第32話 銀河を照らす果てなき影
前回31話から始まった第2部は、ユミト・エスペラントの視点から語られる"正義"の物語です。
第1部からの直接の続編であり、27話を除くOMNIBUS STAR全話の地続きでもあり、それでいて独立した彼自身の旅路に、これからもどうぞお付き合い頂けると幸いです。
いつもたくさんの拡散、閲覧ありがとうございます。どうか次回でもまたお会いできますよう。
宇宙牢獄ーーーかつて難攻不落の刑務所と謳われたそこは、今や独房を抜け出した犯罪者たちが溢れかえる地獄と化していた。
各エリアに点在していたはずの巨大牢獄は軒並み瓦礫の山と化し、彼方此方で火の手が上がっている。看守たちや駆けつけていた銀河警察の警官たちが無残な姿で倒れているのが俺たちの覗く監視モニターには映し出されていた。
「なんてこった……宇宙牢獄が…」
輸送機に揺られながら亜高速道を抜けた先、"宇宙牢獄"と名付けられている監獄惑星の有様を見て、呆気にとられたように呟いたのは坊主頭のコハブ・ホークーだ。
「まさか脱獄?いやそんな馬鹿な、あり得ないスよ……」
壁に映し出された監視モニターの映像を目にして狼狽したように呟くコハブの頭を、横に座るアス=テルが軽く叩く。
「いまからそんなんでどーすんだ。シャキッとしろよ」
輸送機の貨物室の座席に着く特務隊の六人は、全員が耐久性の高い黒の隊員服とアーマーを身に纏い、ヘルメット、ブーツ、手袋、中身の詰まった戦闘用携帯袋を装備していた。
向かうは事件現場ーーー宇宙牢獄の高度9000メートル地点。俺たちはこの輸送機から降下することで犯罪者どもが群がる監獄惑星へと速やかに突入する手筈になっていた。
「異変が起きた直後の映像を見る限り、エリア5の牢獄地下から噴き出したこの黒い霧状の何らかのエネルギーが原因ではないかと思われるんスが…」
コハブのその言葉にハッとしたように副隊長が隊長を見る。
「地下…もしかしてセクションX、でしょうか」
隊長も同じことを思い当たっていたらしく、重々しく頷いた。
「ここに収容されていた罪人の情報は?」
隊長の問いに、コハブはしどろもどろになりながらも答えた。
「それがセクションXに関する情報は一切開示されていないんスよ。宇宙正義のデータベースから弾かれてしまうんス。特務隊権限を持ってしてもアクセスできないなんて…」
セクションXとは大昔、監獄惑星の中心核付近に埋め立てられたとされる施設だ。その内部の情報は開示されておらず、星間戦争時に君臨した宇宙史上最悪の犯罪者が朽ち果てるまで囚われている場所だというのがもっぱらの噂だったがーーー。
俺は思わず鼻で笑ってしまった。
ーーー囚われていた罪人が、あの黒い霧みたいなもので牢獄を内側から爆発させたって言うのか?
全く馬鹿げた話だ。
そもそもセクションXの真上にはこの監獄惑星の建設当初から鉄壁の巨大牢獄が聳えていた。もし仮に犯罪者が囚われていたとするならば、そいつはゆうに六万年以上もの間ここに閉じ込められていたことになるのだ。例えどんなに凶悪な犯罪者であろうとも、生きていられるはずがないのは明白だった。
しかしーーー。
「…どうやら只者ではなさそうだな」
俺は耳を疑ったーーーどうやら隊長たちは、この事態はあくまでもセクションXから抜け出した罪人の仕業だと疑っているらしい。
思わず込み上げる笑いをぐっとこらえ、真剣な表情を取り繕う。
そんな俺の肩を呆れたように小突くエルピス。
気を引き閉めろよーーー奴の目がそう言っていた。
「まもなく目的地だ。皆、速やかに準備せよ」
酸素マスクを装着し、左腕で銀光りするブレスレットと右手に握るペンシル状の道具を確認する。
作戦は頭に叩き込んであった。
「只今より作戦を開始する。……行くぞ」
輸送機の後部扉が開き、猛烈な風が機内に吹き込む。
躊躇うことなく飛び出して行く隊長と副隊長。続けてテルが怯えるコハブを半ば抱えるようにして外へと向かう。
そしてエルピスと俺もまた、覚悟を決めて床を蹴った。
瞬間、輸送機の爆音が消え、あたりは奇妙な静寂に包まれた。唯一聞こえるのは雲の上の薄い空気が鳴らす掠れたような音だけ。終端速度へと加速する途中で、俺たちは落下速度を落とすために両腕と両足を広げた。
パラシュートも開かずにはるか眼下の業火へと落下していく六人の戦士たち。不意にその先頭を行く隊長から蒸気が噴き上がる。
『wake up,001 phase3』
それを合図にするように、仲間たちも次々と蒸気を放ち始めた。
『wake up,002 phase3』
『wake up,003 phase3』
『wake up,004 phase3』
『wake up,005 phase3』
副隊長、テル、コハブ、エルピスがそれぞれ湧き上がる煙の中へと消えていく。
最後は俺の番だ。
他のみんながそうしたように、俺もまた右手に掴んだペンシル状の道具ーーーウェイクアップペンシルを起動し、そのペン先に飛び出した針を勢いよく左腕のブレスレットに突き刺した。
『wake up,006 phase3』
噴き出す灼熱の蒸気に包まれながら、俺は自分の身体が戦闘用のそれへと変わっていくのを静かに感じていた。
星巡る人
第32話 銀河を照らす果てなき影
俺たちは暗闇を切り裂く六つの流星となり、瓦礫が転がるエリア4の地面に続々と降り立った。
巻き上がる白煙と地響きの中、俺は変身を果たした自分の身体をちらりと見遣った。
流動金属のような滑らかな銀色の全身を目映い光粒子の帯が血管のように駆け巡り、各部には発光体を内包した半透明の球状器官が輝いている。
ーーーこれがphase3か。
これまで使っていたphase2が戦闘用強化スーツを身に纏っている状態であるならば、このphase3はさながら生体鎧といったところだろうか。俺はいま、自分の身体がついに人でないものへと変貌を遂げたことを改めて実感し、密かに高揚していた。
左隣にわずかに目を向けると、横に並ぶ仲間たちもまた、今までの任務で見慣れたphase2の姿ではなく異形としての姿を成していた。ウェイクアップペンシルの番号ごとに特殊な能力が備わっている為、全身を形成する形や色に差異がある点だけは以前と変わりない。
土煙の向こうでは囚人たちが動きを止め、こちらの様子を警戒したように伺っている。先頭に立つ隊長が声を張り上げた。
「エリア4の犯罪者諸君、我々は宇宙政府最高決定機関機密保持審議会特殊任務機動隊の者だ。直ちに破壊行為をやめ、大人しく我々に従いたまえ。そうすれば君たちに危害を加えないと約束しよう」
もちろんここに収監されているような囚人どもがそんな話を聞くはずがなかったがーーーあくまで最初は対話からというのが隊長の信条だから仕方ない。
案の定、それを聞いた囚人たちが馬鹿にしたように腹を抱えて笑い始める。
「聞いたか?こいつらイかれちまってるぜ!」
「そんな言葉、誰が信じるかよ!」
俺は野次を気にすることなく自分たちの周囲を取り囲む囚人たちの数をざっと数えていた。
ーーー百…いや、二百はいるな。
「従わなかった場合、宇宙正義法第9条に則り、あなたたちに処置を行うことになります。我々としてもそれは本意ではないのですがーーー」
「構うこたねぇ、この連中をぶっ殺せ!!」
副隊長の言葉を遮り、一斉に襲いかかってくる囚人ども。しかし隊長はそれに全く動じることなく、静かに口を開いた。
「ーーーこれより我々は、正義を執行する」
その言葉が特務隊の合図だ。
俺たちは迫り来る敵の群れを迎え撃つべく駆け出した。
ウェイクアップペンシルは外部組織Vestigia Deiの協力を得て開発された特務隊専用の主力武装道具の名である。それ単体ではなんの役にも立ちはせず、起動時に先端に飛び出す針を左手首の腕輪ーーー"ギア・ブレスレット"に差し込むことで初めてその真価を発揮し、内包する粒子状の特殊エネルギーと装着者の肉体を一時的に融合、超強化することで兵士を凄まじい力を秘めたる生体兵器へと直接変身させることができるのだ。
今任務にて初の実戦となる新型"phase3"の最大の特徴は、使用されるエネルギーがあの忌まわしき高エネルギー生命体から採取されたものである点に尽きるであろう。熱にも電気にも変換することのできるその万能エネルギーを組み込んだことによって、phase2と比較にならないほどの莫大な力を得ることに成功したのだ。より強く、よりしなやかなヒトならざるその躰は、宇宙政府軍ひいては宇宙正義上層部による"ウェイクアッププロジェクト"においてある種の到達点であり、実質的な完成系とも言えた。
ーーーウェイクアップペンシルが配備された時から度々聞かされてきたその情報は決して誇張表現などではなかったのだと、俺はこの戦いの中で改めて実感していた。
兵器と化した特務隊の前には群がる囚人どもの抵抗などなんの意味も為さず、次々と呆気なく地面に倒れ伏していく。
しかしだからと言って油断はできない。宇宙牢獄に収容されていた奴らは、凡そ普通の人間などではないのだから。
「死ねぇえッ!」
不意に放たれた電撃のような攻撃ーーーこういう力を持ってる奴らが宇宙牢獄にはうようよいるのだーーーをひらりと跳んで躱し、反転して軽やかに着地する。
俺の使用するウェイクアップペンシル006の特性は、装着者の身体能力を極限まで高めることにある。細やかなエネルギー制御が難しいという欠点故に近接戦闘に特化しており、仲間たちのような多彩な能力こそ持たないものの、拳ひとつで戦うこのスタイルは性に合っていたし、俺自身としても割と気に入っていた。
「さぁ、お片付けだ」
親指の腹で唇を軽く撫り、地面を蹴って敵の眼前へと飛び出す。同時に全身を循環する高純度のエネルギーを右腕に一気に集中させ、迫る勢いのまま白熱化したその拳を相手の顔面へと叩き込んだ。
白い炎を纏ったようなその一撃が炸裂し、地面を削りながら彼方へと吹き飛んでいく囚人。それを尻目に今度は右脚へとエネルギーを集約し、背後から襲いくる奴らに左脚を軸とした鋭い回し蹴りを続けてお見舞いする。
「あんなバケモンと戦って勝てるわけがねぇ!逃げろォ!!」
情けない悲鳴をあげ、一刻も早く俺から離れようと散り散りに走り出す囚人たち。幾多ものその背中に向け、俺は心の中で宣告した。
ーーー逃すかよ!!
再度右腕に力を集中させ、振りかぶって力強く足元に突き立てる。瞬間、拳から放たれた膨大なエネルギーは地面を伝い、凄まじい熱量と共に勢いよく地表へと噴き出した。それはさながら光の柱のようであり、逃げようとした奴らは須らくその輝きの奔流へと呑み込まれ、断末魔と共に跡形もなく消し飛んでいった。
「……っとぉ、こんなもんか」
006が唯一撃ち出せる遠距離対応型の絶技を受け、どうやら周囲の囚人どもは全滅したようだった。その人数はもはや定かではないが、俺ひとりでも相当数を倒したはずであり、それでも全く体力を消耗していない辺りにこのphase3の性能の高さが伺えた。
「相変わらずやるな、ユミト!」
そう言いながら真横を駆け抜けて行く群青の影ーーー004が、その能力で練成した三叉戟で次々と囚人どもをなぎ倒していく。
少し離れたところでは真紅のファイターと化した002が猛烈な拳の嵐を敵に見舞っており、その更に奥では005が幾つものノコギリ状の刃を有するエネルギーの光輪を創り出しては投げ放ち、怒涛の切断ショーを繰り広げている。
と、その時、突然囚人どもが何か見えない力に引き寄せられるように一箇所に集められていく。いくら踠いても抜け出せない、抗いようのないその力ーーーサイキックに特化した003の能力だ。
「総員、退避せよ!」
響き渡る隊長の声ーーーそれを合図に俺たちは一斉に地面を蹴り、宙へと舞い上がる。
瞬間、閃光と衝撃が迸り、空気が震撼した。巻き上がる爆炎と轟音。それに続けて立ち昇る漆黒のキノコ雲が、この戦闘の終わりを告げていた。
「phase3になって更にすごくなったよね、隊長」
横に並ぶエルピスの言葉に相槌を返す。
特務隊最強を誇る001の必殺光線が、一箇所に集められた囚人どもをまとめて葬ったのだ。その威力は見ての通りであり、おそらく囚人どもは何が起きたのかを知る余地もなかっただろう。
ーーー制圧完了だ。
キノコ雲が霧散して辺りの様子が鮮明になってくると、そこには数キロメートルに渡る巨大なクレーターが出来上がっており、先ほどの隊長の光線がいかに桁外れのものであったのかをありありと物語っていた。
俺たち5人はそのクレーターの端に佇む隊長の側へと降り立った。
「これより我々はツーマンセルにて各エリアの制圧に向かう。私とコハブはエリア5、オドとテルはエリア3、エルピスとユミトはエリア1.2へ向かってくれ」
隊長はそこで一旦言葉を切り、全員をーーー特に俺をーーーゆっくりと見回した。
「ただし深追いはするな。異常事態の発生時には必ず思念体通信を飛ばし、決して現場判断での単独行動に踏み切らないこと。ユミト、分かったな?」
ーーーう、釘を刺されてしまった。
そう、何を隠そうこの俺は、宇宙正義一の問題児として組織内にその名を轟かせているのだ。つい突っ走ってしまう性分から単独行動や命令違反の常習犯であったが、その破天荒さ故に成し遂げられた任務も数多く、それらの成果がスタラ・レールタ隊長の目に止まり抜擢された……と、いう顛末で俺は特務隊に配属されたら。尤も、俺自身はその辺の事情を未だに詳しく知らないのだけれども。
はいともいいえともつかない曖昧な言葉を返すと、隊長は少し訝しげな顔をしながらも深く頷き、再度声を張り上げた。
「説明は以上だ。各員、散会せよッ!」
俺たちは出撃時と同じように不動の姿勢をとり、それぞれ二人一組となって各エリアへと急行すべく走り出した。
この宇宙牢獄という施設は収容される囚人どもの罪の重さに応じて1〜5のエリアに区切られており、その中でもエリア1と併設のエリア2は比較的軽い判決を下された者が収容されているはずの場所だった。
俺とエルピスは到着するや否や崩れた建物の瓦礫を蹴散らし、群がる雑魚どもを次々と薙ぎ倒していった。
phase3の力の前にはエリア1や2の奴らの抵抗など無意味であり、瞬く間に囚人どもは山となって積み重なった。
「…ここはもうオッケーみたいだな」
「さあ、早く他のみんなの援護にーーー」
急に言葉を切り、再度戦闘態勢を取るエルピス。振り向いてその視線の先を追うと、そこには色褪せた長いブロンドの髪を靡かせながら悠然とこちらへ歩を進めるひとりの男の姿があった。
かつては端正だったのであろう面影を残す痩せ細った顔には爛々と輝く瞳と不気味な笑みが浮かび、その身を覆う布切れから覗く炭化したような霞んだ皮膚を、異常に発達した筋組織が所々突き破っては結晶化してゴツゴツとした異様な全身を形作っている。
直感的に脳内に鳴り響く危険信号に従い、俺も腰を低く落として身構える。
「ユミト、油断するな。あいつは……!」
「あぁ。どうやら今までの奴らとは格が違うみたいだな」
男は囚人どもの倒れ伏す辺りで足を止め、その狂気に満ちた瞳で俺たちを見据えた。
「お前ら、現在の宇宙正義だな?準備体操には丁度良さそうだ」
低く嗄れたその声が、どこか楽しげに響く。俺はそれを軽く鼻で笑い飛ばした。
「準備体操だと?上等だ。誰だか知らねぇが、後悔させてやるぜッ!!」
「待てユミトッ!」
エルピスの制止には耳も貸さず、俺は男目掛けてひと息に駆け出した。
「オォオオオオッ!!」
瞬時に距離を詰めて放った強烈な拳の一撃を、奴は身体を逸らしていとも容易く躱す。それならとばかりに叩き込んだ蹴りも、畳み掛けるように振り下ろした肘打ちもーーー矢継ぎ早に繰り出した俺の徒手空拳の全てが、奴の眼前で虚しく空を切った。
「どうした、こんなもんか?」
涼しげな顔で嘲笑いながら、カウンターを返すようにして男から打ち出された掌底。咄嗟に両腕を交差させてそれをなんとか防いだものの、そのあまりにも重い一撃の勢いを殺し切ることができずに数メートル後ろまで吹き飛ばされてしまう。
地面を転がりながら素早く体勢を立て直し、低く舌打ちをして親指の腹で唇を撫でる。
「やるじゃねぇか。だったらーーー」
俺は全身を巡るエネルギーを両腕に集中させ、再び足元を蹴り付けて駆け出した。
「ーーーこれならどうだァッ!!」
電光石火で間合いに踏み込むと同時に奴の腕を掻い潜り、ガラ空きの胴体目掛けて発熱する両拳を連続で叩き込む。
「まだまだァ!!」
何十発、何百発と連続で放つ拳のラッシュの前に筋骨隆々の男も流石にたじろぎ、僅かに後退る。
ーーーその瞬間を見逃す事なく、俺は叫んだ。
「いまだ!」
「オーケー、任せろ!」
間髪入れずに奴の頭上に降り注ぐ無数の光の針。それはまるで雨のように激しく奴の全身を打ちのめし、その姿を瞬く間に覆い尽くして呑み込んでいく。
舞い上がる土煙と弾ける光に、俺は勝利を確信した。
「まったく…無茶するねぇ、ユミト」
「悪りぃ、お前なら上手くやってくれると思ったん
だ」
隣に降り立ったエルピスに、俺は悪びれる事なく笑って見せた。
ーーー作戦成功だ。
俺が白兵戦で奴の注意を逸らしている間に、エルピスが上空で無数のエネルギーの針を錬成し、隙を突いて奴の全身を滅多刺しにする。005と006だからできたーーーもっと言えば俺とエルピスだからこそできた、完璧な連携だ。即興でこんな作戦を行えたのは、ひとえに付き合いの長い俺たちだからに他ならないだろう。
俺とエルピスは濛々と立ち込める土煙を注意深く見つめた。その中に全身を隈なく刺し貫かれた哀れな囚人が倒れているであろうと信じて。
しかしーーー。
「真面目にやれ。…つまらんぞ?」
煙を切り払い、悠然と姿を現わす影。
地を震わせるような悍ましい高笑いを響かせながら、奴はまるで何事もなかったかのようにそこに仁王立ちしていた。
俺は慄然とした。そんな馬鹿な。あれだけの攻撃を受けて無傷でいられるはずがない。信じられない思いがつい口から漏れ出す。
「おいおい、嘘だろ…」
しかしエルピスはそんな状況でも冷静さを保っていた。
「ユミト、アレ。アレを見ろ」
エルピスが指す先ーーー奴の頭上に、なにやら霧状の闇が蠢いている。それは自由自在に形を変えながら奴の身体を取り巻くように拡がり続けていた。
「あれは…!?」
どういう仕組みかは分からないが、アレが先ほどの俺たちの攻撃を防ぐバリアの役割を果たしたのであろうことは一目瞭然だったーーーのだが、問題はそれだけではなかった。
「あの闇、見覚えがある。確か……」
脳裏に蘇るのは輸送機の中で見たモニターの映像。
地下から噴き出し、エリア5を破壊したあの黒い霧。
相槌を打つエルピスの頬を一筋の汗が伝う。恐らく俺と同じ結論に辿り着いているのだろう。
「あぁ。たぶん俺たち、いま同じこと考えてると思うよ」
俺は自分の全身から血の気が引いていくのをはっきりと感じ取っていた。
「ってことは、まさか…あいつがーーー?」
困惑して言い淀む。
その言葉の先は、口に出すまでもなかった。
「お前らはもう用済みだ。準備体操にもなりゃしねぇ」
目の前で不敵に笑うこの男こそが、今回の事件の元凶であるセクションXの囚人ーーー!?
そんなこと、とてもじゃないが信じられなかった。
この男が"宇宙史上最悪の犯罪者"だと?
「とにかく隊長に連絡をーーーッ!?」
その瞬間、唐突に言葉が途切れ、隣にいたはずのエルピスの姿が忽然と消え失せた。
奴の周囲に渦巻く闇が鞭のようにしなる形となって伸縮し、瞬く間にエルピスの身体を捕らえ、締め付けたまま宙へと放り投げたのだーーー俺の理解が追いついた時には、既に盟友は空の彼方へと吹っ飛ばされてしまった後であった。
「てめぇえええ!!」
激昂する俺を見て、奴は薄汚れたその顔を楽しげに歪ませる。
余裕ぶりやがってーーーぶちのめしてやるッ!!
放たれた絶え間ない鞭撃を驚異の身体能力で次々に躱し、加速度を増しながら奴へと迫る。
白熱化した右腕を構え、今まさに有りっ丈の一撃を奴の顔面に見舞おうとした、その時。
視界の端に黒い光が一閃し、直後に焼け付くような痛みと衝撃が腹部を貫いた。
「ぁ……!?」
口から噴き出すどす黒い体液と、微かに漏れる掠れた吐息。あまりに突然のことに、何が起きたかまるで理解できなかった。
「ーーー後悔するのは、お前の方だったな」
耳元で奴が囁くように言い捨て、俺の身体から勢い良く右腕を引き抜く。闇を纏ったその腕は、いつのまにか黒く不気味に煌めく剣へと変化していた。
ーーーしまった……!
膝から崩れ落ち、傷口から粒子状のエネルギーと体液を撒き散らしながら、それでも尚、俺は烈火の如く奴を睨め上げた。
ーーーまだだ…俺は、まだ……!!
「残念だが、諦めろ」
無慈悲なその言葉とともに放たれた強烈な蹴りが顔面に炸裂し、俺は仰向けに吹き飛んで無様に地面を転がった。
「がァ…あぁぁ…!」
限界を迎えた身体から白煙が立ち昇り、徐々に人としての姿を取り戻していく。変身の解けた生身の肉体には、最早立ち上がるだけの余力すら残されていなかった。
ーーークソ……クソォ……ッ!!
焦燥、屈辱、怒り、悔やみ……沸き上がる感情が己の無力さに対する絶望となって心を蝕み支配していく。
ーーー立たなきゃ。俺は宇宙正義なんだ…!なのにどうして、なんで身体が…動かな……!!
意識が途絶える寸前、朧げに霞む視界の端で、俺は遠くなっていく奴の後ろ姿をただ茫然と見送っていた。
「遠くない未来、君の選択がこの宇宙の命運を分けることになるじゃろう」
「良かったらこれ食べてよ。僕が作ったんだ!」
「まったく。この前の奴らといい、宇宙正義って本当にみんな面倒なのね」
「俺たちは…まだ止まるわけにはいかないんだ!」
次回、星巡る人
第33話 赤く熱い鼓動




