38 誕生日
「「あ~~~~やべぇ~~~~」」
二人して枕を背にして、座ってタバコを吸いながらそう言った。
布団に灰を落とさないようにお互い気を付けながら、とりあえず気を落ち着かせる為にタバコを吸う。
やってしまった。本気でやってしまった。
部下で死ぬほど嫌だった坂下朱美。なのに今横を見れば俺の横でタバコを吸っている。
俺が攻めれば背中におもいっくそ爪を立てられる。まさにあれはアダルトさるかに合戦。
ふうと息をついて、タバコを灰皿に押し付ける。坂下はさっき飲んだカフェオレの缶を灰皿代わりにしているようで、床頭台の上に置いた缶の中にタバコを落とした。
と、とりあえず夢オチを期待して……なんて布団に潜りこみかけた時坂下が「糀谷さん」と俺の名前を呼ぶ。
「糀谷さん、すっごく上手」
「……俺は、お前もっと慣れてると思ってた」
俺がそう言うと、坂下は笑った。
こんな事言っちゃなんだが、坂下はかなりのクソアマ臭が漂っているし、いつもいつも気だるげなそんな女。
それでも今日の坂下は、もしかしてこいつ違う坂下なんじゃないかと本気で心配になる程であった。
坂下がタバコを加えながら、マドンナのライク・ア・ヴァージンを口ずさむ。
サビが永遠にループしているが、俺はそれを黙って聞いていた。
「坂下。今日俺とお前は死ぬほど酔ってて、その勢いでって事で……」
俺がそう言うと、坂下は急に口を閉じて黙ってしまう。
そして、新しくタバコを加えて火を付けると、俺を見ずに口を開く。
「そんな事、言わないでください」
お前こそ、そういう事言うなよ。
ぎゅとタバコを持っていない方の手でシーツを坂下が握るせいで、しわが出来る。
それに目線を落とすと坂下がもう一度「糀谷さん」と俺の名前を呼んだ。
「私、乙女ゲーム凄く好きなんです」
煙を吐きながら、坂下が笑ってそう言う。……全然話に繋がりがないし。
まず、乙女ゲームって?女の子育成ゲーム?なんて俺が首を傾げたのに気づいたのだろう。坂下は俺を見て眉を下げ、乙女ゲームがどういうものか教えてくれる。
坂下の説明いわく、乙女ゲームとはイケメンと恋に落ちるまでの過程を楽しむ、そんなものらしい。
「意外、お前そういうの嫌いそうに見える」
「そうですか?」
「男に囲まれてキャッキャッウフフなんて、脳みそゆるふわガールの守備範囲とか言いそう」
坂下はその言葉に目を丸くした後に「確かに確かに」と笑った。
そしてぎゅっと缶の飲み口の近くにタバコを押し付けて、飲み口の中にタバコを突っ込む。
「だって乙女ゲームって、頑張れば絶対イケメンに振り向いてもらえますもん。……まぁちょっと根性はいるけど」
「……ふーん」
「私は、糀谷さんが思ってるような人間じゃないですからね」
坂下が自分の髪をくしゃと握ってそう言う。また急に話飛んでますけど。なんて坂下を見る。
坂下の困ったようなその笑みは、どう考えても自分を嘲笑っているようにしか見えなかった。
「ほんとは寂しくてしょうがないのに。でもそんな事誰にも言えなくて、ゲームの中のイケメンに寂しさを埋めてもらってる。私はそんな人間です」
寂しくてしょうがないの。
そうハッキリ言えばいいのに。布団に埋もれている坂下を見る。
口が悪くて、いつも気だるげ。でも本当は寂しくてしょうがない。それが坂下朱美。
「坂下さん。俺、そういうの彼氏の前でカミングアウトするべきだと思うんですけど」
タバコの煙を吐きながらそう言うと、坂下は一言「ウザ敬語」とだけ返した。
「……だってさ、お前ずるいよ。普段クソ口悪い女に『ほんとは寂しくてたまんない』なんて言われて、放っておける奴いないって。まぁ俺がクソ善人なだけかもしれないけど」
「善人はね、浮気したりしないです」
確かにね、そう言ってタバコを吸えば隣の坂下も笑う。
吐いた煙の匂いに少し眉を寄せる。ほんとに、俺お前のタバコの匂い苦手だわ。なんて呟けば坂下は笑った。
「あーー終わった後のタバコほんとたまんない。26にもなるし、そろそろ禁煙しなきゃなーって思ってはいるんですけど」
「……26?」
「あ、今日誕生日だから」
坂下は、スマホを見ながらそう言う。
時計を見れば十二時を軽く回っている。
「お前……マジでバカ?」
「何がです?」
「誕生日に浮気するなよ」
そう言うと、坂下は「ですよねぇ」なんて言って笑った。
俺はあまりのバカっぷりに何も言えなくなってしまい、はぁ。と大きくため息をついた後にベッドに潜り込んだ。
坂下もふわ、とあくびをした後にタバコの火を消して、俺と向かい合うようにして布団に潜りこんだ。
「お前さー、誕生日なら彼氏と過ごせよな」
「まだ誕生日始まって数時間ですから。もしかしたら連絡くるかもね」
坂下は、俺の鎖骨あたりに指で「うんこ」という文字を書きながらそう言う。
まぁ、指でなぞっているだけだから、感覚的に「うんこ」な感じがするだけ、だけど。
それにしても「うんこ」ってなぁ。なんて言おうとした時、坂下は口を開いた。
「うそ。あの人は、連絡なんかしてこないよ」
坂下は、そう言って笑った。
俺は何も言えずにいた。
「……ああ、お前が何で今日誘ってきたのかやっと分かったわ」
「誘ってきた? 人聞き悪いですね。たまたま、電車の中で寝てて、家帰るの面倒だから糀谷さんの家に来ただけですよ……まぁ、」
まぁ、とまで坂下は言ったが、それ以上なにかを発する事は無かった。
「……お前さー。さっき彼氏に浮気されたって言ってたけど。それって初めて?」
「最近部屋行ったら笑顔で『これ使って』って全然見覚えのない化粧水貸してくれた」
「やばいな……マジでお前、彼女なの?」
そう言えば、押し黙る坂下朱美よ。
坂下は、ばつの悪そうな顔をした後に口を開く。
「高校時代からずっと付き合ってるはずなんですけど。……さとるからすれば、私は単なる都合の良い女でしかないんですよ」
坂下は、これだけ言うと「あーもう思い出すとウザいからこの話おしまい!」と言った。
さとる、ねぇ。なんて思いながら俺は坂下を見る。
坂下は本気でこれ以上、この話を続けて欲しくないらしく「もう突っ込んでくるな」とでも言わんばかりの目で俺を見てきた。
「まぁ、とにかく誕生日おめでとー」
「適当。もっとちゃんと祝ってくださいよ」
「コンビニのケーキでいいなら買ってやろうか?」
「え、マジですか? ラッキー!」
「俺が金払うだけ。自分で買って、自分で食う。そのスタイルでいいなら。俺、コンビニとかのケーキ好きじゃないし」
コンビニのケーキ買うくらいなら、自分で作った方が美味いし。
なんて付け足せば、坂下は「じゃあ今から作って」なんて笑顔で言ってきた。バカかこいつ。
「材料も無いし無理。それに、こんな時間から作りたくない。あと根本的に、お前に作ってやる義理もない」
そう言えば、手作りケーキで祝ってもらうの夢だったのに。なんて適当な発言が。
はいはい、誕生日オメデトー。なんて言いつつ、俺はまぶたを閉じる。
明日も仕事だからさっさと寝ろ。と言いかけたが、何となく言えなかった。
その日の夜、坂下は誕生日の夜だからか頻繁にメッセージが入っているようだった。
流石に着信音はならない設定にしていたらしいが、メッセージが来る度に画面が明るくなるものだから。
俺の隣に居る坂下は、何度画面を見ても表情を変えなかった。
彼氏?とわざとらしく聞いてみれば、坂下の瞳が揺れた。
その表情を見て気づいてしまった事がある。
坂下の彼氏から、連絡はなかったのだろう。という事。
坂下は思った以上に弱い女である。という事。
隣の坂下を見れば、胸が痛くなる。そして、その表情を少し愛おしく感じてしまう。
こういう同情に似た愛情は、ひとをダメにするものだと、知ってはいるのだけれど。




