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Hello,goodbye

作者: 蒼雲

ここまでアクセスしてくださった皆様。ありがとうございます。


拙い文章ですが、お楽しみいただけたら幸いです。


では、ごゆっくりどうぞ




一、プロローグ




つめたい手が、僕の首筋に触れる。



とても、きもちいい。



何が起きている



どうしてこうなった



下腹部辺りに、重さを感じる



それにどこからか、声が聞こえる




「つれて行っちゃおうかな」




僕は



首筋にある誰かの手を取った。




そして



何かをつぶやいた



嗚呼、いっそ





いっそ狂えてしまえばいいのに




  ☆





二、こうして僕は、彼女と出会った。




ぱたん

かけていた音楽が終わるのに合わせて、本を閉じた。

やはりこの本はいい。何度読んでも面白い。

このひと時のスパイスになってくれる。

淹れておいた紅茶を口に含む。

甘い。やはり甘すぎた。

何故だろうか。いつも紅茶を淹れると無意識に砂糖を入れすぎてしまう。もっと苦くて、檸檬が利いている奴が好きなのだが。

クッキーは次からいらないかな。

窓際に座っていた僕はふと、外を見る。

ある日の昼下がり、白いカーテンの隙間から、青い空が見える。

相変わらずの快晴。でも外に出る気分じゃない。

こんなときは読書に限る。

まぁ、年中読書してるけど。

苦笑いを甘い紅茶で流し込んだ後、もう一度本を読もうとしたとき。

ふわり

と、カーテンが浮いた。

ふと、僕はその方向へ目線を動かす。

いつもの白いカーテン。その後に広がる青い空。そしてそれらを遮る薄い青色の何か。

「こんにちは」

・・・・・・は?

これが僕と、彼女の出会い。




     ☆




どうしてこうなった。

そこに現れた人(以下、不法侵入者)は着物とドレスの中間のような服を着ていて、髪は色が抜けたような赤、瞳は淡い灰色といったとても変わった風貌だった。

その不法侵入者――服の色が水色だったので水色の塊に見えた――が僕の目の前で僕の紅茶を嗜んでいる。

不法侵入者は紅茶を啜って、にこりと笑った。

「あら、あなたじゃないの。わざわざあまーい紅茶を出して歓迎してくれたのは。」

歓迎などこれっぽちもしていないのだが。

「このクッキーも美味しいわね。自家製?」

話を聞けよ。そして僕のクッキーを勝手に食うな。

不法侵入者が優雅に(?)ティータイムに浸っているときに、僕は頭の中を整理してみることにした。



あの後、不法侵入者が窓から入ってきて来て、僕は何が起きたのかさっぱりわからなかった。

名誉のために言うと、誰しもいきなり窓から人が入ってきたら理解の範疇を超えてしまうと思う。もし越えない奴が居たら、そいつは人間じゃない。たぶん。

そして完全に慌てていた僕は何故だろうか、今考えてもおかしな行動に出てしまったのだ。



「『・・・・・・紅茶でもいかがですか?』だったかしら?」

人の思考を読んだのか、それとも僕がそんなにわかりやすいのか、不法侵入者が目に涙を浮かべながら――決して泣いている訳ではない。笑いすぎが原因だろう。――言葉を繋げた。

「流石の私も一瞬何言ってるのと思ったけど・・・・・・肯定してよかったわ。」

不法侵入者に紅茶を振舞う奴もそうだが、人の家に勝手に侵入した挙句、その申し出を快く受ける奴もどうなのだろうか。主に人の常識として。

不法侵入者は相変わらずニヤニヤしている。まるで子供が悪戯をしかけて、引っかかるのを今か今かと待ち続けている子供みたいだ。

そんな愉快な不法侵入者を取り敢えずは放っておいて、ここからどう退治してやろうかと頭をひっくり返してみることにした。

脳内会議の会場の設営をしていると、三つほど案が浮かんできた。



一つ目は警察に通報することだ。

まぁ、この案は無いだろう。

なぜかと言うと、

『いきなり何も無いところからこの人が現れた』

と言ったところで、誰が信じるのか。

僕なら・・・というか全人類の殆どが信じないだろう。

もしくはついさっきの僕みたいに口をぽかんと開けてしまうかのどちらかだ。

仮に僕の言っている事が信用されたにしても、警察の僕への印象は

『いきなり現れた不法侵入者に紅茶を振舞う変な奴』

となってしまうことは想像に難くない。そして僕はそれを否定できる術を持ち合わせていない。



二つ目、僕がこの場を立ち去ること。

これも却下だ。

僕がこの場から居なくなればこの不法侵入者は

『ここは自分の家だ』

とか言いかねない。いきなり現れて紅茶を嗜むほどのぶっ飛びようだ。そうなってもおかしくは無い。

というか、僕がこの場から離れたくないだけなのだが。



三つ目、不法侵入者を強引に外へ放り出すこと。

これはいいセンをいっているのではないだろうか。

僕は男だし、その気になれば人一人くらいなら持ち上げる事が・・・・・・出来るかもしれない。

放り出す先はあの窓で良いだろう。都合よく大きく開いているし。

落ちた先もまぁ、大丈夫。

そうと決まれば早速実行だ。不法侵入者を持ち上げて窓から放り出すだけの簡単なお仕事。窓の鍵を閉めるのを忘れずに。



「考えている事がだんだん滅茶苦茶になってるわよ。どうしたら窓から放り投げるなんて事を思いつくの・・・・・・」

さっきまでニヤニヤしていた不法侵入者が今度は呆れるような目つきで僕を見ている。まったく、忙しい奴だ。

それくらい迷惑をしているんだが、と僕が伝えると、不法侵入者はやはり笑って、

「その迷惑している奴に普通紅茶を出す?」

と答えるのだ。正論である。



僕はどうにかこの不法侵入者を追い出せないものかと頭をめぐらせてみるも、なかなか名案が思い浮かばない。

こうしている間にも紅茶とクッキーは不法侵入者に食い散らかされていく。ああ、許せ!我が友・・・ではないか。僕も食べるつもりだったし。

僕の思考を遮るように紅茶の啜る音が聞こえてきた。やっぱりコイツ、僕の心の内を読んでるのではなかろうか。

そして不法侵入者は満足げに立ち上がった。中身が入っていない寂しいカップと太陽の光がよく反射するお皿を残して。

どうやら自分からお帰りになってくれるらしい。これで面倒ごとは全て片付いた。甘すぎる紅茶と自家製クッキーは犠牲となったけど。

「そろそろ行くわ。いい時間になったし。」

窓に目を向けると、青かった空はいつの間にか赤色が混じり始めていた。なんだか世界が染まっていくように見えた。

僕が二度と来ないでくださいと言っても、返事はしない。肝心なところは聞いてないのか。それとも無視しているだけなのか。多分後者だと思うが。

「じゃ、またいつか。」

そう言って振り返らずにてをひらひらと手を振って歩いていく。なんとも『また来るから用意よろしく』と言いたげな背中だ。絶対用意はしない。と言うかいきなり来ておいて『用意』って何だ。この不法侵入者はいろいろなものが足りていないような気がずる。

「それと」

赤く染まり始めた部屋から再び声が聞こえてきた。僕は忙しいのだ。おもに紅茶淹れなおしとかで。

首を半分だけ、それも顎が上を向くように振り返ったその顔はやはり笑っている。僕をからかうのだろう。

「人を不法侵入者って呼ぶのはどうかと思うわよ。主に人の常識として。」

……人のことをからかうのも、どうかと思う。

僕は苦し紛れに、言葉を紡いだのだった。




    ☆




三、お茶が運ばれてくる前に




僕には友達が居ない。

胸を張ってそう言える事はそれくらいだった。

いつも遊びは一人でやっていたし、趣味だって一人でやることの方が圧倒的に多い。

だから今でもこうやって独りで紅茶を飲んでいるわけだけど……

でも、そんな僕にも友達が出来た事がある。

いや、僕と彼女は友達だったのだろうか。

とにかく、そのことはよく憶えている。

そう、それは今日みたいに空が青くて綺麗な日だった―――




  ☆




――――  「うわぁ!」

心地よい川のせせらぎの中に混じる素っ頓狂な声が一つ。

そんな声を上げて釣れたのは、ただのゴミだった。

今度は呆れたように息を吐く。僕は今、一人で魚釣りをしている。

辺りは自然が豊かで、それに負けじとばかりに青く、透き通った空が広がっている。それが僕の故郷だった。

いや、僕の世界だったと言った方が良いだろう。何故なら、この幻想のような場所を知っているのは、僕一人だけだからだ。

ずっと一人だったからなのか、それとも周りに否定する人が居なかったからなのかは定かではないが、僕は幻想を信じていた。

幻想と言うのは、いつも僕の頭で描いていた世界のことだ。その世界はいろんな生き物が居たり、様々な色を見せてくれた。友達が居ない僕には、恰好の遊びだった。

勿論、そんな場所があるわけが無い。でも僕の頭の中にははっきりと存在している。

僕はそれを幻想と名づけた。

初めてここを見つけたとき、僕は蜃気楼を目の当たりにしているのかとさえ思った。そして、『こんな幻想的な場所は幻想を信じている僕だけの物だ』とも思った。

幻想は頭の中にあるから幻想なのだが、ここは、僕の幻想を完全に再現していた。

誰も知らない、僕だけの『幻想』。

そんな口に出すのも恥ずかしい言葉をはっきりと言えてしまうほど、僕はここが好きだった。



魚釣りを諦めた僕は、本を読むことにした。

少し古ぼけているけど、しっかりした椅子――何故かこれは最初からここにあった――に腰掛けて本を開く。

僕の身近にある幻想は本だった。

少し固めのハードカバーを開くと使い古された紙の独特の匂いが広がって――僕を幻想へと連れて行ってくれた。

そして度々喉が渇くと、魔法瓶に入れておいた紅茶を出して少しずつ飲む。

僕が好きな紅茶は檸檬が効いていて、そこまで甘くない紅茶だった。

そしていつものように、紅茶を魔法瓶から備え付けのカップを取り出して紅茶を酌もうとしたそのとき、

「こんにちは」

僕の幻想が、始まった。







そこに居たのは少女と呼ぶにはわずかに幼い女の子だった。

まっ白なワンピースを着ていて、それを染めてしまおうとしているようにも見える真っ赤な髪に灰色の大きな瞳。

快活そうで、それでいておとなしい雰囲気を醸し出す不思議な女の子だった。

そんな光景を目の当たりにした僕は数秒固まってからこう口走った。

「……紅茶……いる?」

女の子もまた、数秒呆けたような表情をしてから、

「ありがたくいただくよ!」

元気な声だった。



目の前で紅茶が飲み干されていくのを見ながら、僕は冷静な思考を徐々にとり戻していた。

見ず知らずの女の子に紅茶を出すのは失礼を通り越して迷惑なのではなかろうか。

しかし、そんな考えも、太陽の光が眩しいくらいに反射しているカップを見て一気に吹き飛んだ。

「ありがとう。美味しかった。」

「あ、うん……お粗末さまでした?」

「私が飲んだのは紅茶じゃなかったっけ?」

そうだった。まだ動揺は抜けきっていないらしい。

女の子はどこからか紙袋を取り出して、中身を一つ、口に放り込んだ。中身はクッキーのようだ。

いくらか噛み砕いたのち、僕に一つよこした。

「紅茶のお礼。うちの自家製だから美味しいよ!……たぶん」

最後の言葉で少し不安になったがとても美味しかった。ただ、ちょっと甘かった。

そのクッキーを食べながら、僕は女の子に気になっていることを聞いてみることにした。

「あの……」

新しいクッキーを口にひょいっと放り込んだ女の子がこちらを向いた。

「あ~?」

「君は誰?」

「それはこっちが聞きたいくらいだよ!」

女の子がテーブルから身を乗り出してきた。白いワンピースに健康そうな肌が映える。

「こんな山奥の山奥みたいな場所で魚釣りはわかるけど……何でティータイムと洒落こんでるわけ?」

「ちょっと待って何で魚釣りしてたの知ってるの?」

「さっきの声面白かったなぁ……思い出したらにやけてきそう」

なんてことだ。見ず知らずの女の子に紅茶を振舞った挙句、あの時の間抜けな声も聞かれていたらしい。

顔が思わず赤くなってしまうのをおさえている僕を尻目に、女の子はニヤニヤしている。きっとあの声を思い出したのだろう。

「お願いだから忘れてくれない?」

取り敢えずお願いしてみた。まぁ回答は――

「断固お断りさせていただきます」

舌を出してお断り。ですよね。

顔の赤さを隠すために、顔を覆うようにカップを傾ける。

何だかいつも以上に檸檬が効いているような気がする。恥ずかしいと味覚がおかしくなるのだろうか。

「ところで何が釣れたの?」

まだその話題を続けるのか。勘弁して欲しい。

「……見てたのなら分かるんじゃないの?」

僕が試しに拗ねてみても、女の子はやはり笑って、

「もっちろん!」

そう答えるのだ。この子は案外、容赦が無いのかもしれない。




  ☆




「それより」

女の子が話を紡ぐ。あの話題でなければ会話に参加してやっても良いが。

「あなたは何故、ここに居るの?ここは立ち入り禁止のはずだよ?」

僕の中でヒビが入ったような音がした。

そう、僕が見つけたこの場所は立ち入り禁止区域なのである。

山で遊んでいたときに見つけた、オレンジ色の看板。

そこには確かに、『立ち入り禁止区域』と書かれてあった。

幻想云々の正体は、ありふれた物だったりする。

まぁ、ここを僕の『幻想』にしたときに『僕以外』と書き加えておいたのだけれど。

まてよ、ここが立ち入り禁止区域だと知っていると言うことは……

「『僕以外』ね。いいんじゃない?確かにあなたと私以外いないし。」

訂正、この女の子はかなり容赦が無い。

「……僕以外入っちゃいけないんだぞ、ここは」

「『僕と私以外』に書き直しておいたから大丈夫だよね?」

何も入っていないカップから日光が反射して、とても綺麗だった。

僕の気持ちはちょっとくすぐったかったけど。




  ☆




「じゃ、またいつか」

女の子がそう切り出したのは、空が赤く染まり始めた頃の時間だった。

僕も家に帰ろうと思って、随分軽くなった魔法瓶と本を抱える。

「うん、またいつか」

なんとなく、僕はそう返しておいた。

女の子は少し笑ってから、僕とは反対方向に歩き出した。

白いワンピースが赤く染まっていくのを見ながら、僕は歩き出した。



結局、あの女の子は誰だったのか、

聞きそびれてしまった。



また会う事があったら

聞いてみようかな。




  ☆




四、何故か僕と彼女は、夜を過ごした




…………ピーッ!

耳が裂けるような音で目が覚めた。

どうやら、少し眠っていたらしい。

考え事をしていたら頭に糖分が足らなくなる。

まったく、誰のせいだ。

あの不法侵入者も僕の頭に居座り続けているし、最近何だかあまり調子がよくないような気がする。

あの日から数週間たった。

例の奴は、まだ来ていない。

僕はそれで構わないが、準備云々言っておいてこれは流石にどうかと思う。

そんな思考を切り替えるために、僕は窓に目を向けた。

あの日と対照的に、そこには満天の星がこれでもかとばかりに輝いていた。

人を狂わせ、魅了しようとする輝き。

気を抜けば引き込まれてしまいそうだった。

そしてその輝きを遮る影が、突如目の前に広がった。

「こんばんわ。ひさしぶりね」

……今日来なくても良いじゃないか。




  ☆




どうしてこうなった。

あの日もこの言葉を呟いていたような気がする。

不法侵入者が来る前、僕は久々に天体観測をしようと思っていたのだ。

星は美しい。太古から我々、人間の遺伝子に刻まれていることのように感じる。

遥か昔、人々は火を持たなかった。

魑魅魍魎の類がはびこる世の中では、暗闇の中は恐怖そのものだったに違いない。

しかし、人には夜にしか見えない宝石があった。

それこそが星だった。

星や月の伝説が多いのは、恐らく、これらの魔力や狂気に当時の人々が染まっていたからではないだろうか?

そういう訳で、昔の人と同じように、星の狂気に染まってみようと思っていたときに、魔力や狂気とはかけ離れたような奴が現れたのである。

そして、その不法侵入者はというと……

「綺麗ね~ここってこんな穴場スポットだったのね!」

別の意味で狂気に取り付かれていた。

「やっぱり貴方が淹れる紅茶は美味しいわね。しかも美味しいアップルパイもついてるし。」

どうやら星についての独白をしている間に、盟友は食べられてしまったようだ。

盟友の骨(?)も拾ってやることも出来なかった僕が、不法侵入者に非難の目を向ける。彼女には伝わっているのだろうか。

しかし、そんな僕の主張も空しく、盟友は不法侵入者の胃の中に消えてしまった。

口にアップルパイの欠片をつけた不法侵入者が満足そうな表情を見せた。そして、ようやく僕の方を見た。

不法侵入者はそんな僕の顔を見ても笑っている。ついに星の狂気にやられてしまったのだろうか。

「『準備』しててくれたじゃないの。そんなに待ちどうしかったのかしら?」

大はずれである。僕の心が読めるのではなかったのか。

「でも、相変わらず紅茶は甘いわね。貴方、甘党なの?女みたいねぇ」

別に甘党ではないのだが。ただ砂糖を入れすぎてしまうだけだ。

かといって苦いものが好きなわけではない。特に、コーヒーだけはどうも駄目だ。人間が飲む代物ではないと思う。それは僕がおかしいのだろうか。

「……あらそう」

不法侵入者は興味がなくなったのか、この話題を切り上げると、窓から飛び出している望遠鏡に目を当て始めた。

僕はこの望遠鏡を出しといてなんだが、星は夜空に沢山輝いているのが、一番、綺麗だと思う。

確かに、一つの星をじっくり見るのも好きなのだが、やっぱり星空は肉眼で見るのがいい。

まぁ、それは『天体観測』では無くて、ただの『星空鑑賞会』になってしまうのだろうけど。

「じゃあ」

不法侵入者がいつの間にか望遠鏡から目を放して、僕の方を向いている。その表情はあの時の子供のような顔に見えた。

「始めましょうか、『星空鑑賞会』」

訂正、今日も不法侵入者の読心能力は絶好調のようだ。



不法侵入者が意地の悪い笑みを浮かべたあと、窓から手を出したかと思えば、そのまま縁に掴まってひょいっと上がってしまった。

そののち、窓からさかさまの状態で顔を出した。

薄い赤色の髪が風でたなびいて、流れ星のように見えた。

「貴方も早く来なさい。部屋で見るより、綺麗に見えるわよ。」

ついでに紅茶もね、と言い残して、引っ込んだ。

僕はため息を吐いて、自分を戒めた後、久しぶりに出した魔法瓶に紅茶をある程度入れた。

それからカップを二つと毛布を持って、窓から身を乗り出した。




  ☆




風が吹く中、『星空鑑賞会』が始まった。

参加者は命名者の不法侵入者と、巻き込まれた僕だけである。

一人でゆっくり紅茶でも飲みながら、と思っていたのに。

心が読める(らしい)不法侵入者にそんなことをつぶやいてみる。

返事は無い。予想通りだ。

当の本人はというと投影されたような満天の星空を灰色の目で食い入るように見つめている。

離れてみれば綺麗なものだが、僕には獲物を狩る時の目のように感

じた。

その目が少し優しくなって、僕の方を向く。

「そろそろ紅茶を頂いてもいいかしら?」

魔法瓶の温もりが恋しかったが、何もしないのも怖いので、おとなしく従うことにした。

カップに紅茶を注ぐ。立ち上る湯気が夜に吸い込まれていった。

不法侵入者にカップを渡すと、手が冷たかったのか、両手で抱えるように持って少しずつ口をつけていた。

僕も不法侵入者と同じようにカップを持って、紅茶を飲んだ。甘さが心地よかった。

「ねぇ」不法侵入者が口を開いた。

僕が返事をすると、不法侵入者は星を見たまま続ける。

「ほうき星って知ってるかしら?」

彗星のことか。

「そう、その彗星。今日、見えるらしいのよ。」

僕もそのことを知っていた。だから部屋の隅にあった望遠鏡まで持ち出して、天体観測をしようと思っていたのだ。

「その彗星は昔、妖星って呼ばれていて、空に浮かぶと不吉だったらしいわよ。」

それは始めて聞いた。不法侵入者は意外と物知りらしい。

ふと、不法侵入者の顔を見る。その表情に、見覚えがあった。

「流れ星と似ているのに、何だか不憫ね。」

何故こっちを見るのか。別に僕は不憫じゃない。

「そうかしら」

そうかしら、ではない。そうなのだ。

「一人で寂しく、紅茶を飲みながら天体観測をしようとしていたのに?」

少し、うなだれた。

どうやら僕の反論しようとする気持ちは、流れ星のように燃え尽きてしまったらしい。

不法侵入者を無視して、紅茶を飲む。今だけはコーヒーを許せるような気がした。

アップルパイの無念を晴らすことは出来なかった。すまない、盟友。



少し時間が経ったのち、妖星こと彗星が姿を現した。

彗星は一年に三十個ほど地球では見えるらしいが、多くが大型の天体望遠鏡を使わないと姿を捉える事が難しいとのこと。しかし、肉眼で見える彗星もあり、そのときは望遠鏡ではなくよく双眼鏡を使うのだとか。

ゆっくりと、尾を引きながら星空を泳ぐ彗星。

それは確実に動き続ける時のようで、僕に昔のことを思い出させようとしているように思えた―――




  ☆




五、夜が運ばれてくる前に




「天体観測をしよう!」

僕は呆けた。

女の子と出会ってから、少し時間が経った。

僕がここに来ると女の子は必ず、先に居て、僕に微笑みを向けてくれる。僕はそれが嬉しくて、ほぼ毎日ここに入り浸っていた。

「あなたがここに来てから色々やったじゃない?」

確かに色々なことをやった。山に猪を探しに行ったときには、←こんな顔をした豚が見つかったし、川に電気ウナギを探しに行ったときには、電気ネズミが草むらから飛び出してきた。ここの生物はどんな進化を遂げたのだろうか。

「それでね、やった事が無いのは天体観測くらいかな~と思ってさ。」

「天体観測って……何を見るの?」

僕がそう尋ねると、女の子は待ってましたといわんばかりの顔をして、一枚の紙を差し出した。

「これによるとね、今夜は流星群らしいよ!」

流星群。

僕は流れ星を見た事が無い。

自宅のテラスから星空を見たことはあるけど、流れ星だけどうしても見る事が出来なかったのだ。

天体観測への意欲が格段に上がった。今からでも準備したいくらいだ。

「流星群か……流れ星って願いを叶えてくれるんだよね?何をお願いしようかな!」

「ちょっと違うような気がする……」

案の定、女の子は願い事目当てらしい。正確には流れる間に三回願い事を唱える事が出来たらだけど。

女の子はカップを傾けて紅茶を飲み干した後、

「よし!」

急に立ち上がった。何をするつもりなのだろうか。

「準備、しようか!」

僕も立ち上がった。大賛成だ。




  ☆




そんなこんなで夜になった。

僕がいつもの場所に行くと、珍しく女の子は居なかった。

多めに淹れてきた紅茶を、少しだけ飲む。

甘い。少し、甘すぎた。

寒いだろうから、と思って砂糖を多く入れたのだが、淹れすぎたみたいだ。しかも、僕の好きな檸檬を入れるのを忘れた。

カップに入れた紅茶がなくなる頃、女の子が現れた。

「遅くなってごめんね。」

「いいよ。それより、寒くないの?」

女の子の恰好は、とても薄着だった。それに、息が乱れている。走ってきたのだろうか。

「ちょっと寒いけど、大丈夫だよ。それより早く行こう!」

何処に?と僕が尋ねる。ここではないのだろうか。

「いい場所を知ってるの。ついてきて!」

と言って、女の子は歩き出した。僕もついていく。

足裏から伝わる土の感覚が、何故だかとても心地よかった。



「ここ!」

女の子の後をついて行くこと数分。

僕は驚愕した。

まず、山の方へと進んでいたはずなのに、ここだけ木々が円状に無くなっていること。もう一つはその中心辺りにとても大きな――人が二人乗ることが出来るくらいの――石がぽつんと置かれていること。

何だか遺跡のような神秘さと、不可思議さを掛け持った場所だった。

「この場所はね、私が来たときからこうだったんだよ。不思議なところだよね。」

女の子はそんなことを言いながら、石の上に座った。

僕もそれに習って、座る。ここから、星がよく見えた。

持ってきていた紅茶を女の子に渡す。両手で抱えるようにカップを持って一口。やはり寒かったらしい。

「この紅茶、いつもより甘いね。」

しまった。そうだった。

「うん。ちょっと失敗しちゃって。ごめんね。」

「いいよ。それに、私はこのくらい甘い方が好きだし。」

「そうなの?じゃあ、今度からそうするよ。」

「ホント?ありがと。」

冷蔵庫の中の檸檬に別れを告げる。さよなら盟友。

紅茶を飲んでいると、急に冷たい風が吹いてきた。

僕は身震いした。そして持ってきたいた毛布を被ろうとしたそのとき、

「……………」

女の子がこちらを見ていた。しかも、ちょっと拗ねた顔で。

「えっと、何?」

「いーや、別に。うらやましいなんて思ってないから。ほんとに。」

僕はようやく女の子の考えている事が分かった。そして、同時に悪戯も思いついた。最初に会ったときの仕返しをしてやろう。

毛布の片方を持ち上げる。そして、勤めて真顔にする。よし。

「……僕と一緒でよければ、どうぞ。」

女の子は一瞬だけ見たことも無いような顔をしてから、そっぽを向いて毛布にもぐりこんだ。何だかかまくらみたいになっていた。

僕は笑いを堪えながら、星空を見上げた。

星が眩しいくらいに、輝いて見えた。



紅茶が残り少なくなってきたころ、星空に一つの筋か通った。

「あっ!」

思わず、声が出てしまう。

女の子もそれに気付いたようで、顔を見合わせる。

お互いに変な顔をしていた。

……願い事……願い事……

女の子がブツブツと何か言っている。やけに熱心に願っている。願い事が多すぎるのでは無いだろうか。

流れていく星を見ながら、僕も願い事を唱えることにした。

僕の、望んでいたこと。

僕が、あの日、星に願ったこと、

それは、もう、忘れてしまった。



―――――思い出せない―――――



「ねぇ、貴方は何を願ったの?」

女の子が尋ねる。僕はその答えを持ち合わせていない。

僕の口が何かを呟く。女の子はにっこりと笑って、

―――私はね……




  ☆




目が、覚めた。

いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。

徐々に今の状況が飲み込めてきた。

そうだった、不法侵入者のごり押しで天体観測をしていたのだった。

星空を見上げると、彗星は、まだ、上にあった。

その不法侵入者は……

僕にもたれかかるようにして、寝ていた。

言い出したほうが一番に寝てしまうのはどうなのだろうか。僕も寝てしまっていたけど。

取り敢えず、不法侵入者を寝かせておいた。

片方からの重さに解放されたとき、風が通り抜けた。

寒い。

本能的に毛布の存在を思い出した僕は、毛布を羽織ろうとして一つの衝動に駆られた。

そして、ためらった。

落ち着け。コイツは不法侵入者だぞ。何もそこまでしてやる必要はあるのか?僕の分を分けてまで?



そうして、僕は、



毛布を、不法侵入者に―――



目が、合った。

「……貴方も、星の狂気にやられてしまったのかしら?」

くすくすと笑う不法侵入者を見て僕はこう思うことにした。

全部、彗星のせいだ、と。




  ☆




六、僕と読書と紅茶の時間





本。

それは僕らの生活に、スパイスを与えてくれる物だ。

作者の頭の中にある世界の境界が、ページをめくるたびに説かれていく。

それはとても気持ちが良い時間で、同時に人間の本能を刺激する。

そんな時間に何故―――

「この本、面白いわね。続きは無いの?」

―――何故コイツがいるのだろうか。

相変わらず甘い紅茶は、僕の気分を入れ替えてくれなかった。



不法侵入者が現れてから、しばらく経った。

不法侵入者の肩書きよろしく、気づいたらそこに居て、気付いたら居なくなっている。

何だか幽霊のようなやつだ。

そして、いつものように現れた不法侵入者はいつものように僕の邪魔をするのだ。

まったく、本ぐらい静かに読ませてくれ。

僕が心の中で不法侵入者を糾弾していると、不法侵入者はやはり笑う。その笑顔を保ったまま、こう言い放った。

「そうね……この甘い紅茶に合う、お供をくれたら黙っててあげようかしら。」

あまつさえ、脅してきた。

しかし、僕も不法侵入者が静かにしていてくれるのなら、茶菓子くらいの犠牲は払うことにした。それでも黙らなかったら、今度こそ窓から放り出してやろう。

何だか『走れメロス』みたいだなと思った。この場合、メロスは不法侵入者で、セリヌンティウスは茶菓子だろうか。これだと僕が邪知暴虐の王みたいじゃないか。それはどう考えても不法侵入者だろう。

そんなくだらないことを考えながら、僕は戸棚からビターチョコレートを取りだした。不法侵入者に苦い思いをさせたいのに、これじゃあまるで逆効果だ。苦いチョコレートも、甘く感じることだろう。

やっぱり、紅茶は檸檬が利いていないと駄目だと改めて思った。



不法侵入者に本の続きを差し出して、僕は本のページを再びめくりだした。

不法侵入者も静かに本を読んでいる。コイツも静かに出来るのだな。

本の内容はとてもシンプルだった。

主人公がいて、ヒロインがいて、悪役がいて……全てが魅力的なキャラクターとなって生きている様が堂々と映されていた。

分かりやすく描写されている日常風景。そんな中、水面下で進む悪役の陰謀。それを阻止する主人公。

僕には程遠い世界だなと思った。

ふと、不法侵入者の方を見る。

不法侵入者は開いたページのどこかを目で追いながら、紅茶を一口口に含む。ビターチョコレートもおいしそうに食べていた。

そんな不法侵入者と目が合った。

灰色の瞳が、心を透かす。

「どうしたの?そんなに私のことを見て。……本より私の方が気になるのかしら?」

確かに、眼は奪われた。

だが、気になっていたわけではない。断じて。

「必死になってるのも結構いけるわね。貴方はどんな味がするのかしら。」

不法侵入者の正体は喰人鬼だったらしい。舌なめずりをするのは止めてくれないか。身震いがする。

「冗談よ。」

そんなからかいも、心地よく感じた。



僕が本を閉じるとき、不法侵入者もちょうど読み終わったらしい。

二人で同時に、紅茶を飲んだ。

「ふぅ……面白かったわ、この作品。少しラストが気に入らないけど。」

その本の最後は確か、主人公をヒロインが離れ離れになってしまうはずだ。僕はその描写が結構好きで、気に入っていた。

不法侵入者はそのラストがお気に召さなかったようで、紅茶を煽っている。

「分かれてしまうなら、会いにいけばいい、終わってしまうのなら、また、始めてしまえばいいのよ。何故それが分からないのかしら。」

僕はそれでいいと思っていた。悲劇的な別れも、感動的な再会も、人々は面白いと感じるからだ。

時間とは、無慈悲だ。

楽しい時は終わってほしくない。でも、分かれなければならないときの方が、人生では圧倒的に多い。

僕達は、別れながら生きるしかない。

それが自分にとって、不幸なことでも、どんなに嫌でも、しょうがないことなのだ。

「……貴方には、分からないわ」

不法侵入者が何かを言おうとしていた、思わず顔を上げる。

不法侵入者の灰色の眼が、顔の影で暗く見えた。

そのときの不法侵入者の顔は、

何かを堪えるような、触れるならば壊れてしまいそうな、そんな表情をしていた。

――――永遠を望んだ人の気持ちは

その短い言葉を放った時間は、とても、ゆっくりと流れたような気がした。



不法侵入者が居なくなった後、僕はその時のことを考えていた。

不法侵入者はどのような思いであの言葉を放ったのだろうか。

永遠を望むということはどういうことなのか。

そんな思考が頭の中をぐるぐると回っていたとき。

僕は頭の片隅から、一つの記憶を掘り起こした。




  ☆




七、彼女と僕の読書な時間




時間の楽しみ方は、人それぞれだと思う。

ひたすらに知識を溜め込むのもよし、心に決めた誰かと一緒に過ごすのもよし、何もしないでただ休むのもよし。

自由な時間の中では、人は自由であるべきなのだ、

ぺらっ    ぺらっ    ぺらっ

白いカーテンの付いた大きな窓から覗く暗い雲。それから降っている恵みの雨が、地面を叩く音の間に、紙をめくる音が聞こえて来る。

僕は本を読んでいた。向かいに、女の子を添えて。

昨日、二人で魚釣りをしたからか、全身が疲労で包まれていた。

女の子もそうだったのか、珍しく「今日はおとなしく本でも読んで過ごそう」と言う話になったのだ。

それから、お互いにオススメの本を持ち寄って、それらを読み始めようとしたとき、頭の先に冷たいものを感じた。

僕と女の子は顔を見合わせたあと、広げていたいろいろなものを全て鞄に詰め込んだ。

今日は残念だけどこれで終わりかな。

僕がそう考えていたとき、片手に暖かいものが触れた。

「ついてきて!私のお家で雨宿りしよう!」

僕は彼女のなすがままに、手を引かれて行った。



数分後。

僕達が目的地につく頃には、冷たいものは徐々に間隔を短くしていって、最終的に大雨となってしまった。

女の子の家は、山の上――ちょうど天体観測をしたときの場所の近く――にあった。

さしずめ、富豪の別荘といった佇まいの立派な洋館だった。

「ついてきて」

女の子に先導され、玄関の扉を引く。

ずっしりと重い扉が、ぎしぎしと音を立てた。

その先には、一人の若い男の人が立っていた。女の子の父親だろうか。それにしても、随分若く見える。気のせいだろうか。

男の人は、こっちを向くと、驚いたような顔を見せた。

「おとーさん!紹介するね。これが例の『不法侵入者』だよ!」

『不法侵入者』とはなんだ。僕からすれば、女の子の方が『不法侵入者』なのだが。

「これは……この子がいつもお世話になっています」

「あ、えっと……こちらこそ、お世話になってます」

つい、緊張して変な物言いになってしまった。失礼ではなかったか。

「とにかく、この雨だ。やむまでゆっくりしていきなさい。後で部屋にお菓子を持って行ってあげよう。」

「ありがとうございます」

「ほら行こ!」

女の子がまた手をとってきた。すこし、はずかしい。

男の人は優しそうな、それでいてからかいを含んだような顔をして見送ってくれた。

やっぱり、血は絶えないものだな、と思った。




  ☆




ぱたん

雨の音と共に、本を閉じた。

頭に霧がかかったような心地よい疲労感を味わったあと、紅茶を流し込んだ。

こういうときには、甘いほうがいいな。

女の子の好みが、少しだけ分かる気がする。

女の子の進めてくれた本は、とても面白かった。

いつもの日常の中で、悪役の陰謀が水面下で進行する。それに気付いた主人公は、ヒロインと共にそれを阻止する。

女の子らしいな、と思った。

感想はなんと言おうか頭のなかで文字をかき回していると、女の子が本を閉じた。

僕が進めた本は『別れ』がテーマの話だった。

ひょんなことから仲良くなった二人が、様々なことを経験して、成長していく。その中で、二人の別れが近づいて行く。

最後の方は少し暗いかもしれないが、僕は結構、この話が好きだった。

「ねぇ」

女の子が口を開いた。本の感想を言おうとしているのだろう。

「『別れ』って、どんなことだと思う?」

僕はこの質問は、真剣に答えねばならないと、何処かで思った。

「……悲しいことだと思う。出来れば、来て欲しくない。」

女の子は少しうつむいたあと、こう続けた。

「私もそう思うよ。出来れば来て欲しくない。でも、必要なことなんだと思う。人と人とが出会って、『こんにちわ』って言い合うみたいに。」

ちょうどこの本みたいにね。彼女は目の前に、本をかざして言った。

「いくら楽しいときでも、悲しいときでも、『別れ』は必要なんだよ。誰かが『こんにちわ』と言ってくれた時に、『さようなら』と返さなければならないときだって、あるんだよ。」

僕の頭の中が糸が絡まったような状態になった。

『こんにちわ』に『さようなら』と返すときがある?

そんなときが、来るのだろうか。

少なくとも、僕には、まだ無い。

そうしないと 女の子は紅茶で唇を湿らせた後、続けた。

「そうしないと、物語が進まないから。」

僕は何とか、こんがらがった頭から、言葉をひねり出そうとした。

ようやく、口からこぼれたのは、

「……ピリオドを打ったのなら、また、始めればいいと思う。こう、番外編みたいな感じで」

何とも、情けない言葉だった。まったく、自分が恥ずかしくなる。

赤くなっているであろう顔を隠したくて、カップを手に取った。

女の子はきょとんとした顔をしたのち、急に笑い出した。

予想外の反応だったけど、僕もつられて、笑ってしまう。

雨の音が聞こえなくなるくらいに、笑いあった。

僕と女の子は、違う。

容姿や性格は勿論、流れ星を見ようとしたときの動機や本の好みだって違う。

だけど、確かに、僕はこのとき初めて、女の子の触れる事が出来たような気がした。



女の子がお手洗いで席を立ったとき、狙ったようにさっきの男の人が部屋に入ってきた。

持っているトレイからは、砂糖のこげたいい匂いがした。

「さっき言っていたお茶菓子を持って来たよ。悪いね、遅くなって」

「ありがとうございます」

「おや、紅茶は既にあったのか。被ってしまったな。」

「ちょうど、おかわりが欲しかったところなので、むしろありがたいです。」

「そう言ってくれると嬉しいよ。」

男の人がトレイから机の上にお菓子を下ろした。

そのお菓子は、上に砂糖を焦がしたような跡がある果物、――これは、リンゴだろうか。――が乗っていて、下に何かの生地が見える。

ばっさりと言ってしまえば、普通のフルーツタルトを二回、ひっくり返したような感じのお菓子だった。

「これは、タルト・タタンと言うお菓子だよ。君達にぴったりだと思ってね」

これが、ぴったり?どういうことだろうか。

男の人が片目をつぶって続ける。

「だめだよ、女の子に手を引かれてちゃ。君は男なんだから、女の子をエスコートしてあげなきゃ。」

とたんに、顔に熱が入る。タルト・タタンのリンゴに親近感を覚えた。

いつも手を引かれているわけではない、と言い返そうとしたが、身に覚えがあったので諦めた。

「でも、そんな君達はちょうどいいのかも、ひっくり返す事でいい味が出る、このタルト・タタンみたいにね。」

ひっくり返すことが、ちょうどいい。

僕と女の子の関係は、確かにいろいろひっくり返っていた。

主導権を握るのはいつも女の子の方だし、僕はエスコートなんてしたことが無い。

気恥ずかしくなって、紅茶を飲んだ。

男の人が淹れてくれた紅茶は、お菓子に合わせてか、甘すぎず、すっきりとしている。

それは僕の甘すぎる思考を切り替えるのに、十分な働きをしてくれた。




  ☆




いつしか雨は止み、オレンジ色の日が、窓から射していた。

僕は女の子と男の人にお礼を言って、お暇させていただくことにした。

「じゃあ、さよなら」

「うん、またね」

わざわざ出迎えに来てくれた二人を背にして、扉を押した。

なんだか、来たときよりも軽く感じた。

僕は扉を開けた後、立ち止まった。何故なら、

「うわぁ……」

空に大きな虹がかかっていたからだ。

「なにあれ!すごい!もっと近くで見たい!」

女の子が駆け出そうとする。

僕はここで先程食べたタルト・タタンの味を思い出した。

そして、僕は女の子の手を取ろうとして―――



―――こけた。盛大に。

おそらく雨のせいで地面が滑りやすくなっていたのだろう。

ひっくり返ることでちょうどいい。

お腹の中のタルト・タタンが笑っているような気がした。




  ☆




僕と不法侵入者の関係は、確かにひっくり返っている。

タルト・タタンなら僕が生地で、不法侵入者が果物だろう。

でも、僕だって、何か仕返しが出来るはずだ。

僕は立ち上がって、最初の仕返しをすることにした。

勿論、ひっくり返っていない普通のタルトを作るために。




  ☆




八、彼女は突然、別れを告げる




「今日で、お別れよ。」

僕が淹れた紅茶を飲みながら、不法侵入者が言った。

僕は目の前にいる人が何を言っているのか分からなかった。

お別れ?なにが?なにと?

わからない

僕の中にある何かが、考えることを拒んでいるような感覚がした。

不法侵入者が立ち上がった。


僕が瞬きをしたら、


僕の視界は、


天井を向いていた



つめたい手が、僕の首筋に触れる。



とても、きもちいい。



何が起きている



どうしてこうなった



下腹部辺りに、重さを感じる



それにどこからか、声が聞こえる




「つれて行っちゃおうかな」




そのことばが僕の頭を貫いたとき




僕はようやく




忘れていた一つのことを思い出した




  ☆




九、答えが運ばれてくる前に




女の子が来ない。

今日で連続して三日目だ。

少し前、女の子が珍しく来なかった。

僕は心配になって、家まで行こうとしたけど、失礼だと思って、止めておいた。

その次の日、女の子は何事も無かったかのように、ここに来た。

僕は昨日、来なかった理由を女の子に聞いてみた。

「う~ん………なんでもないよ!ほら、それより……」

ごまかされてしまった。

このときの僕は、『知られたくないことの一つや二つ、女の子にもあるのだろう』と思っていた。

しかし、その日を境に、女の子が来ない日が徐々に増え始めた。

どうしたんだろう。嫌われたのかな?僕が何かしたかな?

そんなことばかり、考えていた。

考えても仕方ない。女の子の家に行こう。

僕はそう決心して、女の子の家までの道を辿り始めた。



少し迷ったが、無事に着いた。

玄関の扉に触れる。

木で出来た重い扉が、いつもより冷たく感じた。

ノックをしてみる。

少し経ってから、この前の男の人が出てきた。

どこか、やつれているように見える。目の下にも隈がはっきりと浮かんでいた。

「ああ、君か……」

「あの、女の子は、どうしたんですか。ここ最近、来て無いので心配になったんです。」

男の人は、目を閉じて、息を大きく吐いた。

それは何かを伝えようとしている覚悟のようなものにも見えた。

その反応で僕は

「あの子は……」

女の子の身に

「先日……」

なにが起こっていたかを察した。


―――この世を去りました。






僕は応接間に通されて、男の人が持って来てくれた紅茶を飲んだ。

酷く、苦い味がした。

「さて、何処から話したものか……」

男の人が紅茶で喉を潤すようにして、話し始めた。

「まず、俺のことからだね。実は俺はあの子の父親じゃない。」

それは大体分かっていた。父親にしては若すぎる。いとこか叔父と言ったところだろうか。

「彼女は生まれつき体が弱くてね。小さい頃は入退院を繰り返していたよ。最近は落ち着いてきたけど、いつ発作が起こるかわからないような状態だった。」

僕は驚愕した。そんな風には見えなかったからだ。

いや、女の子が努めてその姿を見せようとしなかったのだろうか。

そうだとしたら、少し、寂しい。

「彼女が小さい頃、酷い雨の日だったかな。突然、発作が起きて、両親が車で病院に連れて行こうとしたんだ。」

当時の状況が目に浮かんできた。

「そんな時……彼女を乗せた車が、曲がり角でスリップして事故を起こしたんだ。雨で滑りやすくなっていたのもあるだろうけど、スピードの出しすぎとして処理された。両親はその事故で二人とも死んでしまった。」

幼い女の子に起きた悲劇。僕だったら耐えられるだろうか。

「その事故で唯一、生き残った彼女は、その後、たらい回しにされた。うちの家計は代々、金持ちで経済的には問題なかったと思うけど……ここで邪魔をしたのが、あの子の容姿なんだ。」

確かに、あの赤い髪と灰色の眼は目立つかもしれない。でも、それだけで拒否されてしまうものなのだろうか。僕は、あの赤い髪は綺麗だと思ったのに。

「まぁ、彼女のお父さんが頭一つ飛びぬけて成功した人でね。その嫉妬も少なからずあったと思う。……その結果、僕が引き取ることになった。最初は、口も聞いてくれなかったよ。あの子には、苦労させられた。」

男の人は自嘲気味に笑みをこぼした。彼もまた、大変だったのだろう。

「まぁ、そんなこんなで時間は過ぎた。医療の技術も年々進歩していったけど、彼女の様態は、悪くなる一方だった。それで、いよいよ彼女の命日まで宣言されるくらいまでに来た。」

命日。

自分の命の残り日数。

後どれぐらい自分が生きる事が出来るかなんて、僕は考えたことも無かった。命は、僕が思っていたよりも近くにあるものだったのだ。

「彼女は落ち着いていたよ。こっちがみっともなくなるくらいに。そこで僕が何かしたい事はないかと尋ねたんだ。すると彼女はこう答えた。」

『別荘に、行ってみたい』

「彼女の父親と母親が出会った場所らしい。彼女はその場所のことをいつも聞かされていたみたいでね。その別荘がここなんだよ。」

二人にしては大きすぎる広さの家、何故か最初から置いてあった椅子。立ち入り禁止の看板。若かりし頃の女の子の父親と母親も、ここで時を過ごしたのだろうか。

「そこに君が居たんだ。」

男の人の指先が、僕のほうを指す。

「君がいると聞いたときはびっくりしたよ。『不法侵入者に紅茶をご馳走になってきた!』って言ったときは、心配になった。」

餌付けでもされたんじゃないかなってね。男の人は、笑った。

「そのときの彼女の顔は、とても嬉しそうだった。なにせ、同世代の友達が一人もいなかっただろうからね。彼女にとってはどれも新鮮な時間だったんだと思うよ。改めて御礼を言うよ。ありがとう。」

僕はそんなつもりでなかったので、少しだけ、申し訳なくなった。

ただ、女の子が少しでも楽しんでくれたのならそれでいい。

今は、そう思う。

「でも、彼女の様態がよくなったわけではなかった。彼女は発作と戦い続けた。一回、家に来た事があっただろう。あの時、お菓子を持っていくときに彼女から口止めをされたんだ。『余計なことは言わないで』って」

それが彼女なりの優しさだったのだろうか。今ではもう、わからない。

「そして、先日、彼女は発作を起こした。でもそれはいつもの発作と違って、静かなものだった。彼女が息を引き取る直前、何かを呟いていたよ。聞き取ることは出来なかったけど。」

彼女の命が燃え尽きる瞬間、彼女はなにを思ったのだろうか。

僕には、わからない。

「彼女の死は静かだった。まるで深い眠りに入ってしまったかのようだった。綺麗な最後だったよ。」

眠るように、死んでしまった女の子。それは僕に『白雪姫』を想像させた。でも、もう彼女はこの世にいない。それが強く、頭を揺らした。

「それで、ここからが本題。」

男の人はポケットから一つの便箋を取り出した。シンプルなようで、どこか気品を感じるデザインだった。

「これは彼女が君にあてて書いた手紙だ。僕は勿論のこと、内容を知っているのは彼女だけだ。読んで欲しい。」

僕はその便箋を受け取った。表面には何も書かれていなかった。

僕は栓代わりに貼ってあったシールを丁寧にはがして、中身を見た。



『  こんにちわ  不法侵入者くん。

 この手紙を読んでいる頃には、私はもう、この世にはいないでしょう。

私が死んだら、【おとうさん】に渡して欲しいと頼んでいるので。

私はあなたに謝らなければならない事があります。

まず、このことを秘密にしていごめんなさい。

私の都合であなたに負担をかけるのが嫌だったの。

ううん、本当は違う。

私はあなたに出来るだけ鮮やかなまま覚えていてほしかったのかも。

これも自分のためだね。ごめんなさい。

あなたと過ごした日々は、とても楽しかった。

一人でやっていたことも、二人だと倍楽しくなることを教えてくれたね。

特に、天体観測をしたときのこと。

あの日、家を黙って飛び出してきたの。

それだけ楽しみだったの!

一緒に流れ星にお願いもしたね。

ねぇ、憶えてる?あの日、私が流れ星にお願いしたこと。

あなたと一緒でとても驚いたよ。

そのほかにもいろんなことをしたね。

全部、楽しかった。本当にありがとう。

私、死ぬのがあんまり怖くないんだ。どうしてだろうね。

何だかね、あの日の流れ星が助けてくれるような気がしてるの。

直接には叶えてくれなかったけどね。

あなたはこの前、言ってたよね?

【ピリオドを打ったなら、また始めればいい】って。

あの時は少し、馬鹿らしいな、と思ったけど、今はそうじゃない。

だから、この【別れ】も必要だったのかもね。

今は、そう思うよ。


さて、書く事がなくなっちゃった。

これで終わりにするよ。

最後に

紅茶をすすめてくれて本当にありがとう。


                                    』

男の人が、口を開いた。

「最後に、お願いだ。彼女のことを、どうか忘れないでくれ。頼む。」

そういい残して、出て行ってしまった。



僕は気付いていた。

最後に何か書いて、消したような後があることを。

最後の方の紙は、よれよれになっていたことを。



僕は覚えている。

彼女と最初に会ったとき、『こんにちわ』と言ってくれたことを。

なのに

なのに彼女は

『さよなら』とは言ってくれなかった。




僕は不思議と、そのことを受け入れる事が出来た。




  ☆




十、そうして僕は、彼女を知った




「貴方が、言ったんじゃないの」

不法侵入者が言った。

「ピリオドを打ったなら、また始めればいいって。なのに……」

不法侵入者の目が若干輝いて見えた。そののち、水滴が頬に落ちてきた。

「……なぜ、貴方は、私のことを、忘れているの?」

彼女の髪が、僕の顔の横に、被さるようにかかる。

そのおかげで、彼女の顔が、よく見えた。

「貴方は憶えてる?あの日の流星群に、なにを願ったか。」

僕は、思い出した。

あの日、願ったことを、

それは紛れも無く、彼女と同じこと。

『この時間が、ずっと続けばいい』

やっと、思い出した。

「……思い出した。」

「……そう。」

「あの日の流星群は、僕たちの願いを叶えてくれたんだ。それも、すごく後に。」

「やっと、気付いてくれた。じゃあ、もう一つ。何故私は貴方の心が読めるのでしょうか?」

「……それは、分からない。」

「時間切れ!もう。私は心なんて読んでなかったのよ。」

ぎょっとした。どういうことなんだ。

「憶えているのよ、私は何回も、何十回も、何百回も、同じことを繰り返してる。」

同じことを、繰り返している。

流星に確かに願いは届いた。

ただしそれは、完全ではなかったのだ。

僕は、『この時間』の部分だけが叶った。結果的に彼女が住んでいた家に住むことになったし、そこで彼女のことを忘れないように努めた。

彼女は『ずっと続く』の部分だけが叶った。僕との一定の時間を繰り返して、文字通りそれが『ずっと続いた』

ピリオドが打たれたと思っていた物語が、『別れ』によって動きだしたのだ。

「あのね……」

彼女が震えている。額には、血管が浮かんでいるように見えた。

「何で私のこと忘れるのよ!何度もアピールしてたのに!」

「そっちだって!何で黙っていなくなろうとするんだよ!」

「それは貴方に負担をかけたくなかったからで……あなただって!わざわざあの日々と同じことを選んでやっていたのに!早く気付きなさいよ!」

「そ、それは……だんだん思い出していったというか……というか、貴方に負担をって、それもおかしいだろ!」

「なによ!私の手を取ろうとしてこけてたくせに!」

「お前だって!手紙に最後何を書こうとしてたか知ってるんだぞこっちは!」

「うるさいこの鈍感!唐変木!」

「なんだとこの変態服装野郎!」

「ぐぬぬ」

「ぐぬぬ」

不毛ないい合いをしたのち、僕たちはあの日のように、笑いあった。

目の前で笑っている彼女を見て、僕は自分の幻想がやっと終わったことを悟った。

これから彼女とどんな事が起こるのだろう?

彼女とどんなことをするのだろう?

空を泳ぐ彗星だけが、その答えを知っていた。







     了

お疲れでした。本作品はこれで完結です。


よろしければ、ご意見、ご感想をお寄せください。


新作は未定ですが、もし見かけたらまたよろしくお願いします。


ではでは。

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