アレッサと再会するハンサム
階段を上りきった先。
そこは、空間ごと隔絶された静謐な領域だった。
薄桃色の靄があたりを包み込み、まるで時間さえ止まったかのような錯覚を覚える。
足元には、赤黒い絨毯のような魔法陣。
その中心に、彼女は立っていた。
アレッサ・サーキュベーター。
封印によって氷のように静まり返ったその姿からは、なおも強烈な気配が溢れ出していた。
それは魔力ではない。
哀しみ、怒り、愛しさ、感情そのものの震えだった。
彼女の背後には、巨大な翼を模した封印結界が浮かび、淡く脈動している。
侵入者を拒むように、光の鼓動を繰り返していた。
だがその中心で立ち尽くすアレッサの瞳は、うっすらと開かれていた。
意識はまだ遠く、焦点も定まらない。
それでも、まるで誰かを待っているような気配があった。
「アレッサ……ようやく会えた」
俺は思わず手を伸ばし、彼女に触れた。
その瞬間、彼女の瞳がかすかに揺れる。
「――来ないで!」
鋭い叫びが空気を裂き、俺の身体は弾き飛ばされる。視界が歪み、重力がねじれるような錯覚。
「近付かないで……あなたなんか、来ちゃダメ……!」
感情が決壊したように、アレッサの全身から魔力が噴き出した。
精神世界に築かれた結界が、それに共鳴するように軋み始める。
「私は……あなたに触れたくない! あなたに見られたくない!」
彼女の叫びと同時に、光の結界が内側から罅割れ始めた。
――バンッ!
封印が砕ける音。精神世界を覆っていた結界が、内側から爆ぜるように解放される。
彼女を縛っていた光の鎖は霧のように溶け、アレッサの足元へ崩れ落ちた。
「貴方は、私の心を弄んだ! 私に触る資格なんてないわ!」
怒りの理由は、精神世界で出会ったリトルアレッサたちから聞かされていた。
組織の人間である俺が正体を隠し、彼女に近づいていたこと。
それが彼女を深く傷付けていたらしい。
「それは……お互い様だろ! 君だって、最初は俺の命を吸うために近づいたじゃないか! デートだって、君のプライドのためだった――」
言いかけたその瞬間。彼女の手から放たれた氷の槍が、俺の頬を掠めた。
「その通りだけど、今欲しい言葉はそれじゃないの!」
「……どうしろって言うんだ……」
困惑する。どうすれば、彼女の心を取り戻せる?
「いや、でも今は違う! 俺は組織とかサキュバスとか関係なく君が好きなんだアレッサ! だから助けにきた!」
「その言葉は信用できないわ! だって私知ってるんだから! 貴方、ハイゴブリン達とキスしてたんでしょ!」
ど、どうしてそれを?
アレッサは切れ散らかしながら次々と魔法を放出してくる。
俺の周囲の壁は粉々になり、見るも無惨な姿だ。
「ふふっ。どうやって知ったのかは分からないけどね。多分、外の誰かの声を聞いてしまったんだと思うわ〜」
髪で魔法をガードしながら、エリリカが笑っていた。
「外……みどりちゃんたちか?」
「まあ、誰かがぽろっと言っちゃったんでしょうね〜」
……余計なことを。
「私とのデートじゃ手も繋がなかったのに、急に告白なんて信じられない! そんな素振り、今まで一度でも見せた? ハイゴブリンとでも幸せになってれば?」
「待ってくれ! 全部君を助けるためだったんだ! あいつらを何とかしなきゃ、ここまで来れなかった!」
「女なら誰でもいいくせに!」
「でも言っただろ! 君は可愛かった。デートは楽しかった。俺は君を助けるって、誓ったんだ!」
「そんなもの、覚えてない! 貴方の顔だって、私には見えない!」
封印の影響だ。アレッサの良い記憶は失われ、憎しみや悲しみだけが増幅されている。
「封印の影響で、彼女の中では良い記憶が消えかけてるのよ〜。悪い印象だけが残って、それがどんどん肥大していく。厄介ね〜」
エリリカが楽しげに言う。
「でも、それだけが本心じゃないと思う。お姉様の右眼、どうなっているかしら?」
指摘され、彼女の右目を見る。そこからは、血が流れ落ちていた。
「血が流れてるぞ……大丈夫なのか?」
「やっぱり、あの時の私と同じね〜。これは、封印に抗ってる証拠。無理をすれば、私と同じように視力を失うわ〜」
「……急がなきゃいけないな」
しかし、荒ぶるアレッサにどう立ち向かえば良いんだ?
「私は、貴方が何を考えているのか全然わからない!」
俺を睨みながら、アレッサは叫んだ。
「愛想を振りまいても無関心。他の女を優先して、勝てない喧嘩まで受ける。デート中に騙してたくせに、いきなり告白って……意味がわからない!」
その叫びは、怒りなのか苦しみからなのかはわからなかった。
どちらとも取れる魂からの叫びだった。
「私は美しさだけで誰でも従わせてきた。でも、あなたにはそれが通じない……どう接すればいいのか、わからないのよ!」
「……それは俺も同感だ」
俺もこれまで顔だけで女を相手していた。
相手の喜怒哀楽全て顔を見せれば恋に変わるからだ。
だが、今ここでは通用しない。
精神世界では、俺という中身しか通じない。
そして、アレッサもまた、見た目以外での接し方を知らない。
俺達は似たもの同士というわけだ。
見た目を取り繕い過ぎて、自分の内面に自信がない弱い人間だ。
「……やるしかないな」
俺は彼女へ走り出す。行動で、示すしかない。
「近付いては危険! 半寒くん、冷静に!」
エリリカの忠告を受け流し、俺は突き進む。
放たれる魔法の数々。だが、どれも俺を掠りもしない。
彼女は、当てていない。
無意識に、俺を傷つけまいとしている。
完全に俺を拒絶した訳ではない。
それならば、俺も気持ちに答えるしかない。
俺はまだ、アレッサ自身に告白をしていない。
真っ直ぐ走って正面切って彼女に好きだと叫ぶんだ。
「アレッサ……俺は、お前が――」
「来ないでえええ!!」
迫り来る俺に動揺しながら、退けようと魔法を放つ。
瞬間、足元を滑らせ、標準を誤った。
「直撃する! 半寒くん! 逃げて!」
「いや、逃げない!!」
魔法が腕に直撃し、鮮血が舞う。
激痛が身体をめぐるが、俺は走り続けた。
「――ッ!」
アレッサがバランスを崩し、倒れかける。
「アレッサ!」
片腕で彼女を抱き留める。
「怪我はないか、アレッサ……」
彼女は言葉を返さない。悲しげな表情で俺を見つめていた。
だが、次の瞬間。
「今度こそ……完璧に終わらせるわ」
右手に魔力を集中させ、俺の胸元へ向ける。
「俺は、君のことを――」
「その言葉は聞きたくない!」
俺の口元に手を当て、言葉を遮る。
愛の告白なんてする時間もないくらいに、俺の寿命は一気に縮まる。
あと数秒で、俺は死ぬだろう。
助けようとした彼女に、俺のせいで封印されてしまった少女に、殺される。
アレッサを救う事はできなかった。
結局俺は顔が無ければ何もできない男だったのかもしれない。
「お前を殺す!」
魔法が発動する寸前、黄色い影が見えた。
「そんなことしたらダメだわ〜」
ふわりと伸びたエリリカの髪が、アレッサの腕を絡め取り、魔法を掻き消した。
「無茶しちゃだめよ〜。半寒くんだって命が惜しいでしょ?」
彼女の髪が俺の頭へ伸び、撫で回した。
「エリリカ! 邪魔をしないで!」
「邪魔するに決まってる〜その為に来たんですもの〜」
無邪気に笑いながら、エリリカはアレッサにこう提案をしてきた。
「半寒くんの事が分からないなら、彼の頭の中を覗けばいいのよ〜」
髪が俺の額へ触れた瞬間、黄色の光が溢れ出す。
「見て見てしおりちゃん! 電柱ハンサム!」
「電柱に横たわる先輩も素敵!」
それは、俺とアレッサ――しおりちゃんとの最初の出会い。
下校の途中、笑い合っていた日常の記憶が、ゆっくりと再生され始めた。




