0-4 南の妖怪
7月1日。今回のトピック、追加。
時間は少し巻き戻る。
ダンスバンが出ていった後、僕は片足で移動。外部から狙撃されないような位置取りをする。家と呼ぶか小屋と呼ぶか迷うようなあばら家だがその程度の物陰はあった。続いて痛めた足を靴ごと強引に固定、最低限の行動能力は確保する。このあたりの行動は、習性というか本能に近いレベルで身に沁みついている。
「ありがとう」
改めて差し出された濡れた手拭いを腫れ上がった頬に押し付ける。こちらの怪我は行動に支障は出ない。だから後回しにしていたが、その冷たさは気持ちよかった。
手拭いを世話してくれたのは、12歳ぐらいのチビたちの中では一番お姉さん格の女の子。栄養不良だし汚れまくっているしで美少女とは呼べない。服の汚れのいくつかは血痕だと気付く。体の動きを見る限り本人の血ではなさそうだ。名前は、確か…
「ラシャ」
「はい」
「ごめん、呼んでみただけ」
良かった、合ってたみたいだ。
ラシャちゃんはその骨ばった身体を摺り寄せてきた。小刻みに震えている。僕は少しためらった後、その小さな肩をしっかりと抱き寄せた。
ほかの子供たちも僕らの周りに寄ってくる。
「私たち、これからどうなるのですか?」
「彼らによれば、全員家に帰してくれるそうだけど、多分無理だよね。故郷は遠いし、みんなが同じ村から来たわけでもない。現実的に考えれば人を雇ってそれぞれの家に送らせることになると思うけど、お金だけ受け取って子供はどこかへ売り払うって奴が必ず出てくる。安心はできない」
「やっぱり、そうなんですね」
「でも、あの南陣地に居続けるよりはどこだってましだよ。それは間違いない」
この子たちが僕になついて見えるのも、僕が彼らを殴らないからという消極的な理由に過ぎない。僕は誰かに好かれるような性格じゃない、それは良く分かっている。
「兄様」
「僕にはさっきハルゾっていう名前が付いた。そう呼んでくれればいい」
ラシャちゃんは不思議そうに小首をかしげたが、結局あまり気にせずにつづけた。
「では、ハルゾ兄様。少しよろしいですか」
唇を僕の耳元に寄せてくる。良い薫り、何て物はしないが彼女の髪が実は驚くほど色素が薄いことに気付いた。
「さっきから嫌な感じがします」
「それは、そうだろう。ここは扇の村、僕らが何度も略奪したところだ。恨みは散々買っている」
「いいえ、この中からです」
この中? 家の中か、それとも子供たちの中か?
そもそも、ラシャちゃんの勘は当てにできるのか? 僕でさえ魔法の一つは使えるのだ。この子が探知系の魔法を習得していても特に不思議ではないが…
いや、今考えなければならないのはそこではない。近場に危険が潜んでいるものと仮定して、その危険にどう対処するかが問題だ。
任せろ、という意思を込めて肩に回した手に力を込める。
「とりあえず、君は何も気づいていない。いいね」
「はい」
僕は目をつむる。
家の中からは些細な物音。子供たちの身じろぎで布ずれや床の軋み。外からも雑多な雑多な生活音。特に異常はない。
僕は意識を集中し、魔力の知覚に切り替える。
僕に内在する魔力は平常時の八割ぐらいだろうか、特に問題はない。これを使い切るぐらいならその前に体力のほうが尽きるだろう。
僕のすぐ横に意外に大きな魔力源、これはラシャちゃんだろう。素質なら僕より上かも知れない。
僕たちの周りには僕らの半分にも満たない弱い魔力源が点在、これも異常ではない…
待て、なんだこれは。
大きな魔力源が隠れている。その力は僕の数倍。いや、十倍ぐらい。
僕はびっくりして目を開く。その目が合った。相手は少年。彼はニヤリと邪気に満ちた嗤いを浮かべた。
僕の心臓がギュッと大きな手でつかまれたようだった。相手が誰か分かったのだ。
でも、気付かないふりをするべきだよな、お互いのために。
僕は目をそらした。
「どうした、久しぶりというほど時はたっておらぬだろう」
少年の姿をしたものは言った。
だから、自分からばらすな。アンタは自分の立場が分かっているのか?
僕はあきらめて彼を直視した。
「そこにいらしたとは気づかず失礼しました。南陣地の妖怪、クルナフ司令官殿」
子供たちの身体が、全員硬直した。
まつろわぬ者、南陣地の妖怪クルナフ。
僕の知る限りただ一人の自己変身魔法の使い手だ。自分の姿を変えるだけでなく、他者の認識を阻害する催眠系魔法も得意としていてどこへでも潜入する。また、他者の苦痛を喜ぶ残虐な人物としても有名だ。そちらは単なる評判ではなく、文字通り身に刻む形で知っているが。
「ふぉ、ふぉ、ふぉ。今まで気づかなかったわけがあるまい。俺の認識阻害程度、お前には効かぬであろうに」
「いえ、見慣れない子供がいるのはわかっていましたが、誰も気にしていなかったので僕の知らないうちに新入りが入っただけかと思い込みました」
「よいな、良いなお前は。自分の名前さえ忘れ果てるような男が他者を気にするはずもないか。お前は俺に負けず劣らずの外道だ」
「一緒にしないでください」
「そうだな、一緒ではないな。俺が妖怪ならお前は喰屍鬼だ」
「…」
「知っているぞ。お前が逃げ出した餓鬼どもの死体を処理しに行った後、腹いっぱいになって帰ってきたっけな。あの時いったい何を喰った?」
「彼らからもらったもので僕は命をつないだ。それを恥じるつもりはありません」
思えば僕が名前を失ったのはあの時だったかもしれない。僕の名を呼ぶものがいなくなっただけではなく、彼らが僕の中に入ったことで僕という個人がいなくなったような気がしたのだ。
「恥を知らぬのも外道よ」
クルナフ司令の姿がゆらりと変わる。
身長はそのままで顔と胴体が大人のものになる。手脚は短く太い。
ラシャちゃんが口の中で小さな悲鳴を上げた。
「あれが彼の本当の姿だ。小人症と言ってあれ自体は別に妖怪ってわけじゃない」
「そうだな、これは力強い妖怪の姿ではない。いつまでたっても大きくなれないただの劣った人間の姿だ。俺はこの姿であるがゆえに、よそへ売られることすらなく山に捨てられた。認識阻害の力に目覚めなかったらあのまま間違いなく死んでいただろうな」
妖怪は手近な子の頭に手を置いた。
子供たちは不自然なほどガタガタと震えるばかりで動かない。認識阻害だけではない、催眠魔法で恐怖の増幅もやっているのかもしれない。
「俺は泥をすすりながら生き延び、この身体を呪った。そしてついに手に入れた、この身体から抜け出すチャンスを。自己変身魔法の習得だ」
「自分語りもいいですが、もっと実のある話をしませんか?」
この話の結末は知っている。せっかくの自己変身魔法だが自分の体重までは変化させることができなかった。だから、彼が変身できるのは子供の姿まで。彼の望みは魔法を使ってもかなわなかったのだ。
「クルナフ司令、ご存じとは思いますが、あなたはすでに追いつめられています。僕がここで大声で悲鳴を上げれば、それだけであなたは終わりです。ここはお互いに手出しをしないことにしませんか? 僕らが何も言わなければあなたも無事にここから離れることができます」
「そしてまた、ドブネズミのように逃げ隠れする生活を始めろと? 冗談ではないな」
「では、どうするおつもりです? いくらあなたでもこの陣地にいる兵士すべてを相手に戦うことはできませんよ。主力部隊は出払ったままのようですが、僕たちを護送してきた蒼き風の連中は精鋭です。どうやら魔法の使い手がそろっているらしい。彼らには認識阻害は効きませんよ」
小人はニタニタと気持ち悪い嗤いを浮かべ続けている。
「なに、自分語りの次の章を付け加えようと思ってな。賭けにはなるが、うまくいけば俺の望みはすべてかなう」
いやな予感しかしない、こいつ、いったい何を考えている?
僕はラシャちゃんの肩から手をはなし、ゆっくりと身を起こす。
確かに僕も外道だ。この子たちを盾にしながら戦う方法も計算に入っている。
「そう警戒するな、今からお前はこの大妖怪クルナフの最高の魔法を見ることができるんだからな」
見たくない、見たくない。
そんなもの、遠くから眺めるならともかく、特等席で見物なんて絶対にしたくない。
「俺の変身魔法が体重を変えられないのは、単純に材料が足りないからだ。ならば、材料を補充しながら変身したらどうなる?」
やばい。
やばすぎる。
補充に使う材料というのは、多分僕たちだ。
僕は立ち上がりざまに両手をパンと打ち鳴らした。
子供たちが催眠魔法の影響下にあるなら、それを破るには唐突な音の刺激が一番だ。
「みんな、逃げてぇぇっっ」
叫びつつ、飛び込み前転で移動。あばら家の出入り口へ。
引き戸を思いっきり開く。幸い、鍵は掛けられていなかった。歩哨に立つ兵士のびっくりした顔がすぐ近くにあった。
「遅いっ。わが血肉となれぇぇっっ」
クルナフの腕が巨大な咢に変貌する。手元にいた子供の頭を噛み砕き、飲み込む。
その体が一回り大きくなる。
「こっちよっ。早く来なさいっっ」
ラシャちゃんが小さい子の襟首をひっつかんで引き戸から飛び出してきた。意外にお転婆だ。ほかの子たちも後に続く。
足がすくんだ子がもう一人喰われるが、丸腰のままの僕にはどうすることもできない。
本当にできないか?
今の僕には銃はない。ナイフも投げてしまった。
残っているのは直接攻撃には使えない魔法だけ。
僕は家の中に生きた子供が残っていないのを確認し、あばら家の柱に右手を押し付けた。
「劣化しろっ」
あばら家全体がガクンと傾いた。
「もう一つだっっ」
反対側の柱にも触れ、そのまま張り手をかます。こちらの柱は根元から折れた。
轟音とともに、あばら家が崩れ落ちる。
これが今の僕にできる最大攻撃だ。
今回のトピック。
詠唱短縮。または無詠唱。
この世界における魔法は呪文を唱える必要は全くない。魔法の使用時に言葉を発しているのは「この呪文を唱えればこの魔法が発動する」という心理的なトリガーとして使用しているだけである。よって平常時に魔法を使おうとすると呪文が必要になるが、緊迫した場面だと思い込みだけで発動してしまった、なんてこともよくある。
というか、長々とした呪文を唱えるのは単なる厨二病の表れかもしれない。