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40 かみなり

 その日は、酷い雨の日だった。

 傘をさせば、ばちばちと跳ね返る雨の音がうるさい。


 道にある水たまりに足をつけないように、と歩いて居れば後ろから「糀谷さーん」と呼ぶ声が。

 ぱっと振り返らなくても、俺を呼んでいるのは坂下朱美だと気が付いた。



「ああ、坂下……」


 マフラーに口を埋めながらそう言う。

 坂下は俺の横に立った後に、俺を見上げた。


 そういえば、さっき彼女(?)から「ちゃんと話がしたいから、今度会いませんか」という内容のメッセージが来ていたなぁ。なんて今さら思いだす。

 前までは「いつ会える?」なんていうメッセージと共に可愛らしいスタンプなんかが送られてきていたのに。敬語で送られてきたメッセージ。おそらく、楽しい話をするために会う訳ではないのだろうと簡単に予想できた。



 隣の坂下を見る。

 ……ほんとにねぇ。俺、何かもうクズ人間街道を爆走してるっていうかなんというか。



「今日、家来ませんか」


 坂下はそう言った。

 ばちばち、と強い雨が落ちる音が耳につく。

 俺の使っている黒の傘とは違い、坂下は透明な傘を使っていた為に、傘の上を流れる水滴の姿を見る事が出来た。


 何だか、ここで足を止めて考えてしまえば負けな気がしたので、ポケットに手を突っ込んでしばらく無言で歩いてみる。

 自分の中で答えは決まっているのだけど、何故かわざとらしいためらいを作った。



「今日、ねぇ……」

「雨、酷いし」

「何で雨が酷いと、お前の家に行く事になるんだよ」


 俺達の隣を、会社の後輩が通り過ぎる。

 一瞬どき、としたが俺と坂下は喫煙コーナーコロニーの一員でもあったため、特に怪しんでいなかったのであろうか。

 普通にお疲れ様でーす。と言って彼は早足で駅まで向かっていった。


 坂下は、少しだけ俺から離れて歩きはじめる。



「まぁ、良いけど……」

「やった! コンビニ寄ってきましょ!」


 やった、ってなぁ。なんて思いを込めて坂下を見れば、坂下はぐううと目線を横にやった。

 少しだけ耳を赤くさせながら。


 その表情を見て「ちゃんと話がしたいから、今度会いませんか」なんてメッセージが送られてきていた事に感謝した。

 浮気は、ハマった方が負け。なんて言っていた俺はどこに行ってしまったのやら。














 雨の音が酷い。

 普段なら、坂下の部屋の中でタバコを吸う事は禁止されているらしいが、今日だけは特別に許してくれた。


 ベッドの周りに散らかされた服に、本当になぁ。なんて思いながら、吸い終わったタバコを灰皿に押し付ける。

 そして一人暮らしの女にしては大きいベッドに潜り込む。



「お前、ほんとなぁ……」


 そう言えば、坂下は俺と向かい合うようにするため寝返りを打ったあと、目を細め笑った。

 俺、知らないよ。戻れなくなっても。ともう一度呟いてみる。

 坂下は、何も答えずにゆっくりと俺の頚部のラインを指でなぞっているだけ。


 戻れなくなっているのは、俺もなのかもしれない。口に出したりは、しないけど。



「今日ね」

「……おう」

「怖かったから、一緒に居て欲しかったんです」

「はー? 怖かった? 何が?」


 そう言えば、坂下は、ぴっと窓の外を指さす。

 は?なんて思っていれば、坂下はそんな俺の顔に笑った後に口を開く。



「わたし、こういう大きい雨の音とか凄く嫌いなんです」


 窓の外からは、ばちばちびちゃびちゃと激しい雨の音が。

 これ、怖いか?ほんとは、俺と一緒に居るための単なる口実なんじゃないか?なんて思ってどうする。



「一番嫌いなのは雷で……むかしっから、雷の時は、お姉ちゃんの布団の中に潜りこんでたんです……」


 今は、夏ではないから雷が鳴る事はない。

 それでも、ばちばちばち、と激しい雨の音が俺と坂下の鼓膜を叩く。



「一人暮らししてからも……雷の夜って、一人で過ごした事ないな……」

「……誰と過ごしてたわけ?」


 もの凄く安易に聞いてしまった。

 坂下の瞳が揺れる。


 ああ。彼氏と、か。なんて気づいてしまう自分よ。


 坂下は、ああ。えっとですねぇ。なんて適当にはぐらかす言葉を探している。

 窓の外の、雨の音がうるさい。


 隣に居る坂下を見る。

 そう言えば、こいつはこんなに弱い女であっただろうか?

 怖かったから、一緒に居て欲しかったんです。なんて。喫煙コーナーで目も合わせずタバコを吸っていた時からは想像もできない事である。


 坂下朱美、という女は。

 本当はどうしようもない位寂しくて。弱くて。

 でも、それを取り繕うために必死に強い言葉を使って。どうしようもないような恋愛を続けていて。



 自分の前でだけ、弱さを見せる女に男は弱い。

 この逆は、一番ウザい。

 周りには、弱い自分をアピールしているくせに、いざ喧嘩になれば「お前は、自分の家族を殺めた殺人鬼でも相手にしてんのか?」と思う程に強くなる女。これは、本当にやってられない。



「……寂しい時、いつでも俺を呼べばいい」


 浮気ってのは、ハマったほうが負け。なんてどや顔で言っていた男の言葉がこれである。

 隣の坂下朱美は、また瞳を揺らす。そして、らしくない小さな声で「糀谷さん」なんて呟く。


 あ、でも抱けない日は勘弁。俺、地獄みたいな夜過ごしたくないし。なんて言えば朱美は「そういうの浮気っぽくてイイ」なんて笑った。


 だから、なんて言いかけた時、坂下の携帯が鳴った。

 普段ならサイレントモードにしているらしい。アレ?切り忘れてたっけ?なんて本人も困惑気味にスマホに手を伸ばす。


 そして、画面を見た瞬間、坂下の表情が固まった。



 数秒固まった後、坂下はスマホの画面に指を滑らせる。

 そして、今まで俺の方を見て横になっていたのに。すみません。と言った後、俺に背を向けてまた横になった。



「なにー? 夜中でーす、寝てましたー。安眠妨害ー」


 いつもの坂下朱美の口調だった。

 明るく、それでもどこか気だるげな。

 相手は新谷か。それとも、大学時代の友達などだろうか?なんて思いながら、ベッドの近くに会ったタバコを取ろうとしていた。

 その時だった。



「……え?」


 坂下朱美の、声が小さく震えた。

 俺は一体何があったのやら。なんて思いタバコを取るのをやめ、坂下朱美の背中を見ていた。



「え、いや……うん、まぁそうなんだけど……」


 坂下朱美が曖昧な言葉を続けていれば、何か、低い声がぼそぼそと話す声が聞こえた。



「雨……強いけど、うん……大丈夫……雷なってないし……」


 坂下朱美は少しだけ首を動かして、俺を見た。

 そして、一秒にも満たない時間だけ、俺を視界に入れた後また口を開く。


「うん、今日は……たまたま、友達と遊んでて……。うん、その友達と一緒に泊まってるから大丈夫……うん、うん……そうだね」


 俺は、坂下朱美の電話の相手が分かってしまって言葉を失った。

 相槌を打つ音が、雨の音に紛れていく。



「うん……、会えない……ごめん……」


 会わない、と言って欲しかった自分が居る。



「うん……ごめん……え? ううん、大丈夫……。わざわざ、ありがとう……さとる」


 最後の三文字を呼ぶ声が。

 今まで聞いてきた坂下朱美のどの声よりも、甘くて優しかった。




 俺と坂下朱美は恋人なわけではない。

 坂下朱美にも相手が居て。俺にも(一応)相手が居て。


 だから、坂下朱美が彼氏に電話をしていたって別におかしい事じゃない。

 だって、俺たちは恋人同士ではないのだから。ただの浮気相手なのだから。



 なのに、こんなに胸が痛むのはどうしてなんだろう。どうしてなんだろう。

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