耳鳴りでしょうか?
少しで良いの。
もしそれが見えたなら嫉妬と言う名の心の箱に感情と言う感情を拾い集めて蓋をして、深い泉に沈めましょう。
私の中の深い泉に。
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頭の中を同じ曲が流れる。
繰り返し繰り返し。
私の大好きだった曲、胸躍る思い出とあなたの眩しい笑顔がセットになって。
大切に積み上げてきた今迄は。
崩れる刻は一瞬で、お願いだからその曲で踊るのは止めて。
また頭の中を繰り返す、振り払う為に頭を激しく振る。
耳鳴りでしょうか、耳鳴りでしょうか。
蹲った私を両親が抱きしめる。
「やはりまだ無理だったんだ、早々に帰ろう」
私は社交界で今、最も惨めな女性として人の口に上っている。
噂好きで無責任な子雀はあちこちで……。
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私が仲の良かった婚約者を取られたのは丁度二ヶ月前、その半年前から異変は始まった。
幼い時から婚約者として仲良く過ごしてきたノアが急によそよそしくなった時から嫌な予感がしていた。
「何でもお好きな女性がお出来になったとか」
親切ぶって大して仲の良くもないクラスメイトから言われても信じる訳にはいかなかった。
彼の性格ならハッキリと私に言うでしょうから。
今まで隠し事のなかった二人の間で初めての違和感、すれ違い。
わざと会わないようにしているのか姿を見かけることが少なくなってきた。
いつも探していた、彼の姿を……彼の残した痕跡を。
でも信じていた、今迄共に過ごして来た信頼と言う名の確かな時間を。
愛されていたと信じたい、確かにそこにあった愛情が急激に冷めて行くのを目の当たりにして私の中の何かが壊れた。
でも心配しないで大丈夫。
これは親同士が決めた婚約、また長い時間を掛けて取り戻して行くのだと信じていた。
いえ、信じさせて欲しかった。
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もう戻らない時間を振り返りながら探す惨めな自分がいる。
またあの曲が流れる、耳鳴りでしょうか。
「 それで医者は何と言っているんだ」
遠征で留守にしていた父が尋ねる声がする。
あぁ、お父様やっと帰って来て下さったのね。
もっと居て手を握って欲しいのに母と共に部屋を出て行く。
私はまた深い眠りに引きずり込まれる。
「頭の中を同じ曲が繰り返し流れて頭がおかしくなりそうと訴えているそうです」
「それは頭がおかしくなった、狂ったと言う事なのか?」
「心に深い傷を残したのは確かだそうです、どこか落ち着いた環境で静養を勧められました」
「そうか、私があの男を信頼したが故。クッ、大事な娘にあやつがやったことは決して忘れん」
「可哀想な私の娘……」
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それからの事はよく覚えていない。
気が付いたら修道院に居て神に祈る静かな生活をして過ごした。
心がゆっくり癒えていってもう辛い事も全て過去となり消え去った。
そうして院長先生が半年経ちました、もう大丈夫でしょうと太鼓判を押されて私は両親の待つ屋敷へと帰って来た。
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戻って来た私に両親は勿論、屋敷のみんなもそして心配で駆け付けてくれた友人達もとても喜んでくれた。
そして生活もようやく落ち着き私は復学に向けて準備を始めた。
休学して随分時間が経ってしまった。
その日は図書館へと借り受けた本を返しに訪れていた。
「サーシャ、サーシャじゃないか」
誰かが私を呼んだ気がした。
「元気になって戻って来たんだ、良かった心配し……」
見回しましたが気の所為でした、また少し耳鳴りがします。
不快なノイズ、また帰ったらお薬を飲みましょう。
抱えていた本をトントンと揃えて大事に抱え直し出口に向かって進んだ。
久し振りに見たサーシャは前より落ち着きを纏い清廉な美しい大人の女性になっていた。
真面目な彼女らしく本を大事そうに抱えてゆっくりと歩いていた。
とても気になっていた、自分でも何故あんな事が出来たのか信じられない。
一時の感情に惑わされてサーシャを捨てた。
でもそれも間違いであったと気が付いた、彼女を探した。
人伝てに彼女が修道院にいることを知った、後悔した。
でも次に会えたら許しを貰ってもう一度……そう思っていた、先程までは。
彼女は呼び掛けに答えなかった、まだ怒っているのだろうか?
でも諦めない、また会えたなら絶対に許してもらおう。
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そしてその機会は再び訪れた。
友人に囲まれてお茶を楽しむ彼女を見つけた。
他人が居るのが少々都合が悪いが思い切って声を掛ける。
「サーシャ、久し振り。この前図書館に居たよね、声を掛けたんだけど……」
目を上げてこちらを見たのは友人達だけだった。
サーシャは何故か耳を触りながら首を傾げている。
「サーシャ」
彼女の目に映りたくてもう一度強く言う。
友人の一人が声を上げようとして別の友人に止められて黙り込んだ。
周りは固唾を呑んで成り行きを見守っている。
「サーシャ」
すると彼女は友人達に言った。
「先日からまた時々耳鳴りがするの」
「どんな耳鳴りなの?」
「雑音、ノイズみたいな感じ。またお薬を飲まなくっちゃ」
そこに自分は映っていなかった。
ノイズ……彼女の心にはもう届かないのだと何故か理解した。
直ぐに知り合いの医者に相談に行った。
後悔していた、あっさり彼女を切り捨てた不誠実だった自分を見つめて。
諦めの悪いことは充分自分でも分かっていた。
でも知りたかった、彼女の心の中を。
そして知った、彼女の心から僕の存在が全て無くなってしまったと。
彼女の声が聞こえる様な気がした。
耳鳴りでしょうか、耳鳴りでしょうか。
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