魔術によりて妻を消す!
ほとんどの妻帯者のいだくであろうお望みを叶えてさし上げます。
長崎市の祭りに「くんち」がある。
地元では「おくんち」という。
例年、十月七、八、九日にとり行われる。
市内に諏訪神社、現地で言う「お諏訪さん」がある。祀られているというのが正確か。
そこの神様は、長崎の平和と安全と繁栄を願っている。
特に、市の中心部の商業エリアである「踊り町」の永遠を祈願している。
長崎は大都会とは決して言えないが、市民は自らの街を「ハイカラな街」と心の中では自慢してるし、また市民間でも、この「踊り町」の住人であることはことさらな誇りなのである。
その、歴史的に選ばれた「踊り町」では数年に一度、おくんちのお諏訪さんにて、各町に特有のアトラクション(演しもの)を奉納する。
奉納されたアトラクションを楽しまれた神様は、その足で(?)港の「お旅所」にいらっしゃる。二泊三日の(視察?)旅となろうか。
神様の、往きの旅路のことを「お下りさん」、復路を「お上りさん」と称する。
奉納するアトラクションへのアンコールにも決まりがあり、「持ってこ~い、持ってこい」である。節回しも決まっているようだ。
アトラクションのオープニングは、江戸時代に遊廓のあったことで有名な丸山の芸者衆の奉納踊りからであるため、長崎の神様は「モノ解りがいい」‥‥平たく言えば「女好き」という説もある。共感できる神様ではある。
その流れからだろうか、長崎の港に新しく架けられた橋は「女神大橋」と呼ばれているらしい。
おくんちの期間、大波止(長崎の港の波止場)では、全国各地に見られる縁日の露天がやってくる。
数十年前は、お化け屋敷、見世物小屋、それにサーカスまでもが開催されていた。
夢の中、僕は長崎で結婚生活を営んでいた。子供はなかった。
結婚生活を送っていれば、誰でも最短なら15分、長ければ十年以上にわたり、相手の消滅を祈るような時間、または時期があるはずである。
夢の中の僕は、妻の消滅を願っていた。
折も折、勤め先で今年のサーカスは例年よりすごいとの評判を聞きつけた。
特に「人体消失」
のイリュージョンが格別である、とのこと。
どこが格別かというと、打合せなく、サクラでもない人を消滅させ、本人も気が付かないうちに「ワープ」させてしまう、と。
通常このテのショーは、仲間ウチが一瞬のうちに入れ違いになるというのが相場である。
典型は箱の中に美女が袋詰めにされて封入(?)され、その箱の上でマジシャンが踊り、自身のダンス姿を円筒の布を持ち上げて隠し、次の瞬間布を降ろすと美女のダンスにすり替わり、その美女が箱の中を検めると箱の中の袋からマジシャンが出てくる、というパターンである。
余りに多く目にするため、もはや驚くこともない。
あとラスベガスでは、象を消すマジックもあったようだが、あの象も当然ながらイリュージョン側に飼われている象である。
が、その年、長崎に来た『旭サーカス』では任意のヒトを消滅させたとのこと。
実際、友人の小1になる息子が消され、本人が気が付くと、客席の最後方で眠っていたそうな。 友人は帰り道、わが子に「どげんなっとったとや?」と訊いたが、「わからん」との短い返答だけであったらしい。
『旭サーカス』は、十月の一日から十日までの公演となっていたが、五日あたりから、連日の超満員になったらしい。
その消失イリュージョンだけをお目当てに、という観客も多かったと聞いた。
勤務時間を終え、僕は、とりあえずサーカス小屋を見に行った。
サーカスには、ライオンや虎などの動物が出演するため、それらの檻が入口付近に設置されていた。
ただし象は、対角線となる二本の足を鎖で繋がれていた。
であったから、糞の臭いは強烈であった。それでも人だかりはものすごく、臭いに眉をひそめるようなムキはなかった。
大きな布に描かれた絵にも心惹かれた。頭上高くに吊され、演目の数々が示されている。多くの肉感的な女が、惜しげもなく肢体をさらしていた。
料金を払い、入場した。
虎が火の輪をくぐり抜け、続いて空中ブランコが始まる。宙をほとんど無重力で飛び移る女体。
キラキラとしたレオタードに見とれた。
次が問題の「人体消滅ショー」だった。
その日は、消えてみたい人をイリュージョニストのジョー・アラザキが募り、数人の希望者が手を挙げ、彼らとアラザキがジャンケンをし、勝ち残った者が舞台に上がる、という進行だった。
その日は、僕と同じような年格好のサラリーマン風が残り、消され、観客席の後方からニコニコしはがら観客通路を歩き、そして再度舞台に上がり、先程までざわめいていた観客が一気に拍手喝采となった。
その拍手喝采が終わらぬうち、僕は窓口に急ぎ、そこでショー全体を仕切ってる様子のマネージャーに、団長とアラザキとの面会したい旨を伝えた。
そのために、さすがに五千円を支払うことになった。
その夜十時をまわり、ふ頭に停めてあると言われたライトバンを探した。
車体にピエロや空中ブランコの派手な漫画が描いてあり、すぐに判った。
車内、太った、チョビ髭団長がハンドルを握り、助手席にすらりとしたアラザキ、後方の席に僕が乗るカタチとなった。
赤いキラキラとした衣装を着た小柄な団長と、長身でイケメンのアラザキの対照は、後ろからみても可笑しかった。
遠く、稲佐山のテレビ塔が光り、低い波の音が聞こえ、潮の臭いがただよっていた。
団長が振り返って言った。
「私ども、こんな零細なサーカス団ですが国内あちこちの公演ありましてね、時に面会を求められたりするんですよ」
「皆さん、どのようなことをおっしゃるんでしょうか」
「特別な場所で、特別なショーをやってほしいというご要求も多いですなぁ。うちには美女たちのダンス軍団もいますしねぇ。でも、このジョーと一緒に呼ばれました時は、ご要望が極めて限定されますなぁ……イッヒッヒ~ッ」
すでに団長は少し酔っ払っている気配であり、車内も臭っていた。
「でしょうね。消してほしい人がある……とか、そんなことを頼むんでしょうね」
「……ふむ」
「で、どのような対応をなさってるんですか?」
「そりゃぁケースバイケース、でしてねぇ、ヒッヒ」
「……」「必ずしもお金をいただければ、ということでもないんです。検討させてもらいまして、もしも可能性があるようでしたら本格的に再検討いたしますし、可能性がなければ、最初にお断りします。そのような意味でケースバイケースなんです。お判りいただけましたかなぁ」
「ええ、もちろん。で、私の場合、どうなんでしょうか?」
「その前に、どなたを消したいんですか?」
「あ?ああ、申し遅れました、実は私の妻なんです、消えてほしいのは……」
「奥さんでしたか……」
「……」
「ビジネスライクに行きましょう。これから本格的な検討に五万円、即金で必要なんですが、如何なさいます?」
「ええ、お支払いいたします。手持ち、ありますし」
団長は幾つかの質問を重ねた。
僕ら夫婦二人の生年月日、恋愛結婚なら、どちらから求婚したか、子の有無、妻に対する不満、消滅が成功したなら再婚の意思があるのか……
現在の僕の女性関係にも質問は及んだ。
それらに僕は正直に答えた。
最後の質問にも「現在、付き合ってる女の人はいませんが、付き合いたいと願ってる女性はいます」と偽らず告知した。
アラザキは、僕の答えを聞きながら無言のまま、『星座早見盤』と計算尺のようなものをかちこちと注意深く合わせたり、回したり、僕の答え次第ではスルリと動かし、次の答えを待っていた。
「しばらく、そう、五分前後ですが、車内にいてくださいますか?」と団長は言い残し、アラザキと二人、ふ頭の先端まで歩いて行き、おそらくは声をひそめて相談していた。
僕は漆黒の闇に浮かぶ遠くの橋、空中に放たれる無数のライト光線を見つめていた。子供の頃は架かってない橋だった。やがて二人は戻ってきて車に乗り込んできた。
団長が口を開いた。
「奥さんを消すことは可能ですねぇ。三百万で、どうでしょう?前金で五十万お願いしたいのですが。ただし奥様の消滅に失敗することもあります。その場合、二十五万、ご返却します。で、成功したら、ま、そうなるはずですが、首尾よく奥さんが消えましたら、残金二百五十万、頂戴したいのですが、如何でしょう」
「ええ、そのくらいの金額なら捻出できないこともありません。ただしですけど、消滅した女房は、どのようなことになるんでしょうか?」
酒の臭いとともに団長は言った。「おやおや、やはりどこかで奥様のこと、愛してらっしゃるんですねぇ。イヒヒ。今のお言葉で判ります。本当に憎んでおいでなら、そんなことに関心はおもちにならないはずです。今まで消滅後の奥様の心配をなさった方、それほどはいらっしゃらなかったですなぁ」「はぁ。そんなもんですかねぇ。私は、ただ……」
アラザキが遮った。
「いえいえ、ご関心をお抱きになるのは当然です。私どものイリュージョンは『絶対空間の瞬間的な位相の差』を利用しています。ま、お判りになれないのはもっともなんですが、よくSFに描かれてますパラレルワールドという概念、ございますよね。あれを実用化したものです。ですから奥様も、この世界から消滅し、もう一つの世界で、やはり貴男様と同じような方と結婚生活を続けることになります。たぶん、ご本人は気づかないとも思います。具体的には、私どもの『消失劇』では激しいロックをBGMとして流し、お客様の参加意識を盛り上げます。もちろん観客の気分の高揚のため、というばかりではありません。あの騒音に近いような音楽に、他にもう一つ、重要な意味があるんです。
あれは、時間の流れの調整と、各位相のタイミングを計り、位相の選択を意図的に行うための『合図』みたいなものです。例えば今、ショーの重要な場面の曲はビートルズの『ゲット・バック』を使ってます。歌詞に、『while she can』とありますが、『wh』と『ca』のわずかな間隔で、異なる位相空間のつまみ所を先ずはつまんで、それから…… 」
「それから先は止したまえ。お客様にとっては結果がすべてじゃないか、ヒック…」
アルコールによって、美男による説明が中断された。
僕は翌日、妻を『旭サーカス』に誘った。
近所の奥さん達との話題になることもあったようで、妻も評判は知っていた。特に『消失劇』には興味があったらしい。
土曜、ちょうど「お上りさん」当日の昼から始まる公演に行くことにした。
あれは結婚を翌春に控えたクリスマスだったか、浜町商店街のオーエス南城の前で「クイズに当てて商品券」というようなイベントがあった。南城の女子アナウンサーからクイズがなされ、何人かの通行人が答え、不正確だった。するとその様子を見てた将来の妻は「私、この答、知ってる」と僕に言ったかと思うと手を挙げ、答え、結局は彼女も不正解だった。
彼女は手を挙げて前に出るのが好きな性格だった。
空中ブランコが終わり、『消失イリュージョン』が団長の、観客を煽るような演説で始まり、紹介されたジョー・アラザキがステージの中央に立ち、いつものように参加者を募り、妻は、「私、出るわ」と言い、手を挙げた。
消滅を希望する者とアラザキとのジャンケンが何回かなされ、妻は最後まで勝ち進んでいった。すでにアラザキのマジックは始まっていたに違いない。
妻は舞台に上がり、アラザキに簡単な自己紹介を求められ、天井から下げられたオーロラビジョンに夫としての僕の顔が大きく映し出された。僕はブルーのライトに照らされ、仕方なく笑った。
ヒト1人がようやく入れるような金色に輝くテントが用意され、『ゲット・バック』が流されたはずである。
次の2、3曲が続いて流され、各種の手順がなされ、妻は消えた、はずである。
妻が舞台に上がり、ビジョンに映る僕自身の笑う顔を確認するやいなや、僕は大至急サーカス小屋をあとにし、タクシーを拾い、大村空港に走らせた。とにかく急がせた。
間に合った。
僕は東京行きの搭乗券を求め、手続きをし、16時発の機上の人となった。
なんでも僕には、フォッサマグナの上をジェット機なみの高速で移動する必要があったらしい。
羽田に着くと、直ぐに長崎に戻る搭乗手続きを行った。
長崎に着くと直ぐに大村空港から再びタクシーを急がせ、長崎市内に十時半には戻ることができた。
大波止に急ぐと、『旭サーカス』の巨大とは言えないまでも、特徴のあるテントも、動物の糞の臭気も朝と同じであった。
ふ頭の先端に停車してあったライトバンが見えた。中の二人の男も先日のままである。
僕は車に乗り込み、顛末を訊ねた。
「首尾よくいった、とは存じますが……」とアラザキ。
「何か、懸念するようなこと、あったのですか」と、僕。
「急いで帰ってきたのでしょうな」と、団長。
「ええ、文字通りのトンボ返りでした」
団長は続けた。
「あそこに公衆電話、見えますね」
いつ撤去されてもおかしくないようなガラスボックスの中、煙草の火にいじめ抜かれ、火傷の跡も痛々しい緑の電話が見えた。
「念のためです。
ご自宅に電話してみてください」
僕は十円玉をポケットから取り出しながら、小走りにボックスに行き、自宅番号を回し、誰も受話器をとらないことを確認して戻った。
そのことを告げるとアラザキは、
「良かったですね。成功したようです」
続けて団長、
「それでは、もうご自宅に残金の二百五十万はキャッシュで用意されてますね」
「ええ、お約束ですから」
「それでは、明日のお支払い、お待ちしております」
僕は東古川町の自宅に徒歩で帰った。
酒でも飲みたかったが時間も遅いし、そのまま帰宅することにした。
家の中は、真っ暗だった。
灯りを点け、調べてみた。先ずはキャッシュから。
大丈夫。
他に何か変わったことは……?
何だか妻の所有品のうち、なくなっているものもあり、そのままのものもあるような気がした。ドレッサー(鏡台)はなくなっていた。
翌日の日曜、サーカスの楽日、団長に支払いに行った。
出番ではない時間帯、団長にテントの片隅で渡す。
団長は、「領収書は切りませんが、それは説明しておきましたよね」
「ええ、解ってます」
「あとひとつ、少々の確認事項ございます。本日の公演が終了しましたら、私どもは撤収作業をし、明日の朝4時には次の公演先の北海道に発つのですが、就きましてはその時間、奥様のことで最終的にチェックしたいことございますので、是非ともお見送りをお願いしたいのですが……」有無を言わせぬ口調であった。
仕方ないだろう。
逆算すると、真夜中の3時には起きる必要があるが、寝ないで行くことにした。
暗くなるまで、行きつけの銅座町の居酒屋で酒を飲み、帰って自宅でダイエーの野球をテレビで見て、衛星洋画劇場を見、3時を過ぎたので僕はクルマでふ頭を目指した。
作業服にGパンの団長は、煙草を闇に光らせながら僕を待っていた。
「ああ、わざわざどうも、恐縮です」
今日は素面のように見えた。
運転席に座ったまま、僕は気になっていた質問をした。
「僕がいなくなってから、ショーはどのように終了したのですか?」
「ああ、そのことでしたら、いくつかパターンがございまして、そのパターン通りにジョーは終わらせていましたよ。つまり、『あれあれ!奥様のみならず、本日はご主人も完全に消えたようですな。いつもの2倍の消滅パワーを目のあたりにした今日のお客様はラッキーでしたね』とジョーが締めくくったんです」
団長は続けた。
「しかし、今回ばかりは少しだけタイミングのズレございまして……」
「し、失敗したんですか?」「いやいや、奥様は消滅なさったはずです。ですから失敗ではございません。99%の成功といってもよろしいかと」
「何ですか、残りの1%とは?」
「それも大したことではございません。位相転移の補正を年に2回、やっていただきたいのです。つまり毎年4月の9日と10月9日、先日の要領で長崎と羽田をジェット機の速さで往復していただければ済む話です。お望みの結末をキープするための維持費とお考えになればよろしいかと存じます」
そのくらいの出費なり維持費は、ま、致し方ないのかもしれない。なにしろ、警察に厄介になることもなく、かつては愛してた1人の人間が消滅し、その分僕は自由になったのだから……。
やがてサーカスの設備や機材や数種類の動物を積んだ巨大なトラックが次々に出発して行く。それらが終わると、次は各マイクロバスに分乗した団員が数台の集団車両となって去っていった。
最後に、ピエロの笑うバンに団長とアラザキが乗り込み、助手席に座った団長と僕が、互いにウィンドウを下げて並ぶことになった。
団長は、煙草を持つ手をウィンドウから差し出しながら、僕の目を見ることもなく告げた。
「これはぜひあなたに通達せねば、という性質のものでもないのですが、私たち、こう見えましてもお客様には良心的であり続けなければと日頃から思っていまして……」
もって回った言い方に嫌な予感がした。
「それは……いいことですね」
西山町の奥の山々、東の空がようやく少しずつ明けてきた。
「私ども、将来の現象を占う水晶玉も持っておりまして」
「……」
「その玉を先程見てましたら、将来、ずっと将来ですけど、国内を飛ぶ航空会社、JAL、全日空、TDA、それらの会社の存続、就航路線、いろんな問題をかかえるであろうシーンが見えてきてございました。最悪、就航路線の廃止という事態に到らぬとも限らないという、将来のニュースも写ってございました。福岡、羽田間は大丈夫だったようですけど」
「えっ!長崎と羽田を往復するジェット機が就航しなくなったら、どうすればいいのですか?」「別にどうということもありません。ご自身で飛行機をチャーターしていただき、毎年2回、往復すれば済む話です。新しくあなたが獲得なさった位相を維持するために」
「で、なければ?」
「消えた奥様、つまり現在の年齢の奥様と、長崎と羽田の往復ができなくなった年まで別の位相にいらっしゃった、少しお年を召した奥様と、お二人の奥様が位相の空隙から現れて、お宅にお住まいになることと思われます。その時、あなたがどこかに身をお隠しになられても、二人の奥様は必ずあなたを探しだすはずです」
「……?」
「なぁに、ご心配なさるには及びません。私どものイリュージョンによって消されたという記憶は残らないようになってますから」そう言い残し、バンは去っていった。
僕は『妻の消滅』の維持のためには、ジェット機を年に2回チャーターできる程の、マイケル・ジャクソンなみの大富豪にならなくてはいけないのか……。
僕はハンドルに当てた手を離し、頭をかかえた。
最後の決めの文を気に入っていただければ、嬉しく存じます。