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32 好きなマンガのワンシーンをなぞる

「坂下、これ」


 仕事終わり、マフラーを首にぐるぐる巻きにしてエレベーターを待っていた坂下に漫画の入った袋を押し付ける。

 坂下は自分が貸してくれなんて言ったくせに「本当にもってきてくれたんですね」とちょっと嫌そうな顔をした。



「んだよその顔。いやなら返せ」

「違います。糀谷さんがちゃんと持ってきてくれるなんか思ってなくてびっくりしてるんです」

「……俺は締切も守れないお前と違って、約束事はちゃんと守る奴だからな」


 ぴんぽんと音を立てて扉の開くエレベーターに二人して乗り込む。

 さくっと嫌味を混ぜた事が気にいらなかったらしい。坂下は「ほんと嫌な人ですね」と眉を寄せてそう言った。

 坂下は、エレベーターの中で俺から受け取った漫画をぱらぱらとめくる。



「すごいですね、この漫画ガンアクションなんだ」

「そー」

「家帰って読むの、楽しみです」


 坂下がそう言って笑った。

 ぶんと開く扉から足を進め、警備の人に一礼してから会社を出る。



「……お前どっち」

「JR」

「……俺も。同じ駅なのに合った事ないな」

「逆に考えて下さいね、私が糀谷さんと会わないように必死に時間ずらしてたんですよ」


 けけ、と坂下がそう笑う。

 ほんっとに坂下朱美が嫌いだ。

 近くを歩くカップルがすうっと俺と坂下を目で追ったが、残念。カップルじゃないから。

 隣を微妙な距離を開けて歩く坂下を見る。最近暗くしたけどやっぱり少し明るい髪色に、きっとした猫目。性格のキツさがここまで顔にまで押し出されているなんて神様の顔面メイキング能力には感動すら覚える。



「……糀谷さん」

「……なんだよ」

「糀谷さんだったら誕生日に何が欲しいですか」


 坂下がマフラーに顔を埋めながらそう言う。

 俺はポケットに手を突っ込みながらぼんやりと、急にそう言われましても。と考えていた。



「あ、勘違いしないでくださいね。糀谷さんにあげる訳じゃないですし」

「分かってんだよクソ。……いちいちムカつく奴だなほんと」

「彼氏へのプレゼントです、何あげるか迷ってて」


 彼氏へのプレゼント。俺に意見を聞いてどうすんだか。

 俺は非常にどうでもよくて「さー」と答えておいた。



「私は、愛をこめて花束でも送ろうかと。……百本のバラの花束をね!」

「……百本は買いすぎだろ」


 こいつ、思ったより脳みそ沸騰してんな。

 俺がお前の彼氏で百本のバラを貰えば、自分のペットにでも食わせるわ。でもそう言えば「糀谷さんが彼氏とかあり得ないんで死んでください」と真顔で言われそうだったので黙っておいた。



「糀谷さんは今までもらったものでどんなものが嬉しかったですか」


 相変わらず俺をあまり見ずに、さくさくと歩んでいく坂下。

 今までもらったもの……。今までの歴代彼女たちの様々なプレゼントが頭に浮かんでは消える。



「……形に残るものは個人的に困る」

「……何でですか」

「別れた時に捨てるのがめんどくさい」

「最低、死んだらどうです」


 けらけらと笑いながら坂下がそう言った。

 会社から近くの駅までは十分ほど歩く必要がある。普段はイヤホンを耳に突っ込んでいるのだが。坂下とこうやって帰っているのはかなり変な気分だ。



「あと、手料理とかも勘弁してほしい。自分で作った方が美味いから」

「じゃあ糀谷さんと付き合った時は、全部料理任せよう」


 そう言う坂下を見れば「ありえないですけど」とにっこり笑われた。ムカつく。

 赤信号に捕まって、二人で信号を見つめる。坂下は未だどうでも良いプレゼント談義を続けたいらしく、どうしようかな。と呟いていた。



「お前が貰って嬉しいものをやればいいだろ」

「金?」

「ほんとお前は可愛げの欠片もないな」


 そりゃ、歴代の彼女のようにメェウメェウの財布が欲しい、なんてぬかされてもそれはそれで嫌なんだけれども。

 坂下は、左手にある俺の貸した漫画の袋を見て「これを……」なんて言っている。殺すぞ。











「糀谷さん、漫画昨日一気読みしましたよ。最高でした」


 次の日、喫煙コーナーで坂下はタバコを吸いながらそう言った。

 ああ、そう。なんて小さく漏らせば、坂下はにやっと笑った。気味が悪い。



「私もバンバン銃打ちたい。微笑みの国に行けばいいのかな」


 ……そう言えば、あの漫画の舞台はタイだった。まぁ、微笑みからは程遠い話だけれども。



「あと、糀谷さんがタバコ吸いたくなる理由も分かりました。カッコイイもん」

「……あっそ」

「そういえば知ってますか、タバコを吸う人ってコンプレックスを埋める為に吸うんですって」


 人差し指をぴっと立てて坂下がそう言った。

 なにこのうんちく披露タイム。どうしよう死ぬほどどうでも良い。なんて思いながら俺は「ふーん」と答えておいた。



「糀谷さんは『タバコ吸ってる俺カッケー』っていう自己陶酔タイプですね」

「うるせーな、じゃあお前は何なんだよ」


 若干坂下の言っている事が当たっていてムカついてしまう。

 タバコをはじめる理由なんか大体そんなもんだろ。なんてイライラしながらタバコを灰皿に押し付ける。



「私はね、どうしようもないクソ女タイプ」

「……なんだよそれ」


 どうしようもないクソ女タイプって。

 喫煙コーナーの丸いテーブルに肘を突いた坂下は俺を見て少し妖しげな笑みを見せた。



「彼氏と同じ匂いになりたかった。ただそれだけの理由でタバコをはじめたんです」

「……ほんとにクソみたいな理由だな」

「糀谷さんもクソみたいな理由じゃないですか」


 坂下が呆れたように煙を吐きながらそう言う。

 そして、少し垂れてきた前髪をすっと分けると、また笑った。



「これ、私の好みじゃない。でもあの人が好きだから吸ってるんです」

「ふーん、恋する人は大変ですね」

「……糀谷さんに敬語つかわれるとうざい」


 ウザ敬語だ、と坂下は煙を吐きながら笑う。

 一応上司の俺にこの態度。殴りたい、この笑顔。

 俺が眉を寄せて黙っていると、坂下は意味ありげな表情で俺を見る。



「私たちの共通点はどっちも知らぬ間に深みにはまってて、やめれなくなったところですね」


 軽い気持ちで手出ししちゃだめですね、と坂下は笑いながら付足す。

 たしかに、タバコをはじめた頃はこんなにもタバコが自分にとって必要不可欠なものになるなんて考えた事がなかった。

 禁煙教室にぶち込まれた時並の嫌な気分が胸に渦巻く。



「タバコを吸ってる女なんか嫌でしょ」

「……別に」

「今までタバコ吸ってる子と付き合った事ありますか?」

「ない。というよりこんなにスパスパタバコを吸ってる女はお前が初めてかも」


 そりゃ、大学の喫煙所などでタバコを吸っている女子を見かけた事はあるし、この喫煙コーナーの常連のおばさん社員も居る。

 それでも坂下朱美ほどのエンカウント率を誇るものはいなかった。


 彼氏と同じ匂いになりたかった、なんていう脳みそお花畑な理由ではじめたタバコはきっともう坂下の中で、ひどく大きな存在になっているのだろう。



「だったらチャンス! 糀谷さんのシガーキス・バージンを私が奪えるじゃないですか」


 坂下はやけにいきいきとした表情でそう言った。

 ……昨日貸した漫画には、有名なシガーキスのシーンがある。こいつの影響の受けやすさは本当に何なのか。

 何でお前となんかと。彼氏とでもやっとけよ。なんて俺の気持ちが表情に出ていたらしい。坂下はタバコを持って笑った。



「タバコを吸ってる男ならごろごろいますけど、タバコ吸ってる女って希少種ですよ。ほら、今やっとかないと一生シガーキス童貞かも」

「……うるせぇな、シガーキス童貞ってなんだよ」


 そのまんまの意味、と坂下は笑う。

 俺の安物のライターをさくっと自分のポケットの中にしまうと、坂下は新しくタバコをくわえてにこりと笑った。


 そして自分のタバコに火をつけると、こっちと手招きををする。

 ……何なんだこの強制イベント。自分の中に少しあったあのシーンへの憧れを、坂下はしつこいからさっさとやらないとずっと言ってくる。なんていう言い訳に混ぜる。

 

自分も新しくタバコを取り出し坂下のタバコに近づける。目を合わせたくなかったから、タバコをじっと見ていた。



「いき、吸って」


 坂下の小さな命令を不服に思いながら、息を吸う。

 息もかかりそうなそんな距離。それでもお互い見つめ合うことなく、タバコに視線を落としていた。じじという小さな音に耳がいく。肺を満たす空気が心地いい。


 自分の好きなマンガのワンシーンをなぞりながら、何で相手が坂下なんだろう。なんて考えていた。


 火が付いたのを見て、お互いタバコを離して息を吐く。



「……タバコを吸ってる女も悪くないでしょ」


 悪くないね。

 そう呟くと、隣の坂下が横顔で笑った。

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