0-2 名前
6月29日。「今回のトピック」を追加。
意識が戻って最初に感じたのはあごの痛みだった。
これは、はれ上がっていそうだ。すぐにも冷やしたいが、それは無理のようだ。僕は今後ろ手に縛られている。そのうえで肩に乗せられて運ばれているようだ。僕が知らない素材の鎧がリズミカルにみぞおちを圧迫している。
「気が付いたか?」
意識を取り戻したことを悟られないように目をつむったままでいたのだが、相手のほうが一枚上手だったようだ。あきらめて首を巡らせる。
僕を運んでいたのはあの鎧の男だった。今は兜の顔のパーツを外している。美形、に分類される顔だろう。男の顔などどうでもよいが。
「殺されると思ったが、捕虜か」
捕虜と言っても交換する相手がいるわけではない。奴隷として売られるのだろう。奴隷にされたところで、生活環境がこれまでより悪化するとは思い難い。こちらもどうでもよいな。
美形の顔がむすっとした。
「さらわれた子供たちはみんな家に帰すことになっている」
「僕も子ども扱いしてくれるのかい?」
「さてな、それは親父たちが決めることだ。それより、気が付いたなら自分で歩け」
地面に滑り落とされ、足から着地。
痛っっ
さっき美形に掴まれた足首だ。無理をして歩けないほどではないが、普通に動くのもまた不可能。砕けてはいないが、骨にひびぐらいは入っているようだ。
ちなみに、今の居場所にはいやというほど見覚えがある。先刻の戦場からまだそれほど離れていない。近くの村への襲撃ルートの一つだ。見ると、その元襲撃ルートを30人ほどの傭兵たちとうちのチビども11人が歩いている。チビたちは4人ほど減ったようだ。あの負け戦の中で4人減っただけで済んだのなら御の字と言えるか。
「足を痛めているのか。ダン、ケチらずに運んでやりなさい」
僕の後ろから威厳のある声がした。振り返ると、そこには白髪交じりの頭の厳つい顔つきの男が立っていた。偉い人、と顔に書いてあるような堂々とした態度だ。
「はっ、了解しました」
ダンと呼ばれた美形は僕をもう一度担ぎ上げる。いちおう、礼を言っておくべきだろうか?
「ありがとう」
「どういたしまして、お前は軽いからどうってことはない。お前、歳はいくつだ?」
「歳?」
そんなものを聞かれたのはいつ以来だろう? ちょっと記憶にない。
「誕生日を気にするような生活はしていないけれど、多分15ぐらい」
「15? 12、3かと思った。…ちゃんと食べてるのか? 小さすぎるぞ」
「ちゃんとは食べてないと思う、おなかいっぱい食べられることなんてめったにない。自分で採ってきて、他人に見つからなかった時だけ」
「手元で暴発したか…」
しばらく、沈黙の時が流れた。乱れのない足音だけが響く。僕の体重程度、本当に苦にしていないようだ。
「俺はダン。蒼き風の若者頭、3号車操縦手ダンスバンだ」
さんごうしゃそうじゅうしゅ、というのが何なのか僕には解らなかったが、それなりに名誉ある役職であるらしいことは推測できた。
「お前の名は?」
「僕の名前?」
僕は言いよどんだ。
なんだっけ?
「おいおい、名前ぐらい教えてくれてもよいだろう」
「そ、そうだけど」
僕は考え込んだ。
僕はじっと考えた。
僕は真剣に考え込んだ。
その間、実に気まずい沈黙の時が流れた。
「す、すまん、ひょっとして俺が殴ったから…」
「え、いや、僕のほうはあなたを殺す気だったし…、それに、別に殴られて忘れたわけじゃない。名前を呼ばれたことなんて、もうずっと無いだけで」
「じゃあ、何て呼ばれてたんだ?」
「おい」
「お前」
「そこの」
「ガキ」
「細工屋」
僕の呼ばれ方を列挙してゆくと、ダンスバンの無駄に美形な顔が険しくなっていった。そんなに怒る事じゃないだろうに。
そういったら、僕まで怒られた。
「お前だけの問題じゃない。村から連れ去られた子供はみんなそんな扱いを受けてたってことだろう。それも、お前ぐらいの歳の奴はほとんど見かけなかった。お前と同時期に拉致された奴らはどうなった?」
「栄養不良で病死したのが何人か、逃げようとして殺されたのが二人。これは僕が埋めたから間違いない。残りは銃の購入資金として人買いに売られていった勝ち組、かな」
ダンスバンさん、なんか身体がぶるぶる震えてますよ。
「勝ち組の定義がおかしいっっ」
彼の怒鳴り声が山間に響くが、本当にうらやましかったんだってば。
売られていく側が「ごめんなさい」ってこちらに頭を下げていたぐらいで。これ、実話ね。
「どうどう、ダン、落ち着いて」
僕を担いだダンスバンの横に別の誰かが並んだ。
そばかす顔のふっくらした体型の若い女性だ。太れるほど食べられるとは、この連中だいぶ実入りがいいようだ。
彼女は僕の顔を覗き込む。
「わたしはエリナ。蒼き風の3号車機関手で料理人もやっているわ。よろしくね」
「まつろわぬ者の兵士の一人であった名無しです。よろしくお願いします」
ここで名前を返せないのはカッコ悪いな。
にしても、この人は料理人か。それならば小太りの体型にも納得だ。
「今、何か失礼なことを考えたでしょう」
いきなり、エリナさんに頬を引っ張られた。ダンスバンに殴られたのとは逆側だが、それでも腫れ上がった部分がつられていたい。僕って、そんなにおかしなことを考えただろうか?
「お前が太りすぎなのは客観的事実だ。あきらめろ」
「ううう、ダンがいじめる」
なぜかエリナさんが涙目になる。太ってるってそんなに悪いことなのだろうか? 解らん。
「そ、そんなことは置いといて。名無し君、君の呼び名はもう一つあるでしょう?」
それはまぁ、あといくつかはあるが、どれのことだ?
「ね、ナイフの兄ちゃん」
チビどもから聞き出したのか。
「ナイフの?」
「そ。この子、あっちの子供たちにナイフとか小物類を作ってあげてたらしいのよ。それでナイフの兄ちゃんって」
「なるほど」
感心したような眼差しを向けられてなぜか焦る。
「試作品とか、失敗作を処分していただけですよ」
「ツンデレね」
一言で切って落とされた。
いたたまれない。話題を変えよう。
「それにしても、僕の扱いがちょっと良すぎはしませんか? 僕はそんなに大物ではありませんよ」
「お前があいつらの幹部なら、俺が運んでいるのはお前の首だけだったろうな」
それもそうか。に、してもだ。
「本来なら、僕なんか首を運ぶほどの価値もない存在では?」
「小さな勇者に敬意を表しているだけですよ」
さっきダンスバンに命令していた威厳の人の声だ。担がれている僕からでは姿は見えない。
「勇者、ですか?」
「そうだ。お前は子供たちに逃げろ隠れろと言っておいて、自分は俺たちを引き付けるために戦った。勇者の行いだ」
ダンスバンが後を引き継いで説明した。
なんだか、ますます居たたまれなくなってきた。背中が、痒いんですけど。がっちり担がれているので逃げることもできない。
「銃を持っているならば、たとえ相手が子供であっても躊躇なく殺せ。これがわが軍全体の方針であり、私が出した命令でもある。よって、拉致された子供たちを救いたいと願いつつ、それが果たされることは多くなかった。それが今回は君が戦うなと命じてくれたおかげで10人を超える子供たちを保護できた。この蒼き風団長バードラ・イス・エネク、このことを深く感謝する。ありがとう」
「…どういたしまして」
なんだか、圧倒されてしまった。
それにしても、この人は魔力称号と家名持ちか。ということは上位の貴族だ、始めて会った。
「救出した子供たちはすべて親もとへ帰す。君についても悪いようにはしない。我々に可能な限り故郷へ帰すと約束しよう」
「僕に故郷なんてありません。僕は僕の生きている時間の半分ぐらいはこのあたりで兵士をやっていたんです。親の顔も、僕に親がいたのかすら思い出せません。今さらですよ」
「それでも、だ。君はそれでいいかもしれないが、大人にとっては10年でもとんでもなく長い時間というわけではない。短くはないがね。君の親御さんは連れ去られた息子のことを今でも待っているかもしれないよ。生死不明の子供のことを忘れるには8年では短すぎる」
確かに、それは考えなかった。
「でも、僕の住んでいた場所なんて、北のほうだとしか解りませんよ」
「北? それは確かかね」
「おそらく。まつろわぬの大人たちも別に馬鹿ではありませんでしたから、南でさらった子供は北へ、北でさらった子供は南へ移送して逃亡を防止していました。だから、南の陣地にいた僕は北の出身ということになります」
「それは、厄介だな」
僕が首をめぐらせると、バードラ団長はチビたちのほうへ目を泳がせていた。そう、あのチビたちの中にも近隣の村からさらわれた者は一人もいないはずだ。
彼は咳払いして、何かをごまかした。
「それよりだ。エリナ君、彼の縄をほどいてあげたまえ」
「ありがとうございます」
僕が意識を取り戻してからこっち、僕の両手は後ろ手に縛られたままだ。その状態のまま肩に担がれているので僕の肩関節のほうに負担がかかっている。ぶっちゃけ、かなり痛い。
「はい。…ダン、ちょっと止まりなさい。結び目をこっちへ。って、ずいぶんきつく縛っているじゃないの。やりすぎよ」
「そうは言うけどな、こいつは油断していい相手じゃない。俺は自分で戦ったからよくわかる。両手を自由にしていたら、こいつは俺の頸動脈を絞めて一瞬で絞め落とすぐらいのことはやりかねないぞ」
エリナさんの非難にダンスバンは断言で返す。
その評価は過大すぎ、いや一面では過小評価かもしれない。対人用の絞め技なんて習得していないけど…
この人たちの信用を得るのは有益だろうかと、僕は考えをめぐらす。手持ちのカードの一枚ぐらいはここで教えておいても悪くなさそうだ。
こんなのはほどけない、と刃物を取り出そうとしたエリナさんを僕は止めた。
「構いません。この程度のロープ、どうとでもできます」
「おいおい」
やっぱり油断できないじゃないかとぼやく美形は放っておいて、僕は自分の呪文を唱える。
「わが手に触れるものよ、その力を失い我に従え」
僕が使える唯一の魔法を受けて、僕の手を縛っていたロープはその強靭さを失った。ちょっと力を入れるとプチプチとちぎれる。ロープの残骸を払い落としながら、僕は言葉をつづけた。
「僕の名前はハルゾでお願いします」
「ハルゾ、ハル君?」
「思い出したのかね」
「いえ、ハルゾのあとにもう少し何か続いていた気もしますし、一つ二つ音が間違ってるかもしれませんが、多分そんな名前でした」
「それって、ただのでたらめとどこが違うんだ?」
「違いませんね。自分の名前を今決めただけです」
「君がそれでよいなら文句はない。救出者名ハルゾで登録しておこう」
そういうことになった。
名前を失っていた僕がハルゾという名を手に入れた、これはそんなお話。
今回のトピック。
魔力称号。
低級、下級、中級、上級、神域の五つに分かれているが低級はほぼランク外の意味で称号としては機能しない。また、神域は文字通り死後に神としてまつられた者に対して贈られる名誉称号である。生きたままゼンの称号を持つ者がいたらそれはチート級の実力者であることを意味する。
貴族の中で低級以下の魔力判定を受けたものは下位貴族と呼ばれ、一親等以内に上位貴族(下級以上)がいなければ貴族の位をはく奪されることになる。ただし、たいていの場合は養子縁組や嫁取り婿取りでどうにかしてしまうので、実際に位をはく奪される事例はほとんどない。