16 明日会社休みます
『今日、家で飲むから何か買っといて』
薫さんが電話越しにそう言った。
酒自体は買って帰るから、つまめるものを買っとけ。という事らしい。
わざわざ家で飲まなくても。どっかで飲んで帰ってきたらいいのに。と思いながら私はいつものコンビニに足を進める。ロリックマもどうしても来たい。と言ったので私の鞄の中に突っ込んで連れていってやる。
何がいいだろう。あ、ラーメンおつまみが良いな。なんて思いながら、おつまみをぽいぽいとかごの中に入れていく。レジで私のいつも吸っているタバコの番号もついでに添えてお会計。
ありがとうございましたー、という声に送られて店を出る。
店を出た瞬間タバコのビニルをぺりぺりと剥がした為、カバンの中からロリックマの声がした。
「朱美、入口で吸うなよ」
「へいへい、あー厳しー」
ロリックマの言葉にわざとらしくそう答える。
まぁ私もあーたんだった頃は、コンビニの前でタバコを吸う奴とか嫌いだったし。気持ち分かるけど。
ぷかぷかとタバコを楽しんでいた時、コンビニに貼りだされているポスターに目がいった。
「ロリックマ、バイト募集だって! 私ここでバイトしようかなー」
「何でバイトなんか」
「……薫さんに頼ってばっかりだし」
タバコを灰皿にぶち込んで、歩き始めると、カバンの中のロリックマが「自覚してたんだ」と言う。ほんとムカつくなこいつ。
「朱美って、何だかんだ言って薫に頼りっぱなしだもんね」
「うるさいなー」
「収入もだし、料理とかも薫に任せてるし」
やなやつ、やなやつ、やなやつ!と思いながらコンクリートロードを歩く。
図星だから何も言い返せないんだけれど。
ちかちかと光る青信号を渡る気にはなれなかったので立ち止まる。そんな時ふと考えてしまう。
どうしてあの人は私にこんなにも優しいのだろう、と。
確かに前世の頃からの嫌な物言いは変わらないが、
あの人はいつからか、私に暴言を吐かなくなった。
私の好きなタバコを買ってくれた。私の好きなドーナツを買ってきてくれた。
あの人は、時々昔の話をする。私の覚えていない昔の話を。
糀谷薫は、私からすれば嫌な上司なだけだった。あの人からしても私は犬猿の中の部下。
なのに、どうしてあの人は私の事をあんなにも知っているのだろう?
ロリックマが「朱美」と私の名前を呼ぶ。
ぱっと前を見れば信号はすでに青に変わっていた。……良く分からない事を考えるのはやめにしよう。と思いぶんぶんと頭を横に振った後、私は横断歩道に足を進めた。
「私、前のコンビニで働こうかなって」
私が缶チューハイを飲みながらそう言うと、隣に座っている薫さんがテレビを見ながら「なんで」と言う。
「……なんか、薫さんのお金だけで生きてるし」
「別に気にしなくていい」
予想外の言葉だった。
薫さんはチャンネルをぽちぽち変えながらビールを飲む。そしてソファにぐっともたれかかると、ふあと大きく欠伸をした。
別に気にしなくて良いなんて。この金食い虫がなんて私に怒鳴ってもいいのに。
「……薫さん、いつからそんなに優しくなったの」
「さー。俺はもともと死ぬほど優しい人間だけど」
「だって前は私に『死ね』とか普通に言ってきたのに。なんで最近言わないんですか」
薫さんは、私の顔を数秒見た後に「何でと言われましても」と言う。
私は、昨日薫さんが言っていた通りどうしようもないくらい幼稚な人間である。そのコンプレックスを埋めるためにタバコを吸っているという話も、まったくもってその通りなくらいに。
「朱美に死んでほしくないから?」
その言葉に何故かロリックマがてれてれと笑う。
私は何とも言えない恥ずかしさを飲みこむつもりで、缶チューハイをぐびっと飲んだ。
きっと、この人酔ってるんだ。だからこんな事言うんだ。
「……薫さん嫌い、死んで」
「はいはい、生きます」
クッションに顔を埋めながらそう言う。ちらと薫さんを見れば薫さんはビールを手にして笑って私を見ていた。
そんな顔をするのはやめてほしい。自分のゴミっぷりを再確認するようで嫌になる。
「お前のその幼稚さにも、わがままっぷりにも、もう慣れた」
「……だったらこれからは黙って私に投資しろ!」
「いいからお前は黙ってろ」
薫さんと目が合えば、思いっきり笑ってしまう。
でも今こんなに笑えるのはお酒マジックだ。私はこの人の事嫌いだもん。なんて心の中で言い訳する自分を情けなく思いながらも、お酒を飲んだからか少し顔を紅潮させた薫さんを見てまた笑みがこぼれる。
結局その夜ベロベロに酔ったまま寝室に転がりこんだ私と薫さん。
仮面夫婦になってから、初めてお互いに背を向けずにベッドに入った。
「……明日会社休みます」
「もう日付的に今日ですけど」
「ああそ、じゃあ今日会社休みます」
あとで電話いれよ。お前が風邪ひいた事にして。と薫さんは付足す。
私は薫さんの方に転がって、首元に顔を寄せる。そうすると彼は笑って私の首の下に腕を入れて世に言う「腕枕」を私にしてくれる。
「でもバカは風邪引かないか、困ったな」
「うるさいなー。薫さん、嫌い」
「あっそー」
私が彼の体に少しすり寄ると、彼は私の頭を撫で髪にするりと指を通す。
彼の温かさに包まれながら、私は眠りに落ちた。
「「やべぇ!!!!」」
じりりりり、という朝の目覚ましの音でお互い目が覚める。普段は背中合わせで寝ているのに今日は衝撃、何故か薫さんが私に腕枕をしているという、とんでもねぇ状況が目の前に広がっていたのである。
なにこのバッド朝チュンルート。
とりあえずお互いばっと離れて距離を取ってみる。
お互いが頭を抱えて「いや、昨日……待てよ……思い出せねぇ……」と言っている。いや、やばい。昨日薫さんとバカ飲みした事は覚えてるけど。
「……お前、昨日の事なんか覚えてるか」
「ま、全く……」
お互い黙ってベットから降りて、近くのゴミ箱をひっくり返す。そこに例のブツが無かった事に安堵。例のブツがあったら本気で笑えない。
いや、でももしかすると例のブツを使わずに。なんて事も。
私の隣の薫さんもそう思っているようでこのオールオアナッシングな状況に、お互い冷や汗をかく。
「や、やばいよな」
「やばい、とりあえずやばいという言葉以外でないくらいにはやばい」
「やばい」
「ほんとやばい」
私も薫さんも「やばい」という言葉以外全て忘れたのか、と思うくらいに「やばい」を連呼していた。しかしそれくらい「やばい」状況だったのだ。
「……とりあえず今日会社休みます」
薫さんは引きつった笑顔でそう言う。……賢明である。
結局何も思い出せなかった私たちは、隣人に「すいません昨日私たちのアダルトな声聞こえてましたか」という間抜けにも程がある質問をしに行くのであった。




