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深層心理とハンサム

「アレッサ……どうしちまったんだよ」


 そこに立つ彼女は、もう俺の知るアレッサじゃなかった。

 瞳に光はなく、唇は閉ざされ、命令に従うだけの人形のように魔力を構えている。


「お前を殺せば、すべて終わる」


 その声に、迷いはなかった。

 怒りも悲しみも、喜びも戸惑いも、何ひとつ宿っていない。

 ただ殺せという命令だけをなぞるように、

 彼女は冷ややかに、俺へ魔力を放った。


「これは確実に当たる……」


 以前までの攻撃と違い、純粋な殺意だけを帯びた一撃が、俺を襲う。

 その表情は、人間らしさが消え、ただ邪魔者だけを排除しようとするサキュバスらしい冷酷なものだった。

 かつてのアレッサは本当に消えてしまったのだ。

 ここまで来たのに、エリリカに記憶を繋いで貰ったのに、俺は彼女を救えなかったのと実感する。


「通さないわ〜」


 エリリカの燦然と輝く髪が風を裂き、盾のように広がる。

 繊細なその糸が咆哮のような魔力を受け止め、衝撃を拡散させた。

 爆風の中、彼女は閉じた瞳でアレッサを見つめる。


「半寒くん、お姉様の目……今どうなってるかしら?」


 アレッサの瞳を見やると、血の涙が頬を伝い、

 美しかった瞳の奥に、小さな魔法陣が浮かび上がっていた。


「出血が酷い。瞳の奥に魔法陣みたいなのが出てる……」


「やっぱりね〜。封印に抗ってるけど、もう限界が近いわ。このままだと、お姉様自身が壊れてしまう」


「抗ってる……だと? あれで?」


 どう見ても、自我を失って命令に従っているだけのようにしか見えなかった。

 封印に負けて、完全に闇に堕ちてる。そうとしか思えない。


「目に映る物だけが真実じゃないわ〜きっと、お姉様の深層心理にはまだ生きているのよ……貴方を愛した思い出がね」


「……深層心理、だと?」


 精神世界のさらに奥底。

 そこに、まだ彼女はいるのか?

 俺を覚え、俺を愛してくれていた、あのアレッサが……


「……行くしかないな」


 このまま目の前のアレッサと戦い続けても、勝ち目は薄い。

 ただ時間を浪費し、彼女の身体も心もすり減らしていくだけだ。

 エリリカの言う通り、アレッサの限界は近い。

 これ以上、封印に抗わせれば、彼女も、盲目のサキュバスと同じ道を辿ってしまう。


 それだけは絶対に避けたい。

 アレッサを守りたいと願い、ここまで来たエリリカのためにも。

 そして何より、俺自身が、彼女に何も失ってほしくなかった。


 ならば行くべきは、心の最奥。

 アレッサの深層心理に眠る、わずかな想いの残滓。

 そこにこそ、彼女を救う鍵がある。


「で、どうやって行くの〜?」


「この精神世界に入った時と同じ手を試してみる」


 最初にアレッサの精神世界へ干渉できたのは、彼女の身体に触れたからだった。

 ならば今も、精神世界の彼女に触れれば、さらにその奥、深層へと潜ることができるはずだ。


「ああ。そういえば、お前の魔力がないと精神世界に行けなかったな。今度は俺一人で行くからさ、魔力貸してくれよ」


「サキュバスの魔力は他の種族には扱いないと思うわ〜特に人間は魔法の耐性なんてないじゃない。触れたら一瞬で死んでしまうもの」


「大丈夫さ。俺の顔だけは、サキュバスと同じ“美の境地”に辿り着いてるんだろ? 顔に付与してくれ」


「簡単に言ってくれるわね〜まあ、出来なくはないけども」


 呆れる様に溜息をついてから、エリリカは思案顔をする。


「貴方の作戦、可能性はゼロじゃないけど……ギャンブルね〜」


 エリリカが軽く首を傾げる。だが、その声は真剣だった。


「もし深層に行けなかったら、貴方はこの場で殺されるわ。仮に成功しても、この世界の身体は無防備なまま。……そもそも、今のアレッサお姉様に触れること自体、至難の業よ〜」


 わかってる。

 エリリカの言う通り、これは無謀な賭けだ。


 感情を失ったアレッサは、まるで生きた兵器のようだった。

 こちらが一歩近づけば、一瞬で魔力が叩き込まれる。迷いもためらいもなく、機械のように正確に、俺を排除しようとしてくる。


 だがそれでも、進まなきゃいけない。


 このまま彼女に手を伸ばさなければ、アレッサは本当に壊れてしまう。

 そして、彼女の奥に残っているはずの「本当の気持ち」に、もう二度と届かなくなる。


「なあ、エリリカ。お前の髪、どこまで自由に操れる?」


「……え?」


 きょとんとした顔で、エリリカがこちらを見つめる。


「これから俺は、一直線にアレッサに向かって走る。飛んでくる魔法は全部、お前の髪で弾き返してほしい」


「は、はあ!? ちょっと待って、それ正気なの!?」


 声が裏返るほど驚いて、エリリカが身を乗り出す。


「そんなの、あまりにも無謀すぎるわ! すべての攻撃を防げる保証もないし、もし一発でもかすったら……あなた、本当に死ぬのよ?」


「それでも構わない。いや、構うからこそ、俺は絶対に成功させる」


 息を整えながら、俺は前を見据える。

 冷たい光を宿したまま、ただ命令に従って動くアレッサ。


 それでも、俺は信じてる。

 その奥に、まだ本当の彼女がいるってことを。


「伝えなきゃならないんだ。君の美しさに相応しいのは支配クイーンなんかじゃない。恋心はんさむなんだって」


 命を懸けてでも、掴みたい。

 心の奥で凍えている、恋する少女の手を。

 たとえ、その身が貫かれようと、俺はこの手を届かせてみせる。


「うおおおおお!!」


 俺は、地面を蹴った。

 一直線に、アレッサへと走る。


 咆哮のような魔力が唸りを上げ、嵐のように吹き荒れる。

 殺意だけを込めた魔法が、容赦なく俺を襲う。


「今よ〜! 全部、任せてちょうだい!」


 エリリカの長い髪が黄色の輝きを放ちながら空を裂き、盾のように展開される。

 うねる黄金色の髪が防壁となり、迫る魔力をはじき、爆風をいなす。

 何度も何度も、目の前で光が弾ける。けれど、足は止めない。


「アレッサ……!」


 アレッサの魔力が再び膨れ上がる。

 けれど、俺は立ち止まらなかった。

 この身が砕けようと、心が届くなら、それでいい。


 彼女の瞳は虚ろなまま、俺を見ていない。

 けれど、俺は見ている。目の前にいるのは、確かに俺が、恋した少女だ。


 届かないなら、触れる。

 伝わらないなら、重ねる。


 そうして、俺は、彼女の唇に、そっとキスをした。


 一瞬、時が止まったような錯覚。

 俺の身体は、黄色の光に包まれていく。

 これは、俺の顔に付与されたエリリカの魔力だった。

 意識が、さらに深い場所へと落ちていく。

 彼女の奥底、誰にも触れられなかった、心の深層へ。

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