第44話 空想の旅人∞It's Only a Paper Moon
It’s a Barnum and Bailey world
それはバーナムベイリー・サーカスの世界
Just as phony as it can be
限りない作りごと
But it wouldn’t be make-believe
だけど君が僕を信じたら
If you believed in me
人生はにせものなんかじゃない
そんな44話。
これまでの『星巡る人』では、(殆どすべての話において)ひとつの宇宙を舞台に、そこに生きるひとりひとりを主人公と捉えて描写してきました。
ユミト然り、トラン然り、エメラ、ラセスタ、ピエロン田中やトラベ・ラベルト、『コスモスアドベンチャー』『ココロカケル極星』『夢まで走ろう』の面々、ラスタ・オンブラー、果てはモブ同然の一般市民でさえ、それぞれの人生において歴とした主役を張っています。
しかし今回登場するふたりにその前提は当てはまりません。それは彼らはそうした銀河の住人たちとは一線を画す上位の存在だからです。
彼らは登場人物たちが各々に営む人生を"独立した物語"と認識し、縦の世界を渡り歩く『空想の旅人』。限りなくメタフィクション的であり、ある種の舞台装置めいた狂言回しーーー数多の作品群を統括する為に生まれたキャラクターなのです。
今回の話はさしずめ『空想の旅人 第XX話 星巡る人編』と言っても間違いではありません。
いつもと少し違う星巡る人を楽しんで頂けたら嬉しいです。
いつもたくさんの閲覧ありがとうございます。
相変わらずの不定期更新ですが、これからも彼らの旅にどうかお付き合いください。
それではまた次回でお会いできますよう。
「ぐぅううッ!!」
「うあぁあっ!」
地平線の彼方まで等間隔で正方形のマス目が描かれた奇妙な空間に、凪ぎ倒された俺とトラン・アストラの苦悶の声が響く。
「クソ……っ!てめぇ、なにが目的だ!?答えやがれ!!」
俺たちを吹き飛ばした張本人ーーー黒い頭巾を被ったそいつはなにも答えず、ただ不敵に笑うばかりだ。
俺は右肩に受けた攻撃の痕をーーー外傷はないが、その代わりに朧げに掠れて不鮮明な輪郭と化してしまった自らの右肩をーーー見遣り、思わず舌打ちした。
ーーーちくしょう……!!
俺と同様にボヤけた右脚を引き摺りながらも立ち上がるトラン・アストラ、更にはその背後のエメラ・ルリアンと"ラセスタ"から俺へと、まるで品定めするかのように、黒い頭巾がゆっくりと視線を巡らせるーーー。
「ユミトっ!!」
トラン・アストラのその声に咄嗟に横っ飛びして方眼の地面を転がった瞬間、つい今しがた俺のいたその場所に黒頭巾の指先から放たれた光が突き刺さる。
本能が告げる危険信号ーーー俺の背中に冷たい汗が伝い落ちた。
ーーーこいつは……こいつは一体なんなんだ……!?
星巡る人
第44話 空想の旅人∞It's Only a Paper Moon
ーーー話は少し前に遡る。
その日、俺は小さな飛行船の自室に腰掛け、机の上に横たわる錆ついたオンボロの刀刃をじっと眺めながら考えに耽っていた。
ーーー惑星CN、惑星OX、そして先日の惑星U7での一件……その全ての事件においてトラン・アストラは他者と融合を果たし、自らの肉体に強大なまでの力を宿した。
脳裏にフラッシュバックするのは白と紫の装甲服、銀の甲冑、ハットを模した髑髏顔ーーーそしてそうした不可思議な現象の直前、この"歓びの剣"は必ず光を放つのだ。
他でもない俺自身がそれを何度も目撃している。
融合するシステムや理屈は何ひとつ分からないままではあるが、目の前の錆まみれの剣がなんらかの関わりを持っていることはもはや疑いようのない事実ではないか。
もし……もしその力を自在にコントロールできるのならーーー実を言えばつい先ほどまで俺はそれを試していた。
過去三回の状況を統合、整理した末に心星の光、歓びの剣、そして星のかけらの三つが揃っていることがあの現象を発動させる条件なのではないかと推察した俺は、この狭い飛行船の居住スペースにてトラン・アストラに協力を要請したのだ。
エメラ・ルリアンや"ラセスタ"も見守る中、果たして歓びの剣はなんの反応も示さなかった。
トラン・アストラは錆びた剣を頭上に翳してみたり、念を込めてみたり、星のかけらに近づけてみたりと色々試していたもののーーー結果はやはり同様である。
俺は大きく息を吐き出し、おもむろに机上に転がる錆びまみれの柄へと手を伸ばす。
ーーー他にも何か特殊な条件があるのか……?
と、指先が剣に触れたその瞬間、不意に俺の周囲の空間が崩れ去り、細やかな破片となって砕け散る。
「ッ!?」
今この場になにが起きているのかまるで分からないまま、俺は白く広い世界へと投げ出された。
ーーーなんだここは……?
足元へと目を落とすとなにやら正方形に似たマス目のようなものが描かれている。俺の後方から前方にかけ、規則正しい一定の間隔を保って縦の列を成すそれは並行して無数に存在し、そのどれもが果てしない地平線の彼方まで続いていた。
見渡す限り均一の方眼ばかりーーーまるで幻覚の中にトリップしてしまったかのような光景に思わず呆気にとられてしまう。
「ユミト!」
背後から不意に飛び込んで来た声に振り向くと、そこにはエメラ・ルリアンたちの姿があった。
「よかったぁ。みんな一緒みたいだね」
安堵したように胸を抑える"ラセスタ"。その隣でトラン・アストラが警戒するように周囲を見回している。
神経を研ぎ澄ませたその表情から、どうやらさしものトラン・アストラでさえも困惑を隠しきれていないらしいことが伺えた。
同時になぜかそれを当たり前のように受け入れている自分に驚くーーーいつの間にか俺はS級危険分子のそうした人間臭い一面にも違和感を覚えなくなっていた。
超常的な力を持っていること以外は普通の人間となんら変わりないと、そう思うようになってしまったのは果たして良かったのかどうかーーーいや、今はその話は置いておこう。
「なんか、少し前にもこんなことあったわね」
ぽつりと呟くエメラ・ルリアンに、俺は反射的に言葉を返す。
「……マセラス・K・クレイか」
「そうそう。もしかしてそのときと同じなんじゃ……」
「これが全部幻影ってこと?」
ーーー確かにその可能性はある。
だとするならやはりこれはラスタ・オンブラーの差し金か……?
と、唐突にトラン・アストラが声を張り上げた。
「!!誰か来る!」
星を宿した瞳の映す先、方眼罫の地面にまるで陽炎のように朧げに揺めく人影ーーー黒いマントに全身を覆われたあからさまに怪しげなそいつが、音もなく滑るようにしてこちらへと迫り来る。
ーーーどうも味方って感じじゃあなさそうだな……。
頭巾に隠されたその素顔は確認できず、まるで虚無の闇がぽっかりと穴を開いているかのようだ。
この得体の知れない黒ずくめが現状を引き起こした元凶なのだろうか。
トラン・アストラが仲間たちを庇うようにして前へと進み出る。
「どうやらこれは君の仕業みたいだね。君はいったい……?」
黒頭巾はその言葉に答えることなく、はたと足を止めるとまっすぐに俺を見据えて呟いた。
「異物が紛れ込んだか……まぁいい。どうせまとめて消える運命だ。邪魔が入る前に終わらせるとしよう」
そのまま不意に腕を前に突き出すーーー刹那、指先から眩い光が迸った。
「ッ!?」
咄嗟に俺が"ラセスタ"を、トラン・アストラがエメラ・ルリアンを抱えて其々に飛び退く。
間一髪で躱した俺たちの視線の先で、直進する光の線が方眼罫を鋭く穿った。
「クソっ、問答無用ってワケか……!」
「ふたりとも、危ないから下がってて!」
不気味に揺れる黒頭巾と対峙する俺とトラン・アストラ。
一瞬の沈黙。痛いほどに張り詰める緊張感ーーー不意にそれを破ったのは、又しても黒ずくめの指先から放たれる怪光線だった。
殆ど同時にトラン・アストラも右手を突き出し、その先に光の壁を創り出す。
しかしーーー。
「うぁあッ!!」
前方に確かに存在したはずのバリアが突如として消失し、胸の真ん中に光線の直撃を受けたトラン・アストラが苦悶の叫びと共に大きく吹き飛ぶ。
ーーーッ!?
俺は驚きに目を見開いた。
バリアの消滅もさることながら、光線の炸裂した奴の胸郭がまるでモザイクのように不鮮明で掠れたものと化していたからだ。
「トラン!」
「来ちゃダメだ!!」
駆け寄ろうとするエメラ・ルリアンたちを手で制し、蹌踉めきながらも立ち上がるトラン・アストラ。だがその右脚をすかさず第ニ射が撃ち抜いた。
「くっ……!!」
トラン・アストラが再び地に伏せる。
このままではまずい。
俺は舌打ちと共に直ぐさまウェイクアップペンシルを起動するーーー起動した、はずだった。
『wake……wake……phase……』
起動音が尻すぼみに消え、俺は思わず手の中の道具を二度見してしまう。
ーーー変身できない!?
「ユミト、危ないっ!!」
トラン・アストラの声が届いた時にはもう遅かった。動揺した僅かな隙を突かれ、黒頭巾の放つ一筋の光が俺の右肩を貫いたのだ。
「ぐぅううっ!」
仰け反って地面を転がる俺。その創口もまた、トラン・アストラと同様にモザイク状に分解されてしまっている。
ーーー何がどうなってやがる……!?
悠然と佇む黒頭巾が俺の焦燥を見透かしたように低く嗤う。
「……ここは外なる世界。この場において貴様らは形骸と化した記憶の塊に過ぎない。故に、物語に由来する力は無意味……」
不気味な声が淡々と言葉を紡ぐ。
ただ静かに空間に響き渡るその意味は全くわからなかったが、奴の指先が俺たちを真っ直ぐに差していることだけははっきりと認識できた。
「大人しく忘却の海へと還れ」
瞬間、唸りを上げる光線が俺たちの足元で弾けてーーー。
ーーー今に至る、というわけだ。
じりじりと後退りする俺たちを追い詰めるように 黒頭巾が迫る。
「貴様らは所詮空想の産物だ。虚ろで空しい偽りの生命。その存在すら定かでない危うい妄執の権化ーーーまつろわぬ物語の奴隷に過ぎない」
蜃気楼のように揺らぐそのシルエットが瞬きの間に増殖してーーーまるであたかも最初からそこにいたかのように、四体の黒頭巾が俺たちの前に立ち並んだ。
その内の三体がおもむろにフードを剥ぎ取るーーー俺は自分の目を疑ったーーー三体の黒頭巾が其々にトラン・アストラ、エメラ・ルリアン、"ラセスタ"の姿をしていたからだ。ただしその顔はのっぺりとした不気味な黒塗りであり、そこに目も鼻も口も確認できない。
「もはや説明は必要ない……物語に幕を下ろす時間だ」
三体の偽物たちが一斉に駆け出す。
即座に動いたのはトラン・アストラだ。もうひとりの自分と空中で激しくぶつかり合い、其処彼処に火花を散らす。
残りの二人は真っ直ぐにこちらへーーーエメラ・ルリアンと"ラセスタ"の方へと突き進む。
俺は反射的に偽物の二人の前に立ちはだかった。
「ユミト!二人を頼むっ!!」
トラン・アストラの声に無言で応え、迫る二つの影を迎え撃つべく拳を固める。
ーーー例え変身ができなくても、俺は戦える!
そう気負って果敢に挑みかかるも、想像以上に俊敏な二体の動きに俺は思わぬ苦戦を強いられることとなった。抜群の連携で攻め立てる奴らの前に手も足も出ないままに翻弄され、振るった拳は虚しく空を切る。
「ッ!?」
不意に左腕に走る鋭い痛みーーー偽"ラセスタ"の右手首より先が包丁に酷似した形状となり、俺を掠めたのだ。
だが俺が驚いたのはそれだけが理由ではない。
切り裂かれた傷口から噴き出したもの、それは血飛沫ではなく光の粒子だった。
更にその煌めきの中にひとつの光景がーーー街並みを進撃する巨大な機人、無数の機兵獣……間違いない、これは先日の惑星U7での出来事だーーー浮かび上がり、刹那、まるであぶくのように儚く弾け飛ぶ。
ーーーこれは……!!
しかしそれが果たして何なのかを考えている余裕などありはしなかった。
バランスを崩した俺を背後から撃ち抜く幾発もの弾丸ーーー倒れざまに振り向いた俺の目に映ったのは、二丁のバルカン砲に変化した両腕を構える偽エメラ・ルリアンの姿だった。
激痛に呻きながら地面を転がる俺の目の前に浮かび上がる光の粒子。胸部の傷から漏れ出しては宙へと消えるその中に米粒状の三人の姿が朧げに映るのを、俺ははっきりと見た。
ーーーまだだ!まだ終わりじゃない。
爛れたモザイクと化した左腕や胸郭を見遣り、舌打ちしながらも立ち上がる。
ーーーどうやら偽物たちは本物の技能や所持している武器を具現化することができるらしい。
つまりはそれが"ラセスタ"における包丁や工具であり、エメラ・ルリアンの飛行船に武装されているという"鍵"なのだろう。
そこまで考えて、ふと自嘲気味に笑う。
ーーー攻撃を受けたことは無駄じゃなかったかもな……。
尤も、それでこの状況が好転するわけではないのだが。
「ぐぅううッ!!」
と、不意に俺の横に吹き飛ばされて来たのはトラン・アストラだ。恐らく至る所に攻撃を受けたのだろう、モノクロに色褪せ、薄く掠れたその全身は最早輪郭すら変わりかけていた。
「貴様らに未来はない……滅ベ……滅べ……滅べ……!!」
揺らめく三体の不気味な囁きが重なり合って空間に響く。身の毛もよだつそれは俺たちの精神までをも蝕むようでーーー。
思わず後退りした直後、俺は見た。
蜃気楼の奥で、偽エメラ・ルリアンの右腕がペンシル状の砲身へと変化するのを。
背後で本物のエメラ・ルリアンが鋭く息を飲む。「まずいっ!」トラン・アストラが叫び、仲間たちを庇うべく前に踏み出すーーー考えるよりも先に、俺もまた前へと踏み出していたーーー刹那、凄まじい熱量が視界を覆い尽くした。
目の前が暗転し、気づくと俺たちは崩壊した方眼の上を転がっていた。
正直、あの攻撃を受けて生きていること自体が不可思議なのだがーーーいや、おそらくこの空間では物理的な攻撃など単なる起因に過ぎないのだろう。
光の粒子が飛び散り、モザイク状の傷が増える度に、自分の存在が不確かで曖昧なものへと退廃していく気疎い感覚に襲われる。
例えるならなにか抽象的なものをーーー大切なものをーーー心から無理矢理引き剥がされているかのようなーーー。
「エメラ!ラセスタ!ふたりとも大丈夫!?」
青ざめて駆け寄るトラン・アストラの問い掛けに、横たわったままのエメラ・ルリアンと"ラセスタ"が弱々しい声で答えた。
「いたた……」
「うん……なんとかね」
俺たち四人の身体からそれぞれに漏れ出す光の粒子。煙のように細く立ち昇るその中に浮かび上がる旅の軌跡が、混じり合いながら虚しくも宙に溶けていくーーー銀の板金鎧、青と白の輸送船、降り注ぐ星の雨や赤茶けた砂の惑星、そして宇宙牢獄……次々と現れては消える景色の向こうで、三体の偽物を従えた黒頭巾が静かに嗤う。
「哀れな奴らだな。貴様らの旅など、所詮は定められた絵空事に過ぎないと言うのに」
黒いフードに覆われた素顔は相変わらず見えないままだがーーーその下では邪悪に顔を歪ませているであろうことは想像に難くなかった。
「だがそれもこれまでだ。物語はもう終わった……間も無く貴様らは羨望と諦念の渦巻く闇に沈む。もう誰の記憶にも留まらない残滓としてやがてとこしえの"無"に還るのだ」
迫り来る四つの影を前に、俺は地面に這い蹲ったまま必死に手を伸ばすーーーその先には腰から外れて転がった"歓びの剣"がーーー。
「さっきからゴチャゴチャうるせぇんだよ……ひとりで好き勝手喋りやがって」
最後の力を振り絞って赤茶けた柄を握り、剣を支えにしてなんとか立ち上がる。
「てめぇがなに言ってんのかは知らねぇけどな、これだけは言えるぜーーー俺たちは……まだ終わっちゃいねぇ!!」
啖呵を切る俺の背後で三人もまた蹌踉めきながらも支えあい、懸命に立ち上がるーーー
「……こんなところで止まる訳にはいかないんだ」
「大切な家族と一緒に……!」
「私たちはこれからも旅を続けるんだから!」
刹那、手にした歓びの剣から鈍色の光が迸り、方眼の地面を煌々と照らした。
「これは……!?」
呆気にとられたのも束の間、そのモノトーンの輝きに次々と色が差し込みーーーやがて鮮やかな虹が灯る。
「ーーー前にも言いましたよね、アナナキ。お前に物語の幕引きを決める権利はないって」
光の奥より静かに木霊する声。
直後、揺らめく七色の極光を潜り抜け、銀色の燻んだ仮面を被った一人の青年が俺たちの前に姿を現した。
「随分と手の込んだ細工をしてくれるじゃないですか。おかげで苦労しましたよ……でも、お前の悪巧みもここまでです」
長身によく映えるGパンに皮ブーツ、着古したオレンジのスカジャンを羽織ったその青年が、ガスマスクに似た仮面からはみ出す茶髪を軽く撫で付けながら黒頭巾に言い放つ。
「馬鹿な……この物語への橋は絶ったはずだ。貴様何故……!?」
黒頭巾の低く掠れた声に初めて浮かぶ動揺の色。
さあね、とばかりにそれを鼻で笑い飛ばし、ヘルメットの青年が肩越しにこちらを見遣る。
「ありがとう。君たちの強い意志が僕をここへ導いてくれた」
「君は……?」
「僕はニビル。あそこにいる彼を追って世界を渡り歩く"修繕士"です」
青年ーーーニビルが真っ直ぐに黒頭巾を指差して答える。
「彼の名はアナナキ。"綻び"から生まれる亡びの因子ってヤツですね。僕が『阿』なら彼は『吽』、僕がアルファで彼はオメガーーーまぁ平たく言えば対の存在……みたいな関係らしいですよ」
そう言いながら翳した右手の中に光が集束し、瞬きの間に身の丈ほどもある巨大な万年筆ーーーそうとしか形容できないーーーへと姿を変える。
間髪入れずにそれを大きく振り回し、直近に迫った偽物達を豪快に薙ぎ払った。
吹き飛んで転がる三体を尻目にニビルは何事もなかったかのように話を続ける。
「君たちはこの物語の特異点なんです。アナナキがいくら舞台となる世界を壊そうと、君たちがその影響を受けることはない。特異点が存在する限り物語の"芽"は残り、やがて完全な形で修復されるーーーだから彼は君たちを直接消そうとしてるんですよ。あんなに躍起になってね」
その言葉の意味を俺が理解するよりも早く、再び偽物達がニビルめがけて飛びかかる。
低く舌打ちし、素早く万年筆を構えてそれらを迎え撃つ仮面男。
「ったく……まだ話してるでしょーが!!」
先陣を切る偽"ラセスタ"を巨大万年筆で殴りつけるーーー瞬間、その一振りの中で得物が形を変えた。
側面に蛇腹構造が設けられた真っ赤な円筒形のハンマー部分、先端がフォークらしき三つの刃に分かれた安っぽい黄色の柄、武器というにはあまりにもお粗末なその形状ーーー見覚えのあるそれに、俺は思わず目を疑う。
ーーーあれはムルカ・ボロスの持っていた聖柄鎚撃刃 K.O丸……!
そんな馬鹿な。あの万年筆が変化したのか?
いったい何がどうなってーーー?
困惑する俺を余所にニビルは次々と偽物を叩きのめしていく。鳴り響く軽い空気笛の音まで本物と瓜二つだ。
「行きますよ!」
頭上に掲げたK.O丸が瞬時に三倍以上の大きさに膨れ上がる。それを偽"ラセスタ"目掛けて力一杯に振り下ろし、ニビルが叫んだ。
「必殺、ピコピコスタンプッ!!」
凄まじい空気笛の音を響かせ、赤いハンマーの下敷きとなる偽"ラセスタ"。圧壊し方眼に沈んだその姿が塵となって消滅していく。
「っ!?」
直後、ニビルの身体を光の塊が呑み込むーーー偽エメラ・ルリアンの放ったフラッシュプリズム・コンバーターの光だ。不意をつかれる形となったオレンジのスカジャンは為すすべもなく押し流され、虚空に消し飛んだーーーかに思えた。
しかし次の瞬間、煌めきの濁流は呆気なく切り払われ、方眼の大地にニビルが悠然と姿を現す。
前方に向けて突き出したその手にすでにK.O丸は握られておらず、代わりに人差し指に嵌められた指環が光を放つーーー俺は直感したーーー今度は王の証だ!
「危ないじゃあないか。それ、お返しだ!」
すかさず指環を偽エメラ・ルリアンへと向ける。その中石に当たる箇所には既に膨大なエネルギーが充填されておりーーー。
「必殺!レガリス・インパクト!!」
指環の中心部より撃ち出された破滅の衝撃によって瞬く間に消し炭と化す偽エメラ・ルリアン。
「雑魚にはとっとと退場していただきますよ。仕事は手早く片付けるのが僕のポリシーですから」
そう言って跳び上がったニビルと偽トラン・アストラが空中で激しくぶつかる。
「お……っとぉ」
いつの間に形を変えたのだろうか。反面して着地したニビルが握っていたのは指環ではなく、妖しげな緑の雷撃を漲らせた刀ーーー雷轟一閃だった。
ニビルは余裕綽々な様子でそれを構え、最後の偽物を見据えて駆け出す。
「さぁ見せ場だ。必殺……!!」
偽トラン・アストラの放つ無数の光線、光弾を次々と刀で弾き返し、電光石火の勢いのままに距離を詰めていく。そしてーーー。
「雷轟一閃、スペリオルスペシャルッ!!」
一刀両断された偽トラン・アストラが緑の雷の中へと溶け去るのを背に、ニビルが万年筆の先端を黒頭巾へと突き出した。
「やれやれ、お待たせしましたね。次はお前の番ですよ」
怒りも露わに指先から光線を放つアナナキ。しかしニビルは万年筆を槍のように振るい、光線を物ともせずひと息に黒頭巾へと迫る。
「早急にケリをつけてあげます。彼らに迷惑ですからね!!」
直後、気迫と共に空を裂く万年筆の軌跡が黒いフードを捉え、不気味な容姿を一撃の下に吹き飛ばした。
アナナキはいくつもの残像を曳きながら方眼の上を転がり、這い蹲る形で動かなくなる。
ーーーやったのか……?
しかし次の瞬間、世にも悍ましい咆哮を上げながらアナナキが立ち上がった。その身体がみるみるうちに膨張し、全身を覆う黒いマントは耐えきれずに次々と引き千切れ、やがて醜悪な中身がゆっくりと上体を起こした。
戦慄のあまりニビル以外の全員が言葉を失う。
落ち窪んだ眼窩と顔面を真一文字に横切る大きな口腔、痩せ細り肋骨の浮き出た青白い身体、背中から突き出した無数の脊椎、そしてナックルウォークを思わせる前傾姿勢でそれらを支える異様に肥大化した両腕……その姿にもはや先程までの面影は微塵もなかった。歯のない口器から涎のような液体を垂れ流し、猛々しく吠え狂いながら四足歩行で猛然と疾駆する様はまさしく異形の怪物そのものだ。
「その姿、何度目ですか。もう見飽きましたよ!!」
大きなため息と共にそう吐き捨て、万年筆を黄金に煌めく鉤爪へと変化させたニビルがアナナキを迎え撃つ。しかしーーー。
「必殺、凱火裂爪ーーーうわッ!?」
雷鳴の如く走る衝撃。激突の瞬間、押し負けて僅かに後退るニビル。蹌踉めいたそこに追い打ちをかけるかのようにアナナキが哮るーーー空気を切り裂くその叫びが方眼を這う衝撃となってニビルにぶち当たり、仮面男の長身を敢え無く薙ぎ払った。
刹那、俺たちは誰からともなく駆け出していた。
大きく仰け反って吹き飛び、今まさにマス目の大地に叩きつけられんとしていたニビルの身体を四人の力を合わせて受け止め、すんでのところで支える。
「大丈夫かい?」
「ありがとう……あはは、カッコつけそびれちゃいましたね」
仮面の下でニビルが照れ臭そうに笑う。
「あいつを倒す方法はあるのか?」
「倒す方法はありません……彼は死なないんです。だけど、この物語から追い出すことならできます。君たちの力を合わせれば」
「僕たちの力……?」
訝しげな"ラセスタ"に、ニビルは朗らかな声で俺たち四人を見回した。
「物語の行く末を決めるのは特異点ってことですよ」
「でも……そんなのどうやって?」
再度襲い来るアナナキの"叫び"を万年筆で防ぎつつ、ニビルがその問いに自信満々に答えた。
「あるじゃないですか、まだ。とっておきの切り札が」
ニビルが半回転する勢いのままに万年筆を振るうと、その軌跡が鮮やかな色を灯して俺たちをーーーエメラ・ルリアン、"ラセスタ"、トラン・アストラ、そして俺をーーーひと繋ぎに結ぶ。
それに呼応するかのように歓びの剣と星のかけらもまた激しい光を放ち、まっすぐトラン・アストラの胸に射し込んだ。
「うん?幾つか足りないな……いや、問題ないか。コレに大切なのは心ですからね」
辺りを包む極彩色の輝きの中、トラン・アストラの身体とニビルの身体が細やかな粒子となって飛散し、空中で交じり合いながらひとつの肉体へと再構築されていくーーー。
「……!」
眩い輝きが収まった時、そこには殆ど予想通りの光景が広がっていた。
首に仮面を引っ掛け、オレンジのジャケットを肩に羽織って超然と佇むその姿ーーートラン・アストラが手にした巨大な万年筆を構え、アナナキを見据える。
これでこの不可思議な現象を目の当たりにするのは四度目だーーー唯一予想と異なる点は、トラン・アストラの真横に平然とニビルが立っていたことだろうか。
俺の驚きを察したかのように、ニビルが仮面の上から頰を掻く。
「僕には物語の法則は適用されないんです。どうも色々と特殊らしくて」
実はまだよく分かってないんですけど、と付け加えるニビルの左腕、その肘から先が光の弓へとーーートラン・アストラのそれに酷似した超弓へとーーー形を変える。
「さぁ、クライマックスと行きましょうか!」
叫ぶや否やニビルが跳躍し、接敵と同時に大弓でアナナキの歪んだ顔面をぶん殴る。
蹌踉めくアナナキが唸りながら巨大な腕を振るうも、素早く身を翻すニビルには指先ひとつ掠めることすらできない。
「下らぬ妄想の産物どもが……滅べ!滅べ!!滅べッ!!!」
「残念だけどーーーこの家族がいる限り、それは不可能です!」
それならとばかりに撃ち出される苛立ち混じりの"叫び"。しかしその瞬間、ニビルは既に左腕の超弓を引き絞っていた。
「必殺!オムニバス・ホープスター!!」
放たれた膨大なエネルギーの塊が瞬時に分裂、拡散し、無数の光の矢となって次々とアナナキの身体を穿つ。
「今ですっ!!」
応えるように頷き、高々と万年筆を掲げるトラン・アストラ。その右肩にエメラ・ルリアンと"ラセスタ"が、左肩には俺がーーーまるでなにかに導かれるかのように、ごく自然にーーーそっと手を添える。
瞬間、方眼罫が大きく脈打った。
同時にどこからともなく吹き込む虹色の風が、俺たちの周囲を渦巻きながら万年筆の先端へと集束していく。
顔を見合わせ、視線を交わす。
もはや言葉は必要なかった。
蠢く肉塊と化したアナナキが、俺たち目掛けて一息に飛びかかる。へし折れた左腕など歯牙にもかけず、落ち窪んだ眼窩に憎しみを滾らせ、起死回生の一撃とばかりに巨大な右腕を繰り出すーーー寸前、鋭い気合いと共にトラン・アストラが万年筆を振り下ろした。
「だぁああああっ!!」
ペン先が虚空を切り裂くと同時に千紫万紅の衝撃波が迸り、強烈なカウンターとなってアナナキに直撃する。
異形の化け物は吹き飛ばされる間も無く壮麗な光に塗り潰され、跡形もなく消滅した。その断末魔の叫びも吹き荒ぶ虹の中に溶け去りーーーやがて辺りには水を打ったような静寂が訪れた。
「終わった……?」
左腕を元の形に戻したニビルが俺たちに向かい合い、頷く。
「はい。アナナキはもうここにはいません。きっと懲りずに次の物語に逃げ込んだのでしょう」
お疲れ様でした、と柔らかな声でニビルが続ける。
「まもなく全てが元に戻ります。君たちは物語を蝕む亡びに打ち克ったんですよ」
「ねぇ、訊きたいんだけど、さっきから言ってるその『物語』って一体どういう意味?」
困惑気味に訊ねるエメラ・ルリアンに、仮面の男はさも当然のことのように答えた。
「物語とは人が生きてきた軌跡です。全ての宇宙、全ての星、全ての世界に人の数だけ存在し、これまでも、そしてこれからも其々に続いていくかけがえのない"証"ですよ」
「よくわからないなぁ……なんだか不思議な夢でも見てるみたいだ」
トラン・アストラもまた理解しきれていない様子で呟く。
「夢……夢か。うん、そうですね。夢みたいなものかもしれません。でも忘れないで欲しいんです。もしこれが夢だとしてもーーー例え誰かの空想の産物だったとしてもーーー全ては自分の主観なんです。だから、信じたいと思うものを信じてください。強い意志があれば、それは現実のものとなるのですから」
はっきりと、力強く断言するニビル。
その言葉の意味は正直なところ半分も理解できなかったが、何故か不思議と心に響いた。
と、不意にニビルの姿が透け、不安定に揺れる。
「そろそろお別れの時間みたいですね」
「えぇ、そうなの!?」
まだお礼もできてないと嘆く"ラセスタ"とエメラ・ルリアンに、仮面男は静かに首を横に振って応えた。
「礼を言うのはむしろ僕の方ですよ」
左腕にうっすらと重なるかたちで再出現させた光の弓に視線を落とし、ニビルが付け加える。
「君たちは自らの意思で亡びに立ち向かい、そして打ち克ちました。恐怖を乗り越える勇気と諦めない心ーーー君たちの持つその"物語の明日を切り拓く力"が、僕に新しい光を灯してくれたんです」
黄金色の極光に包まれたオレンジのスカジャンが、少しずつ細やかな粒子となって散っていく。
「舞台は違えど僕たちは旅人です。旅が続く限り、物語に終わりはありません。君たちが進むその道の先で、いつかまた会いましょう」
荘厳な輝きの中、俺たちの身体もまた粒子となって宙へと四散するーーーその直前、俺たち四人に順に視線を巡らせて、ニビルが静かに呟いた。
「ありがとう。……さようなら、『星巡る人』」
その言葉が木霊するより早く、俺の意識は遠のいていった。眠りに落ちるかのように緩やかに、穏やかにーーー。
ーーー瞬間、はっと我に帰る。
エメラ・ルリアンの飛行船の一角、いつも通りの狭い自室。
俺は机上の歓びの剣に手を伸ばしたその姿勢のまま、ただ呆然とそこに立ち尽くしていた。
慌てて周囲を見回すも、そこにはいつもとなにひとつ変わりない光景が広がるばかり。
ベッド脇に備え付けられた小さな時計は驚くことにーーーあれだけの出来事があったにも関わらずーーーまだ数秒しか経っていないことを示していた。
ーーー夢だったのか……?
事態を飲み込めず困惑する俺の目が、ふと手元の歓びの剣に止まる。
変わり映えのしない錆びた刀身。その奥に七色の光が僅かに覗く。
俺は僅かに表情を緩め、首を横に振った。
ーーーあれが夢か現実かなんて、そんなのは気にするようなことじゃない。
あの時見た虹の輝きも、俺たちの身体をひと繋ぎに結んだ光の温かさも、その全てが確かな感覚として俺の心に刻まれている。
それだけで充分だ。
あの仮面の男も言っていたじゃないか。信じたいものを信じるだけだって。
俺も、それに倣うことにしよう。
「ねぇユミトー!ちょっと良いー?」
部屋の外から俺を呼ぶエメラ・ルリアンの声。
がやがやとしたその様子からどうやら居住スペースに三人とも集まっているらしい。
扉の前へと向かう道すがら、手にした剣を腰に差す。
ーーー結局、どうすれば歓びの剣の力を引き出せるのかは俺には分からないままだ。
特殊な条件があるのかもしれないし、まだ何か足りないものがあるのかもしれない。
ただひとつ断言できるのは、恐怖に立ち向かう勇気、諦めない心ーーーニビル曰く"切り拓く力"ーーーそうした強い意志こそが、この不可思議な現象の引き金となるということだ。
勿論それは根拠も確証もない勝手な推察にすぎない。だがあの瞬間、俺は確かにそれを胸の中に感じたのだ。
ーーー今は、それでよしとしよう。
開け放った扉の向こう、普段と変わらぬ狭い通路。
その終着にはどこか嬉しげな表情で俺を待つ三人の姿がある。
「あぁ、いま行く」
探していた答えの一端を見つけたような、どこか晴れやかな気持ちでーーー俺は光射す方へと歩きだした。
「もっと本気で逃げないと死ぬよ?死んじゃうよォオ?」
「任せて。私に考えがある!」
「如何にも。宇宙海賊スカイ・コア副船長、ヌブラード・クラウディとはアタシのことさね」
「本当に大切なのは人から聴く真実じゃない。自分の信じる事実さ」
次回、星巡る人
第45話 いつか世界が輝きだしたら




