん弱くなっていく。
「あなた!」
背後から声が飛んだ。アレッサだった。
「姉様を食い止めながら、残っている氷を壊して。おそらく、それで私の封印は完全に解除される」
「本当ですか?」
「動けるようになれば、私が半寒先輩を助ける。彼さえ動ければ、その顔でクイーン姉様を倒せるわ。それだけで、私たちは勝てる!」
なんて簡単に言うのだろう。
だが、それを実現させるには、時間が必要だ。
その時間稼ぎが出来る存在は、今ここにみどりしかいない。
「……やるしかなさそうですね」
みどりは歯を食いしばり、拳を握った。
ナックルガントレットが鈍く音を立て、意志を持ったように震え出す。
「ほう……まだ立ち向かう気力が残っていたのね。過去に何度も挑んできたけれど、妾に傷一つでも与えたことがあったかしら?」
クイーンは小馬鹿にしたように、しおりを嘲笑う。
彼女は、組織が初めて存在を確認したサキュバス。
そのため、これまで幾度となく組織は遺跡へと潜入し、彼女との戦いを挑んできた。
だが、みどりを含め、誰一人としてクイーンに傷を負わせた者はいない。
みどりの幼馴染を殺したのも、他ならぬこのクイーンだ。
自分がサキュバスの力を取り込もうと決意したきっかけも、彼女。
取り込んだ細胞すら、クイーンのものだった。
あの頃は、怒りに我を忘れるほど憎んでいた。
しかし、敗北を重ねるうちに、いつしかその激情も、静かに冷めていった。
そして今もなお、勝機は見えないままだった。
「それでも、やるしかないんです!」
みどりは跳び上がり、真下のクイーンを見下ろした。
両腕のナックルガントレットが低く唸る。
内蔵された魔力震動機構が作動し、拳に微細な振動が走る。
「……これがただの拳だと思ったら、大間違いよ!」
踏み込む。気配を沈め、重心を殺し、放つ、一撃。
ガンッ!
拳がクイーンの脇腹を捉え、重い打撃音が空間に響いた。
「物理攻撃が効かない貴女でも、この技なら!」
直後、クイーンの眉がわずかに動く。
今のみどりの拳には「痺れ」の効果がある。
魔力を震動として集中させ、細胞の奥へ微弱な干渉を与える技術。
破壊力ではなく、神経伝達を一瞬だけ狂わせる。
その隙に氷を破壊できれば、希望が繋がる。そう信じた。
だが、クイーンはゆっくりと髪を指先で払いながら、笑った。
「……なるほど。だからジンと痺れたのね」
その口元には、まだ余裕の笑みがあった。
「でも、その程度の魔力では、サキュバスの足元にも及ばないわ」
「そんな……!」
痺れさせることすらできない、その鉄壁の防御。
どうすればいいのか、まるでわからなかった。
「相変わらず成長がない女だ。しかし、妾の細胞を持っていながら、この弱さとは……所詮は劣等種。その欠片すら、お前には重すぎたようだな」
呆然と立ち尽くすみどりに向かって、クイーンが魔法を放つ。
「魔法とは、こうやって扱うのよ!」
野球ボールほどの球体。だが、それが腹に命中しただけで、想像も及ばない激痛がみどりの体を巡った
「っ……!」
全身から血が噴き出す。
避けられなかった。
クイーンの美しさに見惚れ、体が反応しなかったのだ。
これが、“美の境地”に到達した本物のサキュバスの魔法。
小さな攻撃でも致命傷となり、仲間が窮地にあっても一度視線を奪われれば、心も体も魅了される。
本来、みどりはサキュバスの誘惑に耐えられるはずだった。
しかし、度重なる戦闘の傷がまだ完治しておらず、渾身の一撃もクイーンには通用しない。
肉体的にも精神的にも既に限界を迎えていた事もあり、サキュバスの色香を跳ね除けられなかった。
本来なら、自分にもこの魔法が使えるはずだった。
しかし、細胞を取り入れただけの自分には、美しさという根源的な才能が欠けていた。
天然由来の輝きも、それを育む人生も持たなかった。ただ、地球で生きてきた普通の少女にすぎない。
「哀れだな。貴様は」
返り血を浴びながら、クイーンが呟く。
その血すら、指を使わず、身体が自然と払い除けた。
「お前がただの人間だったら、そこで倒れている男達のように楽に死ねただろうに。妾の美しさに魅了されたまま、痛みすら感じずに──」
仁科とサクライ。彼らはその美に惑わされ、為す術なく散ったのだ。
「だが、お前は半端にサキュバスの細胞を持っていたために抗えた。結果として、待っていたのは絶望だ。何をしても妾を倒せず、仲間一人も救えない。お前は無意味な存在だ」
その突き刺すような言葉にも、みどりは怒りを覚えなかった。
反論する気力すら湧かず、ただ心が折れていた。
憎しみの対象だったはずのその存在に、今はもう何の感情も湧いてこない。
――いつからだろう、サキュバスを憎めなくなったのは。
幼馴染や仲間を失ったあの日々には、確かに煮えたぎる怒りがあった。
だが、敗北を重ね、何も守れずに失い続けるうちに、勝てるという希望も、怒りを燃やす心すらも消えてしまった。
このまま、誰一人救えずに死んでいく。
それが、自分の結末なのかもしれない。
『そんなことないさ。みどりちゃんは美しい。足りないのは自信だけだ。自分を信じられるようになれば、君はきっと、サキュバスと同じくらい強くなれる』
ふと、彼の言葉が脳裏をよぎる。
半寒池麺。ただの人間でありながら、サキュバスすら凌駕する美貌を持つ唯一無二の存在。
みどりは、彼が好きだった。
初対面の印象は最悪だった。だが、それすら帳消しにする圧倒的な美しさが、自然と彼女の心を奪っていった。
しかし、彼の真価は顔ではない。
誰にでも優しく、拒まず、寄り添おうとする。
その在り方に、みどりは強く惹かれた。
再会した時、彼は疲弊していた。
組織に突然呼び出され、世界の命運を背負わされる理不尽に巻き込まれても、彼は逃げなかった。
逃げても誰も責めなかっただろう。それでも、彼は笑って握手を返してくれた。
愛してくれる人の前では、情けない姿を見せたくない。
そんな彼の矜持に、みどりは心から感服した。
いつしか、彼の大ファンになっていた。
会うたびに握手を求め、ハグをねだった。
何者にもなれず、誰も守れなかったみどりにとって、彼は確かに光だった。
みどりは半寒を尊敬していた。
その一方で、強い負い目も抱えていた。
本来、サキュバスと戦うのは自分の役目だった。
だが、自分はサキュバスに敵わなかった。
結局、彼を巻き込んでしまった。
そして今、彼は命の危機に瀕している。
――私が弱いせいで、彼が死ぬかもしれない。
その時、背後から微かな音が聞こえた。
――ガサッ……。
生きようともがく音だった。
酸素を失い、意識も朦朧としながら、それでも彼は諦めていなかった。
「……このまま、諦めるわけにはいきません」
胸の奥に、小さな炎が灯った。
みどりはサキュバスとしては失格だ。
細胞をその身に宿しながら、人より少し身体能力が上がっただけ。
サキュバスに必要な強力な魔法も、自信もそれを裏付ける美しさも持ち合わせていない。
それでも、人間としての心が叫んでいた。
まだ終わりじゃない。
みどりは、この組織が好きだ。
黒田、赤沢、仁科、サクライ、そして……もう会えない仲間たち。
彼らの笑顔は、今でも鮮明に覚えている。
そして何より、自分の支えになってくれた、半寒が大好きだ。
「あなたは……自分以外、誰も愛していない」
みどりの呟きに、クイーンは鼻で笑った。
「当然だ。自己愛こそ、サキュバスが強者たる所以だからな」
その言葉に、みどりは何も言い返せなかった。
正論だった。
サキュバスの魔法は、異常なほどの自己愛によって成り立っている。
失い続けた人生を歩んできた自分には、そんな力などない。
けれど、それでも……。
「それでも私は、命を懸けて守りたい“推し”がいるんです!」
みどりの瞳に、再び炎が宿った。
何度も心を折られた宿敵に対し、彼女は再び立ち向かおうとしていた。
その原動力の源にあったのは、半寒だった。
サキュバスすら虜にする、究極の男。
そんな彼に「美しい」と言ってもらえた。
それこそが、みどりの自信だった。
――好きな人のためなら、何だってできる。
今度こそ、絶対に失わない。
仲間も、彼も。そして、彼が命を懸けて守ろうとした少女も、私が、守ってみせる。
「絶対に、諦めません!」
その瞬間、みどりの傷が、音を立てるように塞がり始めた。
流血は止まり、破損した細胞が蘇っていく。
数秒も経たぬうちに、彼女の身体は完全に回復していた。
「……まさか、お前……!」
クイーンが目を見開く。
それは、クイーンと同等の再生速度。
「ナックルガントレット――二十連!」
純白だった魔力が、鮮やかな緑に染まる。
その力が拳に宿り、ナックルガントレットが眩い輝きを放った。
しかし、これはただの攻撃ではない。
その一撃には、サキュバスとしての本物の素質が宿っていた。
本人はまだ気づいていない。
自らの中に、真なる力が芽生え始めていることを。
「いけえええ――!!
放たれた拳撃が全方位に炸裂し、氷を砕き、アレッサを閉ざす封印が音を立てて崩れ落ちる。
「この……半端者のくせに! “美の境地”に辿り着いたというのか!」
クイーンが怒声をあげる。
血をにじませながら、鬼のような形相で睨みつけてきた。
だが、その傷すら瞬く間に癒えていく。
彼女もまた、サキュバスの王たる再生能力を見せつける。
「たとえ同じ力に目覚めようと、私の優位は揺るがない! お前は所詮、どちらにもなれぬ中途半端な存在。だが私は、サキュバスの頂点に立つ者だ!」
「……ええ、それでもいいんです」
みどりは静かに言った。
「私は、もう……十分、満足しました」
クイーンの言葉に、反論の余地はなかった。
力の差は明白で、どれだけ力を得ようと、彼女には勝てない。
本気を出されたなら、勝負にすらならないだろう。
――けれど、戦う必要はもうなかった。
そのとき、背後から音がした。
封印が解かれ、体の自由を取り戻したアレッサが、彼に酸素を与える音。
そしてそれに応えるように、ゆっくりと、確かに彼が歩み寄ってくる足音が響き始めた。
「覚悟してください、クイーン」
みどりは妖艶に笑った。まるで、本物のサキュバスのように。
「私の推しは、とっても格好いいんですよ」
そして、彼――半寒が、みどりの背後に立った。
その瞬間、空気が変わった。
重力が歪み、空気が震える。
否、それは美が空間の支配権を奪った瞬間だった。
サキュバスクイーンの表情が凍りつく。
そこに立っていたのは、もはや人間ではなかった。
白磁のように滑らかで、夜を切り裂くような深淵の瞳。
睫毛はまるで硝子細工。
唇には、憐れみと誇りが同居した静かな気品が宿る。
「美しい」という言葉では、とても足りない。
それは神が彫った芸術の極致。
それは世界の意思が作り出した、理想そのもの。
あらゆる美の定義が、彼の前に跪き、
あらゆる理性が、その前で崩れ落ちる。
「……」
クイーンは、膝から崩れ落ちた。
その顔を見つめながら、涙をこぼし、何かを思い出すように囁く。
「……お母様……」




