第0部 1章 1節 3話
ふと、輸送機と並走しているエアバイクに気付く。
ウルスは窓の外のエアバイクのドライバーと
ヘルメット越しではあったが目が合った。
顔は見えない。
だが、エアバイクのドライバーは片手を挙げ、
ウルスに挨拶をした気がした。
直後、轟音と共に振動がワルワラガイドを襲う。
ウルスはとっさに妹を庇うように身を乗り出した。
ダイナ少佐のアナウンスが機内に響く。
「エアバイク。乗り込んで来ます!」
先ほどの衝撃は、機体に穴を空けられたのであろう。
ダイナの報告は、その穴から輸送機に侵入してくる事を
示唆していた。
輸送機へ空中で乗り込んでくるような芸当は、
訓練された軍の兵士でも難しい。
よほどの相手だとブレイク伯は覚悟した。
そして、そのような相手であれば、
王子と王女がこの輸送機に搭乗しているのも
知っているのであろう。
だから乗り込んでくるのである。
軍の輸送機に金品など積んではいないのだから、
何か理由がなければ突入などしてくるはずもない。
伯爵は、携帯していた銃を取り出す。
暫くするとワルワラガイドは安定を取り戻し、機内は静かになったが、
張り詰めた緊張感が周囲を満たしていた。
そこに、声が聞こえてきた。
「死人は出したくないし、双方どちらかに死者が出れば、
輸送機を撃墜するように言ってある。
わかるな?大人しくしとけ!と言っている。」
女性の声だった。勿論、セリアではない。
彼女が言い終えると同時に、野球ボール大の鉄の塊が、
ブレイク伯の目の前に投じられ、それは軽く爆発し、
大量の煙を吐き出した。
視界が煙で覆われ、微かに人影が複数、ウルスらのいる部屋に
入ってきたのを感じる。
ブレイク伯は、動かなかった。
この時点で打てる手など何もないように感じられたからである。
視界の煙は急速に晴れ上がる。
そしてウルスらの目の前に、見知らぬ人影があった。
侵入者は顔を隠すヘルメットを取り、長い髪の毛をあらわにする。
端正な顔立ちの女性だった。歳は20歳前後というところか。
やや釣り目気味で、勝気そうな性格が伺える以外は、
美人の部類であろう。
ウルスは一瞬、彼女に目を奪われた。
「賢明な判断、恐れ入ります。
・・・ブレイク伯爵でございますね?」
名を呼ばれた伯爵は、銃を降ろした。
既に4人、いや、5人ほどに囲まれている事を察したからである。
彼らは物陰に隠れてはいたが、気配は消していなかった。
ウルスらが包囲されていることを自覚できるようにである。
観念したブレイク伯は、無礼な侵入者の彼女に目を向ける。
「私のことを知っているということは、
計画された犯行ということか。」
ブレイクは舌打ちする。
「で、君たちの要望はなんだ?
王子・王女を誘拐し、身代金を要求とかいう
低俗な計画ではあるまい?」
身代金誘拐は成功率が低い犯罪である。
まず、一般的に金の受け渡しが難しい。
誘拐された被害者は、犯人の顔を見ている事が多いので、
生きて解放されるとは限らない。
従って、身代金を用意するほうは、
確実に人質の生還を望む。
被害者が王族ともあれば、それはもっと顕著になるだろう。
もちろん、人質が無事に解放されたならば、身代金を払う道理はない。
誘拐犯罪が成立するためには、犯人と被害者側に、
信頼関係が生まれていないと、成立しないのである。
「金を払えば解放してくれる」と
被害者側が信じることがなければ、成立はしないのである。
ましてや王家。
金も払いました、王子王女も生きて帰ってきませんでした。
それでは、国民の信頼が失墜してしまう。
それよりも、王子王女の命は犠牲になりましたが、
テロリズムには屈しませんでした。
という決断をする可能性のほうが高くなるのである。
結局、誘拐という犯罪が成功する確率は0%に近くなる。
つまり、誘拐という犯罪は成功しない部類の犯罪なのである。
これは、この時代の一般的な共通認識であり、
輸送機に空中から乗り込んでくるような芸当を披露する
腕利きの彼らが、そんな事も知らないとは思えなかったのである。
「ふふ。」
問われた彼女は笑った。
「一週間ぐらい、我々と行動を共にしていただきたいのですよ。
王子と王女に。」
屈託のない笑顔である。
「選択権はありません。まずは、この機を降りていただきます。」
彼女の合図と同時に、周囲に潜んでいたテロリストたちが、
一斉に姿を見せた。
全員で5人。
いずれも鍛え抜かれた身体をしているのがわかる。
「本来は王子だけでいいのですが、保険です。
王女も同行を願います。
あと…。」
ウルスに一瞥したあと、ブレイク伯を再度、彼女は見た。
「責任者であるブレイク伯も同行されたほうがよろしいかと。
ここで貴方だけが帰還しては、罪に問われるだけでしょう。
王子たちと一緒に生還すれば、被害者の1人として、
責任問題は減刑されるかも知れませんから。」
侵入者はブレイクを見ながら再び笑った。
意地が悪い笑顔だった。
もちろん、ブレイク伯爵としても、王子らだけ連れて行かれるわけにはいかず、
自分も連れて行けと要求するつもりだった。
「当たり前だ。王子らの身の安全は私が守る。
同行することに異論はない!」
「では、こちらへ。」
ブレイクが言い終えると同時に、彼女は自分達が侵入してきた通路に
3人をエスコートする。
「王子…。」
ブレイクはウルスを見た。
ウルスがどこまで状況を把握しているのかを確認するためだったが、
妹を抱きかかえた王子は、侵入者の彼女をじっと見つめたままだった。
「王子っ!?」
ブレイクの声に、ウルスは我にかえる。
そして、困ったような表情と、仕方ないというような表情で
ブレイクに応えた。
「うん。わかった。彼女らに付いていけばいいのだろう?
セリアも、大丈夫だよね?」
胸に抱きかかえた妹にウルスは視線を落とす。
釣られてブレイクもセリアを見た。
2人の予想に反して、セリアは至って平気な顔をしていた。
セリアはまだ8歳。どこまで状況を把握しているかは、
ブレイクにもウルスにもわからなかったが、
彼女は怯えた様子もなく、取り乱す感じもなく、
曇りの無い金色の瞳で、ウルスを見つめていたのである。
実際のところ、彼女は驚いていた。
だがそれは、侵入者に襲われたからではない。
兄が侵入者の彼女に見蕩れているようであった事に気付き、
そちらのほうが気になっていたのである。
そんな兄を見るのは初めてだったからである。
従って、セリアの反応は淡々としたものだった。
「メイザー公の招待が、お姉ちゃんの招待に変わっただけでしょう?
大差ありませんわ。」
一瞬、セリアの反応に驚いたウルスであったが、
メイザー公爵が、テロリストと同等に扱われている事に
気付き、ぷっ!と笑った。
「ええ、さすが王女さま。
あのゲス野郎なメイザーの招待よりも、
私どもの招待のほうが、魅力的というものです。」
ハイジャック犯は、愉快に笑う。
ブレイクは彼女の無礼をたしなめようとしたが、
テロリストにそれは無駄な行為だと自覚し、発言を下げた。
その様子に気付いた彼女は、またしても意地悪な笑顔で
再度、3人を誘導する。
「さ、こちらへ。」
ウルスは椅子から立ち上がると、ブレイク伯を見て
大きく頷いた。
それは、ハイジャック犯の言うとおりに行動するという意思表示であったが、
ブレイク伯爵にも、同じように行動することを要求した合図でもある。
ブレイクは未だ動揺を隠せなかったが、この若い王子は
腹を括っていた。
だからこそ、ブレイクに合図を返したのである。
これは本人はおろか、ブレイク伯も気付いていなかったが、
ウルスが王族として、初めて他人に指図したものであった。