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46 ずるい

「これ甘くておいしそう」


 坂下朱美は、俺の駅の改札を出てすぐにあるコーヒーショップの前で足を止めた。

 マジマジと立て看板に書かれた糖分たっぷりそうなメニューを、キラキラとした目で見ている。



「……飲む?」

「え、マジですか? ゴチでーす」

「……遠慮する素振りだけでもみせろよ」


 そう言うと、坂下朱美は笑いながらすみませんと言う。

 ぶんと開く自動ドアの前に立つと、扉が開く。

 店の中には一人でイヤホンを耳に突っ込みパソコンを見ている人。きゃあきゃあと声をあげている女子高校生。などなど様々な人が居る。


 レジの前にある大行列に「うげぇ」と思いながらも、上にあるメニューを見上げる。

 ……あまりこういう場所に来ないからか、メニューが多すぎてよく分からない。普通にコーヒーで良いのだけれど。



「メニュー全然分かんねぇ」

「そうなんですか? じゃあ私と同じのにします?」

「……あれは糖分過多で死にそうだからやめとく」


 じゃあ、ラテにしますか。と坂下朱美が笑う。

 めんどくさいからもうそれでいいや。と思い注文も全部坂下朱美に任せる事に。

 ニコニコと笑う店員さんに「あんたも大変だね」なんて思いながら良く分からない呪文のような言葉を唱える坂下朱美の横にぼんやりと立つ。

 なんとか追加、なんとかに変更。とかいろいろ言ってるが全く意味が分からない。


 坂下朱美に催促されて、はらりと千円札を出す。

 意外と千円以内に収まるもんなのか。と思っていたが、後で値段を見れば俺のショートサイズのラテが安いおかげであった。



 ランプの下で、店員さんが作る様子をじっと見つめる。

 俺も坂下朱美も興味深々で、黙ってじっくりと見つめるその姿は店員さんからすればさぞかし鬱陶しい客であったに違いない。



 にこにこと笑いながら坂下朱美と俺のドリンクを用意してくれた店員さん。

 坂下朱美の飲み物は透明の容器だが、俺のはホットだからか赤色の容器で、どことなく冬っぽくて良いなぁと思う。



 坂下朱美が指さすテーブルまで向かって、椅子に腰かける。

 隣で勉強していたのであろう高校生が、ネケストステージという参考書から目を離してじっと俺をみた後にまた参考書に目を落とした。



「飲みますか?」

「いい」

「飲んでみて下さいって、超美味しいですから」


 そう言う坂下朱美からしぶしぶ容器を受け取り、緑のストローをくわえる。



「……あんめぇ」


 おげえ、というのは気合で抑えて。

 口の中に広がるパラダイス糖分を抑えるためにもラテを口に含む。

 くそ、これならアメリカーノでも頼んどきゃよかった。ラテもそこそこミルクっぽいせいで対して中和できてない。


 また隣の女の子と目が合ったがぱっと逸らされてしまう。

 そりゃこんな糖分過多ドリンクを余裕の表情で飲んでる大人が居れば女子高生気になるよな。ごめんよ、受験勉強の邪魔をしてしまって。なんて心の中で謝罪。



「お前絶対いつか死ぬ」

「死にませーん」


 何故か自信マンマンなもの言いをする坂下朱美にイラッとしつつ、ラテを口に含む。



「ラテ、ちょっとちょうだい」


 朱美がそう言うので「ん」と手渡す。

 ぐっとそれを飲んだ朱美は、「これ熱いんだけど!」とブチ切れ。

 こいつホットの概念がない国ででも育ってきたのか。



「いや、どうみてもホットなの分かるだろ」

「……私猫舌なんですよ、もっと冷めてると思ってた!」


 いや、買ったばっかりで冷めるわけないし。と色々突っ込みは溢れ出してきそうになったが、隣の女子高生がイヤホンを用意し始めたので俺も坂下朱美もそこからは黙って飲んでいた。






 お互い飲み終わって、店から出ると冷たい風が体を震わせた。

 さむいさむいと連呼しながら、家までの道を歩む。



「さっきの子、悪い事しましたね」

「……それ。勉強してたのにお前がごちゃごちゃ騒ぐから」

「うるさいな」

「何かお詫びにココアでも買ってあげればよかったかも」



 人通りの多い大通りを抜けて、脇道に入る。

 あ、今日スーパー寄ってから帰ろう。なんて言おうとした時、隣の坂下朱美の足がぴたりと止まった。



「……朱美」


 びっくりしたような表情で、目の前に立つ男がそう言う。

 その男は、暗い茶髪のツーブロックショートでくっきりとした二重が特徴的。高校時代の同級生か何かだろうか?


 隣の坂下朱美は、真っ青な顔で肩にかけていたカバンの紐をぎゅうと握った後に目線を斜め下に逸らした。


 目の前の男は、ふにゃと笑った後に「どうもです」と軽く会釈を。

 俺は「お前だれだよ」なんて思いながら、「どうもです」と俺も返しておいた。



「……もう行きましょ」


 らしくない小さな声で朱美がそう言って俺のコートの裾を引っ張った。

 そんな朱美を見て、目の前の男は困ったように笑った後に「お前、あれはないよ」と謎の発言をした。


 朱美はぴたりと足を止めて、瞳をぐらぐらとさせる。



「確かに、浮気してた俺が悪かった。でも、いきなり『会わない』ってさぁ……。朱美、せめてもう一回直接会って話せたらって思ってた」


 やばいこいつ、彼氏だ。


 驚いたのは、彼の風貌があまりにも優し気だった事。

 坂下朱美は特に彼の容姿についてを話したりはしなかったが、言葉の端々から「ひどい男だった」と言う事が感じ取れた。

 だから俺はもっとイヤーな極悪風人間を想像していたのだ。


 でも目の前に居る彼は、俺の目からはどうにもそんな人間には見えない。

 眉を下げて「今までごめん、朱美」とそう言う彼は、何の先入観もなければ単なるゆるふわ系男子。



「……あっそー。直接話さなかったのは時間なかったから」

「朱美はほんと相変わらずだなー」


 そう言って彼は笑った。

 その言葉に朱美は目を見開く。

 そしてしばらく黙った後に俺を見ずに「もう行きましょう」とだけ言って、俺の裾をもう一度引っ張った。


 俺の前に立つ彼氏(たぶんさとるとやら)は俺を見て、眉を下げて笑う。



「……社会人の人ですか?」

「あー……はいまぁ」


 社会人の人、なんていう表現がよく分からなかったが、就職浪人をして今はただのフリーターになっている彼からすれば俺は社会人の人、なんだろう。年的には殆ど変らないだろうけれど。



「凄くいい人そうで安心しました。朱美の事、よろしくお願いします」


 そう言ってぺこりとまた笑って会釈する彼につられて俺も「ああ、はい」なんて会釈。いや、何呑気にやってんだ。という感じであるが。


 坂下朱美は彼の言葉に目を見開いた後に、つかつかと俺の家の方向に足を進めていく。

 坂下朱美がすっと彼の横を通る時に、彼は「朱美。今度またちゃんと話そう」と言った。


 俺もじゃあ、なんてもう一度会釈をすると彼はまたにこと笑った。

 そしてせかせか歩いていく坂下朱美の背中を追いかけようと彼の横を通り過ぎた時、坂下朱美と同じタバコの匂いが鼻をかすめた。












 横断歩道の信号が赤に変わって、坂下朱美はポケットに手を突っ込む。

 そしてタバコを加えた。俺が歩きたばこ禁止なんて若干咎めると、信号が青に変わるまでに吸い終わる。なんていう大胆宣言を。



「思ったよりいい人そうで驚いた」


 俺が冗談っぽくそう言うと、坂下朱美は少し俺を見た後にすぐ目線を前に戻した。「ふうん」と興味なさげに呟きながら。



「……あいつ、外面良子(そとづらよしこ)ちゃんだから」


 煙を吐く坂下朱美がそう言う。



「お前に対しては厳しかった?」

「……うん。でもね、時々死ぬほど優しかった。脳みそ溶けそうなくらい愛してくれた」


 目の前を通る車がBWMで羨ましいなぁなんて思いながら、ただ信号を見つめる。

 煙を吐く朱美は、どうぞまだ赤信号のままで。と思っているに違いない。



「高校時代からずっと続いてたなんて凄いって皆は言うけど……さとるは、ずるいんですよ」


 朱美の涙が頬を伝った。

 脳みそプリンセスプリンセスな坂下朱美は、高校時代から何度甘い言葉に涙を流してきたのだろう。そう思うと胸が痛んだ。


 坂下朱美が直接彼氏に別れを告げなかったのは、きっとまた自分が甘い言葉に負けてしまうからと分かっていたからなのだろうか。





 坂下朱美は、きっと俺の知らない所でこうやってずっと泣いていたんだろう。


 坂下朱美が涙をすうっと伝わせながら、タバコを吸う。

 その匂いは、あいつと同じ匂い。


 坂下朱美は俺とあいつが同じ匂いだ、なんて言ったけどそんな訳はない。

 俺は坂下朱美のタバコの匂いが少し苦手だし。そもそも俺と坂下朱美の吸っているタバコは違うし。



 タバコというのは怖いもので、一度はまると中々やめられない。

 「彼氏と同じ匂いになりたかった」という超不純な動機でタバコを始めた坂下朱美は、あいつと別れてもきっとずっとこのタバコを吸っていく。



 ずるいな、なんて思うのは俺も同じだった。

 あんなさくっと現れるだけで、坂下朱美の心をこんなにも乱せるなんて。

 俺とあいつじゃ、過ごした時間が違いすぎる。



 俺が今さらどうあがいたって変わる事のないその匂いを隣に、もっと早く坂下朱美に出会いたかったなぁ。なんてどうしようもない事を考えていた。

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