衝撃波
時間にすればほんの数秒だったろうが僕には永遠にも感じられた。一瞬、重力が消えたように感じられた後に襲ってきた衝撃は〝天と地がひっくり返る〟そうとしか形容しようがないものだった。この時、何が起こっていたのかを僕が知るのは数日後となる。
小柄な母の体をなんとか支え、偶然吹き飛ばされたスチールデスクの下で僕達は猛威が去るのを待つしかなかった。マグニチュード10超え級の地震と超大型の台風、ついでに神の怒りが加わればこんな具合になるのだろうか。この世に生を受けて二十三年、かつて経験したことないほどの……もっとも、こんなものにちょくちょく遭遇していれば百回中、九十九回は命を落としていたのだろうが。
実際、この衝撃で人類の大多数が亡くなったと、これまた後に知らされた。史上最大級の混乱が収まった後、机の下からは這い出でたものの倒れ積み重なったキャビネットや机がバリケードを築き上げていて職員室のドアまではたどり着けそうもない。ひしゃげた窓枠にかろうじて通り抜けられそうな隙間を見つけ、なんとか屋外へと体を運び出した。
「驚いたわねえ、地震かしら? だったら余震にも注意が必要ね」
僕に続いて外に降り立った母が、ようやくといった調子で声を洩らす。舞い上げられた土埃が大気中を漂っており有効視程は20~25mといったところだった。ただ、この被害がここ一帯だけでないことだけは分かった。空が見渡す限りの暗黒を湛えていたからだ。いくらか落ち着きを取り戻した僕が母に告げた。
「地震ではないと思うよ、ほら」
職員室とその隣の保険室の一部を残し、かつて校舎だった残骸は全て僕の指差す先――学校の南門――まで吹き飛ばされていた。揺れだけでこうはならない。これが宇宙からの侵略だったとすれば、彼等の手先であろう大型ロボットがどこかにいるはずなのだが、その姿もない。建物が引きちぎられた部分からは、捻じ曲がった鉄筋が触手のように突き出していた。
「危ないっ!」
小柄な母の体を引き寄せる。鉄筋の先にぶら下がっていたコンクリートの破片が僕をかすめて落ちてきた。
「母さん、血が出てる」
ポケットからハンカチを取り出して母のこめかみに当てた。茫然と立ち尽くしていた母だったが、はっと肩を震わすと我に返ったようにこう言った。
「生徒さんは? 丈、先生を集めて。そして生徒さん達を体育館に……」
母が指を伸ばした先にあるはずの体育館も、基礎を残して吹き飛ばされている。鋼板製の蒲鉾屋根が15mほど離れたプールに覆い被さっていた。
「せんせーっ! 誰か居ないのーっ!」
声は校庭の中程で聞こえた。土埃に煙るそちらに目を凝らすと、少年が二人体を寄せ合うようにして立っている。そのシルエットと声から察するに、片方は僕が受け持つクラスの西村太だと判断した。
「太か? 先生はここに居るぞ」
はあ、と安堵のため息に続いて西村少年の声が返ってくる。授業中の元気の良さは当然だがない。
「うん、俺。先生、どこに居るの?」
「職員室の前だ。そのままぐるっと体を回してみろ。学年主任の小野木先生も一緒だぞ」
西村少年は僕の指示に従っているように見えるのだが、いかんせん視界が悪過ぎる。腕時計を見ると十二時五十八分を指していた。本来なら、まだ昼休みも終わっていない白昼のはずなのだが、陽光が遮断され土煙が立ち込める九月二日の校庭は、その様相を一変させている。心無しか空気も冷たく感じられた。
「見えたっ! そっちに行くよ」
「足元に気を付けてゆっくり歩いてくるんだぞ。ガラスやコンクリートの破片が飛び散っているみたいだからな」
「う、うん……」
快活な西村少年の声が震えていることを僕は特に不審に思わなかった。大人だってこんな状況に陥ればパニックを起こし泣き出す連中だっているに違いない。だが僕のその推察は間違っていた。西村少年は怯えるべき具体的な対象を既に認知していたのだった。
20メートルほどの距離を気の遠くなるような時間をかけ少年二人が僕と母の許へ辿り着く。体を寄せ合っていたもう一人は秋山さくらが受け持っていた坂本という生徒だった。少年野球のチームで西村少年とバッテリーを組んでいたはずだ。
「先生、何があったの? みんな……」
何かを話したくて堪らない様子だったが、ちょっと待ってろ、と言って彼の話を遮った。いつまでもここでこうしては居られない。先ずは身の安全を確保し、落ち着いて善後策を練ることが出来る場所を探すことが急務に思えたからだ。
「寒くなったような気がするんだけど、気のせいかな?」
僕は母に訊ねた。
「お陽様が見えないせいかしらね。でも、ちょっとこれは……今は九月よね?」
怯えが血の気を引かせ、そのせいで寒く感じたのだと思っていたが、これまた大ハズレだった。足を動かす度に音を立てていたものは飛散したガラス片だけでなく、芝生の根を持ち上げつつある霜柱だったのだ。
「何が起こっているのか皆目見当もつかないけど、この暗い中状況も掴めないまま無闇に歩き回らない方がいい。職員室に場所を確保してくるから、母さんは子供達と一緒に居てやってくれないか」
スマトラ北部、カシミール、中国四川省、ハイチ南部、そして東日本に中部地方に関西と、数え上げたらきりがない程の大地震がこの星を襲ったが、被災した当事者がその規模を知るのはいつもずっと後になってからのことだ。今の僕達が置かれた状況もそんなところだろう。
「その方がいいかも知れないわね。あんた、体温調整は出来るわよね」
「試してはいないけど大丈夫だと思う。母さんこそこんなところで凍ってくれるなよ。太、お前トコログリアの接種は受けているか?」
「うん、母ちゃんが冷房と暖房の節約になるから受けておけって言って。でも、こいつんちは誰も受けてないんだって。あんなインチキ臭いものに金を払うくらいならオール3Dになったデイジーリゾートへ行こうっていってそうしたらしい。俺も本当はそっちのほうが良かったんだけど……」
この時点で、坂本少年の両親が判断を誤っていたことが明確となる。半袖半ズボンだった坂本少年はガチガチと歯を鳴らして寒さに震えていた。
――ネスミやアヒルの着ぐるみ見物に、なんで並んでまで行きたがる。おまけにあそこは埋立地だぞ
生前、僕の父親はそう言ったらしい。それに関しては僕も同意見だ。
職員室の反対側に回ると、壁はなく廊下が剥き出しになっていた。ドア枠は大きく歪んだままくの字になったドアを挟み込んでおり、押せども引けどもびくともしない。何かこじるものはないかと、周囲を見回す僕の目に見覚えのあるラベンダー色のブラウスが飛び込んできた。
「秋山先生!」
薄暗がりではあったが、十分ほど前に口説こうとした女性の洋服は忘れない。頭をこちらにして俯せに横たわる彼女だった。僕の声は届いたはずなのだが返事はない。気を失っているのだろう。
「足でも挟まれているのか? 今、引っ張りだしてやるからな!」
冷静になって考えれば、どこかを挟まれた人間を無理矢理引っ張り出すなど、まともな人間のすることではない。しかしその時の僕はそれほど必死で、それほど思慮というものが欠如していた。両足に力を込め彼女の脇に腕を差し込んで引っ張る。何の抵抗もなくスッポリと彼女の体は抜け出した。勢い余って尻餅をついた僕にのしかかってきたのは、腰から下のなくなった秋山さくらだった。婦女子のようにヒャーッ! と叫んで彼女の下から滑り出した僕は、やはり十分ほど前に食べた愛妻弁当を殆ど戻していた。
激しい嘔吐で流れ出た涙で視界が曇る。左右差があるように思えて拭った手の甲が赤く染まった。どうやら僕もどこかから出血していたようだ。もしかして頭が半分なくなっているのでは? おそるおそる手をやって額から後頭部までを撫でてみる。硬い――脳味噌は露出していない――幸いどこにも欠損はないようだった。出血は耳の後ろ辺り、窓枠から職員室を出た時、ガラスの破片にでも引っ掛けたのだろう。
秋山さくらの体をひっぱがしたカーテンで覆うと僕は母達の許へと戻った。膝ががくがくと笑っていた。
「一人じゃ無理だ。力を貸してくんないか?」
今年五十五歳になる母と、小学校四年生の少年に助けを請うのは情けなくも思えたが、この際、そんなことを言ってもおられまい。母は「あんたの父親は数百キロの鉄骨を引きずるぐらいの力持ちだったのにね」と小さくため息をついた。だったら今ここに居て僕達を助けて欲しいものだ。赤の他人のために命を落としたという父親の行動を、この時の僕は尊いと思えずにいた。