08 花崎早紀が黙ってない
「え、早紀が朱美ちゃんに?」
お昼下がり、早紀ちゃんは私の家にやってきていた。
私の出した紅茶から少し口を離すと、目を丸くする早紀ちゃん。
ロリックマは早紀ちゃんが来ていても、通常運転のようでソファでごろごろしながらテレビを見ていた。早紀ちゃんは何か突っ込むかと思ったが意外にスルー。
「……うん、料理教えてほしい」
「何で? 早紀上手じゃないよ」
困ったように眉を下げて早紀ちゃんはそう言った。
薫さんは「早紀に晩飯を作ってもらえ」と言っていたけれども、流石に早紀ちゃんにそこまで頼るわけにはいかないし。
まぁ朝、薫さんにご飯作ってもらった貸しを返しておきたいし。
「早紀ちゃん上手だよ……だって颯太くんも早紀ちゃんの料理美味しいってよく言ってるし、私もそう思うし……」
昔、四人でお家パーティーをした時に早紀ちゃんが料理を振る舞ってくれた事を思い出す。
早紀ちゃんの料理は本当に上手で、颯太くんも自慢げに早紀ちゃんの事を語っていた。もう戻れないその光景に心の中でため息をつく。
「……颯太くんも褒めてくれてた?」
「うん」
私がそう言うと、早紀ちゃんは「嬉しいなぁ」と眉を下げた。
彼女は確かにメンヘラリスカっちだが、颯太くんの件に関してはそうでもない。私が颯太くんの話をしても「なんで朱美ちゃんがそんな事知ってるの……」なんてカッターチキチキに突入はしないし。
早紀ちゃんも颯太くんも、私と薫さんの仲に関してだけは敏感だ。花崎早紀が黙ってない。なんて。
あの二人、いい人こじらせただけなんだろうなぁ。
「朱美ちゃん、じゃあ何つくる?」
部屋からご丁寧にもお料理本を持ってきてくれた早紀ちゃんがそう言う。
何が良いかな、やっぱり肉じゃがかな。なんてぺらぺら本を見ている早紀ちゃん。
「カレー」
「へ、カ、カレー……?」
どうにも私は早紀ちゃんの想定外の答えしたらしい。
早紀ちゃんはカレー、カレー?と何度も不思議そうに私を見る。
そりゃカレーなんて、小学生でも飯盒炊爨で作る簡単料理なのだから。しかし素材をゴミにする能力持ちの私からすれば、いきなり魚の煮つけなど高いハードルには挑戦したくない。
切って炒めて煮る。と下手すりゃロリックマでもこなせるようなそんな簡単料理、カレーが私には一番ぴったりであろう。
「ね、ねぇ朱美ちゃん……いきなり早紀にお料理教えてなんて薫くんと何かあったの……早紀今さらだけどすっごく心配になってきた……」
洗い物をしていた手を止めて早紀ちゃんが包丁をふるふると震える手で持ちながらそう言った。
待って、包丁はやばい、カッターと違ってしゃれにならない。
「かーくんに、とっても美味しい料理を食べさせてあげたいだけだよ!」
そう言うと、早紀ちゃんはほっとしたようで「そっかぁ」と笑った。
非常に残念なお知らせをしておくと、かーくんはもう死んだんだけど。
でも、薫さんにまともな料理を食べさせてあげたいという気持ちは嘘ではないし。
……じゅうじゅうと肉が焼けていく様子をぼんやりと見つめる。
前世の死ぬほど嫌いだった記憶と、最近まで凄く好きだった記憶がいろいろと入り混じってなんとも言えない気持ち。
これ以上考えても何も意味がない。そう思ってふるふると頭を振り目の前にある肉に集中した。
その日、薫さんは十時になっても帰ってこなかった。
「……朱美、おいらお腹すいた」
ソファに体育座りをして、ぼんやりしょうもないバラエティー番組を見ていると私の服の裾を引っ張ってロリックマがそう言った。
それを無視しているとロリックマがまた口を開く。
「カレー、早紀も手伝ってくれたんだろ。朱美にしては美味しそうな匂いしてる」
「朱美にしては余計だコラ」
ぐに、とロリックマの頬をつねる。
いひゃい、とロリックマがそう言う。
薫さん、八時に帰ってくるって言ってたのに。別にどうでもいいけど。
私はあまりにもロリックマがうるさいので、キッチンまで行き適当に自分の分とロリックマの分のカレーをよそい、食卓に荒く座った。
自分のカレー、食えるじゃん。なんて超ハードルの低い事を考えながら、スプーンを上手く使えないロリックマの為に時々あーんをさせてあげていた。
……前までは薫さんにこうやってあーんってしてあげていた。本当に正気だったのかあの頃の私は。
「朱美の料理にしては、意外と食えるね」
「私も同じ事思ってる」
私は結局、くまの人形と二人で食事を終わらせるというモジョをこじらせまくったような夕食を終え、食器を洗い、もう早いが寝室に向かい布団の中に潜りこんだ。
「朱美、もう寝るの」
「寝るー」
「薫まだ帰ってきてないけど」
その言葉に返事をする事もなく、ロリックマに背を向けて寝る。
ほんと、吐き気がする。食べてすぐ寝たせいじゃない。……あんなゴミみたいに嫌っている糀谷薫の為に何だかんだ言ってカレーを作ってやった自分にゲロが出そうなのだ。
むかつく、むかつく。と誰に向ければいいのかよく分からない怒りを胸に私は眠りについた。
「朱美、朱美」
暗闇の中、そんな声が。
なにこれ夢。なんて考えながら目を薄く開けるとロリックマが私の目の前に居た。
「喉かわいた、お茶飲みたい」
「……勝手に飲めば」
「冷蔵庫開けれない」
むっかーとする気持ちを抑えて、携帯を開く。……二時。まだこんな時間かよ。と思いながら目を擦り、メガネを掛けロリックマの首ねっこを持ちベッドから降りる。
あくびをもう一度し、目を強く瞑る。
眠い、マジで眠い。なんでロリックマ急に喉乾くかなほんとに。お茶くらい自分で飲みにいけよ。あくび交じりに寝室のドアを開け、リビングに足を進めると、食卓に薫さんが居た。
「あ、薫おかえり」
そう言うロリックマ。普段しているコンタクトよりメガネの方が度が低いので、少し目を細めて薫さんを見る。
薫さんは私の作ったカレーを食べていた。二時にそんなもん食っても太らないその体質が羨ましいわ。
「朱美、帰るの遅くなって悪かった」
「別にー、気にしてません」
そう言い、薫さんの横を通りすぎ、ロリックマを洗い場の近くに置いた。カレーを入れていた鍋もしっかり水に漬けてある。ほんとあの人の家事能力高いな。
とりあえずロリックマのミッションを遂行する為に、冷蔵庫から紙パックのリンゴジュースを取り出し投げるようにしてロリックマの近くに置く。もうお茶入れるの事すらめんどくさいからこれでいいだろう。
ストローでちゅうちゅうとリンゴジュースを飲むロリックマ。
「朱美、薫と一緒に飲む」
「あっそー! ほんとあんた手かかるなぁもう」
そう言ってロリックマをまた掴んで、部屋の中をどたどたと音を立てて歩き、食卓の上にロリックマを置いてやる。
薫さんは立っている私を見上げた。
「このカレー、早紀が作ったのか」
薫さんはそう言う。あーそっか。この人は早紀ちゃんに作ってもらえと言っていたから、早紀ちゃんが夕飯を作ったと思っているのか。
違います!私が作ったのよ!なんてアピールする気にもなれなくて「そうです」と答えておく。
「何いってるんだ、朱美。そのカレーは朱美が作ったんじゃないか」
……ロリックマのチクリ野郎。
薫さんはその言葉を聞いて、私の方を見る。なんだクソ、文句でも言うつもりか。なんて私が眉を寄せた時、薫さんは口を開いた。
「悪くない」
ただ、それだけだった。
早紀ちゃんのだと思って食べたら実は朱美作でした。なんていう詐欺の被害にあったのに私に「殺すぞ」と言ってこない事に少し驚く。
「はー、ほっぺが落ちそうだったとか。そんな感想じゃないんですか」
そうため息交じりに呟く。
どうせ食ったなら、もっと私の事を褒めちぎってくれてもいいのに。なんて冗談混じりに思いながら。
「悪くない」の一言で片づけられるとは。まぁ別にいいけれども。ちょっと不服に思いながらも、私のカレーを食べている薫さんを見て何故か優しい気持ちになった。
ちなみに「悪くない」は彼にとっての褒め言葉だ。という事を私が知るのはもう少し後の話である。