第39話 たたいて・かぶって・参るで候!
今回登場するござる口調の彼は、『コスモスアドベンチャー』同様僕の昔書いた別作品『ココロカケル極星』のキャラクターとなります。
宇宙中を駆け回り、人の心に棲み着いた"影"を祓っていくーーーそんな彼の物語とエメラたちの旅路が交錯するこの前後篇を、どうぞお楽しみください。
いつもたくさんの閲覧、拡散ありがとうございます。相も変わらぬ不定期更新ですが、気長にお付き合い頂けると幸いです。
それではまた次回でお会いできますよう。
暗闇の中を、息を切らせて走る。
肺を突き刺すような冷たい空気をかき分け、誰かを追いかけて必死に走る。
胸が焦れ、足がもつれる。
もどかしく、呼吸が苦しい。
それでもただひたすらに走った。
走りながら俺は叫んでいた。
「たすけてお父さん!いかないでお母さん!ねぇ……ぼくをひとりにしないで!!」
まるで幼い子供が泣き喚くようなその慟哭は、誰に届くこともなくとこしえの暗闇の中へと溶けていくーーー。
「ーーーッ!!?」
弾かれたように跳ね起きて、慌てて辺りを見回す。
灰色の壁、所々剥き出しになった無機質なパイプ、簡易的なベッドと机、床に放置されたままの赤茶けた鯖剣ーーーなんてことはない、いつも通りの自室だ。
そこまで確認して、俺はようやく胸をなでおろした。
ーーー夢、か……。
肋骨の下で早鐘を打つ心臓を宥めつつ、荒い息で立ち上がる。
ーーーくそっ、胸糞わりぃ……。
心の中で悪態を吐きながら立ち上がり、そのまま自室を後にして洗面所へと向かう。
頭の中では先ほど夢で叫んだ言葉が鳴り止まない木霊のように反響していた。
ーーーお父さん、お母さん……ね。
呆れたようにため息をつく。
両親の存在などもうとうに忘れかけていた。
今更こんな夢を見るとは、気が緩んでいる証拠に違いない。
ーーーしっかりしろよ、お前は宇宙正義だろ?
自分に言い聞かせつつ洗面所で顔を洗っていた時、ふと背後に気配を感じた。
「うん?ユミトじゃない。どうしたのこんな時間に」
不思議そうにそう訊ねるのはパジャマ姿のエメラ・ルリアンだ。俺は不機嫌そのものの顔でその問いに答えた。
「……ちょっと顔を洗ってただけだ」
「ふぅん。……あ!もしかして怖い夢見たとか?意外、あんたにもそういうとこあるのね」
さも楽しげに笑うエメラ・ルリアン。俺は忌々しく思いながらもそれを無視した。
ーーーったく、無駄に勘の働く女だ。
水を止めて顔を拭う俺に、奴はさらに話しかける。
「怖いことがあった時は、自分が一番大切にしてることを心に思い描くと良いわよ。家族だったり、夢だったり……とにかく自分の根っこになってることをね。そしたらいつの間にか怖いことなんてどうでもよくなってるって、ラベルトーーー私の大切な人がむかしそう言ってたの」
「ハッ、そりゃどーも」
話半分に聞き流して自室へと戻り、勢いよくベッドに身を投げる。
ーーーバカバカしい。あの夢も、エメラ・ルリアンの話も。
怖いものなどあるものか。
俺は、正義の味方なのだから。
星巡る人
第39話 たたいて・かぶって・参るで候!
「その命、貰ったァ!!」
眼前に迫ったロングコートの男が、右腕に装着した仕込み刀を俺に向けて勢いよく突き出す。俺はその一撃を軽やかに躱し、反転して距離を取ると同時に口元に余裕の笑みを浮かべた。
「どうした、その程度か?」
「猪口才な……!!」
舌打ちして俺を睨み付ける男はティス・クトー。かつて数多の星々を内部より崩壊させてきた惑星工作員であり、俺の記憶が正しければ宇宙牢獄レベル3に収容されていた奴だ。
物資の調達の為に立ち寄った惑星OXにて、エメラ・ルリアンたちの留守を狙って飛行船に忍び込んで来たらしいティス・クトーの最大の誤算は、俺がたまたま船内に残っていたことだろう。
トイレ掃除中だった俺が不審な物音に気付いた時、奴は飛行船の動力炉をいままさに破壊しようとしていた所だった。
間一髪でそれを阻止した俺は、狭い船内での激しい攻防の末に奴を外へと叩き出し、それを追って自分も飛び出したーーー事の顛末はそんなところだ。
「答えろ、お前もラスタ・オンブラーの差し金か!?」
「だったらどうした。宇宙正義の犬コロ風情が」
「はっ、偉ッそうに……なんにしたって俺の前にのこのこ現れるとはいい度胸だ。今すぐ牢獄に送り返してやるぜッ!」
瞬間、俺は目にも留まらぬ速さでティス・クトーに急接近し、その胴体に連続した拳の嵐を見舞った。
恐らく反応することすらままならなかったのだろう、蹌踉めき後退る奴の側頭部目掛け、更に畳み掛けるようにして全体重を乗せた回し蹴りを炸裂させる。
一方的なその乱撃の前に手も足も出ず地面を転がるティス・クトーを見下ろしながら、俺は右手の親指で唇をそっと撫ぜた。
ーーー変身するまでもなさそうだな。
そもそも惑星工作員とは複数人で小隊を組んで行動するのが定石であり、個々の能力はーーーこと白兵戦に関してはーーー然程高いものではない。
恐らくティス・クトーは動力炉を破壊したのちに船体に細工を施し、エメラ・ルリアンたちが帰ってきたタイミングで罠を起動、全員捕獲と企んでいたのであろうが、もしこの現状を想定出来なかったのだとするならマヌケもいいところである。
ーーーたかだか惑星工作員ごときが特務隊の俺に勝とうなんざ、百億年早ぇぜ。
「おのれ!」
不意に奴が懐から十数枚の円盤状の刃を取り出し、一振りでその全てを俺に向けて投擲する。
迫り来る無数の円月輪。
無傷で躱し切ることは出来なさそうだと咄嗟に判断し、俺は心の中で前言撤回して素早くウェイクアップペンシルを起動したーーーと、そのとき、突如として上空より飛来した目映い光が、円盤状の刃を須らくはたき落した。
「遅くなってごめんね、ユミト」
音を立てて地面に転がる円月輪をよそにヒトの形へと集束していく光ーーートラン・アストラが俺に微笑みかける。
俺は顔には出さず、心の中で密かに毒づいた。
ーーーけっ、余計な事を……。
「ちょっとあんた!私たちの船になにしてくれんのよ!」
エメラ・ルリアンがティス・クトーを指差して怒鳴りつける。彼女の傍らには買い物袋を抱えた"ラセスタ"の姿もあり、トラン・アストラがふたりを連れ帰ってきたのだろうと推察することができた。
「観念するんだね」
「お断りだ。まだ勝負は決まっていないッ!」
言うや否や再び円月輪を投げ放つティス・クトー。幾枚もの回転する刃が急旋回し、俺たちではなくエメラ・ルリアンたちの方へと空気を切り裂いて飛ぶ。
ーーーッ!?
瞬間、俺が動くより遥かに早くトラン・アストラが動いた。銀色の残光を曵いてエメラ・ルリアンたちの前に飛び込むと同時に右手を翳し、前方に見えない壁を展開する。
次々と弾かれて地面を転がる円月輪を余所に、トラン・アストラか冷ややかに言い放った。
「……穏便に済ませるつもりはなさそうだね」
氷のように鋭いトラン・アストラの視線がティス・クトーを射抜き、奴が僅かに怯む。
ーーー今だッ!
即座に地面を蹴って急接近する。
奴が気づいた時、俺は既にその顔面を狙って拳を振り上げていた。
「もらったァ!!」
と、その時、なんの前触れもなくティス・クトーがトラン・アストラの姿へと擦り変わる。
「ッ!?」
驚愕する俺を見て不気味な笑みを浮かべるトラン・アストラーーーに擬態したティス・クトー。
永遠にも似たその一瞬、愉しげに揺らぐ奴の瞳が俺に囁きかけたーーー『大切な仲間の顔を殴れはしないだろう?』。
俺はふっと微笑み、叫んだ。
「しゃらくせぇ!!」
全力で振り下ろした拳がトラン・アストラーーーに擬態したティス・クトーの顔面にめり込み、そのままの勢いで奴の身体を吹き飛ばす。
「馬鹿な……ッ!仲間の顔をなんの躊躇いもなく殴るとは……貴様それでも宇宙正義か!?」
「けっ、てめぇなんぞに言われたかねぇよ。薄汚ぇ手ばっか使いやがって」
地面に叩きつけられたティス・クトーが呻きながら元の姿へと戻っていく。
恐らくは奴の惑星工作員としての能力が擬態なのだろう。厄介には違いないが、よりによってその姿を選んだのが運の尽きだ。
「悪いが俺には通用しないぜ」
尤も、たとえ本物のトラン・アストラであったとしても俺は躊躇いなく殴っていただろうがなーーーと、心の中で付け加える。
「さぁ、お片付ーーー」
「待つんだユミト。なんだか様子がおかしい」
俺の言葉を遮るトラン・アストラ。訝しげなその顔はまっすぐにティス・クトーを見つめていた。
「ウググググ……ガガガ……や、やめろ……来るな!来るな!来るなァアアア!!」
ーーーなるほど確かに普通とは言い難い。
ティス・クトーは突如として頭を抱え、まるで何かに怯えるかのようにして奇声を発していた。半狂乱で辺り構わずのたうち回るその姿には、思わず哀れみさえ覚えるほどだ。
と、次の瞬間。
「うわぁああああいやだぁあアアア!!!」
悍ましい絶叫を轟かせ、奴が口から黒い煙を吐き出す。いや、口だけじゃない。目、鼻、耳……身体中から大量の闇を噴き出し、やがてティス・クトーは黒煙に呑まれるようにして跡形もなく消滅してしまった。
ーーーいったい何が……!
「みんな、気をつけて!」
トラン・アストラの声が微かに聞こえるが、その姿はもうどこにもない。エメラ・ルリアンも"ラセスタ"も、飛行船すらも、周囲の何もかもが黒い霧に覆われて見えなくなっていた。
ーーーなんだこれは……!?
いつの間にかティス・クトーの身体から溢れ出した闇が辺りに拡がり、一歩先も見えない程の濃霧となって俺たちを包み込んでいたのだ。
突然のことに僅かに狼狽ながら、それでも慌てて重心を低くして臨戦態勢をとる。ウェイクアップペンシルを顔の横に構えたまま、警戒心も露わにゆっくりと辺りを見回すが、目の前にはただただ黒い霧が広がるばかりだ。
痛いほどの静けさと張り詰めた緊張感の中、それでも五感を研ぎ澄ませて立ち込める霧の向こうへと目を凝らす。
これは只事じゃない。なんだ、何が来るーーーと、そのとき、不意に背後に気配を察知して弾かれたように振り向く。
そして自分の目を疑った。
「な……ッ!?」
信じられない。信じられるはずがない。
なぜ……どうしてこいつがここににいるんだ。
「助……て……さん……いかな……で……母……ん……」
ぶつぶつと呟きながら覚束ない足取りでこちらへ歩を進めるその姿。それは幼い頃の俺の姿そのものだった。
本能に訴えかける恐怖に思わず後退る。
ーーー何をしているんだ。こんなのは幻に決まっている。戦え、戦うんだ。動け……動けよ、俺!!
しかし思いとは裏腹に身体には全く力が入らず、俺は無様にも膝から崩れ落ちてしまった。
徐々に近づいてくる幼い頃の自分。その姿が、その顔が、濃霧の中でも不自然な程にはっきりと確認できた。
「助けてお父さん行かないでお母さん助けてお父さん行かないでお母さん助けてお父さん行かないでお母さん助けてお父さん……」
壊れたように同じ言葉を繰り返す幼い顔が、腐敗したようにどろどろと溶け始めた。両の目玉を落としても構うことなく、落ち窪んだ眼窩から黒い血涙を垂れ流してただひたすらにゆっくりと前進を続ける。
やがてその左腕が腐り落ち、右脚が捥げ、もはや原型も留めぬ黒い肉塊へと成り果てた幼少期の俺が、呪詛を呟きながらとうとう俺の眼前に辿り着いた。
「さみしい……サミシイ……ぼくはひとりぼっち……ずっと……ズット……ねぇ助けて……誰か……助けてたすけてタスケテタスケテ……」
その腐った吐息に全身の力が抜け、ウェイクアップペンシルが指の隙間を滑り落ちる。その瞬間、俺の精神は幼少期へと退行していた。
俺は泣きながら両手で固く耳を塞ぎ、怯えるままに叫んだ。
「あ……ああぁ……助けて……たすけてお父さん!!いかないでお母さん!!どこ!?どこにいるの!?うぅ……うわあぁああアァアアアアアアッ!!!」
腐敗した右腕が、ゆっくりと俺の顔に伸ばされるーーーと、そのとき。
「諦めるなでござるッ!!!」
白の光刃が目の前の闇を切り裂き、粉塵の如く吹き飛ばす。
咄嗟に振り向いた俺を見下ろしていたのは、全身に板金鎧を纏った白銀の戦士だった。
「危ないところでござったな」
甲冑の男はなにやら大柄な戦鎚のような武器を構え、ゆっくりと俺に頷いてみせる。
「……うぅむ、今はどうにもできんでござるな。お主、立てるでござるか?ここは一旦退くでござるよ!」
言うや否やそいつは俺の襟首を掴んで踵を返し、霧の中を一目散に駆け出す。
板金鎧に半ば引きずられながら濃霧を抜けると、外には新鮮な空気が広がっていた。
走りながら後ろを見遣る。どうやら今までいた辺り一帯だけが濃霧によってドーム状にすっぽりと覆われていたようだった。
「流星号ォオオッ!」
甲冑の男が指笛を鳴らすと、霧の中から軽快な足音と共に四足歩行の動物が姿を現した。
美しい鬣を靡かせて地面を駆けるしなやかな銀の体躯。そこから伸びる長い四肢が力強い蹄の音をたててその背に乗せたエメラ・ルリアンと"ラセスタ"を運んでいる。
揺られるふたりは弱り果ててはいたものの意識はあるらしく、心配そうな目で遠ざかる霧を見つめていた。
それを訝しげに思うまでもなく、俺もまた気付いたーーートラン・アストラがいないのだと。
そんな俺の心を読んだかのように、板金鎧は静かに言い放つ。
「彼を救うのは後回しでござる。いまはとにかく逃げるでござるよ!」
暫く走り続けたのち、街に程近い草原へと辿り着いたところで板金鎧の男は立ち止まった。
「ここまで来れば大丈夫でござろう」
遅れて追いついた銀の動物が、ゆっくりと脚を追ってエメラ・ルリアンと"ラセスタ"を降ろさせる。
「あの、ありがとうございます。あなたは……?」
おずおずと訊ねたエメラ・ルリアンに、板金鎧の男は銀の動物の面長の頭を撫でながら答えた。
「おお、これは失礼仕った。拙者はムルカ・ボロス。こっちは愛馬の流星号。我らは虹の騎士団に所属する"白の者"にござる」
「虹の騎士団……?」
「はっ、宇宙正義に意を唱えるインチキ集団だ。エリダヌス区を拠点にしてるって話だったが……遠路遥々ご苦労なこった」
虹の騎士団ーーー歴史の起源や平和の在り方について、宇宙正義に対し事あるごとに突っかかってくる全天指定危険組織のひとつだ。支離滅裂かつ意味不明な主張や侠客気取りのデモ行為等で有名であり、特務隊の仲間内でも"銀河のお騒がせ自警団"として専ら笑い話のタネとなっていた。
「お主、やはり宇宙正義の者にござったか」
あくまで強気を取り繕って口を挟んだ俺に、哀れみを込めたような眼差しを返す板金鎧ーーームルカ・ボロス。
「対立するのは仕方ないことでござる。虹の騎士団と宇宙正義とでは信じる正義のカタチが違うでござるからな」
曰く、虹の騎士団とは数万年前にこの宇宙を平和に導いたとされる"太陽の戦士"の意思を受け継ぐ者たちの集いであり、身につけている板金鎧はその英雄とやらを模したものなのだそうだ。
ーーーくだらねぇ。
俺は心の中で蔑んだ。
この宇宙の歴史に"太陽の戦士"などという人間は存在しない。数万年前ーーーつまりは星間戦争時より銀河の秩序と平和を守り続けてきたのは他でもない宇宙正義なのだ。虹の騎士団がどんな歴史や英雄を捏造しようと、その主張はすべて虚言に過ぎないとはっきり言い切ることができた。
板金鎧を軋ませ、ムルカ・ボロスが首を振った。
「しかし今はお主と争っている場合ではないでござる。一刻も早く、霧の中のあの御仁をお助けせねば!」
勢い勇んで駆け出そうとする甲冑姿が、エメラ・ルリアンの問いかけにはたと足を止める。
「ねぇ教えて。あれは一体なに?トランはどうなったの?」
泣き出しそうな顔の彼女を真っ直ぐに見据え、ムルカ・ボロスは重々しく口を開いた。
「あれは謂わば宇宙に蔓延る病原菌のようなものでござるよ。人の心に巣食い、内面より蝕む悪意の化身ーーー拙者らはそれを"影"と呼んでいるでござる」
戸惑う俺たち三人を余所に、奴は語り続ける。
「拙者の追っていたあの哀れな犯罪者も、"影"の幼体に寄生され、密かにその心を侵食されていたのでござるよ。そして彼奴らは成体になると同時に宿主を喰らい尽くして外へと飛び出し、周囲に餌場を形成する……つまりはあの霧のドームがそれでござる」
ーーーなるほどな。ようやく合点がいった。
つまりティス・クトーはその"影"とかいう奴の仕業であんな死に方をしたという訳か……つくづく哀れな奴だ。
「餌場?え……じゃあ、トランはその"影"ってやつに食べられちゃったの?」
"ラセスタ"の問いに、ムルカ・ボロスは鎧を軋ませて重々しく頷いた。
「彼奴らは人が心の奥に抱く闇ーーー所謂トラウマ、というヤツでござるーーーを餌にしているでござる。察するにあの御仁ーーートラン殿は余程深い闇を心に抱えていたのでござろう。成体となったばかりの"影"があれほどの勢いで貪りつくのを、拙者は初めて見たでござる。放っておけばいつぞや彼の心は崩壊し、ただ生きているだけの抜け殻になってしまうでござろう。そうなる前になんとしてでも助けださねば」
「だったら僕たちもーーー!」
「それはダメでござる。あの霧が映し出すのは人の心の底にある"一番の恐怖"でござる。そうして"影"は餌となった者の心の闇を煽り立て、その精神が滅びるまで喰らい続けるのでござるよ。あそこに一歩踏み入れば誰もがその標的となるでござる。万が一があるやもしれぬ、無事に帰ってこれる保証もない……そんな危険なところに、お主らをむざむざと戻らせるわけにはいかんでござるよ」
キッパリと言い切られても尚食い下がろうとする"ラセスタ"を制し、エメラ・ルリアンが訊ねる。
「その"影"ってどうやって退治するわけ?……ていうか、そもそもどんな姿なの?」
「ううむ、彼奴らの形はちょっと説明し辛いでござるが、退治する方法ならあるでござるよ。ーーーこれを使うでござる」
そう言ってムルカ・ボロスはその背に担いだ大柄な戦鎚らしきものを掲げてみせた。
ーーーなんだこれは。これが……これが武器だと……?
間近で見るそれは、戦鎚というにはあまりにも粗末なものだった。白銀の板金鎧には不釣合いな真っ赤な円筒形をしたハンマー部分と安っぽい黄色の柄で構成されており、その柄の先端はーーー果たしてなんの意味があるのだろうかーーーフォークを思わせる三つの小さな刃に分かれている。ハンマー部分の左右の打撃面は明らかに軟質素材であり、とてもじゃないが威力には期待できない。いや、それどころか円筒側面に設けられた蛇腹構造によって自らの打撃の殆どを吸収してしまうのではないかと疑ってしまうほどだ。
俺は呆然と天を仰ぎ、心の中で呟いた。
ーーーいくらなんでも緊張感なさすぎだろ……。
これを武器と呼ぶのは武器に対して失礼だろう。
誇らしげな様子のムルカ・ボロスには悪いが、軽く一振りする毎にピコンと笛の音を響かせるそれはどう見ても大きめの玩具そのものだった。
「『聖柄鎚撃刃』K.O丸……この宇宙で唯一"影"を祓う事の出来るとされる、拙者の愛刀でござるよ」
ーーー愛刀……え、刀!?その見た目で!?
困惑する俺を余所に"ラセスタ"が食い気味に問い掛ける。
「それがあれば、トランを助けられるの?」
「……難しい質問でござるな。確かにK.O丸を使えば"影"を祓うことができるでござる。しかしそれではなんの解決にもならんのでござるよ」
「どういうこと?」
ムルカ・ボロスは大きく溜息をつき、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「拙者はあくまで"影"を祓うのみ。例えどれだけ彼奴等を祓おうとも、人が自らの心の闇に向き合い、打ち克たない限り、"影"は何度でもその者に忍び寄るのでござる。真の意味で"影"を根絶するためには、他でもない本人の意思の力が不可欠なのでござるよ」
甲冑から決意に満ちた瞳を覗かせ、俺たちを見回す。
「拙者はこれよりあの霧の中に突入し、トラン殿に呼びかけるでござる。彼の意識にすこしでも介入できれば、心の闇に打ち克つ手助けとなるやもしれぬ」
「だったら尚更、私たちも行くわ」
そう即答したのはエメラ・ルリアンだ。
「トランが苦しんでるのにこんなところで待ってるだけなんてできない。私たちの声なら、きっとトランに届くはず。ね、ラセスタ」
大きく頷く"ラセスタ"。
それを見たムルカ・ボロスが、板金鎧から溢れんばかりの涙を流して嗚咽し始めた。
「くぅうう……なんという気高き心でござろうか!拙者、感服致したでござる!!」
腕でぐいと涙を拭い、エメラ・ルリアンと"ラセスタ"の二人を凛と見据える。
「決意は固いようでござるな。ならば拙者に止める権利はござらん。ただしなにがあっても流星号の背からは降りぬと約束してもらうでござるよ」
ムルカ・ボロス曰く流星号は"影"に侵食されない特別な存在であり、騎乗している限りはあの霧の中であってもその恩恵を得ることができるのだという。
「……家族とは、良いものでござるな」
しみじみと呟いたのち、ムルカ・ボロスが真剣な表情で俺に向き直る。
「さてと。拙者たちはもう一度霧の中へと向かうでござるが、お主ーーーユミト殿、でござったなーーーはどうするでござるか」
突然の問いに俺は不機嫌そのもの声で答えた。
「……どうしてそんなことを聞く」
「聞いておきたかったからでござる。お主は先ほどあの霧の中で"影"の見せる幻影に屈し、あともう一歩で彼奴等の餌となるところでござった。運が悪ければ今頃は抜け殻か、或いは幼体を産み付けられていたやもしれぬ。お主の心はそれ程の闇を抱えており、そしてつまりそれは"影"にとって今のユミト殿が格好の餌食であるということを示しているでござる。再度あの霧に踏み込めば、間違いなく"影"どもはお主に集中するでござろう……だからもしお主が一緒に来なくとも、拙者は責めはしないでござるよ」
分かったような口を聞く板金鎧に、俺は敵意を剥き出しにして反論する。
「ふざけた事を言うな。俺の心に闇などない。そんなくだらない理由で逃げられるか」
「いいや、それは間違っているでござる。闇を持たぬ者などいないのでござるよ。拙者も、トラン殿も、そしてユミト殿も。誰の心にも闇はあり、そして誰しもがそれを抱えて生きているのでござる。何故ならそれこそが、揺るぎない生命の証だからでござる」
ムルカ・ボロスは俺を見下ろし、力強く頷いて見せた。
「大切なのは自分の心に向き合い、闇に打ち克つことでござる。ユミト殿、その覚悟はできているでござるか」
日光を浴びて白銀に煌めく板金鎧を睨め上げ、俺は静かに口を開いた。
「……聞くまでもない」
ーーー別にこいつの話を信じたワケじゃない。トラン・アストラを助けないことには監視任務を果たせない、ただそれだけのことだ。
それにここで引き下がったら、まるで俺が怖気付いて逃げたようではないか。冗談じゃない。
俺に怖いものなどないーーーあってはならないのだ。
あの霧の中で見た光景を振り払い、自分に言い聞かせるように心の中で繰り返す。
俺は宇宙正義の一員で、正義の味方なのだから。
数分後、俺たちは霧のドームの前にいた。
「トラン……待っててね」
「僕たちなら大丈夫だよ!だってほら、僕らは家族なんだからさ!」
緊張した面持ちで流星号の背に跨るエメラ・ルリアンと"ラセスタ"が、自分たちを鼓舞するように言葉を交わしている。
「皆、準備は良いでござるか」
ムルカ・ボロスの問い掛けに、俺たちは頷いて応える。板金鎧はそれを確認すると同時に背中からK.O丸を抜き、低く構えた。
「虹の騎士団"白の者"ムルカ・ボロス、いざ……参るで候ッ!!」
叫んで駆け出した奴の後を追い、流星号と俺も"影"の餌場めがけて地面を蹴る。
ーーー行くぜッ!!
飛び込んだ瞬間、ひやりとする感覚と共に俺の視界は濃霧に支配された。
四肢の奏でる蹄の音も、白銀の鎧姿も、全ては垂れ込める紗幕の中に溶けてゆきーーー。
ーーー俺は、ひとりになった。
「消えろ……!消えろ!消えろッ!!消えろォオオッ!!」
「どうしてあたしを殺したの?守ってくれるって約束したのに。ねぇ、どうして?どうしてどうしてドウシテ……」
「これ以上その人を侮辱するの、やめてもらえないかな?」
「ひとついいこと教えてやるよーーー今の俺は、もう独りじゃない!!」
次回、星巡る人
第40話 超絶怒涛のピコピコ野郎




