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地下菜園

 机とキャビネットが上手く折り重なった場所を壁に、足りない部分は衝立で囲んで3m四方程の避難所を職員室の片隅に作り上げた。床から上がる冷気で坂本少年が凍えることのないよう、足が折れたソファを運び入れて横にさせる。しかし彼は依然歯の根が合わないほど震えていた。

「……嘘だろ」

 奇跡的に破損を免れたデジタル温度計を見ると表示限界のマイナス9.9℃を示している。

「みんな、どうなっちゃったんだろう」

 ポツリと西本少年が呟いた。

「どこかで、こうやって集まり寄り添っているさ。明るくなったら探しに行こう」

 僕はそんな気休めを口にし、同時にそうであって欲しいと願った。

「だって校庭中、足の踏み場もないくらい人が倒れていたんだよ? それに建物だってここだけしか残ってないじゃんか」

 堪えていたものが噴き溢れるように西村少年は言った。彼が先ほど話そうとしたのはこのことだったのだろう。僕は母と顔を見合わせた。坂本少年に掛けてやるものを探していた母も変わり果てた秋山さくらの姿を目にしていたようで、目だけでそれを僕に伝えてきた。建物がこの有様で、校庭が西村少年の言う通りの惨状だとしたら……僕に出来ることなど何もなく思えた。

「あんた、家は心配じゃないの?」

「心配なくはないけど、母さん達を置いて行く訳には行かないよ。それに太達が20mの距離を進むのにあれほどの時間がかかったんだ。とても家まではたどり着けそうもない。せめて、土煙がおさまってくれないことには……」

 一体、何がどうなってしまったんだ。灯りも食料もないここにいつまでも留まることは出来ない。そこで僕ははたと思いついた。体育館の――もとい、体育館のあった場所の地下には人工光合成の試験菜園が作られており、シェルターを兼ね非常食や防災グッズが備蓄してある。これはロジウムをドープしたチタン酸ストロンチウムに可視光線を――長くなるし、興味のない方々には経文にしか聞こえないだろうからやめておこう。そして大きな声では言えないが――今や、誰も聞いちゃいないか――とにかく僕は学校に無断で地熱バイナリー発電の施設をそこに設置していたのだ。火山のないこの地域では大した発電料は見込めないが、沸点の極端に低いネオペンタンという液体を利用することで、菜園の維持に必要な熱源程度は取り出せていた。この被害がどこまでの範囲に及んでいるかは分からないが、いつかは誰かが助けに来てくれる。それまではなんとしてもこの三人を守って見せる。

 決意を胸にした僕の目に、信じられないものが飛び込んできた。衝立の隙間から覗く暗黒の空に白くぼんやりとたなびく甲冑の輝きは、この国では絶対に見られるはずのないオーロラのカーテンだった。

「勘弁してくれよ」

 僕は力なく呟いた。今しがた胸にしたばかりの決意が急激にしぼんでゆくのを感じていた。

 昼間である今がこうなのだ。待っていて明るくなる保証などどこにもない。坂本少年の体温はどんどん低下してゆくばかりだった。トコログリアの接種を受けていた僕達にしてもエネルギー補給が行われない以上、体温調整機能にも限界はあったろう。土煙がおさまり、ようやく地表が見え始めた屋外へと僕は歩み出た。驚くことに地面を覆っているのは分厚い氷だった。あちこちに盛り上がってみえるのは吹き飛ばされた建物の残骸であったり、西村少年が話していた――生徒達教員達の遺体――だったのだろう。

 辺り一面が二時間ほどで氷の平原となってしまう状況が理解出来なかった。しかもそれはじわじわと厚みを増してきている。推測を重ね運命を嘆く時期は、とうに過ぎ去ったことを僕は確信した。現状を受け入れると避難所へと戻り、衝立の骨組みとして使われていた金属製のパイプを二本抜き取る。

「外はどうなってる?」

「ああ、大丈夫」

 不安げな表情で訊ねてくる母に意味不明な返事を残し、僕は地下菜園があるはずの場所へと向かった。足元さえ見えていれば50mほどの移動は、さほど苦になるものではない。だが氷の下には苦悶の表情を張り付かせたまま氷漬けになった遺体がある。目を逸らし足元への注意が薄れると、摩擦係数の小さくなった地表はあっさりと僕の両足を払う。彼等の変わり果てた姿と目と鼻の先でご対面してしまうことになるのだ。唯一の救いは氷の透明度が低かったことだ。土埃ごと氷結したせいか、コーヒー入りのかき氷色となっていた。

 地熱発電が機能していたのだろう。地下菜園への入り口は、厚さ10センチほどの氷で覆われるに留まっていた。しかしそれを1メートル四方に砕いてゆく経験など、製氷業者でもなければあるはずがない。ちょっとでも気を抜けばアイスピック代わりの金属パイプは僕の皮膚を毟り取ろうとしてくる。体温調整に気を遣いながら、休むことなく氷を削り続けるしかなかった。流れ出る汗だか鼻水だかがヒゲに樹氷を作るが構ってる余裕はない。ただひたすらにパイプを突き刺し、ひびの入った氷を取り除く作業に専念する。

 ステンレス製の鎧戸が半分ほど露出した頃――実のところ僕は精根尽き果てかけていたのだが――今度はパイプの先を靴の踵で踏み潰して平たくした。そして氷の下に差し込んでは少しずつ浮かせていった。母達の様子が気になってはいたが、手を休ませたら最後、この扉は永遠に閉ざされてしまうだろう。校庭にあった氷の隆起は既に平になりかけていたのだ。

 扉の全てから氷を取り除くと、僕はパイプの先端を鎧戸の端に突っ込んでこじた。『こじ開けた』と表記できないのは、パイプがぐにゃりと曲がって開放には成功しなかったからだ。電動ウインチでワイヤーを巻き上げて開く重い扉だ。内側からなら手動操作も可能なのだが、電源が遮断された今、僕一人で開けられるはずがない。〝矢尽き、刀折れ〟とは、正にこんな状況をいうのだろう。ガックリと膝を着くことが許されればそうしたかったのだが、そんなことをすれば膝が貼り付くか皿を割るのが関の山だ。差し迫った状況は僕に芝居がかった表現すら許してくれなかった。

 その時だ。ギイッと音がして、ほんの少しだけ鎧戸が持ち上がった。「助けて、ここから出して」微かな声が聞こえてくる。(いいえ、あたしを中に入れてくれるのが先よ)場の空気にそぐわないジョークが思い浮かんだが喉元まで来たところで呑み込んだ。僕のこういう不真面目さは父親譲りらしく、よく母に叱られたものだ。

 寒さのせいでなくそのジョークを振り払うためにブルブルと頭を振り、開きかけた扉の縁に布切れを巻いた手を差し込み一気呵成に持ち上げた。そこには目にいっぱい涙を浮かべた安藤由香里と林田沙織の愛くるしい顔があった。僕は彼女達に地下菜園の世話を頼んでいたことを思い出した。金テコで扉を持ち上げていたのは保健医のスーザン(田島涼子という名前だから日本人のはずだがバタくさい顔のせいで生徒達にこう呼ばれていた)と、二年生の学年主任だった四十年配の篠田徹先生(こっちはマイケルと生徒達に呼ばせていた。どうやら古のエンタティナーに憧れ、彼の十八番だったムーンウォークを会得して生徒達に披露――忘年会の余興で僕も見せられた記憶がある。不惑を迎えた男が自宅で一人、これを練習していたのかと思うと他人事ながら切なく思えたものだった)注釈が長くなったが、カッコ開くの前まで戻り「だった」と繋げよう。ただ、そのマイケルとスーザンがここに居る理由に思い当たる節はない。

「小野木先生……か、一体どうなっているんだね」

「先生、どうなっちゃってるの? なんで、外はこんなに寒いの?」

「おうちに帰りたいよ」

「寒っ! 何これ? どうなってるの?」

 四人は口々に声を上げる。

「よく聞くんだ。外にはまだ出られないし出ちゃだめだ。今、学年主任の小野木先生を連れてくるから、もう少し下で待っていなさい」

「今、言った通りです。篠田先生、トコログリアの接種はお済みですか?」

 子供達に早口で告げたそのままの流れでマイケルに訊ねる。

「いや、私は受けてない。何でそんなことを?」

「見てください」

 マイケルとスーザンが、扉から頭を半分だけ出して外を眺める。彼等の口は〝あ〟の形で固まった。

「何が起きているんだ……」

「説明している暇はありませんし、僕にも何が何だか分かりません。とにかく体温調整が出来ないとなるとマイ……篠田先生が外に出ることは自殺行為です。再び扉が凍りつかないようにして暫くここでお待ちください」

 虚ろな顔で頷く彼等を残し、僕は母達の待つ職員室の残骸へと向かった。生存者は居る。僅かだが希望の灯りが見えたような気がしていた。

 急ごしらえの避難所に戻った僕は、母と西村少年の目に安堵以外のものを見た。

「坂本君が……」

 ガチガチと歯を鳴らし続けていた少年は呼吸を止めていた。そして不謹慎を承知でいうなら坂本少年の遺体は冷凍マグロのようにカチンカンに凍っていた。これは絶対死後硬直などではない。下限いっぱいを表示した温度計は参考にしかならなかったが、氷点下20℃は下回っていただろう。僕はその昔、父が観せてくれたデイ・アフター・トゥモローという映画のワンシーンを思い出していた。あれは何が原因だったっけ?


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