鈴木雄一郎
「高速道路をたどるんだ。あの衝撃波で道路上の車は吹き飛ばされているはずだし、四車線あるトンネルが全て氷に閉ざされていることもないだろう。但し、入る前には必ず音響定位で障害物を探ってからにしろ。ショートカットは考えるな。迂回できない標高の高い山々が行く手を閉ざす。〝急がば回れ〟だ」
東北を発って二日目、広い額の男――伊都淵貴之の指示に従い、鈴木雄一郎は上信越道と思しき道路をひた走っていた。腕時計に目をやると、のべ五時間強走った計算になる。雄一郎は犬達に号令をかけて橇を止めた。
「無茶はするな。食料も燃料も片道分しかない。荷物が減ってゆく分、お前に残された時間も少なくなってゆくと思え。無理だと思ったら、そこで引き返すのも勇気だ。テントの設営にも充分注意を払うんだ。携帯用ヒーターの熱が篭って溶けた氷の下が湖や川だったということのないようにな」
老婆心だったな。ほぼ半分の行程を無事に走り終え、白髪の男――鍛冶千光の忠告を思い出た雄一郎はニヤリと笑った。予想通りなら上越高田インターチェンジ近辺のはずだ。今夜はここで休もう。彼は道路脇へと犬達を誘導した。
明日中に長野道を抜けられないものか――カーボングラファイト製の橇から荷物を下ろしながら、雄一郎は翌日の行程に思いを馳せる。犬達のハーネスを緩めた時、息の上がった彼等の拘束を解いてあげたい衝動に駆られるが、唯一の移動手段である彼等に逃げられるのは困る。伊都淵の指示通り犬達を繋げたロープを氷に打ち込んだアンカーで固定した。
ドッグフードをボウルにあけ、削り取った氷をハンドトーチで溶かして犬達に与える。威勢のいい食べっぷりに彼等が元気を取り戻してゆく様子が窺える。前夜はサービスエリアのガソリンスタンドだったらしき場所をベースキャンプ選んだが、今回は高速バスの停留所だ。かろうじて残った骨組に上手く氷の壁が出来ており、風よけにもなる。雄一郎は手馴れた様子でテントを張り終えた。『犬達の足によく注意するように』その指示を思い出し、一頭一頭の肉球と爪を確認して回る。彼等のリーダー格だったサモエド犬の一歩が雄一郎のゴーグルを舐めた。
「お前達は、洋服も着ていないのに大したもんだ。約束するよ、俺を目的地まで連れていってくれたら、お礼にお前達全員を農園で飼ってやろう」
言葉の分かるはずのない彼等だったが、伏せていた何頭かが頭を上げた。
「嘘じゃないって」
強風にかき消されない音量に上げ、雄一郎は再び同じ台詞を口にする。満足そうな顔になった犬達が重ねた前足の上に顎を戻した。
思いの外、電力を消費するヒーテッドコートだった。ローラーブレードで蓄電した分を使ってしまい、翌日の道程がスキーしか履けなかった場合、唯一の道標となるホログラムマップの電源まで失ってしまうことになる。雄一郎はカジに鍛えられた己の肉体を信じることにした。一時間おきに目覚めては体温調整を繰り返す。陽の登らない明け方、犬達の吼声で雄一郎は体を起こした。
何だ? 20m程向こう、道路の反対側に黒い影が動いていた。犬達はあれに反応したのだろうか……雄一郎は狩猟用のクロスボウを取り出した。目を据えているうちに影の輪郭が掴めてくる。どうやら鹿の成体のようだ。こいつ等にビタミンたっぷりの食事を与えてやれるな。雄一郎は静かにテントを抜け出した。犬達に向け、しいっというように人差し指を口に当てると、その意を解したかのように彼等は吼えるのを止めた。鹿は氷に閉ざされた山でどうにかして生き延び、餌を求めて下りてきたのだろう。よもや自身が餌になろうとは思いもせずに。
12~13mぐらいの距離まで音を立てないようににじり寄り、ストックを肩に当ててクロスボウを構えた。矢羽も少なく短い矢は、飛距離は稼げるが有効射程は長弓に遥かに及ばない。しかしこれ以上近づけば身を隠す遮蔽物もなくなり獲物に気づかれてしまうだろう。雄一郎はゆっくりと照準を合わせ、吐息で曇るゴーグルを手袋の甲で拭った。
影が動いた。二頭か? 成体の向こうに居て気づかなかったふた周りほど小さな影が見えた。幼体か――素早く矢をつがえれば、二頭共しとめられるかも知れない。先ずは動きの俊敏な成体から狙おう。これであいつ等にも腹一杯……
しかし、トリガにかけた指が絞られることはなかった。自分達同様、災禍を生き延びた命だ。それを奪う行為が許されるとは雄一郎には思えなかった。クロスボウのストックで氷の塊をガンガンと叩く。その音に気づいて鹿の親子は走り去っていった。
「すまん、射てなかったよ」
犬達の許に戻ると、苦笑混じりに狩りの不成功を告げる。雄一郎を責める顔をするものは一頭としていなかった。
「先を急ごう。あちらに着けば、まともな食事にありつけるかも知れない」
橇を繋いでテントを畳む。十分程でパッキングを終えると、雄一郎はひとつ大きく伸びをした。