28 一緒に居てほしい
『あー朱美―? いまさー起きてるー?』
おはよう、颯太君の電話で起きました。なんて言えるわけもなく午前一時、私はベッドから這いだした。
薫さんは今日の朝に「遅くなるし、先に寝とけ」と言っていた。
言われなくても寝ます。なんて心の中で思いながら私はその言葉に頷いたのに。
「……どしたの」
『いやー薫さー今日飲み過ぎてさー』
「車だそうか?」
『あー、いやタクシー乗っててもうマンション着くから大丈夫~。ただ薫スッゲー酔ってるから介抱してあげてー』
颯太くんの横から「そうたー」と言う声が。……薫さんだ。
颯太君は、何か薫さんと少し話したようでその後「じゃあね」と言って電話を切った。
あの人でも飲み会でベロベロに酔ったりするんだ。家では飲むけど、外ではあんまり飲まない。そんなタイプの人だと思ってたのに。
テレビの電源を落としてソファーにチャンネルを投げる。
「ロリックマ、ちょっと薫さん迎えにいってくる」
「どこまで?」
「したまで」
そう言って、コートを羽織って薫さんのマフラーを首にぐるぐる巻きにすると、ロリックマは「分かったー」とぬるい返事をした。
この時間に帰ってくるなよー。なんて思いながら私はエレベーターに乗り、マンションの前でタクシーを待つ。
こんな真夜中のくせに、そこそこ車通りのある国道。
あーあの車欲しいなーやら、すげー外車。なんて思いながら私はタクシーが着くのを待っていた。
颯太くん居るなら普通に部屋まで送ってきてよ。一瞬そう思うが、颯太君にまた何か勘ぐられても面倒だしなぁ。なんて思いながらまた道を走る車に目をやる。
すると、黒いタクシーが止まった。二人を乗せたタクシーなのだろう。
ばたと扉が開けばスーツ姿の颯太君が。
財布をしまっている所からお金を出してくれたんだろう。
「颯太君、ごめんありがとう」
「あ、別にいいよ。そんな金額でもないし」
そして問題の薫さんもタクシーから降りてくる。
私はもっと歩けないくらいにかと思っていたが、そんな事もなく薫さんは普通にタクシーから降りてきて私を見て「朱美」と名前を呼んだ。
「じゃ、早紀が待ってるから」
そう言って颯太君はダッシュでマンションの中へ。はいはいラブラブで結構。
薫さんを見れば、少しだけ顔が赤いけれども、颯太君が言うほど酔いつぶれている、といった感じはしなかった。
「遅くなってごめん」
「……薫さんが酔ってるって言ってたから来たのに。全然酔ってないし」
「酔ってる酔ってる」
薫さんは少しそう笑って、マンションの中に足を進める。
酔ってる人は「俺酔ってます」なんて言わないし。大体もっとフラフラになるし。なんて文句を心の中につらつらと述べていく。
ドアを開ければご丁寧にもロリックマがお出迎え。
靴をぬいでロリックマと少しじゃれた後に薫さんはリビングに足を進めて、ソファーに座り込んだ。
「……水でも飲みますか」
「お願いします」
はーとため息をついてこめかみを抑える薫さん。
私は冷蔵庫を開いて、ミネラルウォーターをコップに注ぎソファーに座る薫さんに手渡す。
薫さんが片手でコップを持った後に、とんとんとソファーを叩いた。ここ座れば、という合図だろう。私は若干不服に思いながらも彼の横に腰を下ろす。
「疲れたマジで疲れた」
「……お疲れ様です」
「あー朱美さんからそんなねぎらいの言葉が出るとは」
こめかみを抑えたまま上を向いた薫さんがそう言う。
うるさいな、なんて思ってむっとしてしまうが、薫さんの笑みを見れば自分も少し笑えてしまう。
「朱美さんなんてわざとらしい。普段は勝手に『朱美』って呼び捨てしてるくせに」
あーたんから、何のステップもなく朱美にこの人はシフトチェンジした。
私は、かーくん、糀谷さん、薫さんというステップでここまで来たのに。
薫さんは「あー」と何故か声を出した後に私を見た。
「昔の名残」
昔の名残、って。
白いとこ踏んだら死ぬゲームじゃあるまいし。
「朱美、って名前はお前にぴったり。もしお前の名前が、優しい姫って書いて『優姫』とかならもう腹抱えて笑う」
「この性格で『やさしいひめ』なら多分、世界中のプリンセス同盟から干されるから」
薫さんはその言葉にまた笑う。
薫さん、笑い過ぎ。なんて咎めるような言葉を言えば、薫さんは私を見た。
「一つ教えてやろうか」
「何を」
「お前の事」
「……どうぞ」
「朱美は、俺の事を『薫さん』なんて呼ばなかった」
伏目がちに彼はそう言う。
……酔っているからだろうか。言っている意味がよく分からない。だって、私は「糀谷薫」の事を「薫さん」と呼んでいる。この人はどこの朱美さんの話をしてるんだか。
その時に、ふと思い出した。
ヤケルトタワー建設記念日の、次の日の事を。
そういえばあの時、薫さんは自分の事を「薫」って呼んでほしいなんて言っていたな。呼び捨てなんかできないから、「薫さん」になったけれど。
「……今日そんなに飲んだんですか、よく分かんない話をしますね」
私が話をはぐらかすと、薫さんはベルトを緩めてまたため息をついた。
そして自分のポケットをごそごそと漁る。
「朱美、タバコかして。なくなった」
「あ、私もさっき切れた」
明日買えばいいや、なんて思っていた。それか薫さんに貰えばいいやと。そう思っていたのは薫さんもだったらしい。「マジかー」とソファーの背にぐてっと溶けるようにもたれかかった。
「いまから買ってきます、コンビニに」
「……いかなくて良い」
妙に真剣な顔付きをした薫さんがそう言った。
いや、タバコ吸いたがってたのあんたじゃん。なんて。
「……いや、タバコ吸いたいんでしょう? 私も吸いたいですしついでに買ってきますって」
「じゃあ俺も行く」
「薫さん疲れてるじゃないですか、別にいいですって」
「行かなくていい、タバコ吸いたくなくなった」
「……何なのほんと。じゃあ私は私の為に買ってきますから」
ソファーから立ち上がって、財布を取りにいこうとすれば、同じく立ち上がった薫さんがぐっと私の手首を掴んだ。
振り返る間もなく、ぐっと引っ張られて薫さんに後ろから抱き留められる。
「行くな」
薫さんが、私の耳元でそう囁く。
ぎゅう、と力がこめられる腕からもう逃れられそうにない。
「……酔いすぎ」
「酔ってない」
「……薫さん、離してください。タバコ買いにいけない」
「買いに行かなくていい」
「……タバコ買わないと落ち着かない」
「お前がいま落ち着かないのは、俺がこうやってるからだろ」
「……分かってるなら、やめて……どきどきする……」
薫さんが悪い。
そんな耳元で言葉を発せられて、耳が赤くならない女の子なんかいない。
だいたい、ずるい。
薫さんの顔なんにも見えないし。
彼がまた、私の耳に軽くキスを落とす。
そして「俺をもうひとりにしないでほしい」と耳元で囁く。
彼のその言葉に何も返せずに、私はただただ彼の熱を感じていた。




