旅の終わりに
そして六日目。道中、荷物や道連れは増えてしまったが僕達は東北道に入っていた。順調に行けばこの日のうちに杜都市に着けるはずだ。幸いこの時点で鳥の道連れは増えていなかったが、目の中で起こる生化学反応は僕に渡り鳥のようなバイオナビ機能を備えさせていることに気づいていた。まあ、見た目がブレーメンの音楽隊に見えなければよしとしておこう。
しかし東北のカリスマの頭ん中は一体どうなっているのだろう。免震だの耐震だの大仰な冠詞がついた建造物はほぼ吹き飛ばされてしまったというのに、バイオ流体緩衝材が注入されただけの高架橋やトンネルはビクともしていない。平時ならノーベル賞間違いなしの発明である。ついでに空をきれいにして地軸も元通りにする方法も思いついてくれないものか。それが無理なら、せめてシェルターに潜ったままの生活を何とか……待てよ? あの衝撃波に耐え得るなら……頭の中でファンファーレが鳴り響いた。僕は天才になっちゃったのかも知れない。たった今、閃いた素晴らしいアイデアを早く誰かに伝えたくって仕方がなかった。ひょっとすると今度は僕が中部のカリスマの称号を得ることになるのかも。思わず鼻歌が口をついて出る。I used to rule the world――いや、これ過去形だし……
≪ゴキゲンだな、ツカイがオワルのがソンナニウレシイのか≫
と、その上機嫌に水を注す犬が居る。
≪そうじゃない。画期的なアイデアを思いついたんだ。次に衝撃波が来たってこれなら大丈夫だ。モグラ並の生活よサヨウナラってヤツさ≫
≪ナニヲハナシテイルノ?≫
口を挟む熊も居た。
≪マリアは美しいなって話してた≫
心無しか彼女の心拍数が上がったように感じられる。おいおい、本気にしたのかよ――しかしトコログリアなし防寒着もなしで氷の世界に適応してしまう犬や熊に僕のアイデアの偉大さが理解出来ようはずもない。この話題はここで切り上げておこう。僕はマリアに今後の身の振り方を訊ねることにした。
≪コノコト、イッショニイタイ≫
この子か……熊から見れば確かに一歩は〝この子〟と呼べるサイズなのかも知れない。しかし四歳を過ぎている一歩は犬としては中年の部類に入る。そして何より僕を不安にさせたのはマリアが野生の熊であるという現実だ。杜都市に熊の通訳は居るのだろうか? 地方によっては熊を食べる習慣もあるときく。受け入れを拒否された上、息子似の一歩とも引き離された、更には食われてしまうのでは目も当てられない。東北のカリスマが彼女の面倒を見てくれなければ連れて帰るかしかないな。母さんは卒倒するかも知れないが……〝袖擦れ合うも多少の縁〟と言う。袖どころか二日半もの間、僕の股間とマリアの背中は擦れ合っていた。情も湧いてこようというものだ。
一歩の息が荒くなってきた、そろそろ最後の休憩を入れるとしよう。バイオナビが正確でここが元泉パーキングエリア周辺なら目指す杜都市は目と花の鼻の先だ。僕の提案は速やかに受け入れられた。
≪気のせいかな? 空が明るくなったように思わないか?≫
食欲が満たされるまで、この犬と熊は一切他事に気が向かない。集中しているといえば聞こえはいいが単に卑しいだけだろう。これだからケダモノは……僕は彼等の食事が終わるのを待つことにした。
≪ナニかイッタか?≫
缶詰は橇に山ほど残っているのに、一歩は毎回きれいに舐め尽くす。食べ物を粗末にしないのは結構だが、それがなければもう五分早く食事を終えられようものなのに。
≪空が明るくなったように思わないか? ほら、あそこ――空と台地が交わる辺りだ≫
地平線と言いかけて地が氷だったことに気づく。氷平線と言い直したところで、一歩は白い頭を傾げるだけだったろう。
≪イゼンもイッタが、ワレワレはアマリシリョクがヨクナイ。ダカラ、クチビルがクロイのだ≫
相変わらず視力が悪いことを自慢げに語る犬だった。
≪だけどコントラストぐらいはわかるだろう?≫
≪コン……トラ……バス?≫
……こいつは絶対にわざとボケてやがる。杜都市に着いたら東北のカリスマに言いつけてやろう。こんな不真面目な犬はいない、と。
≪ホントウニ、アカルクナッタ≫
それに引き換えマリアは素直だった。
≪だろ? 舞い上がった粉塵が収まりつつあるのかも知れない。雲が晴れれば衛星経由の通信網は回復するはずだ。座標が南極である以上、事態に大幅な好転は望めないだろうけど被害の少なかった国からの援助は受けられるかも知れない≫
≪ナンキョク?≫
マリアにこの国が置かれた状況の説明はしていなかった。例え教えたとしても彼女がそれを理解するのは困難だったろう。そろそろ十月に入る、ということは冬か――空が晴れれば白夜が始まってもいい頃だ。見えてきたじゃないか希望が。
生き残った人々がどれだけ居るかは分からないがやり直すんだ。地球の反乱だか神の怒りだか知らないが負けるもんか。決意を新たする僕の背後で一歩のゲップが聞こえた。