第52話 OMNIBUS STAR〜透明だった世界①花、太陽、雨
今回から始まる"透明だった世界"編では、これまで物語の裏で暗躍してきたあの人が語り部を務めることになります。
彼はなにを思い、何のために動いているのか。
『星巡る人』の根幹を成すお話のひとつを、どうかお楽しみ頂けたら幸いです。
それでは次回でまたお会いできますよう。
ーーーボクの生きる世界はいつも、只々空虚な透明の中にあった。
この宇宙の全ては無意味で、価値のない、色褪せたものだと……そう思い込んでいた。
あの日、キミに出逢うまでは。
イドラーーーキミが、乾いたボクの世界に輝きをくれたんだ。
星巡る人
第52話 OMNIBUS STAR〜透明だった世界①花、太陽、雨
ーーーゲニウス族。
銀河に蔓延る邪悪を祓い、この宇宙に生きる命を守護せし光の使者。弱き者を助け、平和を乱す者を裁く正義の番人ーーーそれが、"高エネルギー生命体"の通称で広く知られるボク達の本当の名だ。
なぜ本来の名で呼ばれないのかはボクには分からないし、今更知ろうとも思わない。
大切なのは彼らが遥か太古の時代よりこの宇宙の平和を守り続けているという事実だけだ。
彼らは皆一様に、持って生まれた超能力と強靭な肉体を駆使して今日も宇宙各地で戦い続けているーーーごく一部のーーー極めて稀なーーー唯一とも言える例外を除いてーーーまぁ、つまりはそれこそがボクであるわけなのだが。
ボクは彼らと同じ種族でありながら、彼らのような超越者としての能力の一切を持たない。
それが何故かは最早どうでもいいことだ。理由を探ったところで今更意味などありはしない。
肝心なのはボクが無能の出来損ないで、その上ーーーそうであるにも関わらずーーー種族の長としての立場があるということだろう。
ボクたちゲニウス族は遥かな大昔よりある種の血族型精神体としてのコミュニティを成している。
戦士として生まれたものは次の世代においても戦士であり、幾世代を経ようともそれが変わることもない。つまりーーーボクは運の悪いことにこの種族の長としての命を授かってしまったというわけだ。
これがどれだけ居心地の悪いことか、分かってもらえるだろうか。
ボクは負の意思ーーー知的生命体の抱く憎しみや妬み、恨みなどの感情を司る概念だーーーを祓うという己が種族の使命を果たせないばかりか、出来損ないの身でありながら数多の同胞たちに指令を下さねばならない立場にあるのだ。
まぁ、だからといって悪口や陰口のような下等で卑劣な行為がコミュニティ内で行われているわけではない。ボク達ゲニウス族は知的生命体の抱く喜怒哀楽の感情を司る、負の意思の対極たる概念、正の意思を母体とした謂わば分身であり、それ故に殆ど全ての個体が高潔で、純真無垢なーーーある意味おめでたいとさえ言える程にお人好しなーーー精神を持ち合わせているからだ。
彼らからしてもボクは特異で理解し難い存在であることに間違いはないが、だからと言って疎むような理由にはならなかったらしい。
全員が、まるで疑うことなくボクを長として認識し、何もできないボクの指示を心から待ち望んでいたーーーそれがボクにとってなによりも辛いことだと、誰一人知りもせず。
ボクが全てを投げ出してゲニウス族の本拠地から出奔し、こんな辺境の惑星にいるのはそうした理由からだ。
ーーーここは銀河の外れにある惑星RA-8。
宇宙中から流れ着いた数多のゴミやガラクタで構成された掃き溜めのようなこの星は、情緒ばかりが肥大化したボクという存在とよく似ていてとても心が安らいだ。
特にこの堆く積み上がった屑の山ーーーさながら小高い丘のようだーーーの上からは、薄汚い茶色の空と地平線の彼方まで続く色とりどりの大地、そしてその中を当てもなく彷徨う難民や必死の形相でゴミを漁る貧困者、ひっそりと隠れ忍んでいるらしいお尋ね者等々……自分と同じ宇宙のはみ出し者たちを一望できてなんとも気分が良かった。
誰と関わることもなく、煩わされることもない。他者との関係を断絶したここは自分自身の無能さ、劣等感から目を逸らすことのできるボクだけのお気に入りの場所だった。
ーーーそう、その時までは。
「ね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
いつものようにゴミ山の上に腰掛けていたボクの背中にかけられた、よく通る声。
「無視しないでよ。アンタよ、アンタ。聞こえてるんでしょ?」
少し高飛車な印象を受けるその主は、ボクの背後に降り立った年端もいかない少女から発せられたものだった。
「何の用?」
「聞きたいことがあるって言ったわ」
ボクを見下ろすその気の強そうな表情と肩まで伸びた黒い髪が、降り注ぐ太陽の光を浴びて淡く煌めき、やたらと眩しく見えてーーーボクはその端正な顔を直視できず目を逸らす。
「アタシは銀河刑事警察機構のイドラ・イドル。今ちょっと星間指名手配犯を追っててね」
ーーーあぁ、銀河刑事警察機構か。通りで最新鋭の装備を身に纏っている筈だ。
「この惑星に逃げ込んだって情報か入ったのよーーーほら、コイツなんだけど、アンタ知らない?」
そう言って手にしたデバイスから宙に投影された立体映像に、なにやら青白く輝く不定形なゼリー状の生き物が蠢く様子が映し出された。
「アストロベム……これまでに5つの星を滅ぼした凶悪犯なの。周囲の無機物と一体化して自己進化と増殖を繰り返す厄介な奴よ。アンタ、高エネルギー生命体の人よね。こんなところにいるんだから、アンタもコイツを追ってきたんでしょ?」
期待に満ちた彼女の言葉に、ボクは首を横に振って答えた。
「そんな奴知らないし、興味もないよ。ボクには関係のない話だ」
落胆の色を浮かばせる彼女を直視できないまま、冷たく突き放す。
「あぁ、そう。邪魔して悪かったわね」
どうやらボクの言い方が気に障ったらしい。負けじ劣らぬ素っ気なさでそう言い放つと、彼女は両脚に装着したブースターを起動させてゴミの彼方へと飛び去って行った。
ーーーなんだったんだ、全く……。
まさかここに人が来るとはーーーそもそも人と話した事自体が久しぶり過ぎて、正直まだ動揺を隠しきれないでいる。
しかも厄介な事に、なんとか頭から振り払おうとしてもすぐに鮮明な記憶として蘇ってくるのだ。
『アンタ、高エネルギー生命体の人よね』
ーーーあぁ、やめてくれ。ボクをその種族で括るんじゃない。ボクはそう名乗れるようなものを何ひとつ持ち合わせていないんだ。
頭の中に木霊する彼女の言葉を振り払おうと彼方へ視線を向けたーーーその時、突如として光が爆ぜた。
ーーーッ!?
直後、ボクの目に飛び込んできたのはゴミの中より上体を起こし、天を仰いで咆哮する巨大な怪物の姿だった。
ーーー何だあいつは……!
よく見ると怪物の身体は周囲に散乱するガラクタで構成されており、その奥からはまるで心臓のように脈動する青白い光が煌々と漏れ出ている。
恐らくはあの光が中心核なのだろうーーーそう察するも、だからと言ってボクにできることなどなにもない。
吼え猛るゴミの獣はその巨躯で手当たり次第に周囲を薙ぎ払い、蹴散らし、蹂躙する。
突然の不条理の前に成す術もなく、逃げ惑う人々の姿がボクの視界に焼き付くがーーー。
ーーー考えるな。
ボクにできることなんてなにもありはしない。
なんの力もないボクが行ったところで、精々数秒の時間を稼ぐのが精一杯……無駄死にするだけじゃあないか。
さぁ、早く目を逸らせ。
なにも見なかったフリをしてここから逃げるんだ。
今なら、まだーーー。
しかしボクはそうすることができなかった。
惨劇の場に一筋の流星が切り込んできたからだ。
「ヤァアアアアッ!!」
空の彼方より飛来し、怪物の顔面に強烈な蹴りを打ち込む黒い髪の少女ーーーイドラ・イドル。
「さあ、早く逃げて!」
軽やかに反転して着地し、ゴミの塊の注意を引きながらホルスターから銃を引き抜く。
「ようやく会えたわね。あんたのこと、探してたのよ」
言うや否や跳躍し、怪物を見下ろしながら彼女は叫んだ。
「星間指名手配犯、液状寄生生命体アストロベム……さぁ、大人しくお罠に着きなさいッ!!」
瞬間、撃ち出された無数のプラズマの弾丸が標的の巨体を射抜く。
しかしそれらは表面のゴミを消し飛ばすばかりで、一向にその奥に潜む中心核に届きはしない。それどころか奴は即座に周囲から材料を収集し、自らの補強を行っているーーーキリがないとは正にこの事だろう。
どうやら彼女もそれを理解したらしく、我武者羅に振り上げられた腕を紙一重で躱すと同時に銃をホルスターに収め、俊敏な動きで空中を滑り降りる。
そしてなんと信じられないことに、丸腰のままゴミの怪物と向き合い、剰え挑発するかのように不敵な笑みを浮かべたではないか。
ーーーな、なにを……!?
けたたましく嘶き、苛立ちも露わに繰り出される怪物の拳が無防備な彼女に迫るーーー刹那、彼女が徐に突き出したか細い腕の先で、天を衝く巨体がまるで紙屑の如く宙を舞った。
ーーーあれは……!
地響きと共に瓦礫に沈む怪物。
怒り狂いながら再度腕を振り上げーーーまたも軽々と投げ飛ばされる。
ーーー昔記録映像で見た覚えがある……間違いない、あれは宇宙の各地に伝わる古武術のひとつだ。
何流、だとか詳しいことは忘れてしまったが、彼女もそのどれかの使い手であったらしい。余裕綽々な態度からは、彼女がかなりの手練れであることが窺えた。
そんなことを考えている間にもアストロベムは幾度となく地面を転がり、その度に外装となったガラクタがぼろぼろと剥がれ落ちる。
悲鳴にも似た絶叫が轟き、やがて分厚い体表の奥から青白く輝く核が僅かに露出したーーー瞬間、突如として怪物の全身から無数のゴミが射出され、さながら誘導弾と化して銀河刑事警察機構の女捜査員へと降り注いだ。
「ッ!」
彼女の反応は早かった。両脚のブースターを咄嗟に起動させ、横っ飛びで辛うじて躱し切る。
しかしそれはゴミの怪物の読み通りであったようでーーー着地のタイミングを狙って長くしなやかな尻尾が空を切り、鞭の如く彼女の足を掬った。
声を上げる間もなく倒れた彼女の眼前に、鋭利な銛状に収束した怪物の腕が迫る。ドリルのように高速回転する先端が今まさに彼女を穿たんと突きつけられたーーーその時、考えるより先に身体が動いていた。
ーーー危ないっ!!
ゴミ山を蹴りつけ、宙へと飛び出す。
落ちこぼれに唯一与えられた飛行能力で、音を追い越し、光よりも速く。
全てがスローモーションめいて流れていく景色の中、果たしてボクは戦いの場へと駆けつけた。
「アンタ、さっきの……!」
空を駆ける勢いのまま、半ば体当たりする形で彼女と共に倒れ込む。直後、振り下ろされた怪物の腕が、今しがたまで彼女のいたその場所を刺し貫いた。
「あれは……」
「自己進化してるのよ。アイツはああやって星ごとに身体を新調して、適応していくの。最後には惑星を貫通するような兵器だって撃ち出せるようになるわ」
早口で告げられた彼女の言葉に嘘がなかったことを、ボクはその僅か数秒後に思い知ることとなった。アストロベムがこちらに照準を合わせ、大きく開いた口腔から赤黒い光学兵器を放ったのだ。
間一髪でボクたちを掠め、通り過ぎる一筋の光芒。そらはゴミの堆積した大地を、小高い山を次々と切り裂き、豪火に沈めていく。
連鎖して巻き起こる爆発の中、最早ボクたちなど歯牙にも掛けずに大暴れしている怪物をチラリと見遣り、彼女が神妙な顔でボクへと向き直った。
「……奴を止めるなら今しかないわ。アンタ、手伝って」
一片の揺るぎもないその瞳にボクを映してーーー「そのつもりで来てくれたんでしょ?」。
その時、ボクは猛烈に後悔していた。
ーーーあぁ、どうやらボクはとんでもないことに首を突っ込んでしまったらしい。
第一、ボクなんかに何が出来るというのだろう。
ゲニウス族としての能力など皆無に等しいと言うのにーーー刹那、ボクは気づいたのだ。
ゴミを押し固めたかのように複雑に組み合ったアストロベムの背面が、時折ボロボロと崩れていることに。
急激な自己進化に素材となっているこの星のガラクタが耐えられず、結合部が弱まっているのではないかーーーボクがそう告げると彼女は指をパチンと鳴らし、勝機とばかりにニヤリと笑うと同時に躊躇うことなく飛び出した。
小柄なシルエットが軽やかに舞い上がるや否や、ポケットから取り出した手のひら大の爆弾を投げつける。それは過たず怪物の後頭部に炸裂し、小規模な爆発と共に砕けたゴミを辺りに散らした。
怒り狂って振り仰ぐアストロベム。しかしその時、彼女は既に巨体の背後、剥き出しになった本体に向けて銃口を突きつけていたーーー!
「獲った……!!」
二発のプラズマの弾丸が怪物の核を撃ち抜いた瞬間、全身を構成していたガラクタは元の形を取り戻し、暴虐の限りを尽くした巨大な体躯はかくも脆く崩れ落ちた。
しばしの轟音と地響きの後、やがて普段と何ら変わらぬ静寂がこの惑星に訪れる。
やれやれーーー溜息と共に早々に立ち去ろうとしたボクを引き留めたのは、やはり彼女であった。
「アンタがいなかったら、きっと仕留められなかったわ。本当にありがとう」
右手に掴んだ電磁牢網をまるで戦利品のように掲げ、彼女が澄んだ瞳でそう告げる。
「それはどうも。ボクはなんにもしてないけど」
電磁牢網の中で僅かに蠢く青白い怪物をちらりと見遣り、ボクは務めて素っ気なく答えた。
とにかく早く1人になりたかった。これ以上彼女と関わっていると、自分の中のなにかが崩れてしまいそうだ。
……が、当然彼女はそんなボクの気持ちなど知る由もなくーーー。
「"人に助けられたら必ず恩を返しなさい。それがどんなに小さなことでも、助けてくれた人の力になりなさい"。良い言葉でしょ。アタシの座右の銘なのよ」
まさか、と嫌な予感が胸をよぎる。
数秒後、それは見事に的中した。
「コイツを本部まで届けたら、またちゃんとお礼しに来るから。アンタ、逃げないでよ?」
そう言って飛び立ってーーーふと、何かを思い出したかのように踵を返す。
「そうだ。まだアンタの名前、聞いてなかったわね。高エネルギー生命体の人なのだけは分かるんだけど」
ボクは観念し、随分と久方ぶりに自分の名を口にした。
「……オルト。オルト・ブノワ」
ーーーこうして、ボクとイドラは出逢った。
「ふぅん、じゃあアンタは別に理由あってここにいるわけじゃないのね」
数日後、イドラは宣言通りこの星へと戻ってきた。
「いいから、もうボクを放っておいてくれないか」
「そんなのダメよ。アタシはアンタにお礼する為に来てるんだから」
ーーーだったらボクをひとりにしてほしい所なのだが。
そう思ったが、言うだけ無駄だと諦めた。恐らく彼女は自分が満足するまで一方的な善意の押し付けをやめたりはしないだろう。
深くため息を吐いたボクを端正な顔が無邪気に覗く。
すらりと通った鼻筋、翡翠色のどんぐり眼、艶やかな黒髪……目を惹かれる程の美少女とは彼女のことを指すのだろうーーー尤も、エネルギーの分割により単体で分身を成すボクたちゲニウス族が劣情を催すことなど有り得ないのだがーーーこの美貌と勝ち気な性格なら、きっと如何なる集団の中にあっても円滑なコミュニティを築くことができるに違いない。
ボクとは正反対だ……生きる世界が違う。
「ね、何かないの?聞きたいこととかでも良いのよ?」
ーーーそんなものはない。というより、お喋りな彼女が自分のことを話し続けているせいで、めぼしい疑問は粗方片付いてしまった。
例えばアストロベムとの戦いで彼女が披露したのは彼女の家伝でもある天宙古武術"羅睺流"だとか、高飛車な話し方は負けず嫌いな性格に由来するものだとかだ。
正直、興味などなかった。
知ったところで、或いは教えたところで何になるというのか。彼女がボクに構うのは一過性のものだーーー能力も持たないゲニウス族など、なんの価値もない存在なのだから。
「無視しないで、ねぇ。いい加減こっち向きなさいよ」
「どうしてボクに付き纏うんだ。ボクはキミにお礼されるようなことなんてなにもしてないじゃないか」
「助けてもらったわ」
「助けたつもりもないし、そもそもあんなのは助けたなんて言わない」
それでも尚しつこく食い下がる彼女に対し、ボクはとうとう憤りを抑えきれなくなりーーー。
「ボクはキミの知ってるような高エネルギー生命体としての能力なんて何ひとつ持っちゃいない。だからあの怪物を倒すこともできなかった!ほら、これで満足か。分かったならとっととボクの前から消えてくれ!」
溢れ出す劣等感のままに思いの丈を吐き出し、すぐに後悔する。
口にした言葉がそのまま自分への情けなさとなって心に刺さる。己がいかに何も為せない存在であるかなど、もう嫌というほど思い知っていた筈だったのにーーー……。
「それでも、アタシがアンタに救われたことに変わりはないわ。アンタがどう思っていようとね」
はっとして顔を上げると、目の前の黒髪の少女は柔らかな表情でボクを見つめていた。
「能力なんてなくたって、何もできないって分かっていたってーーーそれでもあの時、アンタはアタシの所に来てくれた。それが何より嬉しかったの」
その瞬間ーーー自分でも余りにも、呆れる程に単純だとは分かりつつもーーーボクの心は暖かな光に包まれた。
「……実を言うとね、アタシ、アンタに頼みがあるの」
そして知ったのだ。
ボクが本当に求めていたのは現実逃避の為の孤独などではない。ボクはただ、誰かに必要とされたかっただけなのだ、と。
「ねぇーーーアタシと組んでくれない?」
今、ボクは生まれて初めて自分の存在意義を認め、肯定して貰えたと真に思えた。
「アタシもね、アンタと同じなの。落ちこぼれなのよ。ひとりじゃ何をやってもうまくいかなくて……あのアストロベムだって、アタシが取り逃がしたせいで被害が広がったーーー」
自分からすればほんのひと時を生きるに過ぎない
か弱く儚い少女に、ボクは救われたのだ。
「ーーーでもふたりなら、もしかしたらうまくいくかもしれない。あの時確信したの。アンタとなら、きっと……ねぇお願い。アタシに、力を貸して」
そんなボクが、真摯に懇願する彼女の言葉を無碍にできる筈もなくーーー。
「決まりね!さぁ、早速本部にいきましょ!」
そう言って足取りも軽く宙へと舞い上がるイドラの背を見遣りーーーどこか悪くない、不思議な気分でーーーボクもまた、彼女の後を追って飛び立った。
それからの日々は、まるで夢を見ているかのようだった。
ボクとイドラは宇宙全土を駆け巡り、その先々で数えきれないほどの任務をこなしていった。
ボクの観察眼と、イドラの身体能力。
彼女の言った通り、ボクらの力が合わさればどんな事件も造作もなく解決できた。
もちろん全てが一筋縄でいくはずもなかったがーーー犯罪者を追って嵐吹き荒ぶ黄金の星や溶岩に埋め尽くされた原始の惑星を訪れ、時には反政府組織と熾烈な戦いを繰り広げることもあったーーーだけどそれでも、ボクにとってそんな日々が幸せだった。
何もかもが楽しかった。
目に映る世界の全てが輝いて見えた。
ボクは彼女と共に過ごすこの時の為に生まれてきたのだと、そう信じて疑わなかった。
だがある日ーーーあまりにも唐突に、あまりにも呆気なくーーーイドラは死んだ。
件のアストロベムの護送中、反政府組織の襲撃を受けて宇宙船が大破したのだ。
船の残骸に寄生し、新たな身体を得て暴れ回るアストロベム。
爆発の弾みで船外へと吹き飛ばされたボクが見たのは、怪物を構成するパーツに挟まれ身動きが取れなくなった彼女の姿だった。
「いや……助けて!助けて……オルーーー!!」
言葉はそこで断末魔の絶叫へと変わり、直後、イドラだったそれはすり潰された肉片となって辺り一面に飛び散った。
ボクはそれを、ただ呆然と見ていた。
混乱する思考が、目の前の光景を拒否していた。
信じられなかった。
信じたくなかった。
どうして、どうして、どうしてーーー?
怒り狂った怪物の尻尾に薙ぎ払われ、更に放たれた赤黒い光学兵器がボクの肩を貫く。
傷口から血飛沫の如く光粒子が吹き出したが、そんなのはもうどうでも良かった。
ボクの命なんかよりも何倍も、何百倍も貴重で尊いその命。その笑顔。その温もり。
それが今、目の前で呆気なく消え去ってしまった。
涙は出なかった。
ただどうしようもない喪失感が、心にポッカリと穴を空けていた。
アストロベムと銀河刑事警察機構と反政府組織の三つ巴の激戦を尻目に、ボクはただ、無限の虚無たる宇宙空間を当て所なく漂っていた。
ーーーイドラ……。
ボクの頭の中を彼女の笑顔が、彼女と過ごした日々が、矢継ぎ早に駆け巡っていく。
ーーー死ぬべきだったのは彼女じゃない……無力で情けないボクの方だ。
初めてボクを必要としてくれた人。
ボクに生きる意味をくれた人。
フラッシュバックする記憶はやがて彼女の最期の瞬間へと移り変わりーーー耳の奥に消えないその悲鳴が木霊した瞬間、ボクは暗闇に沈んだ己が心の中から、どろりとした怒りと憎しみが込み上げて来るのをハッキリと感じた。
全てが許せなかった。何もかも……自分自身でさえもーーー。
そして同時に気づいたのだ。自分の手足に未だ嘗てない程の力が満ち溢れていることに。
ーーー壊してやる……イドラのいない宇宙なんて……!!
情動のままに、心を染め上げる黒い感情を解き放つ。それは眩く悍ましい紺碧の光となってボクの胸から迸った。
ーーーあぁ、そうか。
この力はずっとボクの中にあったんだ。
だからボクはーーー。
青き輝きは怪物を呑み込み、瞬く間に拡大していく。反政府組織の宇宙船も、銀河刑事警察機構も、周囲の星々も、過たずその光に溶け、跡形もなく消え去った。
やがて視界に映る一切が染め上げられーーー
突き抜けるような浮遊感の中、ボクの脳裏にはいつか一緒に見た景色がーーーもう戻らない日々がーーーただただ虚しく広がっていた。
花、太陽、雨。
花、太陽、雨。
花、太陽、雨……。
「ね、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
聞き慣れた声にハッと我に帰り、弾かれたように振り向く。
そこにいたのはーーー。
「無視しないでよ。アンタよ、アンタ。聞こえてるんでしょ?」
絶句するボクを真っ直ぐ見据え、"彼女"は相変わらずの高飛車なーーー二度と聞けないと思っていた、最早懐かしささえ感じるその声ーーー様子で小首を傾げた。
「ーーーイドラ……!?」
彼女が、生きている。
ついさっき、ボクの目の前で死んだ筈の彼女が今、目の前に。
世界がいつの間にか元の形を取り戻していることも、ボクが惑星RA-8のあのゴミ屑の山上にいることも……それに比べたら全てが些細なことだった。
これじゃまるであの日のーーーボク達が出会ったあの時のようだーーーいや、まさか、そんなことがーーー?
ボクの頭に浮かぶたったひとつの可能性。
朧げながらも揺るぎない確信に、ボクは目を見開いた。
ーーー時間が、遡行している……!?
「やむを得ん……君を排除する」
「アンタ一体……?」
「ボクにとって、キミが全てなんだ!!」
次回、星巡る人
第53話 OMNIBUS STAR〜透明だった世界②君だけを守りたい




