シェルターを取戻せ
「許せんっ!」
顔を真っ赤にして立ち上がる伊藤だった。声にせず態度にあらわさずとも、そこに居た全ての人間が同じ気持ちだったことは間違いない。温厚で鳴る誠までもが握り締めた拳を怒りで震わせていた。剛の語った内容はそれほどの憤りをシェルターに集う全員に浸透させていた。
「誠、犬は使えるな」
「ああ、あの賢い連中なら大丈夫だ。お前に頼まれた物も出来てる」
誠の指差す先には細めの鉄筋で枠を組み、中にワイヤーを編み上げた金網が置かれている。子牛なら丸ごと焼肉に出来そうなサイズだった。雄一郎が鉄筋の先を引っ張るとワイヤーの開口がきゅっと締まる。よし、雄一郎は顎を引いて全員を見回した。
「あっちが動き出してからだと面倒だ。これから行って一気に殲滅する。この作戦には出たとこ勝負的な要素もある。俺の思惑通りに事が運ばなければ怪我人が出るかも知れない。覚悟だけはしておいてくれ。先ず榊君の役目だ――」
雄一郎がひとりひとりに指示を伝えて行く。固唾を飲んで机を囲んだ彼等だったが、その目に怯えの色はなかった。
「何だ、この煙は……」
息苦しさに目覚めた山田がシェルター内に充満する煙に気づいた。裏手の斜面にザイルで体を確保した榊が、通気口から数本の発炎筒を投げ込んでいたのだ。思うようにテイクバックが取れずスナップスローで投げ入れる発炎筒はダクトの中間地点までしか届かなかったが、雄一郎に言われた通り布切れを突っ込んで通気口を塞いだ。逃げ場のなくなった煙は必然的にシェルター内へと流れ込んでいく。
「火事だっ!」
己が利益のみを目的に集団を成すような連中だ、規律もなければ訓練が行き届いているはずもない。不寝番も置かずに眠りこけていたならず者達は簡単にパニックに陥った。我先にと出口に殺到するが、階段を引き下げ跳ね上げ戸を開ける動作に手間取って怒号が飛び交う。
「早くしやがれっ!」「俺が先だ!」
ようやく体が通るだけ扉が開くと山田と広田がその隙間から這い出た。立ち上がろうとした瞬間、手足が何かに絡め取られる感覚があった。ゆるゆると数メートル引きずられた後、二人の体は一気に緩斜面を滑り落ちて行く。手足を引き抜こうにも、ワイヤーで締め上げられている上、六頭の犬が全力で引っ張って行くのだからたまったものではない。氷の斜面にしたたか体をぶつけながら100mほどの距離を転がり落ちて行く様は出来の悪いジェットコースターのような乗り心地だったろう。緩斜面の終点では誠と井上が待ち構えていた。
そして跳ね上げ戸正面12~13m程の距離――氷の急斜面には、橇用のハーネスをスリング代わりに雄一郎が体を保持していた。
次か? 構えたクロスボウを握る右腕に緊張が走る。黒いコートが這い出てきた。中山か? 立ち上がった瞬間、腰のホルスターから拳銃を抜いて周囲に目を配っている。オートエイミング機能が働いたかのように拳銃を持った男の手首に照準を合わせた雄一郎の右手は、一瞬の躊躇もなくクロスボウのトリガを絞っていた。ギャッと叫んで男が拳銃を取り落とす。跳ね上げ戸の背後に隠れていた伊藤が姿を現して男の背中を思い切り蹴りつけると、男の体は無様に氷の大地に叩きつけられた。転がった拳銃を掴んだ伊藤は、雄一郎の短い口笛で跳ね上げ戸の右手後方に控え、ノロノロと起き上がる黒いコートの男に照準を合わせて言った。
「動くな、このケダモノめ」
もう一丁は? ショットガンがあるはずだった。雄一郎は急いで次の矢をつがえた。新たに這い出てきたふたつの人影が体を起こすと同時にクロスボウの矢が放たれ、向かって右側の男の大腿部を貫いた。
どうなってしまったんだ俺の腕は……正確な照準とトリガの操作は雄一郎の意識下で行われたものではない。まるで腕自身が意思を持ったかのような動きだった。
ガッと声を上げて蹲る男を見下ろし何が起こっているのか見当もつかない、といった表情の左側の男に雄一郎は見覚えがあった。中学校時代、山田の腰巾着だった坂本という男だ。
これで五人か……ショットガンともう一人は? 雄一郎がクロスボウに矢をセットしようとした時、シェルターの中で轟音が響き渡った。誰か撃たれたのか? ハーネスを掴んで一気に身体を引き上げる。矢の刺さった腕を抑えて跪く男の背中にPOLICEの文字が読み取れた。
「中山だな」
苦痛に歪んだ顔を捻って見上げる男は、かつて雄一郎にナイフで挑み、完膚なきまでに叩きのめされた元暴走族の中山だった。
「俺は警官だぞ、こんなことしてただで済むと思ってるのか」
虚栄心と欲望だけがお前の燃料なのか、見下げ果てた男だな。雄一郎は哀れむような視線で見据える。それに耐え切れなくなったのか、中山が目を逸らした。
緩斜面の麓でパッと赤い炎が上がる。発炎筒が点火されたようだ。ワイヤーを編み上げて作ったトラップで引きずり下ろした二人を確保したとの合図だった。雄一郎はLED電灯の明滅で了解を知らせる。裏手の通気口から発炎筒を投げ入れた榊が戻り、伊藤と二人で中山と坂本を縛り上げた。足を抑えて大袈裟に転げまわっていたのは、裏切った農園スタッフの片割れ内田だった。とうに戦意は消失していたが、伊藤は狙いをつけた銃口を逸らさない。
「中を見てくる。ここを頼む」
雄一郎はクロスボウに新しい矢をセットし、右足だけに着けていたアイゼンを外した。鳥撃ち用のバードショットだとは聞いていたが、至近距離でぶっぱなされれば致命傷にもなりかねない。慎重に中の様子を伺いながら階段を下りていった。
「剛の奥さん、どこです? 無事ですか? 彼の同級生の鈴木です」
呼び掛けに返事はない。シェルターの奥まった付近、薄明かりに照らし出される半裸の女性と床に倒れた男の姿が目に入った。消去法でゆけば、その男は元農園スタッフの石井ということになる。ショットガンは女性の手に握られていた。
「傍に行きます。撃たないで下さい」
声は聞こえていたはずだ。だが瑛子の目と耳が雄一郎を認識していたかどうかはわからない。美人の部類に入る瑛子だったが、今は魂が抜け落ちたような表情で視線を宙に彷徨わせている。ゆっくりと近づき、まだ硝煙の立ち昇るショットガンを掴んで銃身を捻る。それは飴細工のようにグニャリと曲がった。
「初めまして、中学で剛と一緒だった鈴木雄一郎といいます。もう心配はありません。剛も無事で、誠んちのシェルターに居ます。暫く横になって休んでいて下さい」
脱いだヒーテッドコートを羽織らせ、瑛子の背中に手を添えてベッドに横たわらせる。彼女の瞳にジワリと涙が滲みだすのを目にして雄一郎は胸が痛んだ。剛が語った「あいつ等、瑛子に……」の言葉と半裸だった瑛子の姿に、ここで何が行われていたのかは容易に想像がついた。
床に血溜まりを作り、倒れ込んだまま小さく呻いている男を引き摺って雄一郎は階段を上って行った。
「俺達をどうするつもりだ?」
寒さも怯えもあったろう。山田の声に張りはない。お縄になった罪人よろしく縛り上げた悪党共を車座に座らせ誠達が取り囲んでいた。それだけでもトコログリア未接種の四人にとってはかなり堪えただろう。ガチガチと歯を鳴らす音が聞こえてきそうだった。
「その拳銃はやろう、二度と悪さはしねえよ。下働きでもなんでもする、ここに置いてくれねえか?」
「虫のいいことぬかしてんじゃねえ! てめえらが何をやったか全部わかってんだぞ」
中山の都合のいい提案に伊藤ががなり立てた。悪知恵の働く山田に交渉役は引き継がれる。
「あのヒゲオヤジだったらどうしたろうな。暴力や私刑を許すと思うか? なあ鈴木、頼む、見逃してくれよ」
雄一郎と誠から逡巡を引き出そうという狙いだったのだろう。ふたりの恩人を交渉の新機軸として持ち出すと誠が目を伏せた。どうする? 撥ね付けてくれるよな? といった視線が雄一郎に集まる。
「あの人はお前に二回考え直すチャンスを与えた。ナイフを持って網にかかった時と放火に来た時だ。仏の顔も三度までという。最後のチャンスをやろう」
山田の顔に薄ら笑いが浮かぶ。どこまでも甘いヤツだなとでも思ったようだ。許すのか、こんな奴等を――口を開きかけた伊藤を目で制して雄一郎は続けた。
「正んちのシェルターに行け、食料は自分達で見つけるんだ。これが最大限の譲歩だ」
山田の顔から表情が抜け落ちた。
「あそこは発電設備がないんだろう? 体温調整の出来ない俺達は凍死しちまう。食料なんか見つかりっこねえよ」
「トコログリアの接種をしなかったのはお前達の選択だ。俺は杜都市からこっちに来る途中、鹿も熊も見た。生き残りたきゃ頭を使え。接種済みの二人だって居るじゃないか」
「歩くのもままならないこいつ等なんか足でまといにしかならねえよ。医者もいねえんだ、死ぬのを待てってえのか?」
「お前達がしたことはケダモノ以下の行為だ。だったら共食いだって出来るだろう。その出血だ、石井は長くはもたないと思うぞ」
声を荒らげるでもなく淡々と語る雄一郎の言葉には怒声以上の凄みがあった。
「大丈夫か? あいつ等また戻って来やしないよな?」
発電設備がなく、当然暖房などもないシェルターに送り込んだ連中の様子を、雄一郎は既に二度確認に行っていた。最初の二十四時間でミクログリア未接種の四人が凍死し、股間をショットガンで撃ち抜かれ生死の狭間を彷徨う石井も時間の問題だったろう。大腿部をクロスボウの矢に貫かれた内田の右足は血流が滞って壊死を起こしていた。しかし雄一郎はそれを誰にも知らせずに居た。この状況では僅かな油断も命取りになる。その認識を人の良い誠にも徹底させたかったからだ
「美代ちゃん達を連れてきたら俺は一旦杜都市に戻る。これからはお前達でここを守って行くんだ。しっかり頼むぞ」
見送りを断った雄一郎だったが、誠だけはそれに従わなかった。蹂躙されたシェルターの後片付けや修繕、想定される外敵への対策にと全員が大わらわで駆けずり回っていた。クラウディング(人がたくさんいる高密度状況で、空間とそれを共有する人々との間で生じたネガティブな主観的・心的な状態)の兆候があった木下の妻も広いシェルターに戻れたことが上手く作用したようで、家族の呼び掛けにちゃんと受け答えが出来るようになっていた。
「ああ、二度とここを明け渡すような真似はしない。美代ちゃんの他には誰が居るんだ?」
「丈の教え子だった小学生が二人と、保健医さんだ」
「保健医さんか、そいつは助かる。晴美もそろそろ予定日が近づいているからな。こういう時、男は何の役にも立ちやしないからな」
「そうだな。剛がつきっきりだから心配はないと思うが、瑛子さんのことも気にかけておけよ。明日には戻る」
「分かった、任せとけ。あれ? なんだか少し空が明るくなったように感じないか?」
そう言われて雄一郎が見上げた空は地平線、いや、氷平線と言うべきか――そこだけほんの僅かだが闇が薄れているように思えた。