精神世界とハンサム
眩い光が一閃し、世界が反転した。
浮遊感――重力を失ったような感覚とともに、俺の身体は宙を漂っていく。
遠くから誰かの声が聞こえる。風のように優しく、けれどどこか、物悲しい。
「……聞こえてる? 半寒くん、意識を保って〜」
エリリカの声だ。けれど、それもすぐにかき消え、次の瞬間には、ズン、と足元に地面らしきものが現れ、強制的に引き戻された。
「ぐっ……!」
ドサッ、と音を立てて体が地に叩きつけられる。
息を呑む。
そこは、現実とは明らかに異なる、奇妙な空間だった。
灰色の空。上下逆さまに浮かぶ巨大な塔。
ひび割れた地面の先に広がる湖のような水面は、空を鏡のように映し出している。
色が、ない。赤も青も緑もない。全てがくすんだモノクローム。
命の気配が希薄で、冷え切った夢のような空間。
「……ここが、アレッサの精神世界?」
呟いた瞬間、肌を刺すような冷たい風が吹いた。
その風に乗って、声が耳に届く。
『あ! へのへのもへじよ!』
『顔面モザイク野郎がいるじゃない!』
『人を弄ぶクズがいるわ!』
……は? 俺のことか?
モザイク野郎はまあ、仕方ない。
俺の顔面偏差値が高すぎて、倫理的な理由で処理されるのもわかる。
クズ扱いも、まあ許そう。過去に惚れさせた女性たちの中には、俺を悪い男と思ってる人もいるだろう。
だが……へ、へのへのもへじだと?
この世に存在する全ての賛辞をかき集めても表現しきれないと評される俺の顔を、わずか七文字で片づけるとは何事だ。
これはハンサム流説教が必要だな。
声のする方を振り返り、俺は怒鳴ろうとした。
「今、何て――って、おい……?」
そこにいたのは、子供だった。しかも、三人。
だが普通の子供ではない。三人とも、明らかにアレッサだった。
すべてが色を失ったこの世界で、ただ一つ、彼女達のワンピースだけが、かすかに白の残滓を宿していた。まるで、忘れ去られた記憶が色を取り戻そうとしているかのように。
一人は口をとがらせ、もう一人は眉を吊り上げ、もう一人は無邪気な笑顔のまま怒っている。
ふくれっ面、怒り顔、笑顔。
どれも可愛らしく、ぬいぐるみのような存在感。
「男がここにいるわ! しゅくせいが必要ね!」
「しゅくせい! 賛成するわ!」
「こんな奴、しゅくせいに限るわ!」
三人が俺を指差して、舌っ足らずな言葉で罵倒してくる。
本物のアレッサももちろん美しいが、このリトルアレッサたちは小動物のような愛らしさで、思わず顔が緩む。
怒る気も起きない。こんな子たちに説教なんて、無理だ。
「いやいや、俺はモザイクでもなければクズでもないし、ましてやへのへのもへじでもない。……このハンサムフェイスをよく見てごらん?」
にっこり微笑みながら顔を近づけたその瞬間――
「しゅくせいぱーんちっ!!」
驚くほどの速度で、小さな拳が俺の顔面にクリーンヒットした。
「体は小さいけど、アレッサ姉様はこのくらいの年齢でも巨大な獣を一撃で沈めたことがあるわよ~」
鮮やかな放物線を描いて吹っ飛ぶ俺を見ながら、エリリカが楽しそうに言った。
いや、最初からそれを言ってくれよ。
「貴方の顔なんて分かりはしないわ!」
「男の顔は全部モザイクに見えるもの!」
「私はへのへのもへじにしか見えないわ! しゅくせい対象の顔なんて、見る価値もないもんね!」
……どういうことだ? なぜ、リトルアレッサたちは俺の顔を認識できない?
「この精神世界は、アレッサお姉様があなたとの記憶を消すために作り出した空間なのよ〜。そりゃ顔も写らないわよ〜」
「……なるほどな。ハンサムフェイスが通じない世界、ってわけか」
俺のアイデンティティが完全に否定された。
だが、これくらいの困難は想定の範囲内。
何より、いきなり本物のアレッサに殺されなかっただけでもまだ運は味方している。
幸い、殴られた箇所が顔なので、ダメージは付かなかったしな。
「これはアレッサ姉様の精神が作った防御装置みたいなもの〜。姉様1人では抱えきれない色々な感情を、分身が代弁しているんだわ〜」
「なるほど。つまり、この分身達をどうにかしないとアレッサ本人を救えないというわけか」
「そうだね〜貴方はどうするつもりなの?」
エリリカは、俺がこの窮地をどうやって乗り越えるのか気になる様子で訪ねてきた。
「どうするって言われてもなあ……」
いつもみたいなハンサムフェイスで即攻略は不可能。
武力酷使なんてもっての外。
「それなら、何度も対話を求めるしかない」
※※※
「ちょっと、あなた! まだしゅくせいされ足りないようね!」
「なんで顔を近付けたの? 無意味だって言ってるじゃない!」
「へのへのもへじに近寄られると吐き気がするの!」
三人のリトルアレッサは、もう良い加減にしてくれと言わんばかりに、うんざりしながら俺を殴ったり石を投げつけてきた。
幸い全部顔に命中してるので、ダメージは受けなかったが。
かれこれ1時間くらいリトルアレッサ達と対話を試みているが、近付くだけで攻撃してくる。
「なあ、お嬢ちゃんたち」
俺は少し離れたところから優しく声をかけた。
「質問なんだが、アレッサって、そんなに男が嫌いだったっけ?」
その質問に対し、リトルアレッサ達は威勢良く答えた。
「嫌いというか、ただの利用する駒としか見てないわ!」
「男なんて、私の外見を見ただけで理性を失くすみっともない奴等じゃない!」
「男は気持ち悪いわ!」
……めちゃくちゃボロクソ言ってるな。
まあ、俺と出会う前までは、男に対してそういう認識を抱いていたのだろう。
ここまでは、予想通り。
本題の質問へと入ろう。
「なるほど。じゃあ、最近気になる男とか出来なかったか?」
リトルアレッサたちは一瞬、表情を止めた。
「……それは」
「えっと……」
「え、えっと……えへへ」
ひとりが顔を赤らめ、別の子は口をつぐみ、もう一人はその場でくるくる回り始める。
この様子を見るに、まだ俺の事を完全に忘れた訳ではないのか。
「今、その男の事をどう思ってるんだ?」
リトルアレッサたちは、しばらくもじもじした後、ようやく声を揃えて言った。
「……カッコ良くて優しい人」
「でも、私だけを見てくれているだけではないのがムカつく」
「それに、あの人は私を騙した……」
「え? 騙したってどういう……」
訪ねようとしたその瞬間、周囲の風景がぐにゃりと歪む。
モノクロだった世界に、淡く色が差した。
淡い桃色、春の花びらのような色だ。
視界の先に、俺の知っているアレッサが現れる。
肩までの銀髪を揺らしながら、どこか寂しげな笑みを浮かべている。
「……待ってましたよ、半寒先輩」
「本物のアレッサ……か?」
しかし、そのアレッサの目は、俺を見ていない。
まるで俺の存在を感じていないかのように、視線は虚空をさまよっていた。
「ずっと、ここで……ずっと、ひとりぼっちで……」
彼女の身体が透けていく。
声も、遠ざかっていく。
「ちょっと待て! アレッサ!」
俺が駆け寄ろうとした瞬間、リトルアレッサたちが、目の前に立ちふさがった。
「まだ通しません」
「私たちを乗り越えないと、本当のアレッサには会わせないのです」
「心の鍵を開ける覚悟は、あるの?」
小さな体から放たれる、圧倒的な魔力の波動。
この子たちは、ただの子供ではない。
アレッサの心そのものだ。
「なるほど……試練ってわけか」
俺はニヤリと笑った。
「だったら見せてやるよ。俺がどれだけお前のことを考えてきたかをな」
ハンサムフェイスは封じられていても、心まではモザイクにはできない。
アレッサの中に残された想いを、俺が取り戻してみせる。
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