シェルターの男達
この星を未曾有の大災害が襲った翌日、小さなLED電球がひとつ灯る薄暗い部屋で、三人の男がテーブルを囲んでいた。
「申し訳ありません。もっと早く気づいていれば、これほど多くの犠牲者をだすこともなかったでしょうに……」
聡明そうな広い額をした男が、正面に座った白髪の男に頭を下げる。
「あまり気にしないことだ。君は精一杯のことをした。洪水から国を救ったノアでさえ全ての人々を助けられた訳ではない。天変地異にまで責任を感じることはないさ。再生可能エネルギーをバイナリー地熱発電の線で推し進めたのは君の功績だ。天候に左右されないからこそ我々もこうして生きていられる。勿論、トコログリアを開発した所教授のお陰でもあるが」
「だったら、やはりこれは私に行かせて下さい。私なら電位と磁気を頼りに井之口市までたどり着けます。あちらの地理に明るく所と交遊のある私が適任のはずです」
白髪の男は広い額の男を手を上げて制した。
「処置を済ませている人間の中で、心肺機能が抜きん出て優れているのはこの雄一郎だ。君にはここですべきことがある」
「任せておいてください。国家が機能しなくなった今、人々の希望はあなただけです。そのあなたを危険にさらす訳にはゆきません。それにあなたがトレーニングをしてくれた犬達は優秀です。きっとやり遂げてみせます」
声を上げたのは、白髪の男の隣に座るせいぜい三十歳になったばかりといった感じの浅黒い肌の青年だった。愛嬌のあるどんぐり眼をくるくるさせて話す。
「危険か……だからこそ、私が行くべきだと思ったんだ。道中の電力事情にも日射にも期待できない現状ではEVクローラは使えない。見渡す限り氷の大地には、目印もなければ、粉塵に覆われた空には星も見えない。ホログラムマップのGPS機能も使えないだろう。ただ、そんな道程でも犬の嗅覚なら頼りになるのでは、と考えたんだ。トレーニングをした訳ではないよ。彼等にもう一度、人間を信じてみてくれと頼んだだけだ」
広い額の男は、静かに雄一郎に言った。
人気犬種はファッションと同じだ。尊い命を金儲けの道具としか見ないペット業者は後を絶たない。遺伝性疾患を持つ個体をも見境なく輸入し繁殖させる。ゴールデンレトリーバーが流行ればそれ、トイプードルに人気が出ればそれと。乗せられて犬達をアクセサリーのようにとっかえ引っ変えする飼い主達も同罪だ。流行が変わった途端、見向きもされなくなった犬達は、子犬のまま山中に捨てられ野犬化するものもいた。広い額の男はこの災禍が襲う直前、そうした一頭ずつを集め心を通わすことに全力を注いだのだった。
「これを持って行くといい。あの雲が晴れればきっと役に立つ」
「何です? これは」
「衛星電話だ。三つ作った。所が健在なら彼に一つ、もう一つは君達の農園にでも置いてくるんだな。心配なんだろう?」
「ありがとうございます」
「誠が元気だったら、橇を作れと伝えてくれ。それだけ聞けば、私が何をいおうとしているかわかるはずだ。それにあいつは……」
白髪の男が懐かしむような目をして続けた。
「犬と相性がいい」
ドアが開く音にその場の全員が顔を向けた。大きなお腹をした女性が樹脂製のケースを乗せた台車を引いて部屋に入ってくる。
「出来たのかい?」
「ええ、なんとか間に合ったみたいね」
女性は広い額の男の問い掛けに、はにかんだような笑顔で答える。
「これを持っていってくれないか。それぞれのホイールにステータコイルを入れて発電機能を持たせてある。君が橇に乗っている時間が短ければ犬達の負担も減り発電も出来る。そんな一石二鳥を目論んでみた。直流電流のみしか取り出せないが、ホログラムマップとヒーテッドコートの電源にはなる。当然ながら新雪の上では使えない。スキーと併用してくれ」
広い額の男は雄一郎に二組のローラーブレードを手渡した。
「さあ、R.L.R.(帰投限界点)までクローラで送ろう。多くの人がトコログリアの到着を待っている」
ヒューンとモーターの回転音を残し、クローラが発進した。二軸の後輪にはキャタピラ状のゴムベルトを配し、前輪部分にはスノーモビル用のスキーが履かせてある。軽トラックを改造したEV(電気自動車)車だった。ダッシュボードの中央には、赤いスーツに赤いマフラー巻いたキャラクター人形が置かれている。
「この人形は何なんですか?」
雄一郎が広い額の男に訊ねた。
「世界征服を企む悪の組織に立ち向かった漫画の主人公だよ。子供の頃、喧嘩の弱かった私は彼に憧れていてね。奇妙な偶然だけど、今我々が住んでいるシェルターの上はその漫画の作者の記念館だった。こいつは吹き飛ばされた残骸の中で見つけて拝借してきたんだ。彼のような男が現れて人々を救ってくれないものかとね。その役目を君に託す訳だ」
そう言って人形を指先で弾く。
「あなたが漫画を読んでいたなんて意外な気がします」
「以前にも言ったとは思うが、三十七歳の或る日まで私はただのボンクラだった。こうなったのは所が目覚めさせてくれたみたいなもんだよ。災禍を生き延びた人々のため、この星の未来のためにも、彼には無事で居て欲しい」
「必ず見つけ出します」
氷原の彼方に視線を向ける男の横顔に、雄一郎は力強く頷いた。
「ここまでだ。あそこに見えるのが磐梯山だろう」
車を降りた広い額の男がホログラムマップを起動した。3Dの日本地図が浮かび上がる。
「高速道路を外れなければ、連絡を間違わない限り井ノ口市までは辿り着ける。新幹線の架橋も目印になるだろう。残念ながらこれは使い物にならない」
取り出したコンパス(方位磁石)は指針が盤面に貼り付いてピクリとも動かない。
「ブリザードで視界が閉ざされた時はすぐに橇を停めてこれの音響定位機能を使うんだ。潜水艦のソナーみたいなもので障害物までの距離を計算してくれる」
「コウモリみたいなもんですね」
混ぜ返したつもりだが広い額の男はにこりともしない。
「正にその通りだ。実の息子同然の君をこんな冒険に送り出さねばならなかったカジさんの心中は察して余りあるものがある。これが今の私に出来る最大限だ。さあ橇の準備をしよう」
男は橇を下ろし、荷台で立ち上がった犬達の頭を乱暴に撫でる。
「限りある材料でこれだけの装備を揃えていただいたのです。状況を考えれば充分過ぎる程です」
犬達を降ろし、一頭ずつ手早くハーネスをつないでゆく。雄一郎は正面にしゃがみ込んでその作業に手を貸した。広い額の男は一頭一頭にチョーカーを着けてゆく。
「彼等の名前を教えておこう。サモエドの一歩がリーダーだ。以下、アラスカンマラミュートの四歩、五歩、八歩。シベリアンハスキーの二歩、三歩、六歩、七歩だ。分かるかな?」
「一歩だけはなんとか――」
ピュアホワイトのサモエド犬だけは判別できたが、犬に詳しくない雄一郎には全て同じように見えてしまう。苦笑してそう答えた。
「チョーカーにローマ数字のチャームをつけてあるが、名前を呼べば本人――本犬というべきかな――彼等が答えてくれる」
そんなものなのか? 雄一郎は半信半疑だった。
「犬達を信頼し労わってやってくれ。彼等は君が止まれと言うまで走り続けようとするだろう。餌もふんだんにある訳ではない。一日100km程度を目安として欲しい。これはお守りだ」
EVクローラにあったキャラクター人形を手渡された。
「了解です」
準備は出来た。雄一郎はSCOTTとかかれたフェイスガード付きのゴーグルを装着するとローラーブレードを履いて電源コードを繋ぐ。広い額の男に向けて大きく一度頷き、犬達に出発の号令をかけた。
橇が巻き上げる氷塵が見えなくなるまで、残された男は彼等の後ろ姿を見送り続けた。