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42 夜景がみたい

 その夜は雨が降っていた。


 俺の部屋に来ていた坂下朱美。

 お前の最寄り駅まで車で送る。と言えば坂下はにたと笑って「私の家まで送って」と言った。

 まぁ隣駅だから車でも行ける距離なんだけれども。



 ワイパースイッチを「おそい」に入れる。

 そういえばこれ、ローマ字で名前あったはずだけどなんだっけ。いつも「おそい」「ふつー」「やばい」という自分の感覚でやっている為思い出せない。


 なんとも言えない鈍い音を立てながら、ワイパーがフロントガラスの雨粒をふき取っていく。

 坂下は、窓から外を見ているようでぽつりと「街灯がきれい」なんてよく分からないポエミーな事を言っていた。



「お前、住所入れといて」


 坂下はその言葉に無言で自分の住所を入れる。

 ふーん、名前だけはオシャンティーなアパートに住んでるんだ。なんて思いながらラジオに耳を傾けた。


 ラジオの楽し気な話声の隙間から、雨音が聞こえる。

 何となくタバコを吸う気にもなれなくて、黙っていたら助手席の坂下が「糀谷さん」と俺の名前を呼んだ。



「夜の街って、いいですよね」

「なに急にポエミーな事言ってんの?」


 坂下朱美は、少し目を伏せて笑う。

 そして、わりとどうでも良い自分の思い出話をはじめた。



「初めて、会社でお給料貰った日……夜景の見える綺麗なレストランで、ご飯食べたなぁって」

「ふーん。彼氏と?」

「違いますよ。新谷ちゃんと」


 坂下朱美はそう言って笑った。

 周りカップルばっかりでしたけど。なんて坂下はまた笑う。



「東京って、夜景綺麗ですよね」

「……まぁ、裏返せば、そんだけ夜でも働いてる人間がいるって事だけど」

「ですねぇ。田舎なら、ほんとに真っ暗だし」


 坂下は、自分の故郷の事を思い出したのか。

 口元に手をやって笑った。



「今度見に行く? 俺、前行った事あるし」


 元彼女と、と言いかけたがやめた。

 それにしても俺よ。本当に、付き合ってる訳でもない女にここまで入れ込んでどうするんだ。なんて思っていたのに、坂下朱美の横顔を見れば、そんな気持ちはすっと消えてしまう。



「夜景見たいです!! 今すぐ連れてって!!」

「ハイ、雨でーす」


 ワイパーがフロントガラスの雨粒をふき取っていく鈍い音が響く。

 坂下朱美は、ちぇ。なんてわざとらしく言う。

 また今度なー。なんて言えば、助手席に座る坂下朱美はじっと俺を見た。



「……糀谷さん、優しすぎてこわい。今日も、家まで送ってくれるし……」

「はー? ここで今すぐ車から下ろして路頭に置いてく位厳しい方がお前は好きなわけ?」


 変わってるね、と嫌味っぽく言うと坂下朱美は「本当に家まで送ってくれると思わなかった」と少し嬉しそうに笑った。

 坂下朱美の彼氏がどんな人間なのかを若干想像できてしまうのが怖い。



「糀谷さん、MT持ってますか」


 自分から話を持ちかけてきたくせに、彼氏の事を思い出したせいか坂下朱美はすぐ話題を逸らした。



「……持ってない」

「バカにされませんでしたか」

「大学で『男は黙ってMT』なんていう謎理論を展開してる奴はいた」

「……いるいる」

「お前は?」

「私もATだけ」


 会話終了。

 お前もっと続きそうな話題持ってこいよ。

 坂下朱美はまた窓を見つめて「雨やだなぁ」とぽつりと呟く。

 俺がそれに何も返さずにいると、坂下朱美は何故か悲し気な表情で俺を見た。



「糀谷さん、私いろいろやり直したいです」


 主語を入れろよ。と思いながら自分の膝の上に乗せた鞄に視線を落とす、坂下朱美に目をやる。

 坂下朱美が何をやり直したい、と言っているかは分からないけれども、どうぞ俺関係の事であれ。と心の中で祈っておいた。



「もっと、もっと早く糀谷さんに出会いたかった」


 涙声で坂下朱美がそう言う。

 俺はそんな声を聞いて、サイドミラーに目をやった後に左にウィンカーを出して車を止める。


 ハンドブレーキを引いている時に坂下朱美が不安げに「糀谷さん」と俺の名前を呼んだ。

 それに俺が「タバコ吸いたくなっただけ」と返せば、坂下朱美は何か言いたそうにしていたが「そうですか」と小さな声で返事をした。



 もうだいぶ遅い時間だからか。それとも元々車通りの少ない道なのか。ほとんど車は通っていない。

 俺はポケットからタバコを取り出して、火を付けて煙を吐く。

 坂下朱美はいつも「私も」なんてすっとタバコを取り出してくるくせに今日は黙って俺を見ていた。


 車内には、やけに明るいラジオの声と鈍いワイパーの音が響く。



「……坂下、一つ良い事教えてやろうか」

「……遠慮します、糀谷さんが言う『良い事』って全然『良い事』じゃないもん」

「俺、彼女と別れた」


 まぁ元々ほぼ別れてたようなものだけれども、と付け足すと、坂下朱美は「へ」と間抜けな声を漏らした。

 そして、まんまるとさせた目で俺を見る。

 どう、良い事でしょ。なんてわざとらしく笑うと、坂下朱美は少しだけ泣いた。



「なんで別れたの」

「なんでって? さーなんでだろーね」

「もしかして私のため?」

「……それ、自分で言ってて恥ずかしくない?」


 恥ずかしいに決まってるでしょ!と坂下朱美はキレ気味。

 それに笑うと、らしくない悲し気な表情を見せた。マスカラをたっぷりと含んだ睫が、坂下朱美の顔に影を落とす。



「……私、糀谷さんの彼女さんに悪い事しましたよね」

「大体、俺の家に来たあの日の時点でお前の人間としての評価は地まで落ちてる。なのにお前は、何を今さらそんな事気にしてんの」


 ここまでクソアマ道極めたなら、今さら善人ぶらなくてもいいのに。

 まぁ人間としての評価が地に落ちてるのは俺もなんだけれど。



「坂下。浮気っていうのはハマッた方が負けなわけ」


 坂下朱美は俺のその言葉に何も返さずにただ俯く。

 俺は煙を吐いて、引き出した灰皿にタバコを押し付けて坂下を見た。



朱美さん(・・・・)、だから今回は俺の完敗です」


 そう言って笑えば、坂下は「うぇえ」と何とも気味の悪い言葉を発した後にぼろぼろと涙を零した。

 いつもは絶対に「ウザ敬語」なんて言うくせに今日だけはそう言わずにただただ泣いている。そんな様子に苦笑していれば、ラジオから誰かがリクエストしたであろう音楽が流れ始めた。



「糀谷さん……、私」

「別に返事とか聞いてないから」


 シートベルトを外して、少し身を乗り出せば、腕がクラクションに当たってしまって小さく「ぱあ」という音が鳴る。

 坂下朱美は、涙を零しながら何度も何度も俺の名前を呼んでいた。


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