1-7 天狐
ラシャちゃんの素人らしい構えを見る。
さすがに、クルナフの変身という事はないか。あいつとは動きが違う。
では、さっきの動きは身体強化魔法?
素質の高いラシャちゃんなら、お手本はある事だしそれぐらい習得してもおかしくない。だが、なんとなくそれとは別物の様な気がする。
謎を解くカギは彼女が口にした言葉か。
詰まった息を回復させるだけでも時間稼ぎがほしい。苦しい息の下から声を絞り出す。
「2つになった、とはいったいどういう事だい?」
まさか年齢ではあるまい。
「ひょっとして、気付いていないのですか?」
何のことだ?
「そうですか、あの夜のことは私もちょっとだけ嬉しかったし、ずいぶん悩みもしたのだけれど、兄様は私だと気付いてもいなかったのですか。
なるほどね。兄様は相手が私でなくてもああいう事をするんですね」
あれ、僕は今責められている? ラシャちゃんの怒りがますます増大しているような気が…気のせいではないな。
でも、あの夜とはいったいどの夜だ。ラシャちゃんが相手であれ、ほかの誰かとであれ、過ちを犯した記憶はないぞ。
「もう、許しません。天狐族の羅紗、まいります」
天狐族?
疑問を氷解させている暇はなかった。
拳が、蹴りが、嵐のように襲い掛かってくる。
僕を上回るスピード、子供ではありえないパワー。
僕は回避し、さばき、意識を狩り飛ばされるような有効打だけはかろうじて免れた。
両腕は痣だらけになっただろうが、何とかしのげたのはラシャちゃんの動きがど素人の物だったおかげだ。
というか、駄々っ子パンチで沈められる不名誉はさすがに避けたい。
一瞬の隙をついてラシャちゃんのか細い腕をつかんだ。
彼女の身体能力は増大しているが体重はそのままだ。僕の側の体重と彼女自身の勢いを利用して空中に放り投げる。
格闘戦の動きは素人のくせに、空中での姿勢制御は見事なものだ。くるりと反転して足から着地された。
まったく、たまたま人間の姿を得た獣みたいな娘だ。
それが正解なのか?
「天狐族って、この間の満月の夜の?」
「ようやく気づきましたか」
そんなのを察しろというのは、いくらなんでも無茶振りだと思う。
「ダンさんは私のことをはるか西方の姫君と言いましたが、私の一族はそこまで西の出身ではありません。西は西でもこの国のすぐ隣の国です。海を越えたすぐそこ辺り」
「あの獣の姿が本性?」
「そうだという人もいます。あちらの姿をとれるようになるのは2つになってからですから、どちらかが本当の姿ということはありません。どちらも私です」
世の中は広い。僕が知らないことはいくらでもある。
まさか、変身能力がデフォルトの民族がいるとは。
「行きますよ」
ラシャちゃんが再び殴り掛かってきた。
投げを警戒したのか、わきを締め普通のパンチに近いフォームになっている。
その分だけ避けづらい。
僕は彼女の攻撃を…
避けた。
受けた。
横へはじいた。
また避けた。
そして、つかまれた。
攻撃を受け止めるはずだった腕をつかまれ、頭付きを入れられる。
僕はよろけて後退し、隙を作った。
すくい上げるような掌底…というか平手打ちが僕の顎を突き上げる。
今度は僕の体が宙に浮き、意識が飛びかける。
僕は一度倒れ、無意識のうちに反撃の体制を整える。
追撃は来ない。
そこで僕は気が付いた。僕の右手がどこにあるかを。
僕の右手は腰の愛用ナイフの柄を握り、近づくものに斬り付ける構えをとっていた。
僕はいったい何をしようとしているんだ?
あわててナイフを手放した。
「構いませんよ、兄様。兄様が私を殺してくださるなら、そちらでも一向に構いません」
「僕は構う。殺されてもいいなんて、言う物じゃないぞ」
「私は兄様ほど強くはありませんから…。ご存知ですか、兄様が私たちのあこがれと恐怖の対象であることを」
「どちらも僕には過大な評価だな」
「そんなことはありません。兄様は生きています。同時期に連れてこられた子供たちが全員いなくなった後も生きている、そんな人に憧れなくて、ほかのだれに憧れればよいのですか?」
そう言われてみればそうかもしれない。僕の生き残り方は、決して自慢できるものではないけれど。
「同時に兄様は恐怖の対象でもあります。それは兄様がたった一人で生き残っているから。みんな怖いんですよ。兄様のように生き残りたい、でも兄様のようにたった一人生き残ってしまうことは恐ろしい」
「その恐怖におびえる必要はもうない。今生き残っている子たちは、全員が生存者だ」
「私以外は、です」
ラシャちゃんに命の危険が迫っているのかと思ってしまったが、そういう意味ではないようだ。
「私は一人になっちゃうんですよ。だってそうでしょう。貴族の家に養子に入ってしまったら、ほかの子たちが会いに来ることなんて絶対にできない。兄様でさえ無理なんじゃありませんか」
僕でさえというより、僕だからこそと表現したほうが正確だろう。良家の子女に忍び寄る悪い虫扱いされそうだ。
いつも冷静で、礼儀正しい言葉遣いを崩さなかったラシャちゃんが大粒の涙をこぼしていた。
「私はまた一人になっちゃうじゃないですか。あんな思いはもう嫌なんです。私は兄様と違って1人だけじゃ生きていけないんです。もう、あんな…」
今僕が何をしなければならないか、いかに僕でも見当がついた。
金髪の頭を自分の胸に抱きとめる。
そのつもりだった。
無防備に近づきかけた僕の目の前を、何かが通り過ぎる。
それはラシャちゃんの右手、のはずの物だった。
僕という標的を外して高速で通り過ぎたそれは、近くの木立に文字どおりの意味で4本の爪跡を残していた。
まだ、やる気か?
それも手だけ獣化している。
2度3度と繰り出される爪をすべてやり過ごす。
涙のせいか狙いは不正確だ。簡単によけられる。
だが、あんな爪をまともに受けたら、当たり所によっては一撃で致命傷になりそうだ。
だんだん腹が立ってきた。
向こうは遠慮なく暴力をふるってきているのに、こちらだけ反撃をしないでおく理由はないよな。
ラシャちゃんの望む通り、本気で相手をしてやろう。
「天狐族の羅紗」
僕は彼女を正式名称で呼び捨てた。ちゃん付けは相手を格下として、保護の対象としてみているという事。敵対者という、ある意味対等の相手に使う言葉じゃない。
「僕はこれから、ナイフだけは封印するが、あとは本気で戦う。だからそちらも涙をぬぐえ。涙目のまま戦うなど非礼だ」
「兄様…?」
突然の宣言に羅紗は驚く。
言われたままに涙をぬぐい、小さく笑顔を見せた。
「やっと私を見てくれた」
ラシャちゃんにせよほかのチビたちにせよ、単なる保護の対象として十把ひとからげに見ていたのは本当だ。
とは言え、殺し合い並みの注目がほしいとは、この娘にもかなり問題があると思う。
「女の子は欲張りなのです、ハルゾ」
あれ、「兄様」が消えた。
格上げされたのか格下げされたのか解らないが、彼女は獣の爪が出たままの五指を一つにそろえて構えた。
あの貫き手で僕を貫くつもりか。
対応策としてはやはり投げ技が有効だろうか。
空中に放り投げても効果はないが、遠慮せずに戦うなら手を離さずに木立や地面に直接叩き付ければ済むことだ。
あるいはクルナフ戦の後に用意した新兵器を使ってみるのもいい。
心を読まれる可能性がある以上、その場の判断で臨機応変に戦わなければえらい目にあわされそうだ。
羅紗は貫き手を構えたまま身をかがめ、僕もそれに対応して腰を落とす。
右の貫き手を囮にして、左でつかんでくる可能性もあるな。
ぽきりと音がした。
誰かが枯れ枝を踏み折った音。
僕は注意の大半を羅紗に残したまま、眼球の動きだけでそちらを見た。
「すまぬ、邪魔をしてしまったようだ」
そこにいたのは一人の大男だった。体の線が見えないゆったりとした服をまとっているが、それでも相当にたくましい体つきだと分かる。奇妙な髪形をして、大小2本の近接武器、カタナとかいう物を腰にさしている。
「ただならぬ闘気を感じて来てみたが、まさか童二人の痴話喧嘩であったとはな。よく鍛錬を積んでいるようで何よりである。拙者はてっきり武芸者同士の果し合いか、刺客でも来ているのかと思うたぞ」
痴話喧嘩って…
いや、客観的に見ればそう見えるのはわかるし、現に僕はデートを覗き見られたような気恥しさを感じているんだけどさ。
ラシャちゃんに至っては、真っ赤になって身もだえしている。
手加減抜きと宣言した以上、今近づいて行ってぶん殴って気絶させる手もあるけど、それはやっぱり無いだろうな。
「拙者は小早川慎之助、見ての通りサムライである」
「僕は蒼き風団員見習いでハルゾと言います。あちらはラシャ、身分は現在定まっておりません」
「春蔵殿か、よき名であるな」
「いえ、助かりました」
僕の名についてはとりあえずスルーする。
慎之助と名乗った大男の立ち振る舞いを見ると、故意以外で枯れ枝を踏み折るなどという事があるとは思えない。最後の激突をする前に自分の存在を教えて止めてくれたのだ。
「羅紗」
「はい」
「君の問題は、とりあえずバードラ団長に相談してみよう。案外あっさりと解決するかもしれない。もし解決しなかったら、その時は苦労する覚悟はあるかい?」
金髪の狐少女は満面の笑みを浮かべた。
「物凄く苦労することになるのはとっくに覚悟しています」
「その時は財布の管理は頼む」
将来、今のセリフを後悔することになるだろうか?
「話がまとまったようで何よりである。が、拙者も所要があってここへ参っておる。緊急の用件で、バードラ・イス・エネク殿へ目通り願いたい」
どうやら厄介ごとが舞い込んだようだ。
今回の○○は、今回はお休みします。
サムライの解説その他は2章以降で。




