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星巡る人   作者: しーたけ
36/54

第36話 使命の拳

今までの人生でこんなにもエクスクラメーションマークを使ったことはありません。

そんな36話。


前回までまるで良いところなしだった第2部の語り手であるユミト・エスペラントですが、今回で少し彼という人物を分かってもらえたらなと思います。


さて、今回よりようやく旅物語を再開できた本作ですが、この先に彼らを待ち受けているものとはなんなのでしょうか。

どうかこれからも彼らの旅路を見守って頂けると幸いです。



いつもたくさんの閲覧、拡散ありがとうございます。それでは次回でまたお会いできますよう。

ーーーくそっ、どうしてこんなことに……!


その日、俺は激しい焦燥感に駆られ、狭い個室の入り口で立ち尽くしていた。


初出撃の日を思い出すような張り詰めた緊張感に、背中を冷たい汗が伝う。


監視任務の最中にまさかこんな厄介ごとに巻き込まれるなんて予想だにしていなかったことだ。

これまで特務隊として最前線で数多の任務をこなしてきたが、今回ばかりは流石にヤバいかもしれない。


…正直、何をどうすればいいのかすら分からないのが本音だ。

標的を破壊してしまえば一瞬で片がつくのだろうが、生憎支給されたのは強力な武器の類などではない。


俺は両手にバケツとブラシを握りしめ、目の前に待ち構える陶器製のトイレを見据えた。



ーーーどうすりゃいいんだ、これ……!?








星巡る人


第36話 使命の拳









話は数分前に遡る。


「はいこれ。よろしくね、ユミト」


エメラ・ルリアンが満面の笑顔で俺に洗剤の入ったバケツとブラシを手渡す。


「……なんだこれは」


反射的にそれを受け取りながらも、その行動の意図が理解できずに困惑する俺を見て、彼女はあっけらかんと言い放った。


「なにって、掃除道具だけど?今日からこの船のトイレ掃除をあんたにしてもらおうと思ってさ。あ、簡単な仕事だからって手抜くんじゃないわよ?」


さらっと述べられたあまりに予想外なその回答に、俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。


「はぁ?なんで俺がーーー」

「だってあんた、居候じゃない」


"居候"ーーー反論を遮って飛び出したこの言葉が、異様な重みを持って心にのしかかる。


「理由はどうあれ、この船で暮らすんだったらちゃんと役割が必要よね。ほら、トランは見張りやってくれてるし、ラセスタはご飯とか船の整備とかしてくれてるでしょ?」


「お前は?」


「私?私はこの船を操縦しなくちゃだから」


じゃ、よろしくねーーーそう言ってエメラ・ルリアンはご機嫌な様子で立ち去って行った。バケツとブラシを手に呆然と立ち尽くす俺を残して。




ーーーそうして現在(いま)に至る、という訳だ。

腰をかける輪の部分へと恐る恐るブラシを突っ込んで、そこからどうするべきか分からず動きを止める。

何せトイレ掃除など人生初めての体験だ。幼少期は孤児院、それ以降はずっと宇宙正義軍の寮で暮らしてきた俺にとって、家事とは苦手を通り越した天敵以外の何者でもなかった。



ーーーこんなことしてる場合じゃねぇのによ……。



先日の宇宙牢獄集団脱獄事件は、今や宇宙全土を揺るがす大事件として広く知られるところとなっていた。マスコミは星間史上稀に見る大失態として宇宙正義を激しく糾弾し、政府は非常事態宣言を発令、全戦力を投入して事態を収束させると発表した。


任務の為にテレパシーを打ち切っている今の状態では、俺には宇宙正義本部がどう動いているのかを知る術はない。しかしそれでも、機密保持審議会を含む全ての部署がてんてこ舞いであろうことは容易に想像がつく。

だというのにーーー…。


俺は深くため息をついた。


そんな状況だというのにどうして俺だけがこんなところで虚しく便器を掃除しているのか……頭の中をそんな疑念が目まぐるしく回る。


先の戦いで負傷した特務隊の仲間たちは無事だろうか。人体改造を受けていることを考えれば死んではいないハズではあるのだが、確証ある答えを得られない以上詮索のしようがない。


……思えばそもそも俺がトイレ掃除をするというのはなんとも理不尽な話だ。なんと言っても俺はこの船では食事をとっていないのだから。


任務中の食事というのは最も隙が生まれやすい瞬間である、というのは宇宙正義軍の兵士なら誰もが訓練生時代に叩き込まれてきた常識だ。ましてやこんな敵地の真ん中で、しかも敵に囲まれながらなどという考えは全くもって有り得ない。

だからこそ俺は毎日のように繰り返される奴らからの食事の誘いを断固として拒否しているのだ。


それに別に食事など携帯用戦闘袋(コンバットバッグ)内に忍ばせた簡易栄養錠剤ーーーこれは一粒で生きる為に必要な一日分のエネルギーを補給できる兵士用の食糧であり、成分の全てが無駄なく全身に行き渡ることから排泄すら必要としないという潜入任務には欠かせない必需品だーーーがあれば事足りるのだから、詰まるところ俺は自分は使用しないようなトイレをなぜか"居候である"という理由だけで掃除させられているということになる。


くそっ、俺だって別に好きでここに居候しているわけじゃないのにーーー。


「ッ!?」


と、その時、不意に横殴りの衝撃と共に個室が大きく揺れ、俺はブラシを握ったまま咄嗟に警戒態勢をとった。


どうやら飛行船を急停止せざるを得ない程の出来事があったらしい。何があったのかは知らないが、それがもしこの監視任務の障害になるようなモノであるのなら即刻排除せねばならない。


俺はブラシをバケツに突き刺し、躊躇うことなく個室を飛び出した。

静かな廊下を慌ただしく駆け抜けてコックピットルームの狭い室内へと飛び込むと、そこには既に同船する三人が集まっていた。操縦桿を握るエメラ・ルリアンとその後ろに立つ"ラセスタ"は呆けたような間抜けヅラで、その隣のトラン・アストラは訝しむような表情で、揃いも揃って前方を見つめている。

一体なにが…と窓の外へと視線を移し、俺も思わず唖然としてしまった。


「…なんだ、あれ」


飛行船の向かう先に浮かぶのは、一枚の大きなカードーーーとしか形容しようのない不思議な物体だった。

真っ白なその表面にでかでかとした達筆の黒い文字が踊っている。


「招待状……?」


口にした瞬間、招待状が不思議な光を放った。

しまった、と思った時にはもう遅く、その目映い輝きは俺たちを呑み込んでいくーーー。





「なんだここは……」

光が収まると同時に突如として耳をつんざく大歓声に包まれ、俺は驚きのあまり言葉を失った。


一体どういうことなのだろうーーー寸前まで確かに船の中にいたはずだというのに、いつの間にか俺は見知らぬドーム状の建造物の中央に呆然と立ち尽くしていた。

どこか競技場(コロシアム)を思わせるその中で、数百、いや、数千もの顔という顔がスタンドから何かを叫びながらセンターステージの俺を見下ろしているが、その光景はなぜか蜃気楼のようにほんやりと揺らいでよく見ることができない。


「エメラッ!?」

「エメラーっ!!」


訳がわからないまま辺りを見回す俺の耳に、歓声とは違う切羽詰まった声が届く。

咄嗟にその方へと振り向くと、そこには鉄格子の檻に囲われたトラン・アストラと"ラセスタ"がいた。そして悲痛な面持ちで叫ぶ二人の視線の先には、ドームの天井から細い鎖で吊り下げられたエメラ・ルリアンの姿がーーー!


「ッ!?」


どうやら気を失っているらしく、彼女はこの騒ぎの渦中でも身じろぎひとつしない。

反射的に助けに動こうとしたその時、突如として大歓声を更に上回るような馬鹿でかい声が響き、俺は思わず踏みとどまった。


「レェディィィィスエェェェンジェエントゥルメェェン!!大変長らくお待たせいたしました!只今より本日のメインイベントッ!ウルトラヘビー級オールギャラクシータイトルマッチィイイイ!!"星"紀の一戦の開幕だぁああああ!!!」


困惑する俺の頭上に、スポットライトが降り注ぐ。


「赤コォォナァアアア!!!宇宙正義の暴れ馬、ユミトォォォォ・エスペラントォォォォ!!!」


巻き起こるブーイングの嵐。見える範囲全ての観衆たちが、一斉に下劣なハンドサインを俺に向けて送っているのが視界の端に映るーーーあまり気分の良いものではない。


「青コォォナァアアア!!!銀河に吹き荒ぶスーパーノヴァ!!この僕ゥゥウ、マセラス・K・クレイィィィィィ!!!」


一転、アリーナ全体がひっくり返るほどの大歓声が湧き上がる。その全てを一身に背負い、ゆっくりとこちらに向けて歩を進めてくるひとりの男。

奴は俺の正面に立つと、満面の笑みを浮かべながら大柄で屈強な身体に纏った赤いマントを脱ぎ捨てた。


「やぁやぁやぁ!はじめまして!!君の噂はかねがね聞いているよ!今日は良い試合にしようじゃあないか!!!」


俺は返事をすることもなく、碧色の瞳を妖しく光らせる目の前の男をじっと睨め付けた。


ーーー俺はこの男を知っている。

マセラス・K・クレイ。数年前、連続無差別暴行殺人の咎で宇宙牢獄のエリア3へとぶち込まれた凶悪犯だ。どうやら先日の騒動の際に特務隊の攻勢を流れて脱獄を果たしていたらしい。

確か元は宇宙総合格闘技の選手だったとか聞いた覚えがあるが、詳しいことは知らない。今重要なのはこいつが逃亡中の凶悪犯であるという純然たる事実だけだ。


「悪党が……わざわざ捕まりに出てくるとはいい度胸だな。すぐに牢屋に送り返してやるぜ」


「オォオ!!乗り気じゃないか!!いいね!!すごく良い!!僕も燃えてきたゾォーーッ!!」


ーーーなんだ、こいつは。

言葉が通じていないのか……?


手を打ち鳴らし、陽気に体全体を大きく揺らして喜びを表すマセラス・K・クレイに、俺は呆れと苛立ちを隠しきれず舌打ちする。


「これは空間転移の一種か?御大層な仕掛けまで用意しやがって……答えろ、一体なにが目的だ!?」


「決まってるじゃあないか!僕は君と、楽し〜い戦いがしたいんだよ!!血湧き肉躍るような熱いヤツをね!!さぁ、早く始めよう!!そして僕をもっと燃えさせてくれぇッ!!」


ーーー暑苦しい上に面倒くさい。俺はこういうタイプの奴が一番嫌いだ。


と、そのとき不意に奴が俺の背後へと視線を移し、鋭い声をあげる。


「おっとぉ!君、やめておいた方がいいよォ?その檻には仕掛けがしてあってね、無理に壊した瞬間、上に吊り下げられてる女の子は……ドッカーン!!ってなワケさ」


振り向くと背後の檻の中で、トラン・アストラが悔しさと怒りの入り混じった表情で烈火のごとくマセラス・K・クレイを睨みつけているのが見えた。固く握り締めたその拳で今まさに檻を壊そうとしていたであろうことは容易に想像がつく。


「そんな!!なんでエメラにそんなことするんだよ!」


檻の中の"ラセスタ"も焦りを滲ませて叫ぶ。しかしマセラス・K・クレイは何を気にするでもなく、ただ楽しそうに声を張り上げた。


「なぁに、君達がなにもしなければ彼女は無事に返すよ!君達には大人しくそこにいてもらいたいだけなんだ。なんたって君たちは、大切な大切な今回の景品なんだからねぇ!!」


「はぁ?景品?なんの話をしてやがる」


「簡単なことさ!いまから君と僕とで勝負をして、勝った方に彼らが贈呈されるんだ!どうだい、ワクワクしてきただろう!?」


両腕を広げて高笑いする奴を一瞥し、俺は髪をかきあげて軽くため息をついた。


「……どうしてもぶちのめされたいらしいな」


ーーー明らかな任務の障害であると同時に、元を正せばこれは特務隊(俺たち)の失態が招いたものだ。

宇宙正義の一員として、自らの手でしっかり尻拭いをするのが筋だろう。


「その勝負、受けてやるよ」


満面の笑みを浮かべて拳を突き上げ、待ってましたとばかりにマセラス・K・クレイが叫ぶ。


「いぃぃよぉーーし!!決まりだぁッ!!じゃあ早速やろう!!そうしよう!!フリーオプションフリースタイル、ルール無用!!心躍る殺し合いの始まりだァーーッ!!」


瞬間、どこからともなく澄んだゴングの音が響き、唐突に戦いの火蓋は切って落とされた。


「じゃあ、いくよォ!!」


言うや否や素早く駆け出し、俺に向けて拳を突き出すマセラス・K・クレイ。さすが元格闘家だけあってその渾身のパンチは確かに疾いーーーだがそれだけだ。


俺は迫り来る奴を難なく躱し、カウンター気味にその胴体に肘鉄を食らわせた。更に追い打ちをかけるようにして後退るその顔面に裏拳を炸裂させる。


これでも俺は第一線で戦う宇宙正義の兵士だ。たかだか格闘家如きに遅れを取るほどヤワではない。

ましてやエリア3に収容されていた犯罪者などーーー。


「くぅうう!やるねぇ!!でも…これならどうだい!?」


瞬間、マセラス・K・クレイの振るった右腕から放たれる数十発の弾丸。咄嗟に横っ飛びでその弾幕を躱した時、奴の袖口から水平二連の銃口が覗いているのがちらりと見えた。


ーーーなるほどな。フリーオプションフリースタイルって、そういうことかよ。……だったらこっちも使わせてもらおうじゃねぇか。


俺は内ポケットから銀光りするペン型の道具ーーーウェイクアップペンシルを取り出すと、敵が動くよりも早くそれを左手首に装着したギア・ブレスレットへと突き刺した。


『wake up,006 phase3』


刹那、噴き出す蒸気。その中を掻い潜るようにして飛び出したとき、俺の身体はすでに戦闘用のそれへと変貌を遂げていた。


銀の光を煌めかせ、俺は電光石火で奴の眼前へと躍り出る。その勢いのまま、固く握り締めた拳をその胴体目掛けて叩きつけた。


「ぐぅううう!!」


そのあまりの威力に堪らず吹き飛び、激しく地面を転がって大の字に倒れるマセラス・K・クレイ。


ーーーやったか……?


しかし奴はまるで何事もなかったかのように平然と立ち上がり、事もあろうに俺を見るなりその目に涙を浮かべて拍手をし始めた。


「いやぁ素晴らしいッ!!いいね!いいパンチだよ君ィ!!」


唖然とする俺をよそに、奴はひとりで喋り続ける。


「こんなに熱くなれそうな戦いで本気を出さないなんてナンセンス!!よぉおおし、君に応えるために、僕も頑張っちゃうぞぉおお!!!」


叫びながら両腕を高く突き上げるマセラス・K・クレイ。その全身の筋肉がみるみるうちに膨張を始め、同時に各部の装甲や手首に装着された水平二連銃が次々と引き千切れて呆気なく弾け飛ぶ。


「さァー!ジャンジャンいこうか!!」


やがてゆっくりと俺に向き直ったその姿は、さながら肉の鎧を纏っているかのような悍ましいものだった。足の先から顔中いたるところまで筋肉に覆われた化け物じみたその姿の中で、変わらぬ碧の瞳だけが爛々と輝いている。


「ーーーッ!?」


俺が不意に危険を察知して飛び退いた瞬間、つい今しがたまで俺のいたその場所にマセラス・K・クレイが拳を振り下ろしていた。空ぶった奴の拳が炸裂し、空気すらも震わせる振動とともに地面が大きく抉れる。


ーーーなんだと……!?


戦慄しつつも空中を反転して軽やかに着地した俺に、奴はいかにも楽しげに笑いかけた。


「どぉだい!この力は!!君もワクワクしてきただろう!?」


俺は眉間にしわを寄せて奴を睨み付け、その一挙一動に神経を尖らせながら言葉を返す。


「お前、本当にマセラス・K・クレイか……!?」


俺の記憶が確かなら、奴の投獄時のデータに特殊能力の記載はなかった。奴という人間は連続殺人の咎で逮捕され、裁判の末に投獄されたただの格闘家ーーーだったはずだ。


いや、しかしだとするならこの力は一体……?


「んっん〜、もちろん!僕はマセラス・K・クレイさ!!でも数年前の僕とはひと味もふた味も違うぞ!!なんたって僕は、あの過酷な宇宙牢獄の中で修行を積んできたんだからね!!」


そのあまりにも突拍子も無い言葉に、俺は思わず耳を疑ったーーーいま、こいつなんて言った?


「流石の僕も心が折れそうになったこともあった!厳しすぎる責め苦の数々に枕を濡らしたこともあった!それでも僕は一日たりともトレーニングを欠かさず、そしてある時ついにこの素晴らしい力をモノにしたんだ!!分かるかい?宇宙牢獄が……あの逆境が僕をもっともっと強くしてくれたんだよ!!!」


「お前…なにを言ってるんだ?」


この状況にあるまじきことであると理解しながらも、俺は困惑を隠しきれないでいた。


宇宙牢獄は、決して更生施設などではない。当然、刑期などというものも存在しなければ釈放という制度もない。

あの場所は犯した罪の重さに応じて1~5にエリア分けされ、その各所で罪人が生き絶えるまで精神と肉体の両方に苦痛を与え続ける謂わば終身処刑拘束場なのだ。

収容された罪人は常軌を逸した苛酷な処置を日々受け続け、そしてやがて生きる意志を失うーーーだというのに、信じられないことにこいつはその環境を"修行"だと言い切った。並大抵の精神力ではない……いや、もう既に狂ってしまっているのかもしれないが。


「さぁさぁさぁ、本当の戦いは……ここからだァーーッ!!!」


筋肉オバケと化したマセラス・K・クレイが瞬時に俺の眼前に迫り、その拳を振りかざす。

辛うじてそれを躱した俺に追い打ちをかけるように、奴は一歩踏み込んでさらに攻め立ててくる。

その拳が空を切る度に、衝撃を伴う風圧が地面に亀裂を走らせる。そんな威力のものが直撃したらどうなるのかは、考えるまでもなかった。


「どうしたどうした!!逃げ回ってるだけじゃ、勝利という明日は掴めないよ!!ぶつかってこいよ!魂懸けろよ!ほら!ほら!!ほらァ!!!」


「るっせぇな!言われなくても分かってんだよ!!」


突き出された拳を身体を捻って躱し、その回転の勢いのままに奴の側頭部に蹴りをお見舞いする。

奴がわずかに後退るその瞬間、俺は白熱化した拳を地面に突き立てていた。


ーーー喰らえ!!


俺の拳より放たれたエネルギーが地面を伝い、マセラス・K・クレイの足元から目映い光の柱となって立ち上る。その奔流の中に奴の身体が呑み込まれたのを見て、俺は勝利を確信した。しかしーーー。


「むぅうぅううまだだ!まだまだまだまだネバネバネバネバネバネバァアアアギブッアァアアアアップ!!!」


奴はその雄叫びと共に力づくで光の柱を搔き消し、俺が反応するよりも早く空中へと跳び上がった。


「必殺ッ!パァアアアアンチッ!!」


落下の勢いのままに繰り出された余りにも疾いその一撃を、俺はすんでのところで腕を交差させて防ぐ。

しかしその衝撃までを完全に殺すことはできず、俺の身体は敢え無く吹き飛んで地面を転がった。


「ぐぅッ!!」


素早く体勢を立て直したその時、俺は見た。唸りを上げて迫り来る、筋肉の塊のような奴の脚をーーー。


「必殺ッ!キィイイイイイイックッ!!!」


防御する間などありはしなかった。強烈なその蹴りは俺の胴体に深くめり込み、再度吹き飛ばされた俺は黒い体液を吐き散らしながら競技場の壁へと叩きつけられた。


「がは……ッ!!」


砕け散った大小様々な瓦礫が降り注ぐ。その雨の中でもがき苦しむ俺の耳に、はしゃぐような奴の声がかすかに届いた。


「イヤッフゥウウ!!!決まったァ!!久々の10割コンボだァアアア!!!」


粉塵の奥でガッツポーズを取り、大歓声に応えるマセラス・K・クレイの姿が見える。そしてやがて競技場(コロシアム)を震わせる程のマセラスコールが湧き上がった。


ーーーくそっ、まだだ……!!


口元の黒い体液を拭い、痛みを堪えて立ち上がると同時に瓦礫まみれの地面を蹴る。


「ッダァアアア!!!」


猛スピードで迫る俺に、奴もまた素早く反応する。直後、俺たちは激しくぶつかり、互いに一歩も引くことなく組み合った。


「いいねいいねいいねぇ!!10割コンボを受けてもまだ立てるなんて、すごいじゃないかあ!!諦めないっていいよね!そういうの、大歓迎だよ!!」


「けッ、そいつは良かったな。俺は諦めんのが一番苦手なんだよ!」


吐き捨てると共に満身の力を込めて奴を押し返す。

「うぉおお!?」

不意をつかれたように蹌踉めく巨体に向け、俺はすかさず拳を放つ。しかしーーー。


「んんん?どうしたどうした!なんだそのへなちょこパンチは!魂がこもってないじゃあないか!気合入れろよ!さっきまでの素晴らしい力はどうしたんだーッ!?」


マセラス・K・クレイは嘲るように笑うと、目にも留まらぬ速さで強烈な掌底を打ち込んで俺を突き放した。

「があっ!!」

まともにそれを受けて後退った俺の視界から、奴の姿が忽然と消える。


「ーーーッ!?」


瞬間、俺の真上に奴はいた。


「いいかい?パンチっていうのは、こうやるんだよぉ!!」


急降下してくる奴の鉄拳が俺の首元を的確に捉えた。圧倒的な力にモノを言わせたその一撃に俺の身体はいとも容易く押し潰され、そのまま激しく地面に打ち付けられる。

穿たれたように弾ける地面と、その瓦礫の中に埋もれていく俺の身体。骨という骨が軋み、砕け、俺は黒い体液を思い切り吐き出して無様に横たわった。


「おぉい!どうした!?まさかもう終わりだなんて言わないよね!?ほら、まだ行けるだろう!もっと頑張れよ!!命を燃やせよ!!もっともっと僕を燃えさせてくれよォーッ!!」


落胆したようなマセラス・K・クレイの言葉など、もはや耳にも入ってこなかった。

真っ白になった視界の中、動くこともままならないまま、俺は自分が人の姿に戻っていくのをまるで他人事のように感じていた。


「みんなーッ!応援ありがとォーッ!!」

響き渡るマセラスコールがこの場を支配し、空気を震わせる。


ーーーくそぉ………ッ!!


立ち上がるべく足掻いてみるものの、意思に反して身体はぴくりとも動かない。


ーーーこんなところでこんな奴に負ける訳にはいかねぇんだ……俺は……俺はまだ……!!


と、その時。


「ユミトぉ!!頑張れぇーー!!」


マセラスコールの中に響く声。

はっきりと、力強く俺を呼ぶ声。


「頑張れー!頑張れユミトぉー!!」


僅かに顔を上げると、いつの間にか目を覚ましていたらしいエメラ・ルリアンが、競技場コロシアムの天井から吊り下げられたまま声を枯らして叫んでいた。


「頑張れユミト!お願い、負けないで!!」

「立つんだ……立ってくれユミト!!」


見回せば少し離れた檻の奥で、"ラセスタ"とトラン・アストラも必死に叫んでいる。


そのあまりに滑稽な姿に俺は思わず笑ってしまった。


ーーー宇宙正義()である俺に頼らざるを得ないとは、無様で浅ましい奴らだな……。


しかしそう思いながらも、なぜか唐突に身体に力が湧いてくるのを俺は確かに感じていた。

まるで心の奥底で暖かく柔らかな炎が灯ったように、奴らの声が急速に俺を奮い立たせる。


ーーーまぁ俺が倒れたら、お前らの望みも果たせねぇもんな。そりゃ必死にもなる訳だ。……仕方ねぇ。


身体のあちこちから白く細い煙が噴き上り、各部の損傷が治癒されていく。俺は蹌踉めきながらも気力を振り絞り、三たび立ち上がった。


「オォォォォー!!!いいねいいねいいね!!燃えるよ!!アツいよ!!さァ!ラストスパートだ!!一緒に楽しもうじゃないかァーー!!」


奴のその言葉に俺は右手の親指で唇を軽く撫で、不敵に笑ってみせる。


「……悪いが勝たせてもらうぜ。まだ今日の分のトイレ掃除が終わってないんでな」


『wake up,006 phase3』


話しながらも起動したウェイクアップペンシルをギア・ブレスレットに突き刺し、噴き上がる蒸気の中を駆け出した。


「すごいよ!!本当にすごい!!こんな熱い戦い初めてだ!!じゃあ、僕も遠慮なく行くよォォォォ!!!」


「ーーー勝負だ……ッ!」


再度変身を遂げた身体で蒸気を切り払った瞬間、奴の拳が目の前に迫っていた。

俺は身を屈めてそれを紙一重で避け、ガラ空きの胴体目掛けてエネルギーを込めた拳をぶつける。


「ぐぅうう!!」


後退りながらもすぐに反撃に転じるマセラス・K・クレイ。しかしその攻撃を俺は左腕で防ぎ、振りかぶって顔面に更に鉄拳を叩き込む。


なぜだろうーーー身体はボロボロ、限界などとうに超えているというのに、明らかに先ほどまでより力が戻ってきている。


「シャォラァ!!」


俺は高まるそのエネルギーを更に拳に込め、思い切り目の前の敵へと打ち付けた。


「うぉおおおお燃えるよ燃える!!ピンチこそ最大のチャンスぅうううう!!!」


そう叫んで奴は跳躍し、拳を振り上げる。

ーーー間違いない、さっきのアレだ。


「いくぞぉ!!必殺ッ!パァアアアンチッ!!!」


放たれる強烈な一撃。

俺は両腕にエネルギーを集中させ、胸の前で交差して迫り来るそれを受け止めた。


「おぉおおお!!?」

「お前の技は、とっくに見切ってんだよ!!」


気迫と共に両腕を解き放つ。次の瞬間、雷のような光と音が迸り、弾かれたマセラス・K・クレイが上空高くへとかち上げられる。


「まだまだまだまだァ!!!僕は!諦めないよォォォ!!!」


奴は空中で反転し、飛び蹴りの体勢でまっすぐ俺の方へ向けて急降下を始めたーーー。


「……さぁ、お片づけだ!!」


有りっ丈のエネルギーを拳に集め、俺もまたそれを迎え撃つべく跳び上がる。




「必殺!キィイイイイイイック!!!」


「ダァアアアアアアアアアアッ!!!」




空中でふたつの力がぶつかり合ったその瞬間、轟音と光と衝撃が全てを吹き飛ばし、互いの死力を尽くした戦いは遂に決着した。






「……さぁ、早くトドメを刺すんだ。それでこの勝負は終わりだよ」


足元に倒れたマセラス・K・クレイが、弱り切ったーーーそれでもどこか満足気な様子でーーー俺を見上げて笑う。


奴が倒れると同時に競技場コロシアムは跡形もなく霧散し、後には崩れ去った建物の残骸だけが残された。どうやらなんらかの幻影装置を使用してこのなにもない荒野の小惑星をあのドーム状の建物に見せかけていたらしい。


少し離れたところに解放されたエメラ・ルリアンたち三人の姿があり、飛行船の側でこちらの様子を見守っている。


俺は口元の体液を拭い、静かに変身を解いた。


「な…なぜだい。どうして……?!」


ーーーこの戦いにおいて、俺は正義を執行していない。


宇宙正義(俺たち)は宇宙正義法第9条によって著しく平和を乱すテロ行為を行なった者の生命与奪の許可を与えられている。それはつまり、他者の生命を脅かす可能性があると判断した相手であれば現場の判断で殺害もやむを得ないということだ。


ところが今回奴は俺に勝負を挑んできただけであり、罪といえばせいぜい公務執行妨害と拉致監禁、殺人未遂程度でしかない。これでは先の法律は行使することはできないのだ。


この場でこいつを殺せば、俺は己の信じるこの宇宙の正義に反することとなる。


「……お前を殺すのは俺じゃない。宇宙牢獄だ」


静かに言い放ち、俺は戦闘用小袋(コンバットバッグ)から簡易ドレインロープを取り出して奴を厳重に拘束した。


既に銀河警察に連絡はしてある。直にやって来る彼らによってこいつは捕らえられ、ひとまず留置所へとぶちこまれるのだろう。そして宇宙牢獄の復興を待って、次はエリア5辺りに幽閉されるはずだ。

"修行"とやらもままならない程の過酷な独房の中へーーー。


「ふ……ふふふ……君は最後まで面白いね。じゃあお礼にひとついいことを教えてあげよう。僕らが脱獄したとき、あのすごく強い奴……ラスタ・オンブラーが面白いことを言ったんだ。あの坊ちゃんと銀色の奴を連れてきたら、どんな望みも叶えてくれるってね。僕は、彼と戦ってみたかったんだよ。あの宇宙牢獄を自力で壊したその強さ……惚れ惚れしたなぁ」


奴は目を見開き、狂気に満ちた笑みを浮かべた。


「つまりはこの先も僕みたいなのがドシドシ来るってことさ。君たちは狙われてるんだ……楽しみじゃあないかい?」


やがて遠くから赤いランプとサイレンの音が木霊し、マセラス・K・クレイは銀河警察によって連行されていった。


立ち尽くす俺をたちを残して。






「ありがとね、ユミト」


再び宇宙へと繰り出した飛行船の中で、エメラ・ルリアンが朗らかに俺に笑いかける。


トラン・アストラと"ラセスタ"に続く三度目のお礼に、俺はうんざりしながら同じ答えを返す。


「……別にお前らのためじゃない」

「それでも、感謝の気持ちくらいは伝えたっていいでしょ?助かったのはほんとなんだし」


俺は思わず鼻で笑った。


「そりゃまぁ、俺に負けられたらお前らも困っただろうしなァ?」


明らかな嫌味のつもりだったがーーー。


「はぁ?なに言ってんの、あんた。困るとか困らないとかじゃないわよ」


呆れたように笑って答え、エメラ・ルリアンはコックピットへと戻っていく。


ーーーやっぱり、こいつらは底抜けの馬鹿だな。


困惑しつつも何故か悪くない気持ちで、俺は踵を返した。

向かう先はトイレだ。当然だろうーーーなんといっても、まだ今日の分の掃除が終わっていないのだから。


何をどうすれば良いのかは分からないままだが、まぁとりあえずやってみればなんとかなるだろう。


俺は表情を少し緩め、狭い廊下へと一歩、踏み出した。

「こちら輸送船アドベンチャー号、船長のヒュウガだ」


「俺たちはそれぞれ足りないものを互いに補い合ってる。まあ、簡単に言うなら二人でひとりってやつさ」


「はっ、仲間と食う飯の旨さを知らないなんて、可哀想な奴だなァ?」



次回、星巡る人

第37話 コスモスアドベンチャー

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