Survivor
地下菜園――シェルター――この際、呼び名などなんでもいい。母と西村少年を連れ、僕はそこへと戻った。ひん曲がったパイプで扉を叩くと今度はスルスルと開く。ウインチのギアを回すためのハンドルのある場所と、その操作方法をマイケルに教えておいたのだ。
「ご無事だったのね、篠田先生。まあ、安藤さんも……」
こんな状況では、仲間は一人でも多いほうが安心出来る。母の声は上ずっていた。そしてそれは子供も同じだったようで、同級生二人の出迎えにバッテリーでいうところの女房役を亡くした西村少年の表情にも少しだけ明るさが戻っていた。
「一体、外はどうなってしまったのですか? 救助は?」
「校舎、いえ、全ての建物は職員室の一部を除いて吹き飛ばされました。そして屋外の温度は氷点下20℃以下になっていると思われます。何故こうなったのか、この被害がどれほどの範囲に及ぶのかは一切わかっていません」
僕は手短に状況を伝えた。
「救助は来るんですよね?」
「一切、わかってないといいました。それも全く不明です」
スーザンの問い掛けにすげなくそう返す。出来ることなら僕もそれを期待したいのだが、わからないものはわからない。安易な気休めがもたらす落胆の大きさのほうを案じていた。
「少なくとも、ここなら寒さはしのげます。数日分の食料と灯りもあります。落ち着いて善後策を練りましょう。僕は扉が凍って閉じ込められないよう処置を施します。最年長者は小野木先生ですが女性です。篠田先生、リーダーシップをお願いします」
扉のヒンジを逆にして内開きに変更し、予備のインバーターからコイルを取り出して即席のヒーターを作り扉の内側に巻きつけた。暫くは観察が必要だが、これ以上気温が下がらなければ凍結は防げるだろう。体力が回復したら屋外側にも凍結防止の対策をしておこう。僕はそう考えていた。少女のすすり泣きが聞こえた。どうやら外の惨状を西村少年が伝えてしまったらしい。マイケルも母に確認しているようだった。
「冷たい言い方に聞こえるかも知れませんが、亡くなった人々のことを悲しんでいる場合ではないと思います。僕達が職員室で急場をしのいでいた時、ここで篠田先生達も頑張っておられたんです。きっとどこかにまだ多くの人がいるはずです。災禍をやり過ごせるまで、或いは救助が訪れるまでをどうやって生き延びるかが、今我々が考えるべきことだと思います」
そうだな、と小さな声でマイケルが返してきた。
「篠田先生の他に、トコログリアを未接種の人は居ますか?」
誰も声を発しない。スーザンも少女二人も処置は済ませていたようだ。体力に劣る女性がそうであったことは不幸中の幸いともいえる。僕はもう冷凍マグロを見たくなかった。
「ねえ、ネットで調べてみたら?」
スーザンが携帯電話を取り出す。僕の説明を訊いていなかったのか、はたまたそれを信じたくなかったのか。無駄だとは思ったが彼女を制止する気にはならなかった。試すだけ試してだめなら諦めもつくだろう。そしてあの真っ黒な空がGPS信号を届けてくれるとも思えない。案の定、スーザンは暫く弄り回していた携帯電話を、短い舌打ちと共にバッグへと仕舞い込んだ。
「ここの食料も無尽蔵ではありません。気温が安定するようなら、少しずつ周辺の散策をすべきだと思いますが如何でしょう」
僕はマイケルに提案した。
「私は、そのなんとかグリアの処置を受けてないから外には出られないぞ。自殺行為だと言ったのは君だからな。田島君も女性だからだめだ」
「だとすると、屋外で行動出来るのは僕一人ということになってしまいます。体温調整の出来ない篠田先生はともかく、田島さんにはなんとかご協力いただけるとありがたいのですが」
「あたしなら、いいわよ」
スーザンはあっさり了解した。マイケルは一瞬嗜めるような視線を送ったが彼女は目を合わさず、結局それに従うこととなる。マイケルの言動は些か公共精神に悖るものだったと言えよう。僕の脳裏にキンキラキンの衣装で歌い踊るビヨンセが浮かぶ。状況は正にSurvivorであった。
「僕の記憶では、トコログリア摂取後も眠っている間は自然脳波による体温調整だけしか行われないと訊いています。今のところシェルター内の温度は安定しているように思えますが油断は禁物です。確認が出来るまで子供達と篠田先生を除いた三人は交代で眠り、起きている者が他の人の状態に目を光らせておくのが最善かと思われます。そして少なくとも二十四時間は扉が凍りついてしまわないかを注意している必要があります。他にご意見があれば伺いますが」
誰も意見をいう者はなかった。不寝番を逃れたマイケルに至っては、僕の話をちゃんと聞いていたかどうかも疑わしい。それはこんな発言からも明らかだ。
「食べ物はどこにあるんだね」
「菜園の床に鍵をかけて保管してあります。管理は最年長者の小野木先生にお任せしようと思うのですが」
「体温調整の出来ない私は皆さんより多めに栄養を摂るべきだと思うのだが――まあ、いいだろう」
一同の視線が冷たく感じられたのか、壁に背をあずけたマイケルはそれきり黙り込んだ。
「最初は私が起きているわ。扉の確認はどうすればいいの?」
ウインチのハンドルが軽く回ればいいと母に教えた。僕は減速比の小さな手動用ギアに切り変えておいた。
「この部屋の温度が下がったと思ったら随時確認して欲しい。そしてハンドルが重くなるようなら僕を叩き起こしてくれ」
「わかったわ。あんた、その指は……」
僕の右手小指は、おそらく鎧戸の外側にでも貼り付いていたのだろう。あっという間に凍りついた第一関節の切断面は出血すらしていなかった。