第41話 ワンダフルLife
生まれた世界は違っても
見た目や言葉が違っても
願いは繋ぎあえる
そんな41話。
これは自論なのですが、旅をすることは出会うことだと思っています。
見たことのない景色、すれ違う人たち、新鮮な感覚、知らなかった自分……そうした出会いが積み重なった軌跡こそが旅路となるのだと。
『星巡る人』もまた、語り手となる人物の視点を通して描かれる出会いの物語です。
彼らが何と出会い、宇宙の深淵のその向こうへと進んで行くのか、これからもどうかお付き合い頂けると幸いです。
いつもたくさんの閲覧、拡散ありがとうございます。相変わらずの不定期更新ですが、引き続きゆるりと更新していきますので今後ともどうぞよろしくお願いします。
それでは次回でまたお会いできますよう。
ーーーこの宇宙は、悪意と闘争に満ちている。
人と人、国と国、星と星……規模は違えどそれは遙か昔より変わらない不文律であり、宇宙政府及び宇宙正義によって宇宙全土にある一定の平和が保たれている現在においても尚、争いが絶えることはない。
しかしそんな宇宙においても唯ひとつだけ暗黙の了解とされている禁則事項があるーーーそれが銀河特定保護惑星への不干渉条約だ。
銀河特定保護惑星とは、宇宙に数多く散見される"宇宙進出を果たせない未成熟な文明を持つ知的生命体の繁栄する星"のことを指し、大抵の場合その星に住む者たちは自ら以外の知的生命体を知らず、またその存在を受け入れるだけの発達した精神を持ち合わせていないことが多い。
そうした星々に不用意に関与した結果が須らく悲劇的な顛末となったことは、これまでの歴史がーーー惑星間弾道ミサイルR-1号を開発した惑星J、超兵器スパイナーΣを用いて他星への大規模侵略戦争を仕掛けたLE星……いずれも未成熟な文明が高度なテクノロジーを得た結果、手に余る技術に慢心し、武力による強硬政策に走ったことで宇宙正義の制裁を受け消し去られた星々だーーーありありと物語っている。不干渉条約とは、そのような未成熟な文明社会と宇宙社会の接触を防ぐためにあるのだ。
そもそも本来宇宙進出とはその星の住人の意思によって行われるべき自然な進化の流れーーー宇宙の摂理であり、外部からの余計な干渉はその星の、ひいては銀河のバランスを著しく乱し、巡り巡って宇宙全体の滅亡を招くことにもなりかねない。それは広く知られたある種の常識であり、その危険性を多くの星々が認知しているからこそ、争いの絶えないこの宇宙においても不干渉条約を破って銀河特定保護惑星に接触しようとするような不届き者が現れないのである。
ーーーまぁそれもごく一部の馬鹿を除いて、の話だが。
その日、俺が異変に気付いたのは極めて幸運なことであった。
たまたま覗いた窓の外、そこに煌めく惑星を見た瞬間、全身から血の気が引く感覚と共に俺は狭い廊下を駆け出していた。
その勢いのままコックピットに怒鳴り込む。
「馬鹿っ、そこは銀河特定保護惑星だぞ!!」
ーーー迂闊だった。まさかもうNM78星雲の端の端、ポルックス区に辿り着いているとは……。
「早く引き返せ!!お前だって旅してんなら不干渉条約くらい知ってんだろうが!」
この行政区画には、銀河特定保護惑星に指定されている惑星GPがあるーーーいま正にこの飛行船の目と鼻の先にあるのがそれだ。
こんな至近距離にいてはいつ惑星GP側に観測されるとも知れない。一刻も早くここから逃げなければ不干渉条約違反になってしまう。
宇宙正義の一員が任務中に重罪を犯すなど前代未聞の事態だ……それだけはなんとしてでも避けなければならない。
「あ〜、そういえばなんか昔聞いたことあるかも。あはは、ごめんね?」
呑気なことを言って笑うエメラ・ルリアン。
そんな場合ではないというのに、もはや呆れを通り越して変な笑いまで込み上げてくる。
「お前、そんなんでよく今まで旅人名乗ってたな……」
俺に急かされて慌てて方向転換し、トラン・アストラの力を借りて一気にこの宙域を離脱しようとしたーーーその時、事件は起こった。
まるで急ブレーキをかけたように唐突に機体が動きを止める。思わずつんのめった俺の耳に、動力室から"ラセスタ"の声が響いた。
「大変だ!船の機能が突然……!」
そこに船外からヒトの形をした光の粒子ーーートラン・アストラが滑り込んでくる。
「何か目に見えないエネルギーがこの船を捕らえている……いや、引っ張ってるんだ!惑星GPから!!」
珍しく焦った顔で窓の外を指差すトラン・アストラに、俺は思わず耳を疑った。
ーーーそんな馬鹿な。こんな罠を仕掛けている銀河特定保護惑星があるなんて話は聞いたことがない。
そうなると考えられるのはーーーふとある可能性に行き当たり、まさかという思いと共に生唾を飲み込む。
ーーーいや、それは後回しだ。何にしてもこのまま惑星内に引きずり込まれるわけにはいかない。
しかし打開策を閃くよりも先に事態は急変する。
どこからともなく溢れ出して船内を照らす眩い七色の光。目を射抜く燦然とした輝きに包まれて急速に遠ざかっていく意識。
まるで細い管の中へと無理やり押し込められていくような奇妙な感覚に襲われるーーー俺は自分の身体が形を失い、細やかな粒子へと還元されていくのをぼんやりと感じていた。
「これは空間転移!?みんな、気をつけ……!!」
朧気に揺らぐ世界の中、トラン・アストラの言葉だけがいつまでも木霊し続けていた。
星巡る人
第41話 ワンダフルLife
「うぅ……」
硬い床の上で目を覚ました俺は、まず自分が生きていることを確認して安堵した。
先ほどの感覚は錯覚だったのだろうか。五体満足の身体はどこも失われていないように思える。
「良かった。目を覚ましたんだね、ユミト」
上体を起こして振り向くと、そこには床に倒れたエメラ・ルリアンを抱え起こすトラン・アストラの姿があった。同じように気絶した"ラセスタ"を背負っていることから、奴が動力室まで助けに向かったのだろうと推察できた。
「ここはどこだ…?」
窓の外へと目を向けるとそこには宇宙空間とはまた異なる暗闇が広がっていた。
「分からない。でもたぶん、ここはさっきの惑星の内部だと思う。俺たちはこの船ごと、空間転移でここに移動させられたんだ」
ーーーそんなバカな。冗談もほどほどにしろ。
あれは心の中で悪態をついた。
空間転移は正確な座標のコントロールを要求されるこの宇宙でも指折りの高等技術だ。そんなに気軽にできるようなものではない。
ウェイクアップペンシルの力を使った特務隊001隊長や惑星CNで対峙したスカラ・ザムザのように、個人単位でなら可能な人間も存在するし、特殊な転送装置を使えば複数人を移動させることもできるとはされているものの、この飛行船程の質量ともなれば話は別だ。
宇宙空間に滞空する飛行船を補足し、推進力を奪った上でなんらかの超技術を用いて惑星内に転送するーーーそんなことが銀河特定保護惑星の科学力で可能であるはずがない。
俺は確信したーーー惑星GPには宇宙からの何者かが関与している。それも恐らくは侵略目的の……ここはそのための前線基地といったところだろうか。
「う……トラン?」
「僕らは……なにが……?」
エメラ・ルリアンと"ラセスタ"が目を覚ます。
辺りを見回すふたりにトラン・アストラが安堵したように優しげに微笑みかけた。
「大丈夫、俺がついてるよ」
支え合って立ち上がる三人を他所に、俺はウェイクアップペンシルを取り出して右手の袖に隠した。
ーーーひょっとすると、ここで一戦交える事になるかも知れねぇな……。
飛行船の扉を開け、広がる暗闇へゆっくりと踏み出す。一寸先も見えない空間の中、トラン・アストラを先頭に、防護ジャケットを羽織ったエメラ・ルリアンと"ラセスタ"、殿を務める形で俺が続く。
トラン・アストラの手に灯る小さな光を頼りに目を凝らして辺りを見回すと、壁を走る幾本ものパイプや射出口と思しき巨大な扉が散見できた。どうやらここは格納庫のようだ。
ーーーどこのどいつか知らねぇが、いい度胸だ。とっ捕まえてぶちのめしてやるぜ。
と、その時。
突然眩い閃光が目を射抜き、空間は輝きに満たされた。驚いて目を覆うエメラ・ルリアンと"ラセスタ"を尻目に薄眼で前方を見遣ると、光に照らされたそこに一人の少年の姿が見えた。
ーーーあいつが……?
小柄で痩せっぽちなその少年は、とてもではないが銀河特定保護惑星に手を出すような侵略者には思えなかった。黒髪の奥に満面の笑みを浮かべ、無邪気そうに俺たちに手を振っている。
「惑星ジパングへようこそ!!ぼくはタカト。よろしくね、お客さんたち!」
朗らかに笑う少年ーーータカトの口の動きと発音が異なっている事に気付く。恐らくは耳元に装着したヘッドフォン状の機器が宇宙共通語の翻訳を担っているのだろう。
つまりはそれこそがこの少年が銀河特定保護惑星の住人であるというなによりの証拠だった。
「え、ジパ……?ここって惑星GPじゃなかった?」
「この星に住む人間たちは、惑星GPのことをジパングと呼んでいるのだよ。なにせ彼らは宇宙共通の名称など知る由もないのでね」
困惑するエメラ・ルリアンの言葉に答えたのは、タカトの背後に突然出現したーーー空間転移してきたーーー異星人だった。
先端が少し欠けた白く艶やかなた楕円形の身体、そこからひょろりと伸びる細い手足、不気味な程に柔和な笑みを浮かべた一頭身のその姿は、さながら人間サイズの米粒のようだ。
ーーーこいつ、KM星人か。
惑星GPのあるポルックス区には、対をなす双子区画が存在する。それが隣のカストル区であり、惑星KMはその中に位置している星の一つだ。
高度に発達した科学力を用いる文明として他星との外交も盛んだったはずだが……まさか侵略行為に手を出しているとは思いもよらなかった。それも数多の侵略罪の中でも特別重罪とされる銀河特定保護惑星への侵略行為である。例えどんな理由があろうと許されることではない。
「それはさておき、ようこそ、お客さん方。私はハク。そしてここは我々の家だ。ゆっくり過ごしていってくれて構わないよ」
「どうして俺たちをここに?」
不思議そうに訊ねたトラン・アストラに、ハクは飄々とした態度のまま答える。
「ああ、君たちの飛行船があともう少しでこの星の人工衛星に見つかるところだったからさ。少々強引ではあったが、飛行船の座標を弄らせてもらったよ。手荒な真似をして申し訳なかったね」
「なんだあ、そうだったんだ」
「ありがとうございます、ハクさん」
エメラ・ルリアンも"ラセスタ"も、どうやらその言葉をすっかりと信じ込んでしまったらしい。ハクに対して深々と頭まで下げている。
なんとトラン・アストラまでもが警戒を解いたらしく、穏やかな表情でハクに礼を述べているではないか。そのあまりの能天気さに俺は心の中で大きな舌打ちを鳴らした。
ーーーくそっ、平和ボケしてんじゃねぇよ。
あからさまに怪しいハクをどうしてそんな簡単に信じられるのか、俺にはまるで理解できなかった。
今すぐにでもウェイクアップペンシルを起動してこいつをーーーと、行動に移しかけてはたと手を止める。
ーーーちょっと待て。ここが奴らの本拠地だとするなら、つまり俺たちは捕虜も同然ということになる。今この場で動くのは得策とは言えない。それに……。
視界の端でタカト相手に自己紹介をしているエメラ・ルリアンたちの姿と、純白の米粒野郎を素早く見遣り、俺は冷静さを取り戻した。
ーーー惑星GPの人間であるタカトを人質に使われると厄介だ。ここは慎重に、タイミングを見計らう必要がある。
「どうかしましたかな?」
怪しげな笑みを顔に貼り付けてハクがこちらへと歩み寄ってくる。俺は感情を押し殺し、努めて普通を装って答えた。
「……いや、別に」
絞り出すような俺の返答を訝しまれるよりも先に、タカトがハクに元気よく話しかける。
「ねぇハク!お客さんたちを案内してもいい?他のみんなも紹介したいしさ!」
ハクは俺を見定めるように眺めながら、意味深に微笑んで答えた。
「おお、それはナイスアイデアだ。早速、お客さんたちを中にご案内しよう」
ハクとタカトに連れられて無機質な通路を歩く。
小綺麗で明るく、一見してなんの変哲もないただの通路だが、所々に壁にカモフラージュされた転送装置の類が設置されていることに俺は気づいていた。
ーーー何かあったらいつでも迎撃態勢を整えられるってワケか。
「着ーいたっ。さ、入って入って!」
俺の心中など知る由もない一行が案内されるがままに部屋に入っていく。警戒しながらその後に続くと、透明な壁を一枚隔てたそこには無数の立体映像が投影された奇妙な空間が広がっていた。
その中心に立つのはハクとはまた別のKM星人だった。薄汚れたような茶色の全身に幾つもの傷痕が目立つ人間大の米粒野郎が、その細い両腕に銃を構えて静かに佇んでいる。
「あの人はゲンだよ。ゲームがすごく上手いんだ!」
タカトの言葉に嘘はなかったーーーただしこれが本当に"ゲーム"であるのなら、の話だが。
茶色の米粒ーーーゲンは手にした2丁拳銃を巧みに振るい、矢継ぎ早に表示される立体映像の的を次々と撃ち抜いていく。それがどんなに小さく素早い標的であっても御構い無しだ。百発百中、全てを命中させてその"ゲーム"は終了した。
「すごいよゲン!ハイスコアじやん!」
宇宙共通語で表示された『excellent!』の文字と華やかな花火の立体映像に囲まれるゲンにタカトが無邪気に声を掛ける。
彼につられて拍手するエメラ・ルリアンたちが横目に映るが、俺にはとてもじゃないがそれを素直に褒める気にはなれなかった。実弾でこそないものの、今の"ゲーム"は射撃訓練以外の何物でもなかったからだ。
「ゲン、お客さんだよ!みんなと同じ宇宙から来たんだって!!」
茶色の米粒野郎が俺たちを一瞥する。睨みつけるようなその表情が、俺を捉えた瞬間に険しくなったように思えたのは錯覚だろうか。
「……タカト。悪いが先にムセンの方に挨拶に行ってくれ。もう少し遊びたい気分なんだ」
言葉の柔らかさに反して冷たい声色で、どこかぎこちなさ気にゲンが告げる。
「……?ん、わかったよ。またあとでね!」
小首を傾げながらも素直に従うタカト。
踵を返して部屋を出ていく背中たちを追おうとした時、俺は部屋の中心から強烈な視線を感じて咄嗟に振り向いた。
ーーー!
茶色の米粒野郎が俺を見ていた。
なにも言わず、ただじっと、まっすぐに俺を睨めつけている。
「ユミト?どうしたのー?」
通路から響く"ラセスタ"の声にハッとした時、既にゲンは俺から目を離して"ゲーム"を再開していた。
「……」
俺は模擬銃を構えるゲンから無理矢理目を逸らし、足早に部屋を後にした。
「ごめんね。ゲン、今はちょっと機嫌が悪かったみたいでさ。でも普段は良い人なんだよ?」
歩きながら肩越しに振り返り、俺たちに笑いかけるタカト。
しかし俺は彼ではなくその奥に続く通路をーーー他人の惑星に違法に建築された、果てしなく伸びる無機質な空間をーーー眺めていた。
どこまで広がっているのか、一見しただけではその規模は計り知れない。
次に向かう部屋には先ほどゲンの言葉に出てきた"ムセン"なる人物がいるようだが……。
「えーっと、そうそう、ここだ」
タカトが不意に立ち止まり、通路の壁を二回軽くノックする。するとなにもなかったはずの壁が蠢き、突如としてそこにぽっかりとした大きな横穴が開いた。
「ムセンはちょっと変わった人なんだけど……でも良い人だからさ!きっとみんなのことも気に入ると思うよ」
そう言って躊躇わず薄暗い横穴へと足を踏み入れていく。それに続くハクとトラン・アストラ。さらにエメラ・ルリアンと"ラセスタ"も恐々と歩を進める。
ーーー選択の余地はなさそうだな。
俺もまた意を決して一歩、踏み出した。
横穴の奥から漏れ出す青い光が、薄暗い空間を仄かに照らす。
入口は特殊であったものの、部屋自体は通路と同じ無機質な壁で構成されているように見えた。ただし通路とは異なり、天井から壁一面にかけてを大小様々な無数のパイプが埋め尽くしている。
ーーー汚ねぇ部屋だな……。
床に目を移せば物が散乱して足の踏み場もない。しかもその惨状は奥の光源へと近づくにつれて更に悪化していくではないか。
よく分からない機械のパーツからインスタント食品『銀河麺』の空袋まで、多種多様なゴミの中を爪先立ちでゆっくりと移動し、俺はやっとの思いで一行に追いついた。
「ムセン、お客さん連れて来たよ!」
部屋の最奥、積み上げられた機械とゴミに囲まれて、手にしたタブレットを食い入るように見つめていたのはまた別の米粒野郎だった。
「この人がさっき言ってたムセンだよ。すごい機械をたくさん使うんだ!」
タカトのアバウトすぎる紹介も全く意に介していない様子で、椅子をくるりと回してこちらへと向きなおるムセン。
この部屋唯一の光源でもあるタブレットの青い光に照らされた乳白色の身体、クマの色濃い垂れ目と吊り上がった口元が特徴的なKM星人が、さも楽しそうに不気味な笑みを浮かべる。
「ケケケッ。ようこそ旅人諸君。あんたらの飛行船をここに移動させたのはこのオレだ……旅するときはもう少し気をつけたほうがいいぜェ?」
ーーー尤もだとは思うが、それを侵略者に言われたくないというのが正直なところだ。
俺は喉まで出かかった言葉をぐっと飲み殺し、ムセンの言動を伺うことに意識を集中させた。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、ムセンはトラン・アストラをまっすぐに見据えて好き勝手に話し続ける。
「ケケケッ、知ってるゼェ。あんた、高エネルギー生命体だろ?まさか生きてる個体に出会えるなんて、人生捨てたモンじゃあねェなァ」
ーーー!?
その言葉に俺は耳を疑った。
高エネルギー生命体という名称は機密保持審議会を含めた宇宙正義の上層部にしか伝わっていないはずのものだ。宇宙政府全体で見ても知り得る人物は極一部に限られてくる上、到底漏洩するような情報ではない。
だと言うのにこのKM星人はトラン・アストラを迷わず高エネルギー生命体だと断定した。
ーーーこいつはどこまで知っているんだ……?
「ムセン、トランさんのこと知ってるの?」
驚きを隠し切れない俺など御構い無しでタカトが無邪気に訊ねると、ムセンは耳触りな甲高い笑い声でそれに答えた。
「コイツのことは知らねェが、コイツの種族に関しちゃチョットばかり興味があってナ。前から調べてたのサ。コイツの種族は、どういうワケかその存在に纏わる一切の記録が消されてやがンだヨ。それも、宇宙中の教育書から古文書に至るまでそれはそれは念入りにナ。まさかナマでお目にかかれるとは……こんなチャンス、滅多にねェだロ?」
いちいち語尾を上げる話し方が癪に障るが、今はそんなことを考えている場合ではない。
「こんなことができるのは宇宙政府……いや、宇宙正義くらいしかいねェだろうナ。まァ尤も、オレにかかればそんなプログラムもある程度までなら復元できるんだがナ」
「ある程度?全部じゃないの?」
エメラ・ルリアンの問い掛けにムセンは口角を大きく吊り上げてほくそ笑む。
「復元したデータですら原文じゃなかったってこったヨ。上書きに上書きを重ねられた痕跡があンだ……完全な復元に至ったのは大凡300年前までのデータってところカナ。どうやら、宇宙正義にとってよっぽど見られたくない情報が記されてたみたいだぜェ?ケケケッ」
とびきりのしたり顔でわざとらしく俺に視線を移すムセン。ニタニタとした気色の悪い笑顔の奥で、目だけが爛々と輝いている。
ーーー俺が宇宙正義だと気づいているのか……?
しかしその疑念とは裏腹に、ムセンは俺からすぐに目を離し、トラン・アストラに向けて熱のこもった口調でまくしたて始めた。
「ナァナァナァ、オレにあんたの生体サンプルを取らせてくれよヨ?なァに、贅沢は言わねェ。腕一本……いや、ほんの小指一本で構わねェんだ。幻の高次元生命体の生きたサンプルをーーー」
その言葉を遮って声を上げたのはタカトだ。
「ちょっと何言ってんのムセン!この人たちはお客さんなんだよ!?」
タカトの猛抗議を受けても尚、しつこく食い下がるムセンを避けるようにして、俺たちはそそくさと薄暗い部屋を後にした。
「あはは……ごめんね?ムセンも良い人なんだけど、たまにちょっとテンションおかしくなっちゃうみたいでさ」
無機質な通路、先を行くタカトが苦笑いして言葉を濁す。まだ幼い少年の見かけながらもなかなかの苦労人のようだ。
「ねぇタカト。君のお父さんやお母さんもここにいるの?」
"ラセスタ"の何気ない質問に、一瞬沈黙するタカト。
「……いないよ。ぼくには、お父さんもお母さんも」
ハッと何かを察し、しまった、と言う顔をする"ラセスタ"。しかし振り向いたタカトは、意外なことに屈託のない笑顔で言葉を継いだ。
「でも良いんだ。だって、ハクたちがいるから」
穏やかな表情で視線を交わすハクとタカトを、俺は複雑な気持ちで見遣る。
と、不意にハクが話題を変えるかのように手を打ち鳴らした。
「おぉそうだ。せっかくお客さんがみえているというのにお茶のひとつも出さないのは失礼だったね。タカト、私がお茶を淹れてくるから、お客さんたちと一緒に自分の部屋で待っていてくれ」
そう言って空間転移でその場からすっと消えるハク。
手を振ってそれを見送った後、タカトが朗らかに告げた。
「んー、じゃあ行こっか、ぼくの部屋!」
タカトの部屋は前二つと比べるとごくごく普通な、どこにでもある"子どもの部屋"であった。
暖色系の灯りに照らされた空間には勉強机と本棚とベッドが配置され、淡い薄緑の壁に四方を囲まれている。
「これ全部タカトが描いたの?上手だね!」
興味深そうに壁を覗き込むトラン・アストラの言葉に、照れ臭そうに頬を掻くタカト。
その方向にちらりと目を向けると、子供特有の拙い絵柄で描かれた幾枚もの絵が貼られていた。そのどれもにハク、ゲン、ムセンとタカト本人と思しき人物の笑顔が踊っている。
平和で牧歌的な絵だーーー少なくともタカトにとってこの絵は自身の幸せそのものなのだろう。
俺は目の前の少年に対して哀れみの感情が込み上げてくるのを感じた。
ーーーあのKM星人どもは悪人だ。例えタカト本人がどう感じていたとしてもそれは揺るぎない事実であり、俺が宇宙正義の一員である以上、奴らの罪を看過することなど到底できはしない。
「待ってる間どうしよっかな〜。ゲームとかあったかなあ」
ゴソゴソと押入れを漁るタカトに、俺は意を決して声をかけた。
「なぁ、トイレってどこにある?」
部屋を出て通路を右へと進み、最初の角を曲がったところーーータカトに教えてもらった通り、そこにトイレは確かに存在した。
尤もそれはひとりで自由に動くための口実に過ぎないのだがーーーそれでも教えてもらった手前、一応こうして目の前までは足を進めてきたというわけだ。
周りを見回し、誰もいないことを確かめる。
あの三人以外にどれだけのKM星人がここに潜伏しているのかは知らないが、これだけの規模の基地ともなればそれを統制する司令室が必ず存在するはずだ。一刻も早くそこを見つけ出し、完膚なきまでに叩き潰さなければ。
銀河特定保護惑星を守る為に手段など選んではいられないーーー場合によっては宇宙正義法第9条に基づいて正義を執行する必要もあるだろう。
手汗で滲むウェイクアップペンシルをちらりと確認し、トイレの前から一歩、踏み出したーーーその時。
「ーーーッ!?」
しまった、と気づいた時には既に遅かった。
不意に足元から立ち昇る七色の光芒に包まれ、俺は再び細い管に無理矢理押し込まれるようなあの奇妙な感覚に襲われる。
くそッ、空間転移だーーー遠ざかっていく意識を手放すまいと気力で繋ぎ止め、光の中を通り抜けたその先に、俺は蹌踉めきながらも降り立った。
ーーーここは……?
転送されたその場所はこれまで案内されたどの部屋よりも広く大きな空間だった。
中央に五人席のコマンドシート、更にその奥には二人席のオペレーションシートが並び、それを囲むようにして見知らぬ文字を映し出した円柱状の巨大な立体映像が幾本も聳え立っている。人気のない室内を満たす淡い光が規則的に明滅する様々な機器類を一様に青白く染め上げ、部屋全体に蔓延する形容しがたい異様な雰囲気を煽り立てていた。
ーーーあの強制空間転移のタイミングから見ても、どうやら奴らが俺を監視してやがるのは間違いなさそうだ。
警戒しながらゆっくりと巡らせた視線の先、中央部コマンドシートに設置された三次元型の大型スクリーンモニターに突然宇宙共通語で言葉が表示されるーーー『ようこそ我らが司令室へ』。
それを見て俺は思わず鼻で笑ってしまった。
ーーーナメられたモンだな。俺の存在を知った上で、むざむざ自分達の心臓部へ招き入れるとは……。
低く舌打ちし、右手の親指で唇をそっと撫でる。
ーーー望むところだ。罠だろうがなんだろうが構わねぇ。お前らの侵略計画なんざ、俺が今すぐぶっ潰してやる!
手にしたウェイクアップペンシルを構え、今まさにギアブレスレットに突き刺そうとした、その瞬間。
「ッ!?」
不意に背後に強烈な殺気を感じ、弾かれたように振り向いた俺の眼前に突き付けられたのは、黒光りする銃口。
「おっと、動くなよ。じゃねぇとこの場に脳味噌をぶちまけることになるぜ?」
静かに、低く響き渡るドスの効いた声。
つい先ほどまで誰もいなかったはずのそこにいたのは、古傷まみれの茶色い米粒野郎ーーーゲンだった。手にした銃を真っ直ぐこちらへ向けたまま、憎しみの篭った瞳で烈火の如く俺を睨みつけている。
ーーーくそっ、空間転移か……!
視界を遮る冷たく鈍い銃口の煌めき。
背中を伝う冷たい汗。
互いに身じろぎひとつせず睨み合う。
高まる緊張ーーーその沈黙を先に破ったのはゲンの方だった。
「フン、まさか客人に紛れ込んでやがるとはな。迂闊だったぜ……なぁ?宇宙正義さんよォ!」
更にその背後に椅子ごと空間転移して来た乳白色の米粒野郎ーーームセンが、銃を突きつけられた俺を見て愉快そうにけたけたと笑う。
「悪ィがお前のことは調べさせてもらったぜェ〜。コッチにとっちゃ死活問題なんでナ」
俺は突き上げる怒りのまま、前方の二人へと向かって吼えた。
「KM星人……てめぇら、自分達がなにしてやがるか分かってんのか!」
微塵も表情を崩さないゲンへと言葉を追い打つ。
「銀河特定保護惑星への不干渉条約違反及び侵略行為は第一級の重罪だ。KM星は惑星諸共粛清されても文句は言えねぇんだぞ」
「それがどうした。そんなのは俺たちには関係のない話だ」
唸るようなゲンのその言葉を鼻で軽く笑い飛ばし、俺は静かに言い放った。
「生憎だがそうはいかねぇんだよ。お前らのしていることは許されないーーーこの宇宙のどこへ行こうと、正義はひとつだッ!!」
瞬間、突き上げた左腕で目の前の銃を払い除け、流れるようにゲンの胴体に蹴りを叩き込む。
「ぐうっ!」
素早く体勢を立て直したゲンが引鉄を引いた時、俺は既にウェイクアップペンシルを起動していた。
『wake up,006 phase3』
火を吹く銃口、撃ち出された幾つもの弾丸が、俺に届く寸前で須らく蒸発していく。
「現行犯だ、KM星人。宇宙正義の名において、これよりお前達に正義を執行するッ!!」
身体から噴き上がる蒸気を切り払い、銀色に煌めくphase3の姿で猛然と距離を詰める。
「チィィッ!」
硝煙と共に雨霰と撃ち込まれるゲンの弾丸。しかし流動金属を思わせる生体鎧の前にそれらはまるで意味を成さず、次々と俺の身体の上で虚しく燻っていく。
「ダァアアッ!!」
振り抜いた俺の拳がゲンを掠め、その手にあった小型拳銃を木っ端微塵に打ち砕く。横っ飛びで辛うじてその一撃を躱し、転がるようにして俺との距離をとったたゲンだったが、その顔に明らかな焦りが浮かんでいるのを俺は見逃しはしなかった。
「ムセン!」
「はァいヨ。受け取りナ」
椅子ごと部屋上空へ浮かび上がり、戦闘から避難していたムセンがゲンの声に応えて手にしたタブレットを操作する。直後、それに連動するようにしてゲンの手元に転送されてきたのは輝きを帯びた剣だった。その刀身を煌めく赤い光が刃先に向けて静かに伝う。
「正義だと……そんなもの、クソ喰らえだ!!」
吐き捨てるような言葉と共に床を蹴って走り出し、俺の首目掛けてレーザーブレードを振るう。
しかし俺は身体を目一杯に逸らしてその一撃を避け、同時にエネルギーを込めた両手で赤く輝く刃を掴み取った。
「……無駄な抵抗はやめろ。お前らじゃあ俺には勝てねぇよ」
そのまま力づくで刀身をへし折り、矢継ぎ早に驚き慄くゲンの顔面を殴り飛ばす。
「ぐぅ……厄介な……ッ!」
ーーー当然だ。一介の侵略者に負けるようでは特務隊は務まらない。
「お前らの悪行もここまでだ。観念しな」
勝利を確信して見下ろす俺を睨め付け、ゲンがそれでもなお立ち上がる。
「フン、なに勝った気でいやがる。まだ勝負は終わっちゃいねぇぞ」
吼えるゲンの身体に次々と転送、装着されていくアーマー。全身に重火器を装備し、歩く砲台と化した茶色い米粒野郎が勇ましく叫ぶ。
「こっからが本番だ……行くぞ宇宙正義ィッ!!」
腕、脚、肩……その全ての装備が次々に展開し、各砲口にエネルギーが集束していく。
「発ッ……射ァア!!」
雄叫びと共に全砲門から一斉に光の束が放たれるーーーその寸前、声が響いた。
「ーーー撃方止メ。」
静かな、それでいてはっきりとした声。
咄嗟にそれに反応し、間一髪で発射を踏み止まったゲンが、憎々しげに虚空を見上げて声を荒げた。
「おいハク!てめぇどういうつもりだ!!」
その言葉に応えるようコマンドシート傍に空間転移で姿を現わすハク。
人間大の米粒に似たシルエットが鋭い視線をゲンへと向けながらまっすぐに歩を勧めてくる。
「実戦を目的とした武器の使用は禁じていたはずだ。直ちに武装を解除せよ、ゲン=マイ兵長」
「いいのかハク。こいつはーーー!!」
「この場では隊長、又は大尉と呼び給え」
「……ッ!!」
落ち着き払ったその態度とは裏腹に、只ならぬ威圧感を漂わせながら、一切の感情を排したような無表情な顔でごく自然に滞空する椅子の方へと目を向ける。
「ムセン=マイ特技兵、ここは君の持ち場ではい。加えて君の本分は来客を煽り立てることでもない。早急にこの部屋の迎撃システムを解除するのだ」
「ケケッ、了解ィ〜」
「了解……ッ」
軽い口調でタブレットを弄るムセンと、武装を解除しながら唸るように言葉を絞り出すゲン。
円柱状の立体映像が消え去り、代わりに明るい照明に包まれたこの部屋で、二人を背にしたハクが再び柔和な笑みを浮かべて俺と向き合った。
「宇宙政府最高決定機関機密保持審議会特殊任務機動隊、ユミト・エスペラントくん。私の部下たちが大変な失礼を働いたようだ。二人に代わって心からお詫び申し上げるよ」
軽く会釈する純白の米粒野郎を警戒しながら睨みつけ、軽く息を吐き出す。
「……やっぱりてめぇが親玉か」
「私はカストル区第108番惑星宇宙侵攻軍特殊先行部隊隊長、ハク=マイ。……尤も、それも昔の話だがね」
すかさず戦闘態勢を取る俺を手で制し、ハクが言葉を続ける。
「どうか待ってくれないか。我々にはもうこの星を侵略する意図はないのだ」
俺はそれを鼻で笑い飛ばし、冷淡に言い放った。
「くだらねぇ。俺にそんな戯言を信じろってのか?」
その言葉を受けてハクが苦々しげな表情で頷く。
「それが当然の反応だよ、ユミト君。断言してもいいが、私が君の立場なら間違いなくそんな言葉を信じたりはしなかっただろう。しかしそれでも私は君に話さねばならない。そして許してもらわねばならない。少々長くなるが、どうか聞いてはくれないか……この星を愛してしまった、間抜けな侵略者の話を」
奴の顔に既に微笑みはなかった。影の射し込んだ悲しげな表情で、奴が重々しく口を開く。
「我らの故郷、KM星は発達した科学によって惑星の全てを制御し、調和を生み出す素晴らしい星だった。誰もがここを宇宙の楽園だと信じて疑わず、この幸福が未来永劫続くと思っていた……それがとんだ驕りであるとも知らずに」
懐かしむような口調で遠くを見つめ、奴の話は続く。
「『行き過ぎた科学はいずれ惑星を
滅ぼす』ーーー聞き飽きたはずの古い万言も、いざ自分たちに降りかかるとなるとなぜか妙に感慨深く感じるものだ。我々の誇る科学は有ろう事か母なるKM星に牙を剥き、その中心核に修復不可能なまでのダメージを与えてしまっていた。そして我々がようやっとそれに気づいた時には、既に何もかもが手遅れとなった後だった」
そう言ってハクは顔を引攣らせるーーー自嘲気味に微笑んだつもりだったのかもしれない。
「滅びを前にした我らが星王は愚かなことにその事実を隠蔽し、宇宙政府はおろか自星の民たちにすら公表しないという方針をとった。なんのことはない……彼にとっては自らのプライドの方がKM星より重かった、それだけのことだ。そしてその代わりに選んだ手段が他星への侵略、それに連なる移住計画だった」
静まり返った空間にハクの話す言葉だけが響く。
当事者であるはずのゲンとムセンでさえ聞き入っているように見えた。
「しかし滅びゆく我々には正面から他星を侵略するだけの軍事力も、法の目を掻い潜るだけの時間も、宇宙政府を買収するだけの金すらも持ち合わせていなかった。だからーーー」
「……だから銀河特定保護惑星を狙った、ってワケか」
俺が言葉を継ぐと、ハクは大きく頷いた。
「その通りだ。作戦決行は宇宙共通の時間にして約2ヶ月前……何があったのかは君の方が詳しいのではないかね?」
俺の頭の中をあの忌まわしい屈辱の記憶がよぎり、思わず舌打ちしそうになる。
ーーー本部襲撃事件……!
「驚いたよ。たったひとりのテロリストにあの宇宙正義軍がああも追い詰められるとは……そして同時にそれは我々にとって好機でもあった。混乱の中で一時的に生じた防衛網の穴をつき、我が部隊は無事惑星GPへと潜入を果たしたのだ」
俺は唇を噛み締めたーーーあの事件後、宇宙正義の戦力低下に伴い各地の防衛が疎かになっていた時期があることは紛れもない事実だからだ。
「我々は迅速に作戦を展開すべくすぐさま行動を開始した。侵略の為の下準備、即ち偵察任務だ。私を含む七人の構成員たちはこの星の周期にして三年後の合流を約束して各自散会、個々に精通する分野への調査活動へと就いた」
ーーー七人……?やはり他にも仲間がいるのか。
「この星の人類の精神を識るべく潜伏した私は、たまたま近くを通りがかかったある少年を対象として観測を行なっていた。その少年は両親に疎まれ、蔑ろにされ、食事の代わりに日夜理不尽な暴力を受け続けていた。しかしそんな悲惨な境遇にいる少年を救おうとする者は誰もおらず、彼は常にひとりで過ごしていた」
ハクは憂いを帯びた表情でその少年の話を語り続ける。
「そんな彼の家の近所に位置する公園、そこのトイレの横に設置されたゴミ箱が彼の唯一とも言える食事場だった。瘦せ細った骨と皮ばかりの少年は、飢えに苛まれながら生きるためにゴミを漁り、そこで得る僅かばかりの残飯を食べることで幼い命を繋いでいたのだ。無論、そんなものですら手に入らない時も多々あったが」
想像するだけで胸糞が悪くなるが、この宇宙ではそれなりによくある話だ。血の繋がった我が子にすら愛情を注げない哀れな外道は彼方此方に、それこそ星の数ほど存在する。
「暫くの間そうした彼と彼を取り巻く環境を観察し、私はこの星を侵略するのは然程困難なことではないと断定した。この星の人類は互いに信頼し合うこともなく、誰もが徹底して他者との接触を避け、画一化された社会の中で個人として生きているに過ぎなかったからだ。少年のような弱者に手を差し伸べる者はおらず、却って異端児として排除しようと圧力をかける。冷酷で薄情で、他者に対して極めて無関心な"繋がりを失った文明"だ。侵略するには実に都合の良い星だと確信を得ていたーーーそう、あの日までは」
ハクはそこで一息置き、なにやら覚悟を決めるように大きく息を吸い込んだ。
「雨の降りしきるその日、少年は生命の危機に瀕していた。もう一週間も何も口にしておらず、飢えに耐えかねて盗みを働いたところを店番達に見つかり、容赦無く袋叩きにされた直後のことだった。這々の体で逃げ出した彼は最後の力を振り絞り、一縷の望みに賭けてあの公園へと赴いた」
「ケケッ、隊長〜、見せてやった方が早いんじゃねェっスか」
ムセンがタブレットを弄ると同時にコマンドシート中央のモニターが起動する。そこに映し出されたのは、土砂降りの中で必死にゴミ箱を漁るひとりの少年の姿だった。そのあまりにも残酷な世界の光景につい目を逸らしそうになる。
「覗き込んだゴミ箱の中に、果たして希望は存在した。食べかけのまま放棄された弁当も、その時の彼にとってはご馳走だったことは想像に難くない。少年は血走った眼でそれに齧りつこうとした。しかしその時彼は見てしまったのだ。ゴミ箱の裏で力なく倒れた小動物の姿を」
モニターの中でか細く鳴く瀕死の小動物。だが映し出されていたのはそれだけではなかった。
「……弱り果てたその小動物の隣にはさらに小さな命達の姿もあった。どの個体も今にも餓死しそうな状態であるにも関わらず、母親の側から決して離れまいと寄り添うようにして集まっていたよーーーその光景を見た少年は、驚くべきことに手にした食事を躊躇いなく彼らに差し出したのだ」
そこまで話して初めて、ハクがわずかに微笑んだ。
「自分の命も顧みない自己犠牲の精神ーーーそれはこの宇宙の何よりも愚かで、同時に何よりも気高く尊い行為だった。彼に感銘を受けた私は自らの行動がこの作戦を、延いては母星を滅ぼすことを知りつつも、その場に崩れ落ちた哀れで勇敢な少年の命を助けずにはいられなかった……もうお分かりだろう、その少年こそがタカトだ」
「タカトが……」
『いないよ。ぼくには、お父さんもお母さんも』ーーー俺はようやく先程の彼の言葉を理解した。
「こうして私とタカトは出逢った。勿論、本来なら置き去りにするべきだったのだろう。しかし私にはどうしてもそれができず、また辛うじて一命を取り留めた彼の希望を汲み取り、私は彼を生まれ故郷から連れ去ることにしたのだ」
どこか遠くを見据えるように、米粒野郎が宙を仰ぐ。
「私はタカトと共にこの星の各地を巡り、かつてないほど多くの出会いを経験した。荒れ狂う大海原、突き抜けるような青空、時に震え時に怒る大地、幻想的な夕暮れ、渦巻き輝く光極、鏡面の如き湖……言い表せない程に美しく掛け替えのないその全てに、私の心は強く揺さぶり動かされた。そして私は気づいたのだ。それらは全て、かつて我々が失ってしまったものなのだと。遥か昔、KM星人が自らを過信したその時から、既に我が母星は滅び去る定めだったのだ。この美しい星に我らと同じ運命を辿らせてはいけない。私は、故郷を裏切ることを決意した」
その言葉は一片の濁りもなく、ただそっと空気に溶け、消える。
「私にとって幸運だったのは、旅の途中で合流したゲンとムセンが、裏切り者である私の考えに賛同し、あまつさえ私の下に着いてくれたことだ。二人とタカトの存在が、罪悪感に苛まれる私の心を救ってくれたと言っても過言ではない」
「フン、俺はこの侵略作戦には最初から反対だった……それだけのことだ」
ハクの言葉を遮るようにしてゲンが言い放つ。しかし強気な言葉とは裏腹に、その口元には僅かに笑みが覗いていた。
「司令塔となる奴がいたほうが都合がいいしな」
「ケケッ、相変わらず素直じゃねェなァ、ゲン先輩?」
ゲンを揶揄うように笑いながら、ムセンも会話に割り込んでくる。
「オレはいつでも面白ェ方の味方だゼ?コッチの方が刺激的だったからヨ……まァ正直、滅びを繰り返すだけの文明なんざ御免だしナ」
笑顔で二人に頷いて返すハク。しかしその表情はまたすぐに憂いを帯びたそれへと戻る。
「だが残りの四人はそうはいかなかった…当然だ。皆、愛星心や同胞を想う心から志願した者たちばかりなのだから。各々に調査偵察を終え、三年を経て再集結を果たした彼らと我々の意見が食い合うはずもなく、論争はそのまま泥沼の殺し合いへと縺れ込んだ」
そこで初めて、ハクが言葉を震わせた。
「……同族同士の辛く醜い争いの果てに私たちは勝利した。四人を処刑し、データを改竄した上で母星へと虚偽の報告を行なったのだーーー『任務失敗。特殊先行部隊は全員死亡により壊滅、惑星GPはKM星人の移住に適さない環境の星である』……と」
悲しみ、諦め、虚しさ……その全てが混沌と渦巻く表情で、ハクが静かに息を吐き出す。
「もはやKM星に物資の余裕はない。恐らく調査が来ることも、第二侵略部隊が来ることもないだろう。我々は故郷を、同胞たちを捨てて、今も惑星GPにいる」
ハクはそこで言葉を止め、まっすぐに俺を見据えた。
「ユミト・エスペラント君、どうか我々を見逃してはくれないか。我々はただこの星で、タカトと共に生きていきたいだけなのだ」
頼む、と頭を深く下げるハク。
俺はそれを見下ろす形で冷ややかに言い放った。
「言いたいことはそれだけか」
俺の答えは最初から決まっている。
躊躇うな、俺。迷うことなど何もないーーー俺は俺のすべきことを果たさねばならないのだ。
「……例えどんな理由があろうとお前らを見逃すわけにはいかねぇんだよ。俺が宇宙正義である限りな」
「やはりか……」
「悪く思うなよ、KM星人」
俺は拳を固め、諦めたように項垂れるハクに向けて一気に駆け出した。
「貴様ッ!!」
「やべェッ!」
ゲンが武器を、ムセンがタブレットを構えた時、既に俺とハクとの距離は間近にまで迫っていた。
ーーー終わらせてやるッ!!
その瞬間、幼い声が響いた。
「やめろぉおおおお!!」
横から猛然と割り入った小さな影が、両手を広げて俺の前に立ちふさがった。
「タカトッ!?」
驚くKM星人たちを他所に、少年は肩で荒い息をしながらも怯むことなくまっすぐに俺を睨みつけている。
「やめろ!ハクたちはなんにも悪いことしてないんだぞ!」
入り口付近をちらりと見遣ると、そこにはエメラ・ルリアン、"ラセスタ"、トラン・アストラの姿もあった。全員が驚きつつも何かを察したようにこの状況を見守っている。
「タカト退がれ!」
「チィッ!」
ゲンとムセンがタカトを庇うようにして素早く進み出る。しかし少年は渾身の力で彼らを押し退け、勢いよく前へと飛び出した。
「お前なんか……お前なんか大っ嫌いだ!ぼくがやっつけてやる!うあああああ!!!」
両腕を大きく振り回しながら俺の懐へと駆け込み、流動金属のような銀色の体表に殴りかかる。
「ムセンは変なところもたくさんあるけど、ほんとは頼りになる人なんだ!!ゲンは普段はこわいけど、ほんとは優しくて強い人なんだ!!ハクは初めてぼくの話を聞いてくれて……初めて一緒にごはんを食べてくれた……みんなぼくの大切な友達で、大切な家族なんだ!!」
最後の方はほとんど絶叫だった。嗚咽し、泣きじゃくりながら、タカトが小さな拳を何度も何度も俺の鳩尾へと打ちつけるのを、俺はただ黙って見下ろしていた。
「だから……だから……っ!!」
ついに力なくその場に膝をつくタカト。
その姿に、幼い頃の自分の影が一瞬、重なった。
「ゔゔッ……ぐおぁああ!!」
突然、鳩尾を押さえて後退し始めた俺を、タカトが驚いた顔で見上げる。
俺は少しドスを効かせた低めの声色で涙目の少年に告げた。
「おのれぇ小僧!覚えてろよォ!」
そのまま踵を返し、一目散に出口へと駆け出す。
呆気にとられるエメラ・ルリアンたち三人の横を走り抜け、その勢いのまま廊下へと飛び出した。
「……ふぅ、こんなもんか」
最初の角を曲がった先でようやく立ち止まり、変身を解く。
断っておくが、タカトのへなちょこパンチが本当に効いたワケでは決してない。あれはーーー。
「フン、下手な芝居だ」
通路に空間転移してきたのはゲンだ。薄汚れたその顔面にありありと困惑の色を浮かばせ、警戒するように俺を睨みつけている。
「……貴様、一体どういうつもりだ?」
俺は鼻で小さく息を吐き出し、事も無げに言ってみせた。
「なんの話だ。俺は宇宙正義だぞ?そんな人間が、法を犯して銀河特定保護惑星に立ち入っているはずがないだろう。……俺は、何も見ていない。それだけのことだ」
その言葉に目を見開くゲン。面食らったようなその表情が、徐々に穏やかなものへと変わる。
「そうか……そうだな」
と、瞬時に表情を引き締め、直立不動の姿勢でピンと張った右手を額に翳すーーーゲンの見事な敬礼を背に、俺はふっと笑って歩き出した。
「ハクぅうううよかったよぉおおお!!!」
「心配をかけてすまなかったね。ほら、そろそろ泣き止みなさい。男の子だろう?」
何食わぬ顔で司令室へ戻ると、そこには嬉しそうにハクに抱きつくタカトの姿。
それを眺めていると、不意に心の内側に何か温かいものが込み上げてくるのを感じたーーーそれがなんなのかは分からなかったが、何故か不思議と悪い気はしない。
「おかえり、ユミト」
「ふふっ、随分と長いトイレだったね?」
俺の肩を軽く叩いて微笑むトラン・アストラ。その横でエメラ・ルリアンと"ラセスタ"もまた、柔らかな表情を浮かべている。
「あぁ、まぁな」
照れ隠しに右手で唇をそっと撫で、口角を少し吊り上げる。
俺たちは暫くの間、幸せに満ち溢れたその光景を見守っていた。
程なくして俺たちは惑星GPを後にした。
衛星軌道上に空間転移されたおかげで誰に知られることもなく、こうしてまた無事に旅を再開できた事実にひとまず安心する。
「タカトたち、大丈夫かなあ?」
「きっと大丈夫さ。だってすごく良い家族だったじゃないか」
窓辺に腰掛けた俺の耳に"ラセスタ"とトラン・アストラの会話が届き、別れ際のタカトたち四人の笑顔を思い出す。
「でも意外ね、あんたがハクたちを見逃すなんて。正直見直したわ」
分かったような口ぶりで話しかけてくるエメラ・ルリアンを一瞥し、俺は精一杯の強がりを込めて肩を竦めてみせた。
ーーー正直なところ、KM星人たちを見逃した理由は俺にもよく分かっていない。
まぁ尤も、俺がタカトの境遇に同情し、彼と幼少期の自分を重ね合わせたのだと言われてしまえばそれまでの話であるがーーー俺は思わず自嘲的な笑みを浮かべた。
ーーー私情を挟んだ上に自分の裁量で犯罪者を見逃すなんざ、宇宙正義が聞いて呆れるな。
今回の件で俺は自分の信じる正義を裏切ったことになる。しかしそれでも俺は、自身の判断を決して後悔してはいなかった。
なぜならこれは"宇宙正義特務隊のユミト・エスペラント"としての選択ではなく、ひとりの人間として俺が出した答えだったからだ。
ーーーあの時、己の生命が脅かされかねない状況だったにも関わらず、タカトはハクを守ろうと俺の拳の前に飛び出した。
生まれた星も違えば見た目も言葉も違う、同一組織に属しているわけでもなければ共にいる理由もないはずだというのに、タカトは自分より仲間を逃がそうと懸命に、必死に足掻いていた。
そしてKM星人たちもまた、そんなタカトを守るべくそれぞれに身を挺して動いていた。
あの瞬間、その光景に俺の心はかつてないほど強く揺さぶられたのだ。それはこれまでの俺の中の常識では到底あり得ないことだった。なんの下心もなく他者の為に尽くせる生命など世の中に存在するはずがないーーーそう確信していた俺にとって、庇い合う彼らの姿は衝撃そのものであり、まるで理解できないものだったからだ。
そんなことをして自分の命を落としてしまっては元も子もないではないかーーーと、不意に頭の中のタカトたち四人の姿に、視線の先にいる三人がオーバーラップする。
そうだ……俺はそんな馬鹿を他にも知っている。エメラ・ルリアン、"ラセスタ"、そしてトラン・アストラーーーこの三人もまた、他者の為に自分の生命をも厭わない特異な精神性の持ち主たちだった。惑星CNでの一件も、監獄惑星での戦いも、なにより俺と初めて出会ったあの時がまさにそうだったじゃないか。
俺はいつの間にか柔らかな表情で同船する彼らを眺めていることに気づき、慌てて顔を引き締めた。
ーーーこの宇宙は、悪意と闘争に満ちている。その事実に変わりはないーーーでも、きっとそれだけじゃないのだろう。
三人に悟られないように船外へと目を向け、既に星々の狭間へと消えていった惑星GPの方向を見遣る。
ーーーこの宇宙には、愛や善意といったものもまた同時に、そして確かに存在しているのだ。
今はただそれを信じてみたい。
心から、そう思えた。
「御社にはここで倒産して頂く……星王になるのは我が社の社長だ!」
「この星は今、王位継承を懸けた企業競争の真っ最中なんです」
「待て待て、仕事なんざ気にするな。一度きりの人生、もっと楽しもうぜ。な?」
次回、星巡る人
第42話 (株)ポップ☆スター




