表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/35

未完成の美とハンサム

 美術館の静寂の中、俺としおりちゃんの視線が交錯する。


「ねえ、先輩」


 彼女が微笑みながら、俺の横にぴたりと寄り添ってくる。

 ふわりと香る甘い匂いが、意図的な仕掛けであることは明白だった。


「今、少しでも可愛いって思いました?」


 俺は鼻を鳴らす。


「君の可愛さは認めるが……それと俺が堕ちるかどうかは別問題だな」


「ふふっ、じゃあその余裕……本当に崩れないか、試してみませんか?」


 そう言いながら、しおりちゃんは俺の袖をそっと掴む。

 指先から伝わるぬくもり。意識的に距離を詰めてきている。


「たとえば……こういうのはどうでしょう?」


 囁く声と共に、彼女は俺の手を取り、自分の指を絡めてきた。

 まるで自然な流れで手を繋ぐかのように。


「おい……」


「先輩が拒まないなら、このままでもいいですよね?」


 いたずらっぽい笑み。さらにぐっと密着してくる。

 サキュバスらしい、巧妙な距離の詰め方だ。

 普通の男なら、この時点で完全に陥落しているだろう。


 本来なら俺だって、そろそろ下半身のハンサムが目覚めてもおかしくない。

 だが今回は違う。

 世界の平和がかかっている。ここで興奮したら、すべてが終わる。


 ぜってえ、ぜってえ、ぜってえ、興奮しねえ!

 俺は脳内で自分のハンサムフェイスを思い浮かべた。


『やあ俺。そんな女に屈しちゃダメだぜ?』


 脳内の俺が歯を光らせながら、現実の俺を鼓舞してくれる。

 ありがとう、俺。

 そしてありがとう、ハンサムフェイス。

 俺は正気を取り戻した。


「本気で勝つ気か?」


 薄く笑みを浮かべながら、あえて腕を組み、視線を逸らす。


「ええ。だって、勝負ですもの」


 しおりちゃんが目を細める。


「先輩こそ、本当に崩れません?」


 俺は挑発するように彼女を見下ろす。


「まあ、君のその必死さは……可愛いがな」


「——っ!」


 しおりちゃんの表情が一瞬揺らぐ。

 目を凝らすと、ほんのりと頬が赤く染まっていた。


 おや、これは形勢逆転か?




 ※※※


 展示室を進み、俺たちは最後のコーナーにたどり着いた。


『未完の美——追い求め続けた理想』


 壁には未完成の彫刻や、制作途中で止まった絵画が並んでいる。

 いずれも、作者が理想の美を求めすぎた結果、完成に至らなかった作品たちだ。


「未完の美……か」


 パネルを見つめながら、俺は思わず呟いた。

 今日一番、心を引かれたテーマだった。

 俺は常にハンサムに映るよう、日々ハンサムチェックを行い、美の限界を探っている。

 だが、未だにこれで完璧だと思えたことはない。


 何せ、元々の顔は平均以下だった。

 そこから今の顔面偏差値に進化できたのは、執念と探究心の賜物だ。

 劣っていたからこそ、成長の余地がある。

 その成功体験が、自己磨きをやめられない理由になっている。


 もっと先の景色がある。

 そんな気がしてしまうのだ。

 ある意味、俺も未完成のままなのかもしれない。


 だが、隣にいるサキュバスはどうだ?

 彼女は、生まれながらにして完成された美を持っている。

 最初から理想を備えている存在が、未完成に価値を見出すことができるのだろうか?


 先ほどの肖像画のような完成された美には関心を示していた。

 だがこの展示のテーマは、“未完成だからこそ美しい”だ。


 興味を持つはずが……


「理想の美を追い求めるあまり、完成できなかった作品ばかり……」


 俺の予想に反し、しおりちゃんは静かに説明文を読み上げた。


「美を追い求めた結果、完成しなかった……未完成の美」


 彼女の目は真剣だった。

 その眼差しは、美の向上を志し始めたばかりの、かつての俺とまったく同じだった。


 なぜだ?

 彼女のように完成された存在が、なぜ未完成に心を寄せる?


「意外だな。しおりちゃん、こういうのに興味あるのか?」


「え?」


「サキュバスにとって、未完成の美なんて無意味じゃないのか?」


「……っ!」


 指先がかすかに震えたのを、俺は見逃さなかった。


「サキュバスは、生まれ持った美で人を惚れさせる種族だろ? わざわざ追い求める必要なんてない。すでに完成されてるんだから」


「……ええ、私もそう思っていました」


 しおりちゃんは目を伏せ、小さく笑った。


「生まれ持った美だけが至高で、それ以外の美しさは偽り。それが、サキュバスに共通する揺るぎない価値観です。未完成な存在がどれだけ努力しても、最初から完成されていない時点で、価値がないとされているのです」


「でも、君はその価値観に疑問を覚えたんじゃないか?」


 初めて会ったとき。初デート。再会したあの日。

 彼女はいつもすっぴんだった。


 だが——今日の彼女は違う。


 化粧をしていた。

 最初は、ただ美しいと思った。

 だが今になって、その行為自体に引っかかりを感じる。

 化粧によって、しおりちゃんの美はより際立っていた。

 けれどそれはもう、天然由来の美とは言えない。

 サキュバスの美学に反する行為だ。

 それなのに、なぜ?


「その通りです。今の私は、サキュバスの価値観に逆らっています。こんなこと、他のサキュバスに知られたら……私は、どうなってしまうか」


 しおりちゃんの声は震えていた。

 その表情には怯えが滲んでいる。

 サキュバスとしての誇りと、個人としての想い。

 その狭間で揺れているのが、はっきりと伝わってきた。


「そこまでして、なぜ? 俺を落とすためだけに、そんなリスクを冒す必要はないだろ」


 俺はそう問いかけながら、彼女の真意を探るように視線を向けた。

 彼女は何を捨てて、何を手に入れようとしているのか。

 それが、俺にはまだわからなかった。


「それでも、私は——」


 しおりちゃんの唇が、わずかに震えた。


 ——その時だった。


 静寂を引き裂くように、低く唸る音が響いた。


 ゴゴゴ……ッ!


 展示室が異様な振動を始める。


「なっ……!?」


「……ッ!?」


 壁の展示物が揺れ、天井の照明が明滅する。

 足元から広がる不可解な魔力が、空間全体を歪ませていく。


「先輩……これは……」


 しおりちゃんが俺の腕を掴む。


「……おい、なんだこれは?」


 周囲を見渡す暇もなく、足元が突然、沈み込んだ。


「——ッ!?」


 強烈な浮遊感と共に、俺たちは闇の中へと引き込まれていく。


 次の瞬間——


 美術館ではない、どこか知らない場所へと転送されていた。



お忙しい中、ここまで読んでいただきありがとうございます。

もし面白いと思っていただけましたら、評価やブックマークを頂けますと励みになります。

 何卒、よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ