しおりちゃん視点のハンサム
あの男と花火大会へ行き、素顔を見てしまって以来、しおりの頭の中は彼で埋め尽くされていた。
夢にまで彼が出てくるようになった。
しかも、あらゆるシチュエーションで。
サキュバスの夫として隣に立ち、共に帝国を統治している夢。
普通のカップルのように仲良く食事をし、デートを楽しむ夢。
遺跡の奥深く、二人きりの空間に酔いしれ、甘く濃密な時間を過ごす夢。
極めつけは、お花畑の中で彼の顔だけが浮かび上がり、しおりを追いかけてくるという謎の夢だった。
あれはさすがに怖かった。
それでも、夢から覚めたときの胸の高鳴りは心地よかった。
ドクンドクンと穏やかなリズムを刻む鼓動が、どこかくすぐったい感覚を残していた。
朝のビューティフルチェックでも、異変は続いていた。
しおりには毎朝、鏡を覗き込み、自分の完璧な美貌を確認する習慣がある。
それはサキュバスとしての誇りであり、存在意義そのものだった。
今日も鏡の中には、変わらず美しい自分が映っている――はずだった。
なのに、しおりの目には彼の顔が浮かぶ。
彫刻のように整った鼻筋、吸い込まれそうな瞳、甘く形の良い唇。
あの夜見たあの顔が、頭から離れない。
サキュバスは、この世で最も美しい存在であるべきなのに、その定義すら覆すかのようにあの整ったハンサムフェイスが私の脳内でこだましていた。
このままではいけない。
しおりは何度も自分にそう言い聞かせた。
サキュバスは、美の象徴。
誰よりも美しく、誰よりも人を魅了する存在。
これまでも、しおりは多くの生物を魅了し、崇められてきた。
歯向かうものも中にはいたが、サキュバスの圧倒的な戦闘力で返り討ちにした後で命を取り込み、己の糧にしてきた。
そうすることで、サキュバスの美は保たれてきたのだ。
だから、彼も例外ではない。
しおりにとって、彼はあくまでも「餌」だ。
サキュバスの美しさを引き立てるための、ただの贄に過ぎない。
そのためには、まず完膚なきまでに彼を魅了し、心を支配しなければならない。
もちろん、力ずくで命を吸い取ることもできる。
けれど、そんな方法はサキュバスの誇りが許さない。
きちんとしたデートを行い、甘い言葉で彼を蕩かせて完璧に堕とした上で、その美しい魂をいただく。
それが、サキュバスの矜持というものだ。
だから、しおりは彼の教室の前で待ち伏せし、堂々と宣言した。
「私ともう一度デートをしましょう」
彼は覆面越しにしおりを見つめ、何の躊躇もなく答えた。
「その必要はない」
即答だった。
「……は?」
思わず聞き返してしまう。
まさか断られるなんて思ってもいなかった。
こんな可愛い女の子が直々にデートに誘っているというのに、普通なら即答でOKするのが当然では?
彼はしおりの反応を気にする素振りもなく、無造作に覆面に手をかけた。
――ダメ。
とっさに、しおりは人間離れした速度で彼の腕を掴んでいた。
またあの顔を見てしまったら、今必死に装っている平静が崩れてしまう。
それに、誘いを断られたこと自体が腹立たしかった。
こんなに可愛い私を無視するなんて、一体どういうつもりなの?
しかし、ここで感情をあらわにするのは得策ではない。
彼を意識していると悟られるのは、絶対に避けなければならない。
しおりは冷静を装い、余裕の笑みを浮かべると、涼やかな声で言葉を紡いだ。
「貴方に拒否権はないわ」
彼が不服そうに口を開く前に、さらに言葉を重ねる。
「もし断れば、貴方も、貴方が大切にしているガールフレンドも、全員私が抹殺してあげる」
それでも彼は僅かに躊躇したようだったが、最終的には小さくため息をつき、渋々ながら頷いた。
「……仕方ない。今回だけだぞ」
その返答に、しおりは密かに喜びを噛み締めた。
それなサキュバスとしての誇りを取り戻すための戦いができる事に対して喜んだのか、それとも気になる男の子ともう一度遊べることへの期待なのか。
どちらなのかは、自分でもわからなかった。
「デートは今週末にしましょう。楽しみにしているわ、先輩」
踵を返し、歩き出す。
けれど、ふと周囲に視線を向けた瞬間、しおりの動きが止まった。
女子たちが、うっとりとした表情で半寒を見つめていたのだ。
「……なに、これ。」
廊下にいる生徒だけではない。
教室の中にいる女子たちまでもが彼に熱視線を送っている。
彼を狙っているのは、しおりだけではなかった。
可愛さで比べるなら、しおりが圧倒的だ。
周りの女子生徒など相手にもならない。
けれど、他の女が半寒に近づくことを考えるだけで、胸の奥がチクリと痛む。
「私の獲物に手を出させるわけにはいかないわね」
しおりは振り返り、さらりと言い放った。
「その間は、他のガールフレンドとは仲良くしないでね?」
これで、さすがに他の女と話すことはないはず。
……そう考えていたが、その見通しは甘かった。
ホームルームが終わると、半寒はすでに女子たちに囲まれていた。
連絡先を交換してほしいという声が次々と飛び交っている。
「ちょっと、他の女と話すなって言ったはずなんだけど!」
しおりは即座に魔法でスマートフォンを生成すると、彼のもとへ駆け寄った。
「半寒先輩! 私とも連絡先を交換しましょうよ! ちなみに、ここ電波悪いですよ! おすすめのスポットがあります!」
彼の腕を引き、人気の少ない場所へ連れ去る。こうすれば、邪魔は入らない。
「これで交換できましたね!」
無邪気な笑顔を向ける。これで、彼の関心は自分に向いたはず……
「ああ。ありがとう」
そう答えると、彼はすぐに女子たちのもとへ戻っていった。
「え!? なんで??」
この可愛い私が最高の笑顔を見せたのに、どうして他の女のもとへ行くのよ?
やっぱり、彼は普通ではない。
そう思わずにはいられなかった。
しおりは呆然と半寒の背中を見つめた。
先ほどまで手の中にいた獲物が、まるで何事もなかったかのように他の女子たちへ戻っていく。
ありえない。
しおりが微笑めば、どんな男も跪くのが当然のはず。
この世で最も美しい存在であるサキュバスの、無邪気を装った笑顔に耐えられるはずがない。
なのに、彼は、あっさりと離れていった。
「……納得いかないわね」
目の前で繰り広げられる光景は、しおりにとって不可解極まりなかった。
彼は、ただのファンの女の子たちに対しても分け隔てなく接し、求められれば優しく微笑み、気さくに応じている。
そして極めつけは、校庭での出来事だった。
昼休み、しおりは何気なく半寒の様子を見ていた。
すると、ファンの一人が「今日は誕生日なんです」と言い出し、突然「バースデーソングを歌ってほしい」とお願いしていた。
当然のことながら、しおりは「そんな無茶な」と心の中で思った。
だが、次の瞬間。
「いいぞ。ただし、ちょっと待て」
半寒は真剣な顔をして軽く咳払いし、「んっ、んっ」と喉を整えた。
さらに「あーあー」と声を出し、念入りに音程をチェックし始める。
……何をしているの?
……何で彼は、たかが、バースデイソングの為に、音程を仕上げようとしているの?
しおりが呆れている間に、彼は堂々と歌い出した。
「ハッピーバースデートゥーユ〜」
その瞬間、周囲の女子たちの目が一斉に輝く。
まるでステージ上のアイドルを見るかのような眼差し。
ただ誕生日を祝うためだけに、彼は全力を注いでいた。
しかも、その表情は紳士的で、どこまでも自然体。
サキュバスは「魅了するため」に美しさを使うが、彼は違った。
彼は、ただ「目の前の相手を喜ばせるため」に、自分の美しさを惜しみなく使っていた。
意味が分からない。
しおりには、その考えがどうしても理解できなかった。
サキュバスは、美しさで相手を支配する。
サキュバスにとって、美貌とは武器であり、絶対的な力だ。
それを誇示し、相手を従わせ、支配するために使う。
なのに、彼は。
彼は、支配するどころか、その美しさで他人を幸せにしようとしている。
損得抜きで、ただファンのために歌い、笑顔を向ける。
求められれば、誠実に応じる。
それが彼にとっての「美しさ」なのか?
しおりは、自分でも気づかぬうちに、彼の歌声に合わせて口を開いていた。
「ハッピーバースデートゥーユ〜」
「……え、急にデュエット?」
気づいたときには、彼と一緒にハモっていた。
ファンの子が驚いたように目を瞬かせ、周囲の生徒たちがざわめく。
けれど、しおりは気にしなかった。
むしろ、彼の声に自分の声を重ねることが、どうしようもなく心地よかった。
その後、しおりはしばらく半寒の行動を観察し続けた。
次第に、彼のある特徴に気がつく。
「先輩、負けると分かっている勝負にすら、迷いなく身を投じてる……」
昼休みの終わり頃、彼が不良たちに絡まれている場面に出くわした。
いつも通りモテすぎたせいで、嫉妬した不良たちが彼を体育館裏へと連れ出そうとしていた。
普通なら、そこで逃げるはずだった。
しかし、彼は「逃げたらお前のファンを標的にする」と言われた瞬間、諦めたように足を止めた。
「……仕方ない。俺が相手するしかないか」
何を言っているの?
しおりは思わず口を押さえた。
この男は、サキュバスすら魅了する圧倒的な美貌を持っているのに、どうしてそんな無茶なことを?
不良の暴力など、しおりにとってはどうでもいい。
けれど、ファンを守るために無抵抗のまま殴られるつもりなのか?
普通なら、「守られる側」にいるべき者が、なぜ犠牲になろうとする?
サキュバスの世界では、美しい者は守られるべき存在だ。
彼のように、美しさにすべての価値が集約された男ならなおさら、戦うのは配下の役目。
美しき者は、守られ、崇拝されるべきなのに。
それが、しおりの中に根付いた価値観だった。
なのに彼は、自らを盾にし、ファンを守ろうとしていた。
この行動の意味を、しおりはどうしても理解できなかった。
だから、考えるよりも先に動いていた。
不良が拳を振り上げた瞬間、しおりは静かに一歩前へ踏み出す。
次の瞬間、不良の一人が吹き飛んだ。
「……あら? 何をしているのかしら?」
背後から差し込む陽射しが、しおりの黒髪を紅く照らしていた。
琥珀色の瞳に、不機嫌そうな光を宿しながら、不良たちを見下ろす。
「私の獲物に、手を出すつもり?」
冷え切った声に、不良たちは全員震え上がった。
その後、彼らがどうなったのかは、詳しく語る必要はないだろう。
とにかく、不良たちは戦意を完全に喪失し、逃げるようにその場を後にした。
半寒は、腕を組みながら小さく息を吐いた。
「助かったよ」
「先輩ったら、もう少し気をつけてくださいね?」
しおりは優雅に微笑みながら、彼の腕に自然と抱きついた。
この笑顔は、自分のプライドをかけたサキュバスの色仕掛けなのか。
それとも、彼を手に入れたいという、もっと単純な感情なのか。
どちらなのか、自分でも分からないまま。
ただ一つ、はっきりしていることがあった。
――彼は、私のもの。
絶対に、逃がさない。
半寒池麺という男は不思議な人間だ。
しおりは心の底からそう思う。
私にはない魅力を沢山持っている。
だからこそ、私の物にしたい。
支配したいと強く感じた。
しおりには想像もできない価値観も、サキュバスすら嫉妬してしまう巨大な美しさも全て命ごと吸い取り、自分の糧となった時
私はどれだけ美しくなれるだろうか。




