第51話 OMNIBUS STAR〜もしも宇宙に愛がなければ
幻だよと、笑われたって構わないよ
そんな51話。
『星巡る人』第2.5部、OMNIBUS STAR編の開幕です。
各々の視点から描かれる物語たち。
その中で彼らは何を思い、何を為すべく動くのか。
第二部の補完であり第三部への布石ともなる全10話、お楽しみいただけると幸いです。
それではまた次回でお会いできますよう。
果てしなく続く荒野を、行く宛もなくひとり流離う。
ーーー何故、と問われても困るのう。
目的なぞない。ただ歩いておるだけじゃ。
もうどれくらいこうしているのか……随分と長い間ーーー何万年も経ったようにも、まだ数分しか経っていないようにも思えてしまうがーーーいや、考えたところで意味のないことじゃろう。
なぜならこの場所は『今』であり『過去』であり、そして『未来』でもあるのじゃから。
ーーーここは宇宙の狭間。
時間の概念すらない永遠の虚無。
とこしえの闇に横たわる無限の超空間。
……などと抽象的なことを言うても分かる筈もなかろうの。どれ、少し詳しく説明するとしよう。
数多の恒星や銀河を形成する宇宙という存在は、空間という広大な『海』の中に浮かぶ小さな『泡』に過ぎず、独立した無数のその『泡』の中には、またそれぞれ別の宇宙が内包されておるーーーそしてこの『泡』はほんの些細な出来事によって際限なく分裂、膨張し、類似した可能性の宇宙を増やし続けていくのじゃ。
その『泡』と『泡』に跨って存在するある種の中継地点にも似た"歪み"、それこそがこの場所であり、そうした性質からここはーーーとりわけこの浮遊大陸はーーーありとあらゆる宇宙の過去、現在、未来を問わず、そこに生きる無数の物語たちの通過点となっておる。
例えばある宇宙では、死の商人たる財団とそれを取り締まる銀河連合との戦いの様子が。
またある宇宙では劣等感と絶望から銀河を滅ぼす選択をした者の様子が。
無限に等しいそれらはーーーほれ、見上げると分かるじゃろうーーー禍々しい光の渦巻く空の其処彼処にあるあの"裂け目"から其々に覗いておる。
その中でも一際目を引くのは、わしの生きておった宇宙の、遥か未来の世界かのぅーーー。
『今ここに宣言する。
ーーーこの宇宙は、俺のモノだ……!!』
あの"裂け目"の奥で生きる彼は、かつてわしの友人だった男じゃ。
ラスタ・オンブラー。
彼はもはや救いの及ばぬ存在となってしもうた。
そしてその原因は、他でもないわしにある。
ちと長い昔話になるじゃろうがーーーおっと、自己紹介がまだじゃったの。
わしの名はデナリ。
デナリ・ブノワーーー大昔、宇宙正義と言う組織を創設し、銀河の英雄と呼ばれたーーーただの無能じゃ。
星巡る人
第51話 OMNIBUS STAR〜もしも宇宙に愛がなければ
ーーーゲニウス。
それが"高エネルギー生命体"と呼ばれる我々の種族の本当の名じゃ。
宇宙創生の遥か昔、使命を帯びて数多の『泡』へと遣わされた大いなる"正の意思"の分体。
それぞれの宇宙に根ざし、何億年という時の揺り籠の中、そこに芽生え育まれる生命を見守る光の守護者。
全ての宇宙に蔓延る負の意思ーーー恨みや憎しみ、絶望や恐怖、人々の心を蝕む形を持たぬ悪意ーーーを監視し、時に祓うことで、"正の感情"と"負の感情"という必要不可欠なふたつの概念のバランスを保つことを使命としておる。
我々は放出した己のエネルギーを形とすることで自分たちもまた分身たる"子"を為し、それぞれの『泡』内にある種の血族型精神体としてのコミュニティを築いて負の意思とーーーそれに侵された者たちとーーー日夜戦いを続けておった。
じゃがそうした些細を知っておった者は殆どおらなんだーーーこの宇宙に築かれたコミュニティ、その最初の長より連綿と紡がれてきた"子"であり、若輩者でありながらも先代から引き継ぐ形で種族の長を務めておったわしくらいじゃったかもしれぬ。
限りなく不死に近いものの、それでも悠久の時を経ていく中で緩やかに世代は移り、我らの使命は徐々に"力をもって人を助ける"ことへと形を変えていったのじゃ。
そうしていつしか自らの種族名すら曖昧となりーーー人々は多くを語らぬ我らを"高エネルギー生命体"と呼ぶようになったのじゃろう。
正直な話、わしはそれでいいと思っておった。
種族の名など些細なことだ。執着するようなものではない。わしらにとって重要なのは使命を果たすことだけだ、との。
ーーーさて、その当時、この宇宙には負の意思が溢れ、絶えることのない戦乱の焔が銀河を包み込んでおった。
数多の星々による遊星間侵略戦争が同時多発的に勃発し、宇宙全土を群雄が割拠、世界は正に"戦国時代"と言うべき混乱の渦中にあったのじゃ。
そうした中において我々は、力なき者たちを守るべく銀河を奔走する日々を送っておった。
巻き込まれた人々を保護し、両星軍から武器を奪い、一時的に戦争を止める。それでは根本的な解決には至らないことは勿論分かってはいたのじゃがーーーだからといって我々が一方的に力を振るう訳にはいかんかった。
もし仮に戦争を止めることが出来たとしても、それでは果てなき殺戮を繰り返す愚かな独裁者となんら変わりないからの。
我々は戦争には参加せぬ。
怨嗟という負の意思を残さぬ為に、宇宙の平和そのものには干渉しないのが我々の掟だったのじゃ。
ーーーそれでも、もどかしい思いがなかったと言えば嘘になるのう。
住む家を失くし絶望する人々、親を亡くした子供たち、時には救った筈の者たちが数日後、新たな戦いに巻き込まれて命を落としたことも……。
遣る瀬無さが心を苛んだ事も、焦燥感に駆り立てられた事も、一度や二度ではなかった。
例え万能の力を持っていたとしても、我々は決して神ではないーーー宇宙を覆う途方もない悪意を前に、わしはどうしようもないほど無力だったのじゃ。
ーーー彼に出会ったのは丁度それくらいの頃だったじゃろうか。
アンドロメダ星系にかつて存在した惑星XQ人の生き残りである彼は、自らの感情エネルギーを光の粒子として放出し、脳波でそれを時に武器に、時に防具へと自在に変化させる能力を用いて戦地で人助けを行なっておった。
見返りを求めることも、恩を着せるわけでもない。彼は純粋な善意で自らの命を懸け、危機に瀕した人々を救っておったのじゃ。
その行動に、わしは深く感銘を受けたーーーこれこそが"愛"だ、との。
ーーー愛。
暗闇に瞬く希望の光。
永久に宇宙を巡る栄光の煌めき。
他人を思い遣り、信じ合うことで生まれる、この宇宙で最も強い"繋がりの力"。
力を持ちながらも手をこまねいていただけのわしなどよりもずっと、彼はそれを体現していると思えたのじゃ。
彼が廃星Cの一部を開拓し、帰る場所を失った難民たちを匿っていると知った時、わしは躊躇うことなく協力させて欲しいと頼んでおった。
その穢れなき魂、崇高な精神にこそ己が力を貸すべきだとーーーいや、むしろこの力を使って欲しいとさえーーー確信したのじゃ。
彼ーーーラスタ・オンブラーはわしの申し出を快く受け入れ、そうして新しい日々が始まった……。
わしが力を行使して敵を食い止め、その間にオンブラーが光の粒子で人々を包み、保護する。
わしらの連携は日を増すごとに洗練されていき、それに比例して救える命もまた、その数を格段に増やしていった。
皆で力を合わせ、徐々に拡大されていった廃星Cの開拓地はやがてひとつの集落と呼べるほどの規模となり、そこに暮らす子供たちにも少しずつ笑顔が戻り始めておった。
しかしの、宇宙全土で巻き起こる戦争は止まることを知らず、遂には廃星Cの周辺にも及ぶようになってしもうた。
わしは廃星全体にバリアを張り巡らし、周辺で争う者たちが手出しできないよう強固な守りを築いたのじゃ。常時展開し続けることへの消耗こそ激しかったものの、この程度で彼らに安全な居場所を与えられるのなら安いものだと思っておったよ。躊躇うことなどありはせんかった。
そうした情勢じゃから、オンブラーが力を求め始めたのもごく自然のことだったのじゃ。
彼は救助活動の合間を縫って、宇宙に伝わる"光の予言"を追うようになった。
『天より降り注ぐ光を掴みし選ばれし者が、歓びの剣を手に宇宙を覆う大いなる闇を切り払うであろう』
もしかしたら聞いたことがあるかも知れんの。
その伝説はわしも勿論知っていたーーーいや、実を言えばその時既に心当たりがあったのじゃ。
その数日前、銀河の外側に四つの凄まじいエネルギー反応が通り過ぎるのを察知しておったからの。わしは、そのどれかが予言の"光"なのではないかと推察していたのじゃ。
少しでもデナリと共に戦える力が欲しいーーーわしは、照れ臭そうにそう語るオンブラーの心に応えたかった。
しかし……光を得たのはーーー得てしまったのはーーー他でもないわしだったのじゃ。
ある夜、その光はバリアに干渉することなく廃星Cに入り込み、真昼と見紛うほどの輝きを放ちながら真っ直ぐわしらの元へと飛来した。そしてそのままオンブラーの手をすり抜けーーー迷う事なくわしの胸の中に消えたのじゃ。
そしてその瞬間、わしは全てを理解した。
この"心星の光"そのものが持ち主を選ぶのではない。持ち主となる人物は初めから大いなる正の意思によって定められているのだ、と。
そうして幾つもの宇宙を遥かに超えて、これまでも、そしてこれからも、正の意思の分身たるこの光は受け継がれていくーーー不安定に揺めきながら無数に存在する未来、その中にあるただひとつの道へと全ての生命を導くために。
その行き着く先こそが"正"と"負"の調和が保たれたあるべき宇宙の姿なのじゃろうーーーしかしわしは、心苦しさから失意の底にあるオンブラーにそれを告げることができんかった。
ーーーそうして無敵に等しい存在となっても、わしたちのすべき事は変わりはせんかったよ。
無闇に力を使うのではなく、また少し遠くまで届くようになった手で、助けを求める人々を救い続けたのじゃ。
確かに心星の光は強大な力をわしに授けた。
オンブラーの言う通り、これさえあれば宇宙の争いを全て終わらせる事もできたじゃろう。
……結果的に、より多くの命が救われたのかもしれん。
しかしの、わしはそれを頑なに拒否し続けたのじゃ。
力で押さえつけた平和などまやかしに過ぎない。
人から人へと連鎖し、限りなく増大していく負の意思に対抗しうる唯一の手段、それは圧倒的な暴力ではなく、赦し認め合い、思い遣るーーーそうした永久普遍的な他者への愛なのじゃ。
……それが綺麗事であると知りながらも、それでも尚、わしはそう信じておった。
そしていつしかそれはわし自身の揺るぎない信念となっていったのじゃ。
ーーーこの時、もしわしが気づくことができておったら、未来は変わっておったかもしれん。
悔やんでも悔やみきれぬ……愚かにもわしは、宇宙という余りにも広い命を見渡す内につい見落としてしもうたのじゃーーーすぐ側にいた友人の心を蝕んでいた、負の意思の存在を。
忌まわしいあの日……決別の時は唐突に訪れた。
忘れもせぬ、あれはQQ星での戦いの最中じゃった。
その星の中央国家は資源や労働力を求める他星の者たちによって今まさに攻め落とされんとしておった。理不尽に襲われたQQ星は勿論、戦争での優位をとるべく相手も必死であったのじゃろう。居城を守る決死の防衛戦はそのまま泥沼と化していった。
明らかな侵略ではあるものの、生存を賭けた戦いである以上どちらか一方に肩入れするわけにもいかぬ。
わしらは戦火に巻き込まれ、拉致されかけた力を持たぬ者たちを救う事に注力しておったよ。
しかしーーー異変が起きたのはその時じゃ。
突如としてわしの身体から殆どのエネルギーが失われ、立つ事すら儘ならぬ状況へと陥ってしもうた。
わしはすぐに理解したよ……廃星Cを覆うバリアが破られたのだと。
あり得ないことじゃったーーーあれにはわしの力の八割以上が費やされておった。並大抵の者には破る事などできる筈がなかったのじゃ。
わしは辛うじて体勢を立て直し、オンブラーにそれを伝えた。
彼は躊躇うことなく廃星Cへと飛び立ったよ……しかしわしは、目の前で苦しむ者たちを見捨てる事などできはせんかった。わしはオンブラーを追随せず、QQ星に留まって戦いを続けたよ。
そして自分に言い聞かせたのじゃーーーオンブラーが向かったのだから大丈夫だと。
ーーーおぉ、すまんのう。つい言葉に詰まってしもうた……先を話すとしようかの。
残されたエネルギーを限界まで絞り出し、辛うじて人々を守り抜いた頃には、もう随分と時間が経ってしまっておった。
侵略者を退け、一先ずの平和が訪れたQQ星を直ぐに発ったものの、わしは既に満身創痍じゃった。空間転移も使えぬほどに……今となっては言い訳にしかならんがの。
それでも全速力で宇宙を駆け、漸く廃星Cに辿り着いた時ーーーその時には既に、全てが終わった後じゃった。
燃え盛る集落、血だまりの池と夥しい亡骸の山、そしてその中央に呆然と立つオンブラーの姿……わしは、取り返しのつかない失敗をしてしもうたのじゃ。
『……なぜだ。なぜ、お前が光に選ばれたんだ。
その力があれば、この子たちは死なずに済んだ。
その力があれば、この宇宙を制圧して戦争をなくすことだって出来た!
俺に……俺にその光の力があれば……!!』
そう叫ぶ彼の瞳には溢れんばかりの負の意思が宿っておった。全身から放つのはもはや高潔な光の粒子などではなく、どす黒く蠢く憎悪の闇じゃ。
『愛だの夢だの希望だの……くだらねえ。お前の理想が、お前の正義が、なにを守れた?……はっ、なにも守れてねぇよなぁ!?
所詮そんなものはまやかしだ。青臭い綺麗事にすぎないんだよ』
……わしはオンブラーのその言葉になにひとつとして返すこともできず、さりとてエネルギーの足りない体では去りゆく彼を止める事も出来んかった。
『ーーーあばよ、正義の味方』
こうしてわしとオンブラーは袂を分かつこととなったのじゃ。
途方もない失望感を抱えながら同胞たちの元へと戻ったわしは、これまで以上に戦地を飛び回るようになっておった。己のことなど顧みず、力の限り、傷つこうとも……人々を救い続けることだけが償いだと思うておったのじゃ。
……今にして思えば、ただ気を紛らわせたいだけじゃったのかもしれぬ。
わしの心には常に拭いきれない罪悪感が蔓延っておったよ。
それから少しして、ある話を聞くようになった。
風のように戦場に現れては圧倒的な力で戦争を終わらせる男がいる、との。
たったひとりでその場の軍隊を見境なく叩き伏せ、跡形もなく壊滅させるそやつが悍ましい黒き光を纏っておったともーーーわしはそれがオンブラーのことだとすぐに確信したよ。
しかしわしはその時、彼に対する後ろめたさから動くことを躊躇し、同胞たちに命じてしもうたのじゃ……偵察のみに留めよと。
わしの考えのなんと浅はかな事か。
……やがてオンブラーは制圧した星々を束ね、銀河帝国なる組織を築きおった。そして自らを銀河皇帝とし、幾千もの兵と機械の怪物を従え、勢力を拡大すべく多くの星々に侵略の手を伸ばし始めたのじゃ。
彼の指示か、それとも末端の行動かは知れぬが……それにより、宇宙全土は無差別な破壊と殺戮によって支配されかねん状況であった。
もはや目を背けることはできぬ。
しかし総攻撃を仕掛ける前に、少し時間が欲しいーーーわしは同胞たちを説き伏せ、ひとりオンブラーの元へと向かったのじゃ。
……黄金の極光が空に紗幕を下ろす荒野の惑星で、わしはオンブラーと久方ぶりの再会を果たした。
瞳に宿る負の意思はより禍々しく、見た目も随分と醜悪に変わり果てておったよ……彼はわしに言うたーーー『いずれ銀河帝国はこの宇宙の全てを支配する。そして俺の統治の下で、争いのない永遠の平和が訪れるんだ。いま起きている混乱は、その過程で生まれる必要な犠牲に過ぎない』と。
それに賛同することなど、わしに出来る筈なかろうて。
必要な犠牲などあってはならぬ……わしとオンブラーはその場で激しくぶつかり合った。互いに一歩も譲らぬ戦いの最中、わしはこの宇宙に生きる全ての命の為にーーー自らの使命を果たす為にーーーかつての友人を手にかけることをようやく決意したのじゃ。
……結論だけ話せば、そこで決着はつかなんだ。
自らの光の中から伝説に記された歓びの剣を掴み取り、辛くもその場を退けたものの……わしの心が晴れ渡ることはなかった。
剣を手にした瞬間、わしは断片的に未来を見通す能力を得ーーーそして知ってしもうたのじゃ。
……これから長く苦しい戦いの時代が始まるということを。
帝国軍は機械の怪物ーーー機兵獣を尖兵として宇宙全土に放っておった。
数億、数十億……それ以上だったのかも知れぬ。無限に生産されるそやつらによって蹂躙された星々には阿鼻叫喚の地獄が広がり、抵抗の末に滅び去った星も一つや二つではない。
我々の種族はいくつかの討伐隊に分かれ、生まれ持った強大な力を駆使して帝国軍を各個撃破することとした。
それによって数え切れぬ程の命を救いもしたが……救いきれなんだ命もまた、数え切れぬ程ある。
わしはNM78星雲にある古くからの我らの拠点、浮遊島を解放し、帰る場所を失った難民たちを受け入れることとしたのじゃ……今となっては、廃星Cの惨劇を二度と起こさぬようにとの戒めの意味も兼ねておったようにも思える。
それが正しいことであったかは未だに分からぬがーーー結果的に浮遊島は難民たちや救われた多くの星々の団結の場となり、我らの種族を中心にやがてひとつの大きな組織と相成った。
その名は"宇宙正義"ーーー宇宙を統べるのは正義であると、わしが名付けたのじゃ。
……此の期に及んでも尚、わしが己の理想を捨てられずにおったことが分かるであろう。現実をいくら目の当たりにしようと、わしの信念が揺らぐことはなかった……いや、もはや縋っておったと言うても良い。宇宙を愛が救うのだと、そう思わねば戦うことも儘ならぬ程にの。
ーーー情けない話じゃが、どれだけ強大な力を持とうとわしは、悩みも迷いもある、どこまでも脆弱で不安定なーーー詰まるところ、平凡な人間だったのじゃ。
……戦いはそれから三十年に渡って続いた。
わしらの寿命から鑑みれば余りにも短くーーー同時に余りにも果てしなく、苦しみに満ちた時間であった。
宇宙正義は徐々に勢力を拡大し、やがて帝国と銀河を二分する大組織となって日々宇宙各地で戦い続けておったーーー尤も、それは殆ど泥沼……終わりなき兵器開発の末の消耗戦のようなものであったのじゃが。
その戦いの中でわしは多くの名を得たーーー"銀河の救世主"、"光に選ばれし者"、"正義の英雄"……なんのことはない。どれもこれも、わしには過ぎた名前じゃ。
わしは決してそんな大それた存在などではない……この戦争を起こすきっかけを作り、組織を扇動して大勢の人間の命を奪った、ただの人殺しに過ぎぬ。
わしはその罪を背負い、それでも尚戦うことを覚悟した……戦争を終わらせることだけが死者に報い、罪を償う唯一の手段であると。
ーーーそれが血で血を洗う情勢に更に輪をかける結果となると分かりつつも、それでも最早止まることなどできる筈もなかったのじゃ。
……そんなわしの説く愛という言葉のなんと虚しいことか。
わしの理想は空虚で無意味なーーー蜃気楼の如き幻にすぎんかった。
事実、ともに戦う宇宙正義の仲間たちや同盟星、果ては同じ高エネルギー生命体の者ですら、その言葉を本心で信じてはおらんかったことじゃろう。
それが決定的となったのはーーーそう、この戦争の終わりの始まりとなった、あの事件がきっかけじゃった……。
惑星GHにて無惨な遺骸となって発見された宇宙正義所属のイドラ・イドル。彼女の傷口からは高純度のエネルギー反応が検出され、その記憶映像には我らの種族の特徴でもある瞳の輝きを持つ何者かが映っておった。
それが高エネルギー生命体であることは疑いようがなく、同時に我らの組織内に拭い去れない不信感が芽生えてしもうたのじゃ。
『信頼なくして愛はない。互いに繋がりあうことこそが我々の力だ。いついかなる時でもそれを忘れてはいかんよ』
その言葉がまるで響いておらんことを知りながらも、わしは皆にそう言い聞かせるのが精一杯じゃった。
何よりわし自身が、共に戦う仲間を疑いとうなかったのじゃ。
もちろん、本当に裏切り者がおるのであれば己の手で討つつもりであった。しかしこの時わしはある可能性を考えておったのじゃ。
……負の意思じゃよ。
わしはこの宇宙におる同族は全員把握しておったが、記憶映像の中の其奴はその誰とも一致せぬ全く未知のゲニウス族であった。
そこでひとつの仮説を立てたーーー宇宙の外側に無数に存在するとされる可能性の宇宙、そのいずれかで負の意思に憑かれたゲニウス族が、この宇宙に紛れ込んでおるのではないか、との。
そして調べるうちにわしは、宇宙正義内を既に途轍もない程の負の感情が蝕んでおることを悟ったのじゃ。
……当然じゃろう。人が人を殺すことを、そう簡単に割り切れる筈もなかろうて。ましてやそれが何十年も続いておるのじゃ。人の心に生まれる闇の大きさは計り知れぬ。
負の意思はーーーいや、"負の意思を宿した何者か"はそこを的確に突いたのじゃ。戦争に乗じて密かに、そして確実に忍び寄り、宇宙正義の内部に疑惑と不信を撒き散らしておった。
……わしの討つべき『ただひとりの裏切り者』など、もうおりはせんかったのじゃ。其奴は人知れず外部より入り込み、皆の心の隙間に蔓延ったーーーわしの相対すべきは己が身中の……"宇宙正義"の名を隠れ蓑とした新たな勢力だったのじゃからのう。
それに気づいた時には、もう物理的な手段で負の意思を払い除けることは限りなく不可能であろうと言わざるを得んかった。わしの持つ力は限りなく無力であり、心を侵された彼ら自身が自らの意思で乗り越える他ない……だからこそ、わしは仲間たちを信じ、言い続けたのじゃーーー手を取り合い、団結せよ。今こそ"愛"が必要なのだ、と。
……時を同じくして、戦局にも大きな動きがあった。ある作戦の最中、帝国に囚われておった正の意思の分身たる星宿の地図を保護することができたのじゃ。
彼女の話は、わしにとって実に多くの有益な情報をもたらしてくれたーーー心星の光を含めた"正の意思の分身"とはそもそもなにか、最後のひとつ"星のかけら"がどこにあるのか、三つの分身が揃う時なにが起きるのか……しかし話半ばにして激しい消耗により彼女は力尽きてしもうたのじゃ。負の意思は既にわしらのすぐそばにおると、最後にそう言い残しての。
その一言はわしの焦燥を駆り立てるには充分すぎるほどであった。
もはや帝国を相手に手間取っている場合ではないと明確に示されてしもうたのじゃから。
その一方で"負の意思を宿す者"に扇動された一派が宇宙正義と帝国軍の総力戦を望んでおるであろうことも分かっておった。
彼奴等はその末に消耗し切った勝者を討ち倒し、漁夫の利を得ようとしておったのじゃ。
ーーーそしてそれは、敢えなく現実のものとなってしもうた。
運命か、必然か……その日、帝国軍は全戦力を用いて侵攻を開始した。彼らの本拠地たる惑星大の要塞で、軌道上にある我々の前線基地を滅ぼしながらーーーその目的地が宇宙正義の浮遊島であることは明白じゃった。
この戦いの招く結末も、暗躍する者たちの思惑も……全てを理解しておりながら、わしに退くという選択肢は残されておらなんだ。
我々宇宙正義はM95星を最終防衛ラインとし、全戦力を保って帝国軍を迎え撃ったのじゃ。
そしてーーー多大な犠牲を払いながらも辛うじて我々は勝利を収めた。
わしの一太刀がラスタ・オンブラーを要塞もろとも斬り裂き、帝国軍は壊滅……永きに渡る戦争についに終止符が打たれたのじゃ。
しかし事が起きたのはその直後じゃった。
突如として宇宙正義の仲間たちが反旗を翻し、つい先程まで帝国軍に向けておった兵器と殺意を高エネルギー生命体へと振り翳したのじゃ。
それはーーー全てはわしの甘さ故にーーー起こるべくして起きたと言えるじゃろう。
わしは消耗と混乱から反撃に出られず傷ついていく同胞たちを助けるべく、満身創痍の身体を押して立ち上がった。しかし予想だにしない方向から不意を突かれてしもうたのじゃーーーあろうことか宇宙正義の副司令官であり、わしの右腕として長年共に歩んできたフィネ・アロガントその人にの。
戦闘機に乗っておった筈の彼がいつの間にここへ来たのか……などと今更問う必要はなかった。
彼こそが"負の意思を宿した者"ーーーいや、その言い方には語弊があるのう。本物のフィネ・アロガントはその数日前に既に死んでおったのじゃーーーわしの目の前におった其奴こそが彼を殺し、その姿を借りて成り代わった張本人であった。
ーーー奴の名はオルト。
皮肉な事に、別の宇宙のわし自身じゃった。
わしが光に選ばれたのと同じように、奴は闇に魅入られてしもうたのじゃろう……同じ魂を持ちながらも決して相入れぬ鏡合わせの存在、それこそが宇宙正義を蝕む悪意の根源だったのじゃ。
何ともまぁ、お笑い種じゃのう。元凶はすぐ近くにおったのじゃ……愚かなことに、わしはまたしても大きな問題を見据えるあまり、すぐ目の前の小さな異変を見落としてしもうた……いや、もしかすると見ようともしておらなんだのかもしれぬ。
その数日前、惑星GHよりイドラ・イドルの亡骸と共に帰還したフィネ・アロガントに若干の違和感を覚えていたにも関わらず、わしはそれを真に疑おうとすらせなんだのじゃから。
全ての責任はわしにあり、他の誰でもない、わしだけのものじゃ。
わしが奴に心星の光を奪われたことも、それによって致命傷を負い、呆気なく倒れたこともーーーなにもかも、因果応報じゃろう。
……しかしのぅ、それでもわしは、わしの信念が間違っておったとはこれっぽっちも思ってはおらぬ。
宇宙を遍く照らす光、それはやはり愛なのじゃ。
そしてそれこそが負の意思の企みを挫く唯一にして絶対の力となる……わしは失敗してしもうたがーーーその想いに一片の揺らぎもありはせん。
だからこそ、今もわしは"正の意思の眷属"として、この場所で正と負のバランスを保つべく無数の宇宙を観測しておるのじゃーーーいや、と言うても大したことはしておらぬ。
わしはただ、運命に翻弄される者たちに、ほんの少し、人生の敗北者としてアドバイスをしておるだけじゃよ。
……おぉ、随分と長いこと昔話をしてしもうたの。
この老いぼれの独り言が、どこかの宇宙に生きる誰かに届いておることを、心から祈っておるよ。
ーーーさて、そろそろ幕間の時間じゃ。
わしに客人が来たようなのでの。
「……久しいの、オルト」
「へぇ、気づいてたんだ。流石は元、銀河の英雄さんだね」
嘲笑うような声と共に、あの頃と何ひとつ変わらぬ姿のオルトが現れる。
驚くようなことではない。この瞬間が来ることはずっと前から分かっておったことじゃーーーその目的ものぅ。
「あれからずっとこの辺鄙な場所にいるのかい?ま、何もかも失くしたキミにはお似合いだけど」
煽るようなその言葉を無視して軽く息を吐き、懐から羽根の形をしたガラス細工の如きひとつの光ーーー星宿の地図をオルトに見えるように取り出して見せた。
「お主の目的は、これじゃろう?」
「あぁ、なんだ。話が早いじゃないか。そうさ、ボクはそれを貰いに来たんだ」
浮き立ったような口調ではあるが、その瞳は冷たい煌めきを宿したままわしを見下ろし続けていた。
「でもその前にひとつ教えてよ。少し前に、ここにそれを探す子達が来たはずだ。……ねぇ、キミはどうしてその時に彼らにそれを渡してあげなかったんだい?」
可哀想じゃあないか、と嗤うオルトの背後、空間の裂け目から覗く栗色の髪の少女を見遣りーーー「なんのことはない、まだその時ではなかった。それだけのことじゃよ」。
「へぇ、そっか。それは残念だったね。"その時"が来ることなんてもうないよ。だってそれは今からボクのものになるんだから」
「おぉ、知っておるよ。お主がこの星宿の地図をラスタ・オンブラーに渡すことも、その結果、奴が銀河帝国を再建することもの」
「そこまで分かっているっていうのに、まったく酷い話じゃないか。キミのせいで、これから大勢の人が犠牲になるんだ。お得意の"愛"とやらはどうしたんだい?」
……その通りじゃ。心苦しいものがないと言えば嘘になるーーーしかしーーー全てはあの未来にーーーただひとつの道へと繋げる為にーーー。
「……断言しよう、オルト。お主の望む世界は決して実現せぬ。この無限の宇宙に、愛がある限りの」
次の瞬間、老いさばらえた身体を黒い光が通り過ぎーーーわしは呆気なく地面に崩折れた。
「愛、愛って、馬鹿のひとつ覚えみたいにそればっかりだね。キミが大袈裟に掲げる口だけの理想郷なんて、薄ら寒くて仕方ないよ」
霞む視界に凍てつくような声が降り注ぐ。
「キミには感謝してるんだ。因果を弄ってユミト・エスペラントに歓びの剣が渡るように仕向けてくれただろう?そのおかげで、あの宇宙をボクの願う未来に繋げることができる」
僅かに見えるのは勝ち誇ったようなオルトの顔。その視線の先には、ラスタ・オンブラーと対峙する白銀の戦士のーーー仲間と共に正の意思の力を引き出した若きゲニウス族の姿がーーー。
『君は知らないんだ。力だけじゃない……本当の強さがあることを!!』
『お前の正義の先にあるのは、恐怖と絶望だけだ!!』
薄れゆく意識に彼らの言葉が響く。ふと、わしの心に安堵の念が溢れた。
後悔はしてもし足りぬがーーーわしは、わしの人生に何ら恥じることはない。
たとえどんなに儚く不明瞭であろうとも、わしの信念は燦然と輝く星のように、確かにそこにあるのじゃから。
ーーー彼らなら、きっと、大丈夫じゃろう。
おぉ、うっすらとじゃが、目の前にオルトの腕が見えるのぅ……どうやらわしの息の根を止めるつもりのようじゃ。
こうなることは知っておったが……まさか、こんなに穏やかな気持ちで最期を迎えられるとは、思いもせなんだ。
「サヨナラ、出来損ないのボク」
ーーーまったく、今日は死ぬのにはもってこいの日じゃのぅ。
黒い煌めきが視界を染め上げる寸前、わしはーーー。
ーーー自然と、笑みが溢れた。
Journey gose on…
ボクの目に映る世界は、全てがモノクロだった。
なにもかもが無意味で、価値のないものだと思っていた。
そう、キミに出逢うまではーーー……。
次回、星巡る人
第52話 OMNIBUS STAR〜透明だった世界①花、太陽、雨




