20 かみなり
「朱美って、何か怖いものとかあるの?」
私の隣に腰かけたロリックマが、テレビを真っ直ぐ見ながらそう言った。
天使のくせになんで急に私の弱点なんか探ってきてんだか。
「……何で?」
「いや、朱美って怖いもの知らずみたいな所あるし……」
ロリックマごときに、遠回しにディスられている事に非常に腹がたつ。
私だってプリンセスプリンセスな所はあるし。なんて思いながら頭の中で検索をかけてみる。
……怖いもの、怖いもの…何だろうな。幽霊?いや、会った事ないし。しかも何か幽霊って錯覚の一種らしいし。……よく分からないけど。
夜道で会う幽霊も怖いけど、夜道で裸のオッサンに会う方が怖いか。そう思って「裸のオッサン」と呟くと、ロリックマは眉を寄せた。
「いや、そういうのじゃなくて……」
「そういうのって何よ」
「なんかこう、もっとリアリティーのあるものを言ってよ!」
「裸のオッサンとかリアリティーありまくりでしょ」
チャンネルをぴ、ぴと変えながらそう言った。
隣のロリックマはなお私の弱点探しに必死のご様子。なんだ、この天使私に刃向うつもりか。
ちょうど天気予報をやっているチャンネルがあったので、そこでボタンを押す手を止める。
テレビの中ではお天気お姉さんが、素敵な笑顔を浮かべながら明日はかなり冷え込みます。と言っている。……これ以上寒くなってどうすんのさ。なんて思っていた時、スッカリ忘れていた自分の弱点を思い出した。
「……ああ、そう言えば私雷嫌いだわ……」
ぽつ、とそう呟いてみると隣のロリックマは急に眼をきらりと輝かせた。
そして、急によいせよいせとクソ短い手足を必死に動かしソファーの上に立ち上がって私をぐっと見上げた。
「……朱美、雷が嫌いなの?」
「え? ……うんまぁ……ってか何急に立ち上がってんの?」
「おいらが今から天使の力を使って、天界から雷を呼ぼうと思って」
「お前はもうちょっと天使の力の使いどころを考えろよ」
ロリックマの耳をぎゅううと引っ張る。
ロリックマは痛い痛いと言いつつも、急に腰を左右に振り始めた。え、何これ怖い……。
「……何やってんのあんた」
「雨乞い」
はぁ?ふざけんな。と言いかけた時、急にざあああっと大きな音を立てて雨が降り始めた。
え、まさか。そう若干焦りつつも立ち上がり、ベランダに繋がる寝室の窓を見れば、なんという事でしょうゲリラ豪雨。
そして、急に目の前が明るくなったと思えば数秒後にやってくる「ドン」という大きな地響き。
ひっ、と自分の声とは思えない声が微かに漏れた。もう冬になるというのに、うっすらと背中に汗が滲んできた。
もう一度、目の前が明るくなる。その後、少し床が揺れた。
「ろろろろおろろろ、ロリックマ!?!?!?!」
呂律が上手く回らないまま、ソファーにどんと座り直し、ロリックマの肩を「おいてめぇ!!!」と言いつつ揺らす。
「雷呼んでみた」
「そんな軽いノリで天変地異を起こすな!!!!」
ロリックマの野郎!!なんて言っても雷がぴかと光れば体ががちっと固まってしまう。
そして頭の中で一秒、二秒と数えていれば、やってくる「ドン」という大きな音。
活動停止している私を見て、ロリックマは「ほんとに苦手なんだ……」なんて言いつつちょっとニヤニヤした。
っていうか、雷呼んでみたって何。
雷って普通、夏だけじゃないの。冬の雷って何なの。天使の力マジで意味不明なんだけど。
よし、とりあえずロリックマ。今すぐ殴ってやろうなんて思っていた時に外がまた明るく光る。
「だだだだだ、大体今もう夏じゃないのに!!! 何で!?!?!?!」
「天使だから、おいら」
何謎の倒置法使ってんだふざけんなロリックマと言いかけた時、またドン、という音が。
ざああっと体中が寒くなる。
……ほんとに、この無駄に雷の無駄にでかい音が嫌い。しかも先に光って「もうちょっとで落ちるよ」と予告してくるくせに、いつ落ちるか分からないというこのドキドキっぷり。本当に無理。
いつか見た、自分の腕に雷が落ちてしまった人の画像を思い出してしまって尚更背筋が凍る。
「ち、ちょっっとマジで!! 冗談抜きでやめろ!!! 」
そう言ってロリックマの首根っこを掴んだ時、扉ががちゃりと開く音と共に薫さんの「帰った」といういつもの声が。
「いきなりすげー雨が……」
薫さんのスーツはびっしょりと濡れていた。
彼はただでさえそんな状況に眉をよせてうざったそうにしていたのに、リビングでロリックマの首根っこを掴んでいる私を見て尚更うざったそうな表情を見せた。
「……何やってんだお前。ロリックマは天使だから大切にしろって……」
「こいつ天使じゃないですから!!! 悪魔ですから!!!」
昔流行ったギター侍みたいな口調になってしまっている私。
しかし薫さんは私のあまりの必死な形相に驚いたのか。若干引いた表情を見せながらも「何があった訳?」と聞いてきた。
「ロリックマが! ロリックマが!!!!」
「……ロリックマが何したんだよ。お前主語しか喋ってないから……」
薫さんがふかふかのタオルに顔を埋めながら、洗面所から出てくる。
びしゃびしゃだった服はとりあえず脱いだらしい。普通に上半身裸で歩かれていて目のやりどころに困る。……まぁかーくん時代に何回も見てるんだけどあの上半身。
「こいつが雷おこしたんです!!!」
とりあえずロリックマを解放して、そう言えば薫さんは大きくため息をついた。
その表情が「バッカじゃねーの」と語っている。
「……あっそ……」
「本当ですって!! 私が雷苦手だって言ったら嫌がらせで天変地異を起こしたんです!!」
台所にぺたぺたと音を立てながら向かった薫さん。
冷蔵庫を漁りながら、彼は私に背を向けて「ああそっか、お前雷嫌いだもんな」なんてぼそりと呟いた。
かーくん、あーたん時代に雷をダシにいちゃいちゃした事なんてあるっけ?なんてクソどうでもいい黒歴史を思い返しながら私はまた口を開く。
「ほんとに私……」
ここまで言った時、ぴかと部屋に光が差し込んできた。
私はこの後にやってくる大きな音を想像してしまって、自然と体が固まってしまう。
薫さんは突然話を止めた私を疑問に思ったらしく、ちら。とこちらを振り返る。そしてその瞬間に、どん。という大きな地響きが。
無理、無理本当に無理。なんて思いながら目を泳がせる。
本当なら今すぐ寝室に駆け込んで布団に潜りこみたいけど、薫さんの前でそんな事をすれば「バカだろ」って笑われそうだし。
とりあえず何も言えなくて、意味もなくぼふとソファーに座り込んでみる。
隣のロリックマの耳をぎゅうっと引っ張ってやりたくなったが今はまだゴロゴロ……という音が聞こえるのでそれどころじゃない。
「朱美」
そんな声がするので、ぱっと顔を上げて見れば少し難しい顔をした薫さんがいた。
「大丈夫か」
「……ぜ、ぜんぜん大丈夫」
そこまで言った時、またぴかりと光が差し込む。
ぜんぜん大丈夫なんだけど~wwwなんて調子に乗った発言ができる訳もなく、私は俯きながら「無理です」とぼそりと呟いた。
「……お前、まだ雷嫌いなの」
「悪かったですね子どもっぽくて!!!」
この歳なのに「まだ」雷が嫌い。なんて自分でも恥じている事なのに。
薫さんにつつかれると余計に恥ずかしいし、なんだかどこに向ければいいのかよく分からない怒りも湧いてきた。本当に許すまじロリックマ。
*
ロリックマさんはどうにも本気だったらしく、その夜はベッドに潜りこんでもまだ雷はやまなかった。いや、もう冬に入るっていうのに?ほんと何なのこの天変地異。
私はいつも寝室のベランダ側を向いて寝るので、嫌でも雷の光が目に入る。
き、今日だけはしょうがない……。だっていくら瞼を閉じても、ほらやっぱり怖いし……なんて思いながら、ごろりと寝返りを打つ。
すると目に入ってくるのは当たり前だけど薫さんの背中。
普段はお互い背を向けて寝ているから気づかないけど。規則正しく揺れる背中。……この人、結構大きな背中をしてるんだな。なんて思っている時、また光が差し込んできた。
ひっと、小さな声を挙げて心の中で数を数えた。
そしてごろごろという音を聞きながら、早く終われ早く終われなんて祈る。
薫さんは、どうにもよっぽど疲れているようで、雷なんてお構いなしの様子だった。
「……薫さん」
どうして呼んだのかは、分からない。
いつもなら、クッソなんでこの男の事なんで呼んじまったんだ……。なんて後悔するに間違いないのに。
私の中のあーたんスピリットが蘇ったのかな。なんてしょうもない事を考えていれば、薫さんが私の方にごろんと寝返りを打った。
「なに」
ばっちりと私と薫さんの目が合う。
……薫さん、寝てなかったんだ。なんて思いながらも、どこか嬉しく思っている自分がいる。
それでも、薫さんの顔を見れば、何故か自分のとても弱い部分を曝け出してしまいそうになった。
「……別に……」
「雷が怖いのか?」
私の目をじっと見た薫さんがそう言う。
私は頷く事も何もできなくて、ただただ少しだけ目を伏せた。
ため息をつかれたらどうしようと、私はぼんやりと考えていた。
「さっさと寝ろよ」
薫さんはそう言って瞼を閉じた。
でも、私に背を向ける事はなかった。
私はそんな薫さんの行動がどうしようもなく嬉しくって。でも、そんな事に嬉しさを感じているなんて表現できる訳もなくって。
「……薫さん」
「なに」
「……呼んでみただけ……」
ぼそ、とそう言った。
何これ、昔あーたん時代によくやってたウザ絡みじゃん!!!なんて思いながら、薫さんの方を見る。
薫さんは、目を閉じたまま、ゆっくりと口を開いた。
「お前マジで雷嫌いなんだな」
「……むかしっから、雷の時は、お姉ちゃんの布団の中に潜りこんでたんです……」
私がそう呟くと、薫さんはすっと目を開いた。
そして、少しだけ眉を寄せたまま私をじっと見る。
「一人暮らししてからも……雷の夜って、一人で過ごした事ないな……」
雷の夜を独りで過ごせるとんでもない鋼メンタルの女子なんかいるのか?
クソアマの私ですらこれなのだから、この世の中にそんな女子がいるとは思えない。
「……誰と過ごしてたわけ?」
薫さんが、ぼそりとそう呟いた。
そこツッコミ所か?なんて思っていた時、またぴかりと光が差し込んできた。
声にならないテンパり。急にぐううっと固くなる私の体を見て薫さんは少し笑った。
「そんなに雷って怖いか?」
「もし自分に落ちたらって思ったら怖いじゃないですか!!!」
薫さんは「あーバカ」なんてまた小さく笑う。
その夜は、何度も何度もやってくる雷に怯えながら夜を過ごした。
雷が鳴る度に徐々に薫さんとの距離が縮まっていく。薫さんは「さっさと寝ろよ!!」なんて途中でキレると思っていたのに、意外と何も言わずに私の雷ビックリショーに付き合ってくれた。
雷が鳴った後、必ずビビり倒す私を見てか、薫さんはどうでもいい話をべらべらと続けた。
どうでもいい話の中には、時折おもしろい話があった。
それに笑えば、薫さんも「面白いだろ」なんて嬉しそうに笑う。
少しだけ、雷の鳴る夜も悪くないかもなんて思えた。
次の日、私の目を覚ましたのは目覚ましの音でも何でもなく薫さんが布団から出る音だった。
普段なら気づかないけど、今日は向かい合って寝ていたし……。
薫さんは、ベッドから降りた後、私を見て大きくため息をついたらしかった。私は狸寝入りをキメていたので予想でしかないが。
そして、ばんと寝室の扉が開く音がした。
薫さんは寝室から出ていったらしい。普段きっちりとしている薫さんはいつもちゃんと扉を閉めるのに、今日は半開きだった。
だから、薫さんがリビングにいたらしいロリックマに話かけている声が私の耳にはばっちりと入ってきた。
「地獄みたいな夜だった」
私と薫さんの間に愛情はない。
私だって、雷を怖がっているのが薫さんだったら、毎日背を向けて寝ている相手と一晩向いあって寝るなんてほんと拷問だった。なんて朝に吐き捨てるに違いない。
別におかしい事じゃない。
だって私達の間に愛情などないのだから。私たちは仮面夫婦なのだから。
なのに、こんなに胸が痛むのはどうしてなんだろう。どうしてなんだろう。




