41 けんか
喫煙コーナーにつかつかと足を進めてきたのは坂下朱美。
不機嫌そうに周りを見渡した後、灰皿の前に立つ俺の横でタバコをくわえる。
ああ、どうも。なんていつも通り挨拶をしようとした時、坂下朱美は俺のポケットに手を突っ込み、何かをポケットの中に入れる。
そして、安っぽい自分のライターを使ってタバコに火をつけた。
「いや、なに……」
若干引き気味に坂下朱美の事を見る。
たまたま喫煙コーナーには誰もいなかった。……坂下朱美は、この時間を狙ってここにきたのかもしれないけど。
未だなお、不機嫌そうに眉を寄せてタバコの煙を吐く坂下朱美。
俺が、ポケットに手をやるとそこには安っぽいライターと、数本しかタバコが入っていない箱が入っていた。
「忘れてた」
そう言って、坂下朱美は小さく舌打ちをした。
そういや、最後に坂下朱美の部屋に行ったのはいつだったかなぁ。なんて煙を吐きながら考える。
未だ、俺と坂下朱美のいまいちよく分からない関係は続いて居た。
最近ちょっと変わった事をあげるとすれば、坂下朱美は俺の隣で、涙を流すようになった事くらいか。
涙の訳は聞かなかった。
坂下朱美の弱い部分をこれ以上見れば、本当に後戻りできなくなると分かっていたから。
「あーごめん、ありがとう」
そう言えば、坂下朱美は俺を見ずにまた舌打ちをした。
ち、とわざとらしい音がやけに耳につく。
「……お前、なにそんなに朝から機嫌悪いわけ?」
そう言えば、坂下朱美は自分の頬を指さした。
は?と思ってその頬を見てみる。言われなければ分からないが、その頬は少し赤く腫れていた。
「けんかしたの。糀谷さんのせいで!」
坂下朱美は、ぎゅっと眉を寄せそう言った。
俺のせい?なんてぽんやりしていた時、ようやく気づいた。あ、俺坂下朱美の部屋にタバコ置きっぱなしにしてたのか、と。
同じ種類のタバコだったら、まだ言い訳できたのに。なんて考えても今さらか。
坂下朱美はわざとらしいため息をつく。
ほんのりと赤く腫れた頬。いつもよりしっかり塗られたファンデーション。殴られたのかなぁ。なんて俺は昼ドラでも見ている気分で考えていた。
「ほんっとに最悪……」
「部屋の掃除をしてない、お前が悪い」
どう考えても、悪いのは俺である。
ちなみに、俺の名誉の為に言っておくが、こうなる事を見越して置いていったわけではない。本当に、ただ単純に忘れていってしまっただけなのだ。
高級なライターは使ってないし。俺の使っている、安いライターなんて無くしても気が付かない。
「殴る男に、ロクな奴はいないよ」
俺の言葉に坂下朱美は「でしょうねぇ」と笑った。
どうしてそんな関係を続けているのだろう。と心の底から思った。
それは、俺が坂下朱美に心が傾いてきているからなのか。それとも単なる好奇心からなのか。どちらかなのかは分からない。
「別れた方が良いと思うけど」
そんな俺からの的確かつ優しいアドバイスに、坂下朱美は困ったような表情を見せた。
そして、初めて自分の彼氏の事についてぽつぽつと話し始めた。
地方から一緒に出てきて、高校時代からずっと付き合っている。
もうどうしようもない関係がずっと続いているけど、寂しいから……。と坂下朱美は呟いた。
へぇ、地方出身なんだ。俺東京生まれだし分かんねーや。なんてちょっと言ってみれば坂下は、嫌そうな顔をして俺を見た。
「都会生まれの人には、分かんないですよ。大学時代から一人暮らししてる寂しさって」
「俺も大学時代から一人暮らしだけど?」
「でも、昔からの友達とか、すぐに会えるでしょ」
坂下朱美の言葉になるほどなぁ。と思った。
下宿してた理由も別に通えない事はないけど、満員電車に乗るのが嫌で。なんていう理由だったし。
「SNSとか見てたらね、時々どうしようもなく泣きたくなるんです。みんな、あの場所に居て。楽しそうで。……田舎ってね、小・中・高ってほぼ持ち上がり式だから」
坂下朱美は、ゆっくりと煙を吐いた。
そして、少しだけ目を細める。彼女は、懐かしい情景を脳内に浮かべているようだった。
「ふーん、じゃあ彼氏もずっと一緒だった訳?」
「そうです。幼馴染。付き合い始めたのは、高校からだけど」
「なるほどー……」
「自分が惨めになるから、あんまりあっちにも帰れないし」
坂下朱美は、とんとんと灰を落としながらそう言った。
ちょっと自分に置き換えて考えてみた。
幼馴染で。高校から付き合ってて。
でも、東京に出てからは上手くいかなくなって。
地元に帰れば惨めになる……。ああ、なるほどね。地元の皆は幼馴染の「さとる」とやらと東京に来ても上手くいってると思ってるから。
「確かに、キツイですね……」
そう言えば、坂下朱美は「ウザ敬語」なんて言って笑った。
「糀谷さんには、分からないと思いますよ。この感じ」
ほんとにねぇ。なんて笑っているくせに坂下朱美の横顔は悲し気だった。
*
その日の夜、ようやく予定が合って自分の彼女と会う事に。
俺も坂下朱美みたいな頬になるかも。なんて思いながら呼び出されたファミレスへ向かった。
デートする時には、いつもオシャレなお店を2人で探してたのに。
終わりはファミレスかぁ。まぁ、大きな声を出してもあまり咎められないだろうし。
目の前の彼女は、相変わらず柔らかな茶色の髪をしていて。
坂下朱美が合えば「ゆるふわガール」なんて一瞬で耳打ちしてきそう。なんてぼんやりと考える。本当にどうかしているかもしれない。
彼女は少し癖のある声で「薫」と俺の名前を呼んだ。
そう言えば、この声が好きだったんだよなぁ。なんて、彼女のマニキュアを見ながら思っていた。
俺は、何となく返事が出来なくて、ここに居座る詫び代として頼んだドリンクバーの安っぽいコーヒーを口に含んだ。
「私達、もう別れよっか」
彼女がへへ、と笑っている事に驚いた。
最後に喧嘩をした時、俺にリモコンを投げつけて「大っ嫌い!! もう別れて!!」なんて怒鳴っていた人であったので。
普段喫煙席を選ぶ俺が、今日禁煙席を選んだのは、灰皿を鈍器として使用される可能性があったからだ。……まぁ、とりあえず命の危機は回避されたようで何より。
「うん」
俺からの返事はそれだけであった。
目の前の、やけにめかし込んだ彼女は、少しだけ目を伏せるとまた「薫」と名前を呼んだ。
「私、付き合ったばっかりの時は、大好きで。上手くいくと思ってたんだよね」
「……まぁね。俺もそう思ったから付き合った」
「私達……ずっと自分の良い所しか相手に見せてなかったからさぁ」
彼女は、またへへと笑った。
確かに。と思った。
付き合いたての頃、彼女は沢山手料理を振る舞ってくれたし、部屋を訪れてもアロマなんかも焚いてて。でも、時間が経つにつれて少しずつ綻びが出始めて。
まぁ。彼女からすれば俺も同じく、だったんだろう。
「薫との距離が縮めば縮むほど、許せない事が増えていった」
彼女は、また困ったような笑みを浮かべながらそう言った。
俺も、彼女の許せない所を頭の中で指折り数えてみた。
数秒で、手がドラえもん状態になった事に少し笑えた。
「私ね……好きな人ができたの。だから、もう別れてほしい」
彼女は、案外スッキリした顔をしていた。
俺も「良かったじゃん」なんて、まるでただの友達を祝福するような口調で言っていた。
普通の彼氏なら、ここで灰皿を投げる案件だ。
それでも、彼女は俺以上に俺の事を分かっていたのだろう。
「薫も、好きな人いるんでしょ?」
付き合う前、お互いを探るように「好きな人、いるの?」なんて話していた夜の事を思い出した。
彼女は、あの時とは違い本当にただの友人としての表情で俺を見る。
「……居る、ね」
坂下朱美だな。と。
「よかった。今日ね、薫の顔見てすぐに分かったの」
彼女は、アイスティーの入ったグラスを持ち上げからからと氷を回しながらそう言った。
良かった。と彼女はもう一度、そう呟く。
その呟きに哀しみは含まれてなかった。本当に心の底から「良かった」と思っているのだ。
だから俺の好きな女には、彼氏がいるなんて事、言えなかった。
……言わなかったの方が正しいか。




