模擬戦(前編)
パーティーの翌日からは、再び厳しい訓練が始まった。シミュレーションは自機と敵機だけの単純なものから、他の人工衛星有り、デブリ有り、敵の反撃有り、航宇隊運動、月軌道戦と徐々に複雑なものにレベルアップしていった。それと平行して座学で、軌道工学、原子炉管理技術などを学んだ。
最初は操縦に戸惑っていた新兵たちも二ヶ月目に入る頃には、シミュレーションの中とはいえ、仮想敵であるレーザー衛星を確実に撃墜できるようになっていた。また、宇宙船のトラブルに対しても、訓練ケースの内七十パーセントで無事生還出来るようになっていた。訓練ケースの半分以上が極端に厳しい状況であることや、初期の生還率が五パーセントに満たなかったことを考えると、格段の進歩だった。
三ヶ月目の中盤あたりから、新兵同士での模擬戦が始まった。S-2軌道制圧機同士が戦う事は、現実ではまず無いと考えられているが、人の操縦する宇宙船と戦う経験をさせるため、実施された。
ルイスにとって初の模擬戦はクラメール・スキナー・ペアとの戦いだった。シミュレータ内の模擬戦であるにもかかわらず、この戦いは後に長く語り継がれることに成る。
「オール・システム・グリーン。五番機発信します」
コンピュータによる自動チェックと目視確認の後、ルイスは軌道上の宇宙軍基地とS-2五番機とのドッキングを解除した。ドッキングとその解除はコンピュータによる自動制御で行われる。基地からの安全距離を確保するまで、手動操縦は不要だった。
「クイケン。敵機の想定軌道を見せて」
「了解」
仮想スクリーンに天頂方向からみた地球と月の姿が映し出された。白い破線で表された敵機の想定軌道が、地球と月を内に含むS字型に伸びている。S字の始点である月の裏側上空にはロケット噴射を示す赤い点と、宇宙船の加速度方向を示す矢印が表示されていた。
現在の敵機の存在確率はヒートマップで表現される。赤い部分ほど存在確率が高く、寒色部分ほど確率が低い。今はリアルタイムの追跡に失敗しているため、最後の噴射を元に予測した位置が表示されていた。噴射の測定誤差が大きかったため、赤い部分は想定軌道の一部を覆う、長い楕円型に広がっている。楕円の端は、すでに地球低軌道(LEO)に触れていた。
ルイスは尋ねた。
「アクティブ観測は?」
クイケンはオペレータと短い交信をした後答えた。
「すでに行っている」
S-2軌道制圧機は高いステルス性能を持つが、メインロケット噴射の熱は隠し切れない。また、ロケット噴射口のカバーを開いている時ならレーダーでも発見できる。
クイケンが言った。
「こっちは宇宙軍のサポートが受けられる分、有利だな」
ルイスはこの意見に懐疑的だった。
「そうとも限らないよ。向うは好きに攻撃を行えるけど、こっちは地球の人口衛星に気を使いながらの戦闘になるから」
「そういうのは無視していいだろう、向うが核爆弾でも抱えてたらどうする」
S-2軌道制圧機はウエポン・ベイに中型の爆弾を搭載することが出来る。中型とはいえ核弾頭を搭載するには十分な大きさだった。
ルイスが言った。
「今回の模擬戦の目標は互いに相手の宇宙船を戦闘不能にすることでしょ?」
「実戦なら、相手の目的なんて分からない。訓練でも最悪を想定して動くべきだ」
「まあ、そうだね」
二人が会話している間に、宇宙船は基地からの安全距離を確保した。
そのまま数時間、二人は待機し続けた。今回の訓練は実時間で行われているため、完了まで一日以上かかることは覚悟の上だった。そのための紙おむつも着用している。
敵機発見の知らせは二時間後に届いた。存在確率が収束し、ヒートマップは黒い背景と白い点に変わる。
ルイスが言った。
「すでに減速を終えてるね」
クイケンが頷く。
「ああ、発見が遅れたな。出来れば、軌道が制限されている内に叩きたかったが、今更言っても仕方ないか」
ルイスたちの機は窓に辿り着き、軌道遷移の噴射を開始した。直後、敵機はチャフとバルーン・デコイをばらまき、軌道を変更した。
ルイスが叫んだ。
「このタイミングで! こちらの動きを補足されていた?」
クイケンは落ち着いた声で答えた。
「恐らく、今の噴射で気づかれたな」
「地球の裏側で噴射したのになぜ? 月からも影だったはなのに」
「ウエポン・ベイに搭載可能なユニットとして、小型の偵察衛星が有る。今回はそれを使ったんだろう。放出は多分この訓練が始まった直後。高軌道に残して来たんだ。宇宙船本体のセンサーと偵察衛星とで視野をカバーしあって、地球全体を監視していたんだろう」
ルイスは険しい表情を浮かべた。
「うかつだった。これでこちらの動きも補足されてしまった……」
三年ほど、軍での経験が長いクイケンは、懐かしい物を見る目でルイスの狼狽を見つめていた。
「まあ、こっちも偵察衛星という向うのカードを一枚使わせた。お相子さ」
ルイスは少し冷静さを取り戻した。
「向うの動きはまだ、捕捉できてる?」
クイケンはデータを確認した。
「ダメだ。レーダー波と赤外線で確認しているが、遠すぎてデコイと区別がつかない」
「すべてを追跡することは可能?」
「問い合わせてみる」
数分後、クイケンは暗い顔で言った。
「無理だそうだ」
ルイスは厳しい表情をしていた。
クイケンは尋ねた。
「軌道を変更するか?」
このまま軌道を変更しなければ、敵に不意打ちを食らう恐れがある。しかし、ルイスは首を横に振った。
「軌道変更は行わない。すでに、こちらは敵を見失っている。もし敵が再噴射したとしても、その瞬間を補足できるとは限らない。だから……。向うが攻撃してくる瞬間に、カウンターで撃ち落とす」
クイケンは頷いた。
「アイアイ・キャプテン」
幸運は七時間後に訪れた。
「今、連絡が入った。敵機を再補足したらしい」
ルイスがクイケンの言葉を理解するまで、少し時間がかかった。間の抜けた数秒の後、ルイスは尋ねた。
「どうやって?」
「レーダー衛星が偶然とらえたらしい。本当に偶然か、訓練のシナリオ上そうなっていたのかは分からないが、とにかく敵の位置は分かった」
ルイスは目線を上に向けて、考えをまとめた。
「レーダーでとらえたということは、向うは自分たちが発見されたことに気づいているはずだよね」
クイケンは頷いた。
「会敵までは何時間?」
「あと三十分もない。敵はすぐ後ろにいる」
ルイスは仮想スクリーン上で敵の軌道を確認した。
「すぐに回頭して減速。敵と軌道、相対速度を合わせる。ステルス性無視でいいから、レーザー・フィンを敵に向けて」
「了解」
二機は向かい合わせの姿勢のまま、徐々に距離を縮めていった
昔ルイスは、真空空間でのレーザー射程は無限と信じていた。実際には回折現象によりスポット経は距離とともに広がっていく。撃つタイミングが早過ぎれば、有効打撃を与えられないままレーザー・フィンがオーバーヒートを迎え、敵から一方的な攻撃を食らうことになる。かといって、攻撃が遅すぎれば、先制攻撃を敵に許し不利な状況に立たされる。
彼我の距離が二千五百キロを切った。カタログスペック上はすでに有効射程内であり、いつ打ち合いが始まってもおかしくなかった。
距離が二千三百キロに縮んだ時、クラメール・スキナー・ペアがレーザーを発射した。
ルイス・クイケン機の表面、直径一メートルの空間に一メガワットのエネルギーが注ぎ込まれる。
ステルス塗装と断熱フィルムは一瞬で気化し、レーザーは外壁を直接加熱し始めた。そのまま十秒ほど照射が続いていればば外壁を構成するアルミが溶け出し、居住部の気密を保てなくなっていただろう。しかし、そうなる前に自動防衛装置が作動した。
自動防衛装置は、冷却材として船内を回っている液体アンモニアを船外に噴射した。アンモニアの霧が、レーザーを減衰させる。同時に、アンモニアとともに熱が宇宙に放出され、外壁の温度上昇が止まる。
コンピュータから百分の一秒ほど遅れて人間たちの意識も対応を始めた。
「回避!」
クイケンが叫んだ時、ルイスの腕はすでに機体にピッチングをかけていた。
「もうやってる! 反撃を!」
「了解!」
赤外線による簡易ロックはすでに終了していた。クイケンがトリガーを引いた瞬間レーザー攻撃が開始される。
レーザーの反射波に基づいて、敵機の詳細な形状が特定され、小さな仮想スクリーンに、三次元モデルが映し出された。形状に基づいて、レーザーの波形が最適化される。
ルイスは機体が九十度ほど傾いた所でピッチングを止めた。これ以上この方向に回転させるとロケットの中で最も弱い噴射口を敵前にさらしてしまう。スラスターを使いローリングによる回避運動に切り替えた。
レーザー・フィンの土台は船首から船尾を貫く直線を軸として回転することが出来る。宇宙船本体がローリングしても特定の角度を維持することが出来た。クイケンはレーザー・フィンを翼のように左右に広げ、上から見下ろす角度で、レーザー照射を続けた。
ルイスが尋ねた。
「気体温度は?」
「じわじわ上がってる。もっと、早く回転できないのか?」
「スラスター出力じゃこれが限界だ。勢いがつくまで時間がかかる」
「奴らは予め勢いをつけといたわけか。くそ、もっと早くアクティブ・センサーを使っておくべきだった。どうせ場所はバレてたんだし」
ルイスは、クイケンの言葉を聞いて初めて、敵機がすでに高速でローリングしていることに気づいた。このままでは負ける。機体温度の上昇を正確に計算したわけではないが、直感でそう気づいた。
「一旦敵から離れる。逆噴射するから衝撃に備えてくれ」
クイケンは耳を疑った。
「あいつらより下に行くつもりか!? 大気に突っ込むことになる!」
「分かってるよ。でもこのまま戦っても勝ち目はない。多少危険な軌道を使ってでも、一旦距離を取ろう」
「敵だって追いかけてくるぞ」
「もし仮に、彼らが逆噴射をしようとしたら、噴射口にレーザーを叩き込んでやればいい。まあ、そんな事、彼らはしないだろうけど」
ルイスたちは軌道の前方にいる。敵機は噴射口を彼らに晒さらすことなく逆噴射を行うことは不可能だった。
クイケンは決心を決めた。
「お前の操縦技術を信じるよ」
「ありがとう」
ルイスは逆噴射を始めた。
敵機との距離は徐々に開いていった。しかし、その間も機体温度は上昇していき、ついに噴射剤タンク周辺の外壁に五十センチほどの穴が開いた。
「外壁溶解! 完全に裏まで貫通してる。噴射剤タンクが露出してるぞ!」
「大丈夫だ。後一秒で傷口は機体の裏に入る。入った!」
クイケンは機体の回転速度と敵との相対速度を計算した。
「ルイス、スラスターを止めてくれ。これ以上早く回転させると、射程圏を出る前に一回転して、傷をもう一度打たれる」
「了解」
ルイスはスラスターを停止させた。機体は慣性の法則に従い等速回転を続けた。
敵機はレーザー攻撃をやめると、ロケットを噴射し高軌道に移っていった。
ルイスはヘルメット内に投影された映像を通じてそれを見ていた。
「あきらめた……、わけがないか」
クイケンも同意見だった。
「だろうな、一度地球を回って、反対方向から近づく気だろう」
正確には一周分の位相差を作ってと表現するべきだが、相対的な動きとしてはクイケンの表現通りだった。
「ひとまず、軌道を元に戻す」
ルイスは機体を回頭させ、加速の準備を始めた。すでに近地点は百キロ以下にまで下がっていた。このままでは大気摩擦により速度を失い、数十分で地上に激突してしまう。
回頭の途中、ルイスは機体にかかる抵抗に気づいた。
「レーザー・フィンを進行方向に対して水平にしてほしい。抵抗が大きくて操縦しづらい」
「おう。悪い。気付かなかった」
クイケンはレーザー・フィンを操作した。
その瞬間。ルイスの頭に一つのアイディアが浮かんだ。非常に危険な操縦だが、うまく行けば今の不利な状況を一気に打開できた。ルイスは自分の考えに見落としがないか少し考えた後、口を開いた。
「クイケン。一つ曲芸飛行をやろうと思うんだけど、軌道を検算してもらえるかな」
2014/05/14 全体的な文章表現の見直しと修正