39 All You Need Is Love
「こーうじたーにさーん、今日一緒に帰りましょー」
そんな声に振り向けば、そこには坂下朱美の姿が。
にこ、と笑っているが実に気味が悪い。
俺の隣に座る新谷は「え、え、どうしたの朱美急に?」なんて言っている。ちなみに俺の脳内の細胞もそう言っている。
「……はい?」
俺は、数日前坂下朱美と関係をもってしまった夜の事を思い出していた。
それでも、坂下はその話題に触れる事は無かったし、本当にいつも通りだった。
オフィスラブを題材にした小説でよくある、一夜の過ちってやつ?なんて俺は笑い飛ばすつもりだったのに。
「いや、二人で飲みにでも行かないかなぁって思ってぇ」
にこ、と笑った坂下がそう言う。
どういう意図でこんな事を言っているのか分からないが、せめて喫煙コーナーで言えよなんて今さらか。
「……考えとく」
そう言って、モニターに向かえば、坂下は「はーい」なんて言って自分の席に戻った。
隣の新谷がやけにこちらを見てくる。
「あの、糀谷さん……」
新谷は何か言いたげな表情を俺に見せたが「何なんだろうねぇアレ」なんて笑えば、それ以上何かを突っ込んでくる事は無かった。
*
「お前な、どういうつもりだよ」
そう言えば、俺の部屋にすっかり上がりこんだ坂下は笑った。
着込んでいた服なんかを適当にぽいぽいと脱いだ後に、欠伸まじりでふわっと伸びなんかしながら。
「浮気って、寂しい時にするものなんでしょ?」
「……何が言いたいわけ?」
「今日、寂しかったんです」
坂下は、そう言った。
本当にこいつってやつは。なんて思いながらも家にあげてしまった俺も俺か。
とりあえず二人で買った、コンビニ弁当の袋をがさっと机の上に置く。
坂下は、座った後に机の上にあったチャンネルに手を伸ばした。
俺が「テレビ見ながら飯食うのやめて」と言えば、坂下は驚いたような目を向ける。
「え、一人暮らしなのに、テレビ見ながらご飯食べないんですか?」
「お前、それ行儀悪いって習わなかったの?」
「習ってない」
へぇ、変なの。なんて坂下はディスり散らかしながら、コンビニの袋の中に手を入れる。
そして、よく分からない謎の「ふわたま丼」なんてものを取り出す。……俺は普通の弁当なんだけど。
「じゃあ寂しいから音楽流してもいいですか」
ほら、丁度音楽プレーヤー繋げば音楽流せるコンポみたいなのあるみたいだし。
と、坂下は笑う。まぁ、別に良いけど。大きすぎると周りからクレームくるから適度に。なんて言えば、坂下は分かってますよ。と立ち上がる。
そう言えば、坂下も一人暮らしなんだっけ?なんて思いながら、俺は坂下の背中を見ていた。
「あ、待て。俺の……」
「私ので聞くけどいいですよね?」
自分の携帯音楽プレーヤーを持ちながら、坂下がそう言って笑った。
ああ、そう。どうぞご自由に……なんて箸を割りながらそう言う。
いつも音楽を聞く時は、かなり小さい音で聞いて居るので、はじめ坂下は「うわ、小さい」なんて、コンポから流れる音楽に眉を寄せた。
それでも俺が「近所迷惑だから」と言えば、ふうんと気だるげな返事をする。
「あ、俺この曲……」
流れるのはしんみりとした曲。
俺、この曲好き。なんて言おうとした時、坂下がぼんやりとその携帯音楽プレーヤーを見ている事に気が付いた。
「なにその顔」
「え、いや、別に……」
坂下は、シャッフルモードにしていたらしくさくっと今の曲を飛ばした。
違う歌手の曲が、この部屋に流れ始める。
「え、何で飛ばしたわけ?」
坂下は、何も答えずに俺の隣に座って、ペットボトルのお茶を飲んだ。
そして、ほんの少しだけ目線を下に落とした後、ゆっくりと口を開く。
「さっきの曲、その……彼氏とよく高校時代聞いてて。なんかこう……ねぇ。寂しいっていうか虚しいっていうかなんというか……」
ねぇ。と坂下は謎の笑みを浮かべた。
「ふうん。確かにあるよね。こう思い出の曲っていうか。……俺も元カノに貸してもらったCDの曲、飛ばすもん」
坂下は、何も答えずにただ少し斜め下を見る。
本当に、音楽っていうのは凄いもので。
この曲を聞いていた時にはこんな事にはまってなぁ。なんて事や、この曲聞きながら、あんな事してたよなぁなんていう記憶の鍵になる。
「さっきの曲、一緒に聞いてた時は幸せだった」
体操座りをした坂下がそう言う。
ぼんやりと、いつの日かの自分を思い返しているのだろう。
遠回しに、今は幸せでないと言う坂下朱美。
「……戻りたいなぁ、あの時に」
俺の部屋に上がり込んで、今日は浮気しまーす!なんて高らかに宣言していた奴が、ご覧の有様である。
「どう頑張っても、戻れないから諦めな」
俺からの悲しい指摘に、坂下はわざとらしい笑みを浮かべた後に、頭を俺の肩に預けた。
ぐっと肩にかかる重み。そして、場違いにも程があるビートルズの「All You Need Is Love」が部屋の中に流れる。
愛こそは全て、なんて邦題本当に笑っちゃう。なんて言いながら坂下は俺を見る。
「坂下」
「はい」
「寂しいから、って理由だけで俺の所に毎回来ない方が良いと思う」
坂下は、俺にもたれかかっていたのに。その言葉を聞いて、少しだけ体を離した。
一体どういう意図で、坂下がその行動を選んだのかは分からない。
「浮気っていうのは、ハマった方が負けなわけ」
「……糀谷さん」
「俺、知らないよ。戻れなくなっても」
坂下は、俺の瞳を見る。
そして、小さな笑みを浮かべながら「いいよ」と呟くのだ。




