27 ねごと
「もうまじ何なの」
「何で船沈むかな……」
私と薫さんの間にあるティッシュの箱から、交互にティッシュを取り出し、涙を拭いて鼻をかむ。
そしてずず、と鼻水をすする音を部屋に響かせながらスタッフロールを二人で見送った。
借りてきたDVDを見て良かった。超感動したし。まぁ明日、花崎夫婦に言い訳するのが大変そうだけれど。明日の自分に全て押し付けるスタイル。
隣には赤い目をした薫さんがいる。
近くにあった鏡に顔が映れば、これまた私の顔の酷いこと。鏡よ鏡よ鏡さん、なんて問いかければ某パン工場で新しい顔面を作ってもらう事を薦められる事間違いなしの顔である。
「すっげぇブスチョモランマ」
「ブスの最高峰」
私の言葉に薫さんがそう返すと、ロリックマがぷすぷすと笑った。
ブスの最高峰なんて嬉しくないわ。隣を見れば薫さんが時計を見ている。
……時計を見られるの、好きじゃないな。
まぁ今はもう寝る時間だからだろうけれど。なんとなくもう少し余韻に浸っていたいなぁなんて思いながらも、薫さんが寝室に向かったので私もリビングの電気を消して寝室へと向かった。
「あ、やば歯磨き歯磨き」
寝室からそんな声が。
暗い部屋の中でも薫さんがこっちにやってきたのは分かった。
確かにさっき映画見ながらポップコーンとか食べてたしな。薫さんが洗面台の電気を付けてくれたので、私は光に集まる虫の如く、すーっと引き寄せられるように洗面台に向かう。
洗面所では薫さんがすでに歯を磨いている。
「あひひゃ、はひゃい」
「歯磨きしながら喋られても分かんないですから」
むにゅ、と歯磨き粉を出しながらそう言う。
私が歯ブラシの用意をしているからか、薫さんは気を使ってるのだろう。後ろの壁に少しもたれながら歯を磨いている。
歯磨きしながら言われても、なんにも分かんないし。なんてむっとしていると、洗面所の鏡に映る薫さんと目が合う。
少し笑って「ごめんなさい」とパントマイム。そんな薫さんに、私も少し笑えてしまう。
薫さんが口を洗って、タオルで拭いた後に「明日早い」と言った。なるほど、さっきの言葉はそう言ってたのね。
私も口を洗って「了解です」と言う。私が口を洗い終わったのを見れば、薫さんがぱっと電気を消す。いきなり消すなよ、寝室まで行けないじゃんかよ。なんて思っていると、薫さんがぱっと私の手を取ってずんずん暗闇の中を歩いていった。
寝室までのクソ短い距離なのに、心臓がバクバクしてしまう。
手汗とかやばいかも、なんて悩む暇なく寝室に到着。
彼はぱっと手を離すと、枕元の小さな安っぽい電灯のスイッチを押してベッドに寝転がった。
私もその横に転がる。普段ならロリックマが間に入ってくるくせに、何に気を使っているんだか今日は電灯の横にちょこんと座っていた。
「明日何時ですか」
私がそう言うと、今まで私に背中を向けていた薫さんがくるりとこちらに体を向けた。
妙に近い位置にある顔。彼の口は「五時」と私の質問に答える。
「五時? やだなぁ」
「心の声がだだ漏れだ」
そう言って薫さんは笑う。そんな表情を見て、少し私の頬も緩む。いつから私と薫さんの笑いのポイントは一緒になってしまったのだろう。
私に体を少し寄せた薫さんが私のおでこにこつ、と自分のおでこを当てる。
普段、立っている時には少し難しそうなわざ。
少し背の高い彼と、私にはなかなかの身長の差があるのだ。でも横になって寝ていればそんなの関係ない。
「朱美」
彼が私の名前を呼ぶ。
少し口を動かせば、あと少しあごをくいっとあげれば口が付いてしまうんじゃないかと本気で思ってしまう。
鼻が邪魔。そう思ったのは生まれて初めてだった。
「あした、朝ご飯何が良い」
「……フレンチトースト」
認めたくないけれど、この距離で、この雰囲気で朝食の話する?と私は少しむっとしてしまった。
薫さんは私から顔を離して「そんな甘いもんばっかり食ってたら糖尿病になる」と私を笑う。
「うるさいな、私はこういう人間なんです」
「ビッグダディリスペクト?」
そう言って薫さんがまた笑う。
そして私の頬を親指の腹で撫でた後に、私の頬を軽くつねった。
「いひゃい」とまぬけな声を出せば、ぱっと素直に手を離した彼の手に少しふれる。
「薫さんの手、好きだった」
「過去形」
「私が痛くないようにって爪切ってくれてた所とか、好きだった」
薫さんは少し目を丸くした後に、ばっと私に背を向けた。
どうした、私何か地雷踏んだか。なんて眉を寄せる。すると薫さんは少し荒い声で私の名前を呼んだ。
「ほんと、勘弁して」
「何をです」
「あのさ、朱美さんよ。俺も一応ね、その我慢してるんですよ」
でたよウザ敬語。
私は薫さんの背中を見ながらため息をついた、本当に何が言いたいんだこの人は。なんて思いながら。
「意味分からないです」
「頼むからそういう顔すんな。マジで我慢できなくなる」
「何言ってるんですかバカ! 死んでよ!!」
急な薫さんのアダルト発言に背中を一回ばんと叩く。
「いて」と言う薫さん。未だ私に背を向けたまま。
私はロリックマを間に寝かせ、薫さんに背を向けて電灯のスイッチをかちっと押し電気を落とした。
二人の間を沈黙が包む。
私が少し動くとシーツを体がこすれる音がした。
「……薫さん」
「なに」
思ったより早く、薫さんが返事をした。
「……『死んでよ』っていうのはうそです」
「ああ、そう」
「生きろ」
「突然の命令形」
暗闇の中で、ぼそぼそと私と薫さんが話すそんな声だけが聞こえる。
背を向けているから表情は見えない。
暫くの沈黙の後、薫さんの低い声が私の鼓膜を揺らす。
「朱美……好きだ」
あんたは初めて感情を覚えたロボットかなにかなの?と思うくらいたどたどしい言葉だった。
私の超リスペクトするゆるふわクソアマなら、ここで一発「むむ? 薫さんってばねごとー?? だ、だってありえないわー! 薫さんが私の事を好きだなんてー!!」なんてクールにかましてくれるだろう。
ぎゅっと布団を握って顔に押し付ける。
やめてよ。そんな事言わないでよ。
私と薫さんは、仮面夫婦なんじゃないの。
私たちの間に愛なんて、無いんじゃないの。
まさかゆるふわクソアマになれたら、なんて思う日がくるとは。
でも、今の私からすればゆるふわクソアマさんが羨ましくってしょうがない。
だって、人の好意も気づかないくらいの天然ゆるふわクソアマさんなら、この焦げるような胸の痛みと、今にも泣きだしてしまいそうになるこの感情を知らなくて済むんでしょう。




